要塞寺とスパイの僧
頭の上から声が降る。
「瑞、もうひと頑張りできる?」
「はい!」
平身低頭だったのに、思わず頭をくいっと上げてしまった。
「まず寺へ戻ってから、検問所へ行こう」
てら?
訳がわかっていない様子の私に、お爺ちゃん宦官が説明してくれた。
「前に話していた、第一側室様一族縁の寺だ。今、殿下はそちらに寄進なさった帰りなのだよ」
ああ、実質、傭兵がいる武装寺。
「母上のお使いだよ。宮廷に戻る時間はないよね。その馬、あと5kmぐらい、僕を乗せる体力ある?」
「はい!」
「寺まで行けば、元気な替え馬がある」
内通の証拠は、馬車で十王府へ戻るお爺ちゃん宦官に託した。
第二皇子と私は雨の中、武装寺へボルとサランを走らせた。やがて止みそうな霧雨にこげ茶色く染まった土や街並み。小柄な馬達は、腹まで黒くして激しく土を跳ね上げ、蹄の音を響かせた。
◇
まるで要塞のような寺だった。高い塀に囲まれ、中の様子は全く窺えない。囚人が収容されている牢獄と言われても信じるだろう外観。
玄関横にあるドラを鳴らして来訪を告げると、両開きの大きな門扉がゆっくりと開き始める。その時間すら惜しむように、第二皇子と私は扉の隙間をすり抜けるようにして境内に滑り込んだ。
何事かと1人の老僧が出てきた。第二皇子が即座に命を下すのかと思いきや、、、
「瑞」
とパス。はあ?
まず名乗り、要件を告げた。
「国境の検問所から、明後日、北の国が侵攻して参ります。その日、国境の検問所には北の国と内通している賀という役人が立つ予定です。賀が城壁の門を内側から開ける前になんとかしなければなりません」
第二皇子が補足した。
「情報は確かだ。先ほど、内通に関する資料を確認した。賀の名があった。そして、検問所から都への進軍ルート、宮廷を攻めるときの手筈まで考えられていた。北の国の侵攻については狼煙で知らせを行ったが、出陣して国境を目指す間に、賀という役人が北の国の軍勢を央の国に入れてしまう」
そこまでで、相手に望んでいることが伝わった。年老いてなお屈強な体躯の老僧は、仏のようだった顔を一変させ、鋭い眼光を放つ。
「承知致しました。この寺は、このときのためのもの。出陣いたします。ここから国境の検問所まで約130km。明日の夜までに到着します!」
「母上の、いや、皇帝陛下の命でなくても出陣してくれるか」
「この寺は、央の国を守るために存在しているのでございます」
「辱い」
「出陣の報は、鳩を宮廷へ飛ばすことに致しましょう」
霧雨の中、老僧は建物の中へ入っていく。それに続いた。
ぎぃぃ
玄関を入った直後、玄関を上がった直後、背後で重々しい扉の開閉音が響き、私は振り返った。若い僧が1人、肩についた雨を払っている。外にいたときには気配すら気づかなかった。若い僧は、振り向いた私と目が合うと、さっと顔を逸らしてどこかへ消えた。ん? けれど、その不審さを追及する暇はない。
老僧は広間の中央に仁王立ちし、怒号のような声を張り上げる。
「戦の準備をせよ! 敵が北の検問所から来る。明日の夜までに、なんとしても到着するのだ」
別の僧が「出陣だ、出陣だ」と建物の中をドラを鳴らしながら走っていく。
約130kmを1日ということは騎兵隊。それでも強行軍。馬が潰れてしまう。潰れてしまっては、検問所を破られたときに戦えない。しかし。私は思い直す。今はなんとしても、まず、検問所へ行くことが最優先。
「1時間以内に出陣いたします。兵糧、武器、馬、全て備えております」
1時間以内?! 桁外れの機動力に舌を巻く。見れば、先ほどまで僧衣で右往左往していたけれど、全身に鎧を纏って集結しつつある。大股できびきび歩き、それぞれの役割を速やかにこなしている。
第二皇子は周りに聞こえない声で私に囁く。
「よかった。なんとか間に合いそうだね。見送ったら帰ろう」
はあああ?! 国家の一大事に何言ってんの。ただの僧が「検問所の賀さんが怪しいです」って言って、どうにかなると思ってんの?
「先に検問所へ急ぎましょう」
理性で精一杯声を抑える。「自分で行くんだよ!」と言いそうになるところをぐっと堪えて。
「へ? 行くの? 一緒じゃなくて僕達が先?」
「殿下なら、最速で検問所に到着できます。どこででも替え馬を調達できますので」
第二皇子が身分を明かす印象を掲げれば、点在している小さな役所や見回りの詰め所、狼煙の中継地点、どこででも馬を貸りられる。この帝国の権力者。
「130kmもあるんでしょ? 馬車じゃなくて?」
こっちはもっと走って来たんですけど。脚もお尻もやばいんですけど。寝てないんっすけど。馬車だったら、猛スピードの騎兵隊に置いていかれるでしょっ。
「馬で」
言いながら、ギロッと睨むと、第二皇子はビクッと肩を震わせ、馬を所望した。
「私は先に行って、賀を捕える。馬を借りられるか?」
「はっ。こちらに。殿下」
ついて行くと、寺の隣は馬牧場になっていた。既に馬には順々に馬具が取り付けられているところ。夥しい数の北の国の軍馬だった。聞けば、1人1頭替え馬を引き連れての行軍。すごい! これなら明日の夜ところか、昼にだって到着できる。
「李が李が!」
まだ着替えを終わっていない僧が、血相を抱えて走って来た。
「突然、馬を奪って都の方へ行きましたっ」
「新しく入った男か。戦を前に怖気付いたのだろう。放っておけ。今はそれどころではない」
案内する僧が吐き捨てると、報告に来た僧は悲痛な声を上げた。
「ですが、殿下の馬を盗みました。鞍が付いていたからだと思います。『内通の資料』とぶつぶつ言いながら馬を調べ、止めるのも聞かず」
内通の資料。さっき、若い僧が話を聞いていた。スパイ。都の方へ向かったなら、知らせに行った可能性がある。李。軍部のトップと同じ苗字。縁者かもしれない。
「とても急いだ様子で、弓を携え」
知らせに行くだけなら弓は要らない。宮廷の護りは鉄壁。狙われるのは十王府。
「先ほど、外での話を聞かれたのだと思います」
私が伝えると、第二皇子の顔から瞬時に血の気が引いた。
「まずい。僕は、一旦帰ったのに敵の来襲があると言って馬で戻って来た。しかも内通の資料。だから馬を調べていたのか。十王府へ向かう馬車が危ない」
私は老僧に尋ねる。
「先ほど仰っていた伝書鳩はもう飛び立ちましたか?」
「まだでございます」
「殿下」
第二皇子を見ると、命が下った。
「瑞、追え。宮廷への鳩の伝言に『十王府の警備強化』を即座に追加してくれ。私は検問所を目指す」
嘆かわしいほどだった小声での会話の内容など微塵も感じさせない。凛とした声が厩の中に響き渡る。
「はっ」
馬を2頭貸し出された。携帯食まで渡され至れり尽くせり。
霧雨が止み、夕暮れが迫る。寺を出るとき、サランが寂しそうに1頭で庭の隅に繋がれていた。
「サラン。ちょっとお休みしな。疲れたもんね。ちゃんと迎えにくるから」
優しく首を撫で、頬擦りすると、サランは愛おしそうに目を細めてくれた。
まず、お爺ちゃん宦官の馬車に追いつかなくては。まさか内通の資料が馬車に載っているとは想像できないだろうけれど。
雨雲が去っても空には薄い雲があり、あっという間に辺りは闇に包まれた。都の灯りから遠く離れ、田畑が広がるこの地域は、地面の境すらない漆黒の空間を突っ切っている感覚に襲われる。
「1号。2号と交替するよ。お水飲もう。田んぼあるから、水路があるはず。あったよ」
新しい共を1号、2号と呼んでいた。
げっこげっこげっこげっこ
カエルが大音響で聞こえるありふれた平和。ここを守らなければ。
かつて、北の国が南下して築いていた朝廷は、央の国の民にとって耐え難いものだったという。厳しい階級制度で北の国の人間が支配し、農地を牧草地に変え、水害の対策も後処理もせず税だけを毟り取った。経済が混乱し、貧民で溢れた。央の国はここに生きる民のもの。絶対に侵させてはならない。




