ミラクル第二皇子②
第二皇子はベッドにうつ伏せになったまま続ける。
「そしたら、凸凹してた地面につまづいちゃってさ」
あやうく転びそうになったが、なんとか片膝をついただけだった。それはちょうど、相手の目の前でのこと。慌てて体制を立て直そうと両腕を前に突き出した。すると、なぜか相手は第二皇子の両腕に自分の両腕を上からふわりと重ねるようにして包み込んだ。そのまま、互いの頬が触れ合うほどに顔を寄せられた。
「キスされるのかと思ってびっくりしたよ。だけど、身体中痛くて、避けることもできなかった」
常に人を上から見下ろす立場にいる第二皇子は知らないのだろう。
「殿下。それは、北の国の伝統的な最も格式高い挨拶です。年下の方が下から両腕を差し出して年上が上から両腕を重ねます。その後に頬を寄せ合うんです」
「瑞、そんなことまで知ってるの? 僕、何事かと思ったよ。ただ、その後、すっごく相手の表情が柔らかくなったんだ」
きっと相手は「自分たちの文化に合わせて最高の敬意を示してくれた」って感動したんだね。ただの筋肉痛がなんてこと。
表情と言葉は穏やかだったものの、北の国は、小麦の量が誤魔化されていたことにいちゃもんをつけた。当然。援助という名目であっても、御礼に銀をたんまり渡したのだから。これに対し第二皇子は謝罪し、直ちに足りない分以上の小麦を届けることを約束した。すると相手は更なる要求を突きつけてきた。
「怖いんだよ。悪いことした人の手か耳を差し出せって。もう僕には理解できないサイコパス」
第二皇子は、自分にはまったくもって存在しない発想に「はぁ? それマジで?」と思わず央の国の言葉を言いながら、首を2度も傾げてしまった。再び私は解説する。
「殿下、2度首を傾げるのは北の国では承諾を意味します」
「どうしよう。なんか、そんな気がしたんだ。だってさ、その後、肩の上にぽんって手を載せられた」
「それは、年上の者が年下の者に親愛を示すようなときに使います。『仲間だ』とか『よろしく』みたいな意味合いだと思われます」
こうして緩衝地帯での2人の奇跡の会談が終わり、第二皇子は城壁の門の前まで戻った。第二皇子は安心感から気を失った。しかし、倒れた第二皇子を回収するには門を開けなければならない。城壁の上にいる兵士たちは、「殿下、申し訳ありません」と涙を流しながら、敵の何万もの騎馬隊が地平線の彼方へ見えなくなるまで、第二皇子を門の前に放置した。それは可哀想だよー。
「耳とか手、送るのかな。どーなってんだろ」
不正が常識の央の国での当たり前に、第二皇子は気の毒そうな声を上げる。それに対し、朱氏様はきっぱりと言った。
「不正が罷り通るのが異常なのです。それを他の国から指摘されるなど羞恥の極み。すでに犯人の目星がついております。但し、大勢おりますので、送る耳や手が大量になるやもしれません」
怖っ。
北の国との会談の内容は、早馬によって届けられ、皇帝から「捜査&処刑」の勅命が下っている。
「ところで、気になっていることがあるのですが……」
私は第二皇子に切り出す。どこで誰が聞いているか分からないので、声を落として尋ねた。
「海賊軍に貰った例の帳簿は、無事だったのでしょうか?」
皇帝が密輸をゲロったとはいえ、貴重な証拠品。火事で焼失してしまったなどということはなかったのだろうか。
「ああ、大丈夫。ちょっとめくれてたけど、そこは荒らされてなさそうだから」
広くすっきりした部屋のどこに「そこ」があるのだろうか。そして、どうも未確認のよう。気になる。
「めくれていたのですか?」
私は部屋を見回し、めくれるものを探す。まず、敷物が怪しい。第二皇子の母親である第一側室は、皇帝の突然の訪問に大慌てし、敷物の下にそろばんを滑り込ませて隠した。
ぺらり
ぺらり
敷物をめくってみる。何もない。
「いーんだって、瑞。探さなくて」
ベッドの上で第二皇子は、ちらちらと不自然に視線を動かす。その視線を辿ると……おおーっ、あった。めくれるもの。掛け軸。幅80cm×高さ180cm程。うねるような松の枝に止まる猛々しいが描かれている。
ぺらり
掛け軸をめくってみた。壁が四角くくり抜かれ、書棚になっている。そこには書物がたくさん?! さすが帝国の皇子ともなると特別な帝王学も学ばなければならないんだね。実は宮廷の秘密の抜け穴が本物だとか、禁断の人心掌握の術だとか、闇に葬られた央の国の裏歴史とか。第二皇子がベッドから起き上がれないこの絶好の機会に!
さっと1冊を手に取ってみた。
「ああっ、ダメ。瑞」
ページを開いて、即閉じた。もつれあう裸の男女の絵があったから。
「艶本ではありませんか。」
「古来より『大隠は朝市に隠る』ってゆーじゃん。だから、上から3段目の端っこに……」
第二皇子は格言まで持ち出しながらも、発言は恥ずかしそうに尻すぼみ。
「何が『朝市』ですか」
本当に格上の隠者は、山奥(小隠)ではなく、あえて人が最も多く集まる宮廷(朝)や市場(市)に身を隠すもの──という意味。帳簿をあえて同じような冊子の中に隠したと。
めくれていたならば、放火したスパイの僧は掛け軸の後ろに気づいたということ。艶本置き場なんて探さないよね。敵のプロすら完璧に欺くとは。やっぱ第二皇子は只者じゃないのかも。
呆れつつ、私は上から3段目の左端に帳簿があることを確認した。燃えてなくてヨカッタ。
都には第二皇子旋風が吹き荒れ、巷の本屋では「傾国美男子伝」なるものが爆発的な大流行を見せいていた。蹴球大会の勇姿、第5駐屯地で敵陣営を爆破し敵将の首を掲げた武勇伝、不作で苦しむ北の国へ小麦の援助をした聖人君子っぷり。海賊軍のトップを従えて世界の七つの海を平和にしたことになってるし。もちろん最後は北の国が攻めてこないように、たった1人で敵と話をした気高い姿。各ページには、最新の多色刷り技術でこれでもかと美男に描かれた第二皇子の挿絵が印刷され、まるで写真集(?)。
いやもう、おかしいでしょ。どーしてそれが「三国志演義」とか「水滸伝」とか「西遊記」と一緒に並ぶわけ。でもって、買っていくのは女子。
強烈な光の影では、大粛清が執行されていた。
麻袋に少なく小麦を入れた者、その重さを知りながら記録した者が捕えられた。「もともと入っていた分が少ないから仕方がなかった」との供述に調べてみれば、商人から小麦を購入した役人もOUT。運搬業者も保存する蔵の管理人もOUT。粛清の数は100人以上に上った。その人達にとっては、いつものことをいつものように処理していただけ。それが突然、このときだけ処刑。無慈悲。
官僚の粛清は、責任者1人に留まった。これを、央の国は根っこまでは腐っていないと見るか、トカゲの尻尾切りと見るか。
100人以上の末端の命が消えたことに、第二皇子は心を痛めた。
「僕が無知だったばっかりに、こんなことになってしまって」
それを朱氏様が宥める。
「いずれは正されるべきことだったのです」
その後、事の顛末を綴った詳細な説明つきで、北の国へ大量の塩漬け耳が送られたころ、第二皇子の股とお尻は完治し、通常の生活に戻っていた。
「捕まったのは役人ばかりだった。商人は誤魔化さなかったの?」
第二皇子の疑問に朱氏様が答える。
「商人が不正を働けば、次から取引がなくなってしまいます。世間一般というものは、信用が大切なのです」
「なんか変だね。社会の仕組みを整えて、民を導くはずの官僚や役人が不誠実で、他の人達はちゃんとしてるってことか。なんだか去年の蹴球少年を思い出すね」
昨年のサッカー大会の準備中、製麺所で働くガリガリに痩せた子供を見て、春香妃は「製麺所の麺を食べればいいのに」と第二皇子に零した。そのとき、第二皇子は、人の物を勝手に食べることなどしないと説明。私は、春香妃の寂しそうな声を聞いた。
『役人や官僚はちゃんと食べているのに人の物を奪って、ちゃんと食べられない子は正しく生きているのですね』
央の国の庶民のほとんどは正しく生きている。不正をするのは、その上に立つ、雇用者や役人や官僚。
じりじりと太陽が大地を焦がす季節、第5駐屯地の李将軍が都に護送された。




