絶対に即位拒否の男
ガリリと涼しげな音を立てて氷菓子をかじる皇帝は、第二皇子の部屋で優雅に寛ぐ。
退席する予定だった私は、「その方もそこで話を聞け」という有無を言わせぬ一言で部屋の隅に留め置かれている。部屋の隅に控えているのは、皇帝の側近、朱氏様、お爺ちゃん宦官、私。
「どうも近頃、宮廷は物騒でな。相談事もできん」
あぶら蝉のジージーと鳴く声が容赦なく届き、皇帝はカジュアル過ぎる籐のイスに座り、片肘を付いていた。テーブルには、街の氷屋から届いたばかりの凍ったフルーツが冷んやりと白い湯気を立てている。
「しかし父上、せめて謁見の間の太師椅(いかにもな豪華なイス)にお座りください」
「それでは声が大きくなって、侍女達に聞こえてしまうわ」
「いったい、どのようなご用件で、こちらまで足をお運びになられたのですか?」
第二皇子の問いかけに、皇帝は不釣り合いに小さな籐のイスに体を収めたまま端的に答えた。
「九族の刑を使おうと思う」
!
九族の刑とは、国家反逆罪にのみ適用される朝廷の最終兵器。犯人本人だけでなく、父方、母方、そして妻方の親族に至るまで、血縁のすべてを根絶やしにする刑。
「お戯を」
第二皇子は広げた扇子で口元を隠して、少しだけ笑いの息を漏らす。
「真剣だからこそ、ここまで来たのだ」
皇帝が部屋の隅に視線をやると、側近がそれに答え、風を入れてあった窓を静かに閉め始める。私も音を立てないよう、それを手伝った。
「息子よ、其方は逆子だった。生まれるとき、それはそれは時間がかかったのだ」
皇帝は冷えた果実を口に運ぶ手を止め、懐かしむように、けれど重々しい声で続けた。
「やっと生まれたとき、其方の母妃は息絶え絶えに懇願したのだ。どうかこの子を第一皇子ではなく、第二皇子にしてくれと。私はその約束を守った。生まれた順番からすれば、真の皇太子は其方なのだぞ」
衝撃の事実を、私はなんとなく予見していた。それは、第二皇子も同じだったようだ。
「第二皇子にしてくださり、ありがとうございます」
「何を言っとるのだ。覚悟を決めろと言いに来たというのに」
すでに、北の国への小麦の件で不正を働いた者達は処刑された。九族の刑が発動されるのは、第5駐屯地の将軍に対してだろう。
「恐れながら父上、約100年使われなかった極刑を使うなどとは正気の沙汰とは思えません。そんなことをすれば、軍部がガタガタになるどころか、官僚にも大勢いる優秀な人間が一掃されてしまうのですよ?」
第二皇子の諫言を皇帝は冷たく遮った。
「しかし、北の国との内通は、一将軍の小遣い稼ぎとはわけが違う。央の国を再び我がものにしようとしている北の国の民族との繋がりだ。到底看過できん」
そこらへんに蔓延っている賄賂や横領などの不正とは違う。北の国の民族が国境の長い城壁を越えて央の国の領土も農地の街も産業も人も、全てを乗っ取ろうとする足掛かり。将軍が売ったのは、ただの軍備ではなく、国家の命脈そのものだった。
「恐らくは軍部の官僚、李氏が黒幕です。それが暴けないからと言って、九族の刑を使うのですか?」
九族の刑が発動されれば、血縁者は一人の残さず根絶やしになる。それはつまり、現在の政界と軍部の中枢にいる李一族が、全員いなくなることを意味していた。
「証拠など、出させている時間はない。それに、一掃せねばならんのは文官の李氏だけではないのだ」
皇帝は氷菓子の器を卓へ戻すと、昏い眼光で第二皇子を見据えた。
「李家はすでに100年以上、軍部の人事を掌握している。文官だけでなく武官にも多い。武官の李家は第5駐屯地の将軍をしてきた。繋がっておる。武官を抑えるためにその上に文官を置くのが央の国の理だ。だが、今の状態では、武官が文官の手足となっている」
武官を文官が抑えつけているのは意味がある。治世の指針は武力ではなく、法と政治を司る文官の手になければならない。
けれど、文官と武官に密接な繋がりがあれば、軍事クーデターの可能性すらある。
「父上は、ご自分の妻を殺すと仰るのですか?」
第二皇子は皇帝を非難した。九族の刑を執行すれば、李一族である皇后も免れない。
「正室として迎えるときは、まだ浅慮だったのだ。意味を理解していなかった。北の国の民族が、外側と内側から、領土と血筋から央の国を侵略しようとしていたことに気づかなかった。心配するな。皇后は廃妃に止める」
「では兄上は、九族の連座から外れます」
皇后様の籍が廃妃によって抜ければ、第一皇子は法的には李一族との縁が切れる。
「だが、廃妃となる皇后の息子。名分が立たん」
「父上の息子です」
第二皇子は第一皇子を救おうとする。
「では、其方が皇帝を継ぐと宣言するならば、第一皇子の処遇を考えよう」
ん? ヘタレ第二皇子が央の国の皇帝に?! それは、ちょっと。
「絶対に無理です。そのような覚悟などありません。皇帝は兄上です。じゃなければ、第四皇子も第六皇子もいるではありませんか」
「いや、其方には数々の輝かしい功績があるではないか」
皇帝は右手を掲げ、ぱちん☆と小気味よく指を鳴らした。すると、私と同列で控えていた側近が、さささっと1冊の本を皇帝に差し出す。あらら。「傾国美男子伝」じゃん。
「父上まで。この多くは、周囲の者達によるお膳立てがあってのもの。こんなものは、嘘っぱちです。あ、蹴球大会は頑張りました」
「観念して後を継ぐと言うのだ!」
「嫌です。皇帝などできません。絶対にイヤ!」
「皇帝を」
そして第二皇子は、なぜか不敵に笑った。
「嫌です。では、こちらにも考えがあります。瑞!」
ぱちん☆
第二皇子は右手を掲げて指を鳴らした。へ? 私? 隣の朱氏様をちらりと見れば、行けと目配せさせる。第5駐屯地近くで敵将の首を取ったのは私ですって暴露する流れ? それとも、小麦の援助を決めたのは第一側室様だってゲロっちゃっていいのかな? 深海魚の交渉で皇帝の船を盗む茶番のこと? 北の国境の検問所ではただ単に股とお尻と筋肉痛だっただけって?
心の中を???でいっぱいにしながら側に近づくと「あれを」と言われた。
「あれとはなんでございましょう」
ちっ。実はカッコよく指を鳴らしてみたかっただけだわ。
「あれだよ。上から3段目の左端」
あー。あれ、ね。私は速やかに掛け軸の元へ行き、ぺらりと松と鷹の絵をめくる。そこには、本がぎっしり。なんか増えてるし。3段目の左端から慎重かつ丁寧に例の帳簿を取り出すと、、、
どさどさどさ
雪崩が起こり、辺りは艶本だらけに。とにかく帳簿を届けることが第一優先。あられもない男女の裸体の絵をそのままに、私は恭しく第二皇子に帳簿を差し出した。
「お持ちいたしました」
大急ぎで戻って艶本の山をお片付け。
「ごほっ。ん。父上、こちら、父上が密輸をなさっていた証拠の品です。もし私に皇帝になれと仰るなら、これを公にして父上を皇帝の座から引き摺り下ろし、兄上を皇帝にします」
いや。無理でしょ。この国一番の絶対的権力者。
「……」
皇帝の一瞬の沈黙で、第二皇子に何かが乗り移った。
「今の私には勢いがあります。『傾国美男子伝』で人心を掴んでいるのは私です。逆に父上は、九族の刑を発動し恐怖政治を敷く冷帝。九族の刑をすれば、被害者は女子供まで数千人。必ずや恨みを抱き、私を支持する者がおりましょう。しかも、兄上は賢帝になると学士達の太鼓判付きです」
「先ほど、あれは嘘っぱちだと言ったではないか」
「嘘っぱちでも、人々は、信じたいことを信じます」
「……」
「……」
両者は睨み合う。しばらくして、皇帝が豪快に笑った。
「はっはっはっは。そのように私を相手に脅しをかけるほど成長したのだな。父として嬉しく思うぞ」
皇帝は、艶本を1冊レンタルして去った。
窓を開け放ち、風と共にあぶら蝉の声が部屋に届く中、思わず第二皇子に告げた。
「お見事でございました。皇后様、第一皇子様を思うお姿に、心を打たれました」
第二皇子はほざいた。
「イヤに決まってるじゃん。好きでもない女といっぱい子供作れとか、男心をなんだと思ってんのってシステムだよ」
え。そんな理由。感動を返せ。艶本を処分しろ。




