殿下の命は央のため
真夜中の休憩はしばらく無言だった。ぱちりぱちりと焚き火が爆ぜる音だけが小さく響き、夜風に火の粉が散っていく。
第二皇子は自分への明確な殺意を噛み締め、私はおじさんの凄さに舌を巻き、朱氏様は、、、いろんなこと考えてそうでよー分からんわ。
とんとんと肩を叩かれ振り向けば、おじさんがどさりと私の前に馬の鞍を落とした。どーしたんだろ。おじさんは、鞍の裏側を見せた。軍馬の鞍の裏側には刻印があり、どこの所属かが分かる。そんなことを知っているのは、軍人だけ。
「もと軍人ですか?」
尋ねても、おじさんは首を縦に振らなかった。
「殿下、朱氏様、ご覧ください。この印を。軍の第5駐屯地の馬です」
それは、第二皇子が北の国境で拐われた場所だった。
あの緊急事態に刺客の馬から鞍を切り取り、荷馬車に馬を繋いだ手際は神技。迅速かつ冷静。
「今、第5駐屯地のトップって誰なんだっけ。あ、名前聞いても、僕、分かんないや。誰の推薦?」
第二皇子の何気ない言葉で、この央の国の腐敗ぶりが分かる。人事は公平になど行われない。そのことは、私が身をもって証明済み。皇帝の第一側室の力で、私は都で要人の護衛に就いているのだから。
「前将軍の甥でございます」
と朱氏様。ほら。腐ったまま。敵との内通者と同じ一族を起用するなど、論外。
「へー。僕の、、、じゃなく、瑞のやったことは握りつぶされたってことか」
「いえ、内通していた将軍を弾劾したのは、殿下でございます。私は華々しいお姿を見ておりました」
鼻水で顔がテカって、なかなか見応えがあった。
朱氏様は「前将軍は、軍事裁判後、処刑されました」と、握りつぶされてはいないという事実を述べる。
「なのに、同じ一族をまた同じポストに就けたんだ?」
第二皇子の当然の疑問に朱氏様が答えた。
「皇后様の一族は官僚揃い。軍部に圧力をかけることなど朝飯前です。そもそも、軍部のトップである大臣は皇后様の叔父」
「朱氏様が絡んでいらっしゃるのかと思っていました。軍部へも顔が利くようでしたので」
思わずポロリと本音が漏れてしまった。旅というシチュエーションに、人との距離感を惑わされていたのかもしれない。「軍部?」と第二皇子が首を傾げる。空気清浄機(?)が常に作動しているような中で育った第二皇子は、言葉の裏など読んだことがないのだろう。
「アヘンタバコを禁止するとき、殿下が皇帝陛下に進言なさいました。その後、官僚と軍部からも皇帝陛下に上訴させたのではありませんか? 朱氏様がご自分で『官僚と軍部から』と仰っていました」
軍部の構造は、トップの大臣が*文官。直下の人事や予算を握っている事務方も文官。現場の武官はその下で働く駒に過ぎない。トップが皇后様の一族である以上、駐屯地での同じ一族の内通を握りつぶして当然。朱氏様は、それを不正としてストックしたのではないだろうか。
朱氏様は小さく溜息を吐くと、苦笑混じりに口を開いた。
「これは、私はとんだ失言をしていた。『官僚』だけでよかったのか。無意識に出てしまうほど、私が『軍部』を異質とみなしているということだ」
「「異質?」」
「何代にも渡って、軍部のトップは皇后様一族で独占されている。危機感を持たないことが不思議でならない」
私には、それがどうして危機感に繋がるのか検討もつかなかった。
第二皇子は「仕方ない」と言う。
「そんなもんだよ、朱氏。官僚になるまでは公平だけど、なったら人事はコネじゃん。軍部だけじゃなく、他のポストだって世襲だよ。世襲で利権を引き継いで政商の一族に貢献するって形が出来上がっている」
あらら。そんな実態だったんだね。雲の上の人達のことだから知らんかった。
「大変失礼しました。朱氏様は皇后様一族とも通じていらっしゃるのかと疑っておりました」
正直に謝った。
「アヘンタバコに関する話のとき、銀の流出に関して皇帝陛下に進言したのは財務部の大臣。社会的問題として訴えたのは、軍部の大臣。瑞様が絵のモデルをしたときに会った官僚に、財務部の大臣を動かしてもらった。軍部の大臣は、、、確かに、私が駐屯地の内通の話で脅した」
「納得できました」
朱氏様は皇后様の一族と、繋がっていないと分かった。でも、そこまではっきりゲロっちゃって、いーの?
「僕が狙われてるってことか。で、第5駐屯地に皇后様の実働部隊がある。ふぅ。これ、一生続くのかな」
赤い炎で照らされる第二皇子の美しい横顔は、憂いと諦めが混ざっていた。
その不安を和らげたくて、私は口を開く。
「第一皇子が皇帝になれば、落ち着きますよ」
その言葉を朱氏様が即座に打ち消した。
「皇帝陛下がなぜ殿下を都に留め置かれるのか。ご期待に添えるよう、命汚く生きてください。この央の国のために」
「「央の国のため?」」
第二皇子と私は首を傾げる。いやいやいや、世継ぎじゃないってこともだけれど、第二皇子が央の国のためになんかできるっけ? ヘタレだよ?
第二皇子は尋ねた。
「朱氏が皇后様じゃなくて、母君と懇意にしているのはなぜ? 僕、ずっと不思議なんだ。皇帝になるのは第一皇子だから、どう考えても、あっちと仲良くした方が良くない?」
「殿下、不正が嫌いなのです。私は貧農の出身です。小さなころから役人達の不正を憎んでおりました。なので、どうしても官僚という人種が苦手です。宦官の中にも不正は蔓延っておりますが、皆、優しいので、私が不快な思いをしないよう、陰でやってくれます」
んー。それは優しいんじゃなくて、不正をストックされたくないだけかな。
「母君は、人の弱みにつけ込んだり、ガメツかったりって一面があるけど、不正はしないのかな。僕の知る限り」
身内贔屓でない第二皇子の評価が素晴らしいわ。
結局、その夜、第二皇子が生きていることが、なぜ央の国のためになるのかは明かされなかった。もう1つ、通り過ぎてしまった話題もある。皇后様一族が軍部のトップにずっといるということ。
おじさんは、刺客がもういないと踏んだのか、焚き火を背にし、横になって眠っていた。
翌日からは普通の旅が始まり、都へはあっという間だった。
遠くに検問所が見えたとき、おじさんは馬車を止めた。降りろとゼスチャーで示した。
「ここまで? ここまで。歩く? 後は歩け?」
おじさんの身振り手振りから、私は意味を読み取る。最後におじさんは、報酬をくれと右掌を上に向けて差し出した。
何日間か一緒にいて、私達の会話を聞いていた。自分の運んでいた若い美男子が第二皇子ということは分かっているはず。それでも検問所を通ることを避けたいらしい。相当の訳あり。
「手持ちの銀子が少ない。宮廷か十王府まで乗せてくれれば、大金を支払う」
朱氏様の提案に、おじさんは首を横に振り、再度、掌を出す。
朱氏様は銀の塊を袋ごと渡した。扇子を渡した。羽織っていた毛皮を脱いだ。替えの靴、靴下、衣類、小物、あらゆるものを馬車の荷台に乗せる。第二皇子も毛皮を脱ぎ、できる限りのものを差し出す。
「僕は命を救ってもらった。気持ちとしては、もっと渡したい。望みがあるなら、叶える。これからも十王府で料理を作って欲しい」
第二皇子はすっかり胃袋も心もおじさんにもってかれている。
当然、私も何かを渡すのかな? とマントを脱ぐと、第二皇子に止められた。
「瑞はいい。この後、十王府まで馬車を呼びに行ってもらうから」
やさしー。ただ、庶民の私の服などそれほど高く売れないから、おじさんはいらないと思う。
私達の名残惜しげな視線をよそに、おじさんは報酬を受け取ると、とんでもない速さで走り去った。土煙を上げ、ガラガラと悲鳴のように車輪を酷使して、道の向こう。あっという間に小さくなった。
*文官: 国を行政を司る。「エリート(科挙合格者)」。官僚といえば通常は彼らを指す。
武官: 国の軍を司る「現場の番人(力仕事)」。軍事を行う実働部隊だが、ほぼ血縁による世襲制。




