第二話 あの頃の放課後
「……は?」
湊は呆然と呟く。
教室。
夏の空気。
騒がしい男子たち。
窓際で喋る女子。
全部が、あまりにもリアルだった。
「おい大丈夫か?」
春斗が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
「熱でもあんの?」
「……春斗」
「ん?」
近い。
汗の匂い。
日焼けした顔。
本物だった。
未来では、もう何年も会っていない。
最後に連絡したのもいつだか覚えてない。
でも今。
目の前にいる春斗は、14歳だった。
「うわ、なんか怖」
春斗が笑う。
「急にどうしたんだよ」
その笑い声だけで、胸が締め付けられる。
「藤沢くーん」
後ろから声。
振り返る。
小坂菜摘だった。
「またボーッとしてる」
「夏バテ?」
「それとも雨宮さん見てた?」
「は?」
反射的に窓際を見る。
そこには。
雨宮澪がいた。
文庫本を読んでいる。
夏の風で黒髪が揺れていた。
その光景を見た瞬間。
湊の心臓が、一瞬止まりそうになる。
「……澪」
「え?」
澪が顔を上げる。
「なに?」
覚えてる。
この感じ。
名前を呼ぶだけで緊張していた頃。
メール一通で一喜一憂してた頃。
湊は慌てて目を逸らした。
「……いや、なんでも」
「変なの」
菜摘が笑う。
周囲も笑う。
教室の喧騒。
窓から入る夏の風。
蝉の声。
全部が、リアルすぎた。
――夢じゃない。
「おーい湊!」
春斗が肩を組んでくる。
「今日撮影だろ!」
「河川敷!」
「忘れてねーよな!?」
「撮影……?」
「は?」
春斗が眉をひそめる。
「文化祭の映画だよ」
「『夏の向こう側』!」
「お前が言い出したんじゃん!」
その瞬間。
記憶が蘇る。
文化祭。
自主制作映画。
河川敷。
夕焼け。
ハンディカム。
完成しなかった映画。
「……あ」
湊は息を飲む。
そうだ。
あの映画。
結局完成しなかった。
途中でみんな忙しくなって。
進路の話になって。
自然に集まらなくなって。
そのまま終わった。
「藤沢?」
春斗が不思議そうに見る。
「ほんと今日どうした?」
「……いや」
湊は小さく首を振る。
「なんでもない」
でも。
胸の奥が妙にざわついていた。
◇
放課後。
校門前。
蒸し暑い空気。
部活へ向かう生徒たち。
自転車。
笑い声。
「うわぁ……」
湊は思わず立ち止まる。
懐かしい。
懐かしすぎる。
「何してんの?」
水瀬七海だった。
ポニーテールを揺らしながら、スポーツバッグを肩に掛けている。
「撮影行くんでしょ?」
「春斗たち待ってるよ」
「あ、ああ」
七海はじっと湊を見る。
「……なんか今日、大人っぽいね」
ドキッとした。
「え?」
「いや、変って意味じゃなくて」
「なんか疲れてる人みたい」
その言葉が、妙に刺さる。
「……そんな顔してた?」
「してる」
七海は即答した。
その時。
「おーーーい!!」
遠くから春斗の声。
校門前で手を振っている。
隣には戸倉慧。
菜摘。
森圭介。
みんな笑っていた。
夕方の光の中。
青春そのものみたいに。
「湊ー!」
「早く来いって!」
その光景を見た瞬間。
湊の胸の奥で、何かが小さく軋んだ。
◇
河川敷。
夏の夕方。
オレンジ色の空。
草の匂い。
遠くを走る電車。
「よし!」
春斗が立ち上がる。
「今日はオープニング撮るぞ!」
「主演様の俺をカッコよく撮れよ!」
「だから違うって」
慧が呆れながら言う。
「主人公は雨宮さんだろ」
「えぇ!?」
「俺じゃねぇの!?」
「暑苦しいから却下」
みんな笑う。
その空気が、眩しかった。
湊は少し離れた場所から、みんなを見ていた。
胸が苦しい。
苦しいのに。
どうしようもなく愛しかった。
「藤沢くん」
声。
隣。
澪だった。
「……大丈夫?」
「え?」
「なんか今日ずっと変だから」
澪は夕焼けを見ながら言う。
「泣きそうな顔してる」
湊は息を止める。
そんな顔、していたのか。
「……雨宮」
「ん?」
「俺さ」
言葉が漏れる。
「この景色、好きだったな」
澪は少し驚いた顔をしたあと。
ふっと笑った。
「うん」
「知ってる」
風が吹く。
河川敷の草が揺れる。
夕焼け。
笑い声。
夏の匂い。
その瞬間。
湊は思い出していた。
――ああ。
俺。
こんな毎日を、本気で愛してたんだ。




