恋のスタートライン
「なんでも、すっげー恐ろしい、闇の国からの犬を連れてたんだってな」
「隠してあったアヘンタバコを片っ端から、嗅ぎ当てた」
「すげぇな。それ、犬かよ。化け物なんじゃねーの?」
「商人らは、犬が立ち止まっただけでひれ伏して泣き出したらしい」
人々の話を聞いて、浩宇と私は微笑みあった。
「闇の国からのわんこ。すごいですね。ふふ」
「はは」
シェシェを見たことのない浩宇でも、かわいい子犬ってことは知っている。だいぶ大きくなっちゃってる。今は柴犬サイズ。
情報収集を終え、しっぽり(個人的見解)と二人の世界。
「そーいえばさ、危なかったんだ。聞いた?」
「蔵?」
「うん。でね、やっぱ、あの、彼の人は、何かに守られてるのかなって思った」
「なんかあった?」
私は周りに話の内容が分からないよう、注意深く。銃を撃ち、火が点いてから爆発までに時間がかかったことを説明した。
「神がかり的なものかな? 滑車のロープ、燃えてたのに」
と言うと、浩宇は「滑車?」と、火とは全く関係のないところで反応した。
「うん。井戸の上についてるみたいな滑車。それのでかいの」
私は、天井にロープと大きな滑車が固定されていて、その間に荷物を乗せる用の小さな動滑車があったことを話した。下から見上げたとき、動滑車をぶら下げるロープが上の大きな滑車の真ん中辺りに繋がっていたことも。
「じゃ、それかも」
「え?」
「まず、あっち(三日月港)は湿気が多いからロープが湿ってて、こっち(都)よりも火が伝わりにくい。夏だから手汗なんかも染み込んでる。それと、火は上には伝わりやすいけど、下へ伝わるのは上に比べるとちょい遅い」
「滑車は?」
「その滑車はたぶん、重い物を小さな力で動かすことができる。瑞さ、でかい滑車の真ん中の方にちっさい動く滑車のロープが繋がってたっつったじゃん」
「うん」
「複合滑車っていう、ちょっとの力で重い物が持ち上がる仕掛けになってんだよ。でさ、例えば半分の力でいいって場合だと、ロープを倍の長さ引っ張らなきゃならない。だからロープが長い。ロープが長かったから、火が伝わるのに時間がかかった」
一緒に動くように小さい滑車と大きい滑車を重ねて合体させると、仕掛けができると教わった。たとえば、20kgの動滑車+銀の箱があるとして、大き滑車が小さい滑車の5倍の大きさだと、2kgの力でいいとのこと。20kgの半分を、直で固定してある天井が持ってくれて、半分を滑車側が引き受ける。でもって滑車の仕掛けで10kgの1/5の2kgの力で20kgの箱を上げることができる。
「すっご。滑車、神」
その代わり、5倍の長さ、ロープを引っ張る。艀から1.5m持ち上げたいのであれば、7.5m引っ張る。ぜんぜんOK。だって、2kgなんてほぼ力要らないじゃん。
そんな仕掛けがあったから、あの重い木箱がするする上がってったんだ。
「床にまとまってあったとしても、ロープ、長かったんじゃないかな」
最後に「仮説だけど」と浩宇は付け加えた。
「浩宇、すっごい。物知り」
感心。
「でもま、やっぱ神がかり的な力、あるのかも。そんな危ない状況で、蝋燭がわざわざロープに引っかかるなんて。一瞬でBOMの可能性の方が高いじゃん」
「……」
浩宇は首を少し傾げて私をじっと見てくる。きゃー。そんな風にじっと見つめられたら、落ちる。ううん、とっくに落ちてる。もっと見つめて。
「みんなの船は立ち往生したんだって?」
「そ。深さが足りなかったみたい」
私は、偽兵士が仰向けで水路に倒れた姿を思い出す。鼻と口は水面から出ているほど、あのとき水路は浅かった。
「ちょうど1日だったって聞いた」
「うん。うん?」
月の初めだったけど、それがなにか?
「1ヶ月で1番、引き潮がエグくなる日。央の国は太陰暦だから」
「そーなん?」
「水路の水がそこまでになるなんて、たぶん、干潮のピークの時間。そのおかげで瑞のことが周りの人達にバレずに済んだ。実はさ、神がかってんのって、瑞じゃね?」
浩宇は、偶然の新月の干潮ピークが私のせいだなんて笑う。
好きだな。その静かな笑顔。でもちょっと、記憶の中にある顔よりも元気がない気がする。
「浩宇さ、なんか、疲れてる?」
浩宇は私の小皿に肉味噌炒めを載っけてくれる。浩宇こそ食べるべき。そう思って、たっぷり浩宇の小皿に肉を盛り付けた。
「そーかも」
「どした?」
「試験の準備、本格的にやってるから」
「試験?」
宦官の中にはエリートコースがある。皇帝の近くで事務的なことをする人が権力ピラミッド頂点のエリート。朱氏様はその1人。過去にはクセの強い皇帝がいたけれど、それでも央の国が続いてるのは、皇帝に代わってある程度、宦官が仕事をしていたから。それと官僚が優秀だったから。そーゆー経緯で、宦官になってから、一部の人は、めっちゃ賢いこと重視のエリート養成学校に通うらしい。テスト三昧って噂聞いたから、それのことかな。
「前回ムリだったからさ。ご厚意で同郷の朱氏様が都に呼んでくださって、学校まで通わせてくださってるから、頑張らないと」
あ、れ? 前回? 浩宇が朱氏様邸で暮らし始めたのは去年の11月。宦官エリート養成学校なら、テスト三昧。1年近くもテストがないなんてことはないはず。???
「浩宇って、どこに所属してんの? 青い制服ってどこの?」
やっと聞けた。ずっと聞きたかったんだよ。
「国子監」
「はあああ?! 国子監って。官僚の卵?!」
んーっと。国子監は、科挙予備校みたいなもの。
科挙ってのは、官僚になるための試験で、倍率3000倍って言われてる超難関。地方の一次試験を突破した者にのみ国子監への入学資格が与えられ、都での二次試験や面接に挑む。科挙は3年に1回。国子監は、1次試験を合格して2次試験&面接を落ちた人が、次のチャンスに備えて勉強する場。学費、食費、寮費、制服――すべてが国費で賄われる。
補足、1次試験を突破すれば、地方の役人ができる。農民よりはずっと収入がいい。
宦官じゃないじゃん!
え、ちょっと待って。科挙に合格して官僚になる人って、30歳くらいって聞いてるよ。しかも、スーパー宦官朱氏様の後ろ盾あり。うっわー。めっちゃ出世しそう。
官僚になったら、とにかくモテる。しかも来年、浩宇はまだ23歳。親は娘を結婚させたがる。いい縁談話が山のように来る。
……。ご令嬢達に、女子力で勝負なんてムリ。「どんなにブサイクでも官僚になれば綺麗な奥さんをもらえる」って言われてるのに、浩宇は美男子。一緒にいると楽しいし。金や権力目当てじゃなくて、本当に浩宇自身を好きになって狙ってくる令嬢が乱立すると思う。頭の中で、浩宇城を四方八方から狙う城の美姫や砦を築く美女、軍隊を率いる美しい女将軍を想像。
なに、恋のスタートラインなんて思っちゃってたんだろ。笑える。女って明かしたら、「変わってる」って思われるだけ。黙ってよ。そしたら、どの女の人よりも長く、一緒にいられるかもしんない。私「宦官だから他の女の人から狙われない」なんて甘く考えてた。
「すご。初めて知った。頑張って」
「おぅ。頑張ってる」
「でも体を大事に」
「ん」
「水虫は?」
「治ってない」
「ははは。浩宇は、朱氏様の食事の用意したり掃除したりしてるの?」
そしたら、科挙の勉強をする時間がなくなる。
「通いの家政婦が来てる。学校があるから。掃除くらいは、ときどき手伝うかな」
ずきっ
それ、絶対、女の人じゃん。聞かなきゃよかった。
心の中では「その家政婦って若くて綺麗?」って聞きたい。でも、その言葉を飲み込む。もしも国子監の学生がいる家が家政婦募集してるって知ったら、年頃の女の子は働くと思うし、聞いた親は娘を送り込みたいだろうし、知り合いの娘を持つ親に伝えるって思う。央の国ではそれくらい官僚が力を持ってて、科挙合格は一大事。




