第一話 34歳の俺へ
満員電車の窓に映る自分の顔を見て、藤沢湊は小さく目を逸らした。
疲れてるな、と思う。
2026年夏。朝七時四十二分。
毎日同じ車両。
同じ吊り革。
同じ景色。
灰色のビル群が、窓の外を流れていく。
スマホが震える。
『藤沢くん、先方資料まだ?』
『今日の会議10時から』
『修正お願い』
会社のチャット通知。
湊は無言で閉じた。
「……はぁ」
最近、ため息ばかり増えた気がする。
イヤホンから音楽。
ランダム再生。
流れてきたイントロに、湊の指が止まった。
懐かしい曲だった。
学生の頃、何度も聴いた曲。
でも。
すぐにスキップする。
聴きたくなかった。
あの頃を思い出すから。
◇
仕事帰り。
夜九時。
コンビニ飯を片手に、湊は一人で歩いていた。
スマホを見る。
SNS。
誰かの結婚。
誰かの子供。
誰かの成功。
ぼんやり眺めて、閉じる。
「……まあ、そんなもんか」
口癖みたいに呟く。
その瞬間。
スマホが震えた。
『母』
珍しい。
「もしもし」
『あんた今仕事終わり?』
「うん」
『実家のことなんだけど』
母の声は少し疲れていた。
『取り壊すことになったから』
湊は黙る。
『荷物、整理しに帰ってきなさい』
◇
三日後。
湊は地元・蒼峰市へ戻っていた。
改札を出た瞬間。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
懐かしい。
でも。
少し変わっていた。
昔あったゲームショップは潰れている。
CD屋もない。
商店街のシャッターは閉まったまま。
だけど。
夏の湿った空気だけは、あの頃と同じだった。
蝉。
アスファルトの熱。
遠くの電車の音。
その全部が、胸をざわつかせる。
◇
実家。
玄関を開けた瞬間。
「……懐かし」
思わず呟く。
古い扇風機。
麦茶の匂い。
少し黄ばんだ壁紙。
何も変わってない。
「二階整理しといて」
母が言う。
「あと、母校ももう解体始まるらしいよ」
その言葉に。
湊の心が少し揺れた。
◇
自室。
ドアを開ける。
時間が止まっていた。
映画雑誌。
DVD。
積み上がったMD。
机の上の古いパソコン。
そして。
棚の奥。
黒いケース。
「……」
湊はゆっくり取り出す。
SONYの古いハンディカム。
テープ式。
学生時代、どこへ行くにも持ち歩いていた。
河川敷。
夏祭り。
放課後。
全部これで撮っていた。
湊は少しだけ笑う。
「ガチで懐かしい……」
その時。
棚からMDケースが落ちた。
パラパラと散らばる。
油性ペンで書かれたタイトル。
『夏用』
『帰り道』
『2006』
「……っ」
胸が苦しくなる。
昔の自分が、そこにいた。
◇
夕方。
湊は一人、三中へ向かっていた。
蒼峰市立第三中学校。
通称“三中”。
校門前。
貼り紙。
『老朽化に伴う校舎解体について』
夕焼け。
静かな校舎。
風。
湊はゆっくり歩き出す。
廊下。
ワックスの匂い。
夏の空気。
全部覚えてる。
二年三組。
教室前で足が止まる。
ゆっくり扉を開けた。
夕焼けに染まる教室。
静かだった。
でも。
耳の奥で、笑い声が聞こえた気がした。
『湊ー!』
『また撮ってんのかよ!』
『うわ、カメラ回ってる!』
『文化祭間に合うのこれ!?』
幻聴。
なのに、あまりにもリアルだった。
「……」
湊は教室後ろを見る。
ロッカーの下。
何かが見えた。
近づく。
古い缶箱。
ガムテープ。
マジック文字。
『20年後の俺たちへ』
湊の呼吸が止まる。
「これ……」
震える手で開く。
中には。
DVD。
手紙。
そして。
一枚のメモ。
『34歳の俺へ』
視界が揺れた。
◇
視聴覚室。
古いDVDプレイヤー。
再生ボタン。
ザーッ――。
ノイズ。
映像。
『うお! 映ってる!?』
『近い近い春斗!』
『お前レンズ触んなって!』
笑い声。
教室。
夕焼け。
14歳の自分たち。
若い。
馬鹿みたいに笑ってる。
その中心。
ハンディカムを持った、中学生の藤沢湊。
映像の中の自分が、カメラへ向かって笑う。
『未来の俺へ!』
『ちゃんと映画監督なってるか!?』
教室が笑う。
『絶対なってるだろ!』
『湊ずっと映画撮ってるし!』
『有名人になったらサインくれよな!』
笑い声。
眩しい。
眩しすぎる。
湊は画面を見れなくなる。
胸が痛い。
苦しい。
『……なあ、未来の俺』
映像の中の14歳の湊が言う。
『今、楽しいか?』
その瞬間。
映像が乱れた。
ノイズ。
視界が白く染まる。
耳鳴り。
蝉の声。
強い光。
――次の瞬間。
「湊ー!!」
声。
顔を上げる。
教室。
昼の光。
ざわざわした空気。
「何ボーッとしてんだよ!」
神谷春斗だった。
汗だくで笑っている。
「映画の台本できたのかって!」
湊の呼吸が止まる。
窓の外。
真夏の青空。
黒板。
制服。
笑い声。
そして。
教室のカレンダー。
『2006年 7月』
湊は、言葉を失った。




