再び現れたおじさん
旅は主な足は船だった。海賊軍の本拠地の島から商船で三日月港へ。そこで軍の船に乗り換え、都から1番近い港まで行く。そこからは馬で都へ帰還する
恐らくは、待っていたのだろう。都に近い港へ入ろうとしたとき、高台にくたびれた荷馬車が見えた。見覚えのある2頭立て。距離があって細部までは判然できないけれど、毛艶のない馬のたてがみがぼさぼさのまま風に揺れている。足が太くて見た目はぱっとしないシルエット。おじさんの荷馬車に似ていると思いながらも、木々の間に見えただけで確信が持てずにいた。港で役人への手続きを済ませているとき、気づくと港からやっと目視できる程度の離れた場所に馬車が停まっていた。間違いない。
朱氏様に知らせた。
「丁氏が来ています。港へ入るときは高台の上にいました。今、下に降りていて、港から離れたところに馬車が停まっています」
様子を見に行く許可が欲しかった。軍人の私は勝手な単独行動が許されない。
第二皇子が朱子様の目配せに応じ、用意された言葉を棒読みする。
「瑞、春香妃への土産を探してきて欲しい」
「はっ。承知いたしました」
1人、別行動を取った。皆が宿へ向かうのを見届けてから、私は密かに動き出す。
懐かしい馬車へ近づくと、私を覚えていた馬がそわそわと地面を前足でかいて反応した。運転台に姿がない。
「あはは。元気元気。久しぶり。おじさんは?」
閉まっている幌を捲る。その瞬間、むっとした臭いが鼻をつく。おじさんが横になっていた。この臭い、戦のとき嗅いだことがある。膿。
「おじさん!」
横になったおじさんの体はじっとりと汗ばみ、服の左肩にどす黒く血が滲んでいた。
「おじさん、誰かにやられたんですか?」
おじさんは意識が朦朧としている。きっと、やっとの思いで馬車を高台から下まで走らせたのだろう。すぐさま服をはだけた。包帯の代わりだろうか、傷に当てられた布は赤く染まり、無残にズレている。体が燃えるように熱い。
「ごめん、おじさん。ちょっと痛いよ」
一言断って傷口を見た。赤く染まった布は乾いていない傷口からぬらりと剥がれた。ぱっくり皮膚を切った深い刀傷。半分に化膿した膿が見える。せめて膿を出そう。少しは楽になるはず。
火で刀を炙り、膿の部分を切った。どろり。緑がかったようなクリーム色の膿が出た。傍にあった酒で口を濯ぎ、おじさんの左肩から膿を吸い出す。何度も吐き出し、吸い出す。
傷口に当てる布がない。けれど目に入るものは、飼葉や鍋。着替えは使い切ったのか、荷台の隅にゴミのようにまとめてある。私は懐からハンカチを出し、酒を含ませた。それを傷口に当て、血と膿で汚れ切った布でそれを固定するしかなかった。
枕元に水を置く。
その後、2頭のうちの1頭を馬車から放し、宿へ走った。潮風を切りながら考える。おじさんは確実に、私達を待っていた。あの傷をどこで負った? 私達を待っていたのは、傷を負って助けて欲しかっただけ? それとも、伝えたい何かがあった?
「一刻も早く、医師に診せなければなりません」
私の報告に、第二皇子は、医師を同行させなかったことを悔やんだ。
「すぐにこの街の医師を探し、この宿に連れて来て。処置が済み次第、十王府へ運ぼう」
けれど、お爺ちゃん宦官がそれを止めた。
「殿下、丁氏は検問所を達ることができません。仮に殿下のお力で検問所を突破したとしても、役人のどこからか情報が漏れ、命を狙われることになります。プロの刺客は後宮ですら入り込むのですよ。十王府など赤子の手をひねるようなもの」
「僕の命を助けた人を見殺しにはできないよ」
お爺ちゃん宦官は妙案を出した。
「こちらに第一側室一族縁の寺がございます。そちらへ参りましょう。殿下はこのまま、都へお帰りください。そして、丁氏のことを、第一側室様にお伝え願います」
お爺ちゃん宦官を乗せ、私は港の荷馬車の所へ戻った。馬を繋ぎ直し、寺へ急ぐ。途中検問所があったけれど、役人達は、お爺ちゃん宦官の最高位の服を見て丁寧に頭を下げた。ここは都に近い、国防の一大軍事拠点。塩の産地でもあり、塩田を襲う武装勢力にも備えている。だからこそ、第一側室一族の強固な庇護を受ける寺があるのだろう。
よかった遠くない場所に寺があって。高熱で朦朧とした状態、処置が遅れれば、生死に関わる。
きんきらきーん
寺は豪華絢爛だった。寄付で潤っていそう。
おじさんを運び込むと、すぐに高級宿のような部屋が用意された。医師は僧だった。一般的に、寺は戦の際に使われる場所。それだけでなく、この寺の僧はどうみても傭兵。いかにもなガチムチ僧が多く、医師も薬師も揃っている。銀があればなんでもできる。
私は、おじさんに付き添うことになった。
おじさんは、次の日の昼に目覚めた。熱でかぴかぴに乾いた唇を「謝謝」と動かした。
「よかった。よかったよ。おじさん」
ガチムチ僧らは働き者で、おじさんの洗濯やら包帯の交換やら至れり尽くせり。私はとりたててすることはなく、食っちゃ寝。したのは馬の世話くらい。
数日後、おじさんの体力が回復して来た。
「おじさん、その傷、どこでやられたんですか?」
私は紙に央の国の地図を描く。おじさんが指差したのは、今いる港のある街より南だった。てっきり北の国境近くへ帰ったのかと思っていた。違った。
おじさんは筆をとり、地図に線を書き足す。都から南の方へ。央の国には南北に走る大きな運河がある。それのことかと訊くと頷いた。そして、運河の上に小さな円を描き、自分の左肩の傷の部分に触れた。
「ここでやられた?」
頷く。
「橋?」
首を横に振る。船? 頷く。2頭立て馬車を渡すような大きな渡船場には検問所がある。そのことを尋ねると、親指と人差し指で円を作った。金。しかし見つかった。深手を負いながらも、なんとかこの港まで逃げ延びたようだった。検問所を通る危険を冒してまで、おじさんは私達に会わなければならなかった。なぜ。
港近くの軍の拠点である街は城塞都市。そちらへは入ることはできない。おじさんは恐らく、海岸線に沿った道や田畑の間の道を使った。荷馬車の車輪はかなりガタが来ている。
「斬られたから、私達に助けを求めたんじゃないんですね。私達に用があった?」
おじさんは、私の目をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。
第二皇子が海賊軍の本拠地へ行ったことは公にされていない。極秘というわけではなかったが、帰る日など不明。航海とはそんなもの。それでも彼は待ってた。どれだけ待ったのか尋ねると、おじさんは、手をパーにした。5日間。この傷の状態で5日も。
「よくぞご無事で!」
おじさんをハグ。左肩に触れないようにそっと。涙が零れる。早く聞かなくては。おじさんが何を伝えたいのか。
絵を描くことだけしかできない。もどかしい。
おじさんは私が描いた地図に大きく×印をつけた。そして、北の方から南へ、両手の全ての指を蠢かせながら動かす。分からない。何度も推理の不正解を繰り返し、北の国の侵攻のことだと理解した。次は北の国境に線を引く。長城のことだった。そして、結局分からなかったのは、第5駐屯地の近くに何かがあることだった。
落書きは3枚目の紙に突入した。駐屯地の近く、山がある。山に何か印が描かれた。くっついた円がたくさん。お手上げだった。せめて山を特定したい。第5駐屯地は山岳地帯。山しかない場所。描かれたのがどの山なのか、山のヒントを欲しい。おじさんは、山に縦の線を引いただけだった。ギブアップ。
いくらおじさんが右利きでも、左肩の傷に響く。私は礼を言い、静かにおじさんを寝かせた。
その後、数日にわたっておじさんの意思を汲み取ろうと試行錯誤を繰り返した。新しく分かったことといえば、おじさんが市場の噂で第二皇子が港に着くと知ったことや、命の危険があるので第5駐屯地の近くへは行けないということだった。
2週間後、私は都へ戻った。
ほどなくして、寺から、おじさんが馬や荷馬車と共に姿を消したという報告が届いた。




