熊脂と凍てつく指笛
おじさんの正体の件で忘れがちだけれど、刺客に命を狙われたまま。5人中、1人目は絶命した。2人目は絶命か、そうでなくても重症で追っては来ない。3、4、5人目は軽傷。
この街以外に周りに街はなし、それほど大きな街じゃなく宿は少ない。いつもと同じように、1番いい宿に泊まっている。狙われる。まず、いい宿にそぐわない荷馬車。荷馬車は中庭に停めてあり、一応、道からは見えない。が、見つけられたら即バレる。
「殿下、朱氏様、今日は、全員同じ一室で過ごすのがいいかと思います」
提案した。4人の生存率を上げるならば分散が鉄則。けれど、ここで生き残るべきは第二皇子だけ。命の優劣がここにある。並びで2部屋を押さえていた。使うのは1方だけ。通常、共の者が階段に近い方を使い、身分の高い者が奥を使う。階段に近い方に4人で泊まることにした。
おじさんが廊下の床すれすれの場所に糸を張る。糸の端に鈴をつける。トラップなら、もっと上に糸を張ればいいのにと思いながら見ていた。
「ん?」
……ちりっ……
誤って第二皇子が糸を踏んだ時、地面に着地したままの鈴は本人が気づかないほど、僅かに震えた。私達が側にいなければ、踏んだ本人は糸に気づかなかっただろう。夜なら糸は闇に紛れる。脱帽。
おじさんは、囮にする奥の部屋に皿を置き、熊の白い油の塊を出した。そして、燃やすための芯を用意し、点火。蝋燭の代わりになった。それを2つ、窓に近い場所に置く。なるほど。誰かがいるというカモフラージュになる。なんとも言えない獣じみた臭いが広がる。宿の人、上客用の部屋にこの臭い染み付いたら嫌かも。
第二皇子と朱氏様のところに戻った。寒さ防止に私が雨戸を閉めようとすると、おじさんは、首を横に振ってそれを遮る。更には、蝋燭を床に置いて灯りがあまり広がらないようにした。
凄まじいプロフェッショナル。心強い。おじさんがいてくれて良かったと思う。でも私は、おじさんを巻き込みたくない。「丁さん」と呼びかけると、おじさんは血相を変えて首を横に振りながら、両腕を大きくクロスさせた。苗字で呼んではダメとのこと。「大さん」もダメだった。
「何かあったら、逃げてください」
そう言うと、両腕で大きな円を作った。
おじさんと一緒に馬の世話をしに行こうと並んだら、止められた。ジェスチャーで自分を指し、次に私、そしてぱからっぱからっと手を動かす。再度、自分。
「私の馬の世話もまかせろってことですか?」
すると、笑顔でうんうんと頷く。続いて、2階の部屋の方を指し、私を指す。
「2人についてろって?」
再び、うんうん。更に、エアー殺陣、「刺客」の意。
「では、お願いします」
私は第二皇子と朱氏様のところへ戻った。
足元の蝋燭だけの暗がりで、第二皇子と朱氏様はオンドル(床暖房)の上でほかほかと温まっている。
「朱氏様、先ほどは刀を払って、すみませんでした」
早めに謝罪しておいた。朱氏様は「いや」とだけ答えた。暗くて表情までは見えない。
「朱氏の立場がさせただけだよ。僕がいなかったら、命を助けてもらったのに、刀を向けるなんてしない」
第二皇子は場を和ませようと明るい声を出す。気遣いの人だなと、存在に感謝してしまう。第一側室が仰ってたっけ。優しくて素朴。私のようなブルーカラーにも上から物を言わない。
「瑞、刺客は5人いたな。殺したのは何人だ?」
朱氏様に「2人です」と答える。
「2人か。ということは残り3人が来るか、或いは、仲間を増やすか。いったいあの者達は、誰の命で動いているのだろう。三日月港か、都を中心としたアヘンタバコの商人か、国境の武器商人か、あるいは……生まれたときから殿下を狙う者達なのか」
生まれたときからーーそれは皇后様。
手がかりはある。
「先ほどの刺客、北の国の馬でしたが、央の国の服装でした。顔つきも体型も央の国の者だと思われます。馬具は央の国の軍の物でした。腹帯が不自然でした。北の国に小麦を贈呈したときに交換した馬だと思われます。随行した兵士の中に刺客が紛れていたかもしれません。あるいは、どこかで入れ替わったか」
小麦が銀に変わったとき、運搬用の馬の処遇は様々だった。北の国は軍馬の産地。見た目は小さく、特別速くはない。けれど、圧倒的な持久力と馬力を持ち、「その辺の草でも食っとけ」で大丈夫な優れもの。何百頭の馬&荷車を央の国の馬と交換した。央の国の兵士は、体格の違う北の国の馬に、自軍の馬具を無理やりつけた。腹帯が届かず、予備の革紐で継ぎ足していた。
深刻な話題にも関わらず、第二皇子にはやや危機感が足りない。
「ははは。影武者、すぐバレたんじゃない? ちょうどバレてからどっかと連絡を取って追って来ましたって日にち」
これではあまりに朱氏様が気の毒。思わず発言してしまった。
「殿下が危険な目に遭うだけで、朱氏様も私も首が跳びます。今回は、別ルートの軍の皆さんは無事でしょうが」
「……ぇと、死なないように善処します」
いえいえ、善処って、第二皇子は何もできないよね。
第二皇子は、朱氏様から刀を持たされる。
「殿下は剣の腕は見事なはずございます。ご幼少のころから、類まれなる運動神経をお持ちでした」
「そうなのですか?!」
「む、無理だよ。僕、人を斬るなんてとても。ワラならイケる」
「……」
そうだよね。人に命じて殺させる立場だから。自分の手を汚さなくてもいい。
「なんか、瑞の目が暗闇のせいか、やたら怖く感じるんだけど」
「申し訳ありません。今、この時にも狙われているかもしれません故」
部屋には、一部、一段高くなっている場所がある。そこはぬくぬくのオンドル。通常、そこをベッドにして眠るのだけれど、第二皇子しか使っちゃダメだよね? 帝国の皇子と川の字とかないよね。私は即動けるように座ったまま眠るけど、それでもオンドルがいい。
「みんなで寝よう」
「殿下、そういうわけには」
「じゃなかったら、僕は床で寝る」
やったー! オンドル。第二皇子が床はあり得ないから。別に、第二皇子が床だったとしても、私はオンドル。結果、川の字。並びは、おじさん、第二皇子、朱氏様、私。一応、第二皇子は既婚者なので。でもって、私は嫁入り前なので、宦官の隣?
全員枕元には刀。私は懐に拳銃も備えて座って眠る。
刺客が襲って来たのは深夜だった。
ちりっ
仕掛けた鈴がかすかな音を立てた。僅かな灯りの中、すっと音もなくおじさんが体を起こす。一体どういう人生を歩むと、眠りの中でここまで過敏になれるのか。朱氏様も気づき、第二皇子を起こす。私は僅かに残っていた蝋燭の火を指で消し、扉の横で刀を構える。耳を澄ます。何人? 床が体重を受けて沈む音、3人。先頭が奥の部屋の扉を蹴破る。
ダン タン
同時に、おじさんは窓を開け、逃げた。それでいい。
開け放たれた窓から肌を刺すような風と雪が舞い込む。青白い雪灯りが息を殺す3人の影を床に落とす。
どすっ ざくっ カーン コロコロ
囮にした隣から、空のベッドに刀を突き立てる音、灯りの油皿を薙ぎ払う音が聞こえる。どたどたと闇雲に探している。もはや忍ぶ気などない。獲物を殺そうと必死になっている。
音がぴたりと止んだ。足音が向かってくる。遂に目の前の扉が開く。
ばん
鍵などあってないようなもの。扉が倒れた。身を低くして腹を刺す。どすっと鈍い音と共に絶命しかけた男が刀を振り下ろしてくる。その腕を左手で受け止めながら、後ろの刺客を見定める。即、刺さった刀を抜き、次の刺客の脚を薙ぐ。
パン
3人目は撃った。どさりと音がして、うめき声が残る。
「あ、あ、ぁ……」
逃げなければ。役人に真実を話し、都まで護送される方法もある。それは、こちらの望むところではない。
ヒューィ
外から指笛の音が聞こえた。まさか!
ばっと窓に駆け寄ると、おじさんが窓の真下に馬車を横付けしている。私の馬まで。神。
脱兎。




