おじさんに前科あり
熊鍋のメニューは、次の日だった。めっちゃ美味しい。極寒の中、椀には白い湯気が立ち昇り、脂ののった熊の肉と一緒にごろごろぎっしり根菜が入っている。
「おじさん、最高です!」
「熱々で美味しい。僕、これからも、こーゆーの食べたいよ」
「素晴らしい。冷えた体に染み渡ります」
荷馬車で風を遮っても、舞い込む風で焚き火が揺れる。白い雪がさらさらと風に拐われる。
「都にも雪が降ってるのかな」
第二皇子が十王府に想いを馳せた。
都を出て1ヶ月。往路で新年を迎えた。復路は国境を越えてから、メイン街道から大きく外れて迂回している。予定よりも日数がかかり、もうすぐ浩宇の科挙の2次試験がある。会いたいなぁ。私は雪を降らせる雲を見上げた。
心の中を見透かしたかのように、朱氏様が私を見る。
「浩宇は試験のためにラストスパートをかけているころだろう」
第二皇子は「浩宇なら受かるよー」と、熊の肉をはふはふしながら口に運ぶ。
「朱氏様は浩宇と同郷だと聞きました。浩宇はとても感謝していました」
私がそう伝えると、朱氏様はトンデモ発言。
「官僚と宦官は仲が悪い。我々宦官がなにかをしようとすると、官僚が立ちはだかってくる。お互い様だが。なんとか牙城を崩したいと思っていたところに、神童の噂を聞いたんだ。まあ、浩宇が権力を握るころには、私は引退しているだろうが」
ブレないわー。朱氏様って、基本、利。
「僕さー、浩宇みたいな人が官僚になるべきだと思う。国子監に通ってるってことは、前回ダメだったんだね。いったいどんな優秀な人が合格してるんだか。……実は不正合格とかあるのかな」
確かに。第二皇子の気持ち、分かる。すると朱氏様が、少しだけ声を落として答えた。
「恐れながら殿下、前回、浩宇は受験すらしておりません。都までの交通費を工面できなかったのです」
「そういうことか。納得だけど、なんか悲しいよ、僕」
「前々回は父親の逝去で辞退せざるを得ませんでした。不憫でした」
ん?
「「前々回?」」
第二皇子と私がハモった。
科挙の試験は3年に1度。このことが浩宇にのしかかった。加えて、父親の逝去。央の国では、親が亡くなると3年間喪に服す。官僚を初めとする役人、軍人など、3年間は休まなければならない。官僚になるための試験である科挙も受験できない。
1年目、9月、浩宇は1次試験に合格した。2次試験&面接は翌年の2月ごろ。年末、父親が逝去。
2年目、喪に服すので2次試験&面接は受けられない。1次試験を合格すれば、地方役人の仕事に就くことができるが、地方役人の仕事もできない。浩宇は農業に従事した。
3年目、4年目は喪に服していたため、農業。
5年目、2次試験&面接を受けたかったが、都まで行く費用を工面できなかった。
6年目21歳、話を聞いた同郷の朱氏様に都に呼ばれ、国子監に通う。費用は朱氏様持ち。この、都へ来るときに私と会ったんだね。
7年目22歳、国子監。
8年目、今。
いち、にー、さんと指で数えてびっくり。
「浩宇って、順調にいけば、17歳で合格してたかもしれなかったんですか?!」
「……じゅーなな。」
第二皇子も驚いている。
「左様。だが、瑞、23歳で良かったのかもしれない。それでも高慢ちきな老ぼれ官僚らに嫉妬されるだろう。が、17歳よりはマシだ」
「僕、浩宇の爪の垢貰って煎じて飲むよ」
朱氏様は改めて第二皇子に語った。
「科挙という制度がなかったら、浩宇という人材は気づかれないままでした。そう思うと、この国のシステムは素晴らしいと思います。貧しい農家の息子でも国について考え、支えることができるのですから」
貧しいよね。都への交通費を工面できないほどだから。
「あのさ、朱氏。科挙は塾代にお金がかかるって評判だよ?」
そーいえば、そう。第二皇子の言う通り。
「浩宇には師匠がいたのです。貧乏寺の僧が。私の師匠でもあります。近所の子供に無料で読み書きそろばんを教えておりました。四書五経もありました。様々な書物もありました」
浩宇ってすごい。そう思うと同時に、もう、完璧に自分には手の届かない人になるんだろうなって分かった。私は友達ポジで行く。
寒さに身を屈めることもなく椀をすする朱氏様の真っ直ぐな姿勢を眺める。「利」だけではないのかもしれない。浩宇に関しては師匠繋がりというのが本音だろうし、何より、今回、第二皇子に1人でくっついてきた。第一側室と懇意にしているという点も。「利」がある方は、皇后様と第一皇子なのだから。不正ストッカーと言われても、賄賂嫌いで有名。
百歩譲って、第一側室は分かる。宦官と官僚は対立しているから、官僚を輩出している皇后様の一族よりもそうでない方。銀屋さんだし。息子はこんな(失礼)だけど頭キレるし、寵妃。
おじさんが只者ではないと分かったのは、その次の日だった。
山の麓を馬車で走っていたとき、前方から騎馬が突っ込んできた。道は狭く、私は狙われやすい馬車の後ろを守っていた。正面から来る馬のスピードが落ちないことを訝しみ、前に出ようとした。
「まずい!」
叫ぼうとしたときには、すれ違いざまに馬車の幌を切り裂こうとする刃が光った。叩き落とさなきゃ間に合わない。
そのとき、私の視界を横切ったのは、信じられない光景だった。
手綱を握っていたはずのおじさんが、馬車の中から刀を抜き、前を走る馬の尻を足場に、しなやかに跳んだ。
ざっ
私が手を出すより先に、おじさんの一刃が刺客を沈めていた。間髪入れずに次が襲ってくる。計5人。おじさんはそのまま二頭立ての馬の一頭に跨がると、鮮やかに刀を操り、刺客たちを次々と退けていく。前方に敵がいなくなった瞬間、おじさんは馬をさらに加速させた。整備もされていない荒れた道を、車輪が跳ねるような音を立てて爆走する。ようやく街が見えてきたところで、馬車はゆっくりと止まった。
荷馬車の中から出てきた第二皇子はおじさんに礼を言った。
「ありがとう。命拾いしたよ。本当に感謝する」
一方、朱氏様は、刀の鋒をおじさんの首に向けた。え。刀、飾りじゃなかったの?
ばしっ
私はすぐさま、朱氏様の刀を払った。カランと乾いた音を立て、刀が地面を滑る。私がそんなことをしなくても、俊敏なおじさんならば、即、朱氏様を返り討ちにできる。敵意があることを見せるのは愚行。
「この者は助けてくださったのですっ」
恐れ多くも、私は朱氏様に啖呵を切った。陽光が雪原を白く照らし出す中、街が遠くに見える。朱氏様は、私には目もくれず、おじさんだけを鋭く射抜いた。
「何者だ」
地を這うような低い声だった。
白い息を吐きながら、おじさんは眉をハの字にし、両手を自分の前で激しく振る。
そのとき、第二皇子が気の抜けた声を出した。
「ねぇ、寒いよ、僕。さっきの人ら、戻ってくるかもじゃん。まず宿へ行こうよ」
そして宿の部屋で延長線が始まる。
「何者だ」
朱氏様がおじさんに尋ねた。
「朱氏様、この方は話せないのですよ」
私が遮っても、朱氏様は氷のような眼光をおじさんに向けたまま。
おじさんは、ハの字にしていた眉をまっすぐに戻した。ベルトを緩め、上に来ていた服の片肌を脱ぎ、背を向けた。剥き出しになった背中には、杖刑を受けただろう醜い傷痕と3センチ四方の焼印があった。焼印は罪人の印。書く物が欲しいとジェスチャーされたので筆を渡すと「丁大」と名を書いた。
「丁大と申すのか」
朱氏様の言葉におじさんは首を縦に振った。
「字、書けるんだ?」
と世間知らずの第二皇子に朱氏様が説明する。
「自分の名前だけ書けるというのは、よくあることです。親も書きやすい名前をつけたのでしょう」
「……へー」
「朱氏様、この方は、殿下を助けてくれました。今あるのは、その事実です。過去に何かがあったとしても、今は頼るべきだと思います」
「瑞、兵士達の素性を調べたのかと言ってきたのは、その方だ」
確かに。
「けれど、今から探すのですか? 先ほどの刺客は訓練を受けたプロでした。あの高い戦闘能力に対抗するには、この方が必要です」
第二皇子を守ったのだから、守るべき貴人に刃を向けることはないと思う。
決定打は、第二皇子だった。
「僕はこれからも美味しいご飯を食べたい!」
朱氏様は呆れ、都に到着したら、即「丁大」の犯罪記録を調べると告げた。私は、その前におじさんを逃そうと決めた。




