名犬シェシェの摘発
死体は壁と棚の角に人が両脚を投げ出して座っている。開いたままの両目。衣類についた吐瀉物。かすかに腐敗が始まっている臭い。燃え尽きた蝋燭。消えた竈門、大きな鍋、鍋底や内側の側面には、固まった黒い物が付着していた。別の入れ物に黒い液体なのか個体なのか判別できない黒い物。たぶん、アヘン。息を止めて小屋を出た。
小屋の外で深呼吸した。砂浜にうつ伏せにされていた木の船の1つに腰を下ろす。月のない空の下、暗い海水が小屋に入る前よりも迫っている。ゆらゆらと潮が満ちてきている。
星空を見上げると、浩宇の熱弁が蘇った。
『アヘンを止めないと銀が流出する』
私は銀が欲しいし好きだけどさ、それよりも、アヘンは止めなきゃって思うよ。アヘンタバコのために命を落とすなんてダメだよ。いくら商人の正義が金儲けでも。
4箇所目、水路沿いの小屋。木の桟橋に船はない。辺りはマングローブが鬱蒼と生え、隠れ家のような場所。小屋の中は割と広い。あるあるある。ここもじゃん。棚に並ぶ黒いボール。
!
ヤバい。
急いで蝋燭を消した。
◇
宿に戻るとき、白み始めた東の空に糸のように細い三日月が見えた。夏の日の出は早い。まだ家々から朝ごはん準備の煙も上がっていない。
王先生は、私が部屋に入ると、即、起き出して結果を尋ねた。
「どうでしたか」
「王先生、4箇所とも、アヘンの精製所でした」
「やはり」
「漁師小屋の中で、人が死んでいました」
「え。殺されたのですか?」
「他殺ではなく事故死か何かです。吐いた物で服が汚れていました。暑い季節なので、腐敗が始まっている臭いがしました。死後、それほど経っていないと思います」
「では、もし私が気づいていれば、助けられたのですか?」
王先生の意外な言葉に、私は目を見開いた。
「皇族の御医であらせられるのに……」
自分が口を噤んだ先には「貧しい者のことなど助けるのですか?」という失礼な言葉があった。人の命に優越はないなんて綺麗事。悪人より善人、貧民より富豪、卑しい者より高貴な者。それが現実の社会。そして、出世して上りつめた人の考え方だと思っていた。戦場でも雑魚兵は耳カウント証明、大将は首で持ち帰る。
私は言い直した。
「蝋燭が燃え尽きていましたし、もし王先生が行かれたのが昼間だったとしても、恐らく、すでに。」
「そうですか」
「死体が片付けられてしまったら、アヘンを精製していた証拠もなくなるかもしれません」
「朝になったら、朱氏様に伝えましょう」
その他の場所についても、王先生に詳しく報告した。
◇
第二皇子御一行の滞在期間は6日間。第二皇子は、1日目の到着日に勅令を読み、2日目は建物の中で見学。3日目も。この2日目と3日目に王先生が三日月港を歩き回ってアヘンの精製所を探した。そして、3日目の夜間、私が4箇所の様子を見に行った。
4日目朝、王先生は朱氏様に私が調べてきたことを伝えた。
「殿下、朱氏様。私は医師として、漁師小屋の遺体を放っておけません。明日、漁師小屋の方へ釣りに出掛けてもよろしいでしょうか。できれば、私が漁師小屋の外でアヘンのついた布を見つけ、すぐに役人か兵士が入れるようにしていただきたいのです」
「分かりました。大勢兵士を連れてきております。船でパトロールをさせましょう」
私は海側ではなく、陸地の道脇の草むらから様子を窺う。都からの兵士達に顔を見られてはいけない。
王先生は兵士の1人に船を漕がせ、釣りを装って漁師小屋の方へ海から来た。小舟を係留し、漁師小屋の周りにあるガラクタの中、網の横にあった布を発見。中央が黒くなった布を拾い上げ、兵士に見せる。即、兵士が漁師小屋へ踏み込む。
船の漕ぎ手だった兵士は大声で、偶然を装って傍を通りかかったパトロール船を呼び、漁師小屋から死体や精製途中のアヘン、鍋、などを運び出した。
夜、検死を終えた王先生から聞いた。
「オーバードーズでした」
「オーバードーズ?」
「過剰摂取です。口を覆っていた形跡もなく、手で直接触れるなど、無頓着に扱っていたようです。窓が小さく1つだったので、風通しが悪かったことも原因でしょう」
「手で触るのもダメなんですか?」
「アヘンは皮膚からも吸収されます」
あっぶな。触らなくてよかった。ほっとしている私を見て、王先生は補足した。
「普通はさほど問題ありません。ただ、精製するとなると、長時間、大量に触れることになります。薬として口から入るよりも、肺に吸い込む方が人体には影響が大きい。作業のとき、大量に吸い込んでしまったのでしょう」
「そうですか」
「男には戸籍がありませんでした。ここにはそういった人間が流れて来ます。戸籍がなければ、まともな仕事に点けません。住むところにも困ります。商人は、いなくなっても気づかれないような人間に、アヘンの精製をさせているんですよ」
「……」
夜の水辺を思い出した。月のない空。社会の片隅でひっそりと生きる2つの影。
王先生は、眉間にシワを作り、苦々しそうに言葉を絞り出す。
「商人達は中毒になると分かっているから、雇う人間を選んでいるんです」
「ひどいですね」
死体は、アヘン精製をして間もない人間だったらしい。中毒というほど痩せておらず、皮膚などに変化はなかった。
「瑞から死体の話を聞いたとき、私は『気づいていたら』と思いました。けれど気づいていた方が悲劇かもしれません。その者は、恐らく他に生活手段がないのです。だんだんと自分の体が蝕まれて廃人になっていくのを味わったでしょう」
少々しんみりしてしまったところで、質問した。
「没収したアヘンはどうなるのですか?」
「都へ持ち帰ります。こちらに残していけば、役人から商人へ渡ってしまいます」
三日月港の役人と商人のずぶずぶな関係は、誰の目にも明らか。
「都ではどうするのですか?」
「適切に処理します。無毒化してから廃棄ですね」
廃棄の一例を聞いた。アヘンを細かくして水に漬け、そこに生石灰を入れる。すると石灰が水と反応して猛烈な熱を発し、アヘンの成分を化学的に分解して無害化できる。
「無害化できるのですね。安心しました」
一方、同じ4日目には予想外のことが起こっていた。
「頑張ったんだよね、シェシェ」
「きゃん」
1日の終わりに部屋へやってきた第二皇子と朱氏様とシェシェはそろってにこにこ満面の笑み。
「なにかあったのですか?」
ものすごーく聞いて欲しそうだったので、期待に応えて聞かせていただきマシタ。
「今日さ、倉庫へ見学に連れて行かれたんだよ」
第二皇子の言葉に、朱氏様が補足する。
「追い払いたかったのですよ。恐らく、我々がいると賄賂のやりとりができず、仕事がうまく進まなかったのでしょう。見ているだけで二重帳簿をしていると分かりました。組織ぐるみで賄賂を受け取り、分配しているようですね。気づかないふりをしていましたが」
役人達は集金の際、2つの袋を持って行くのだそう。1つは公式。もう1つは賄賂用。央の国の役人の輪って、なかなかすごい。仲間内では公式でも「官僚を吊し上げる」と噂の朱氏様の前では堂々とできない。賄賂分の事務処理が溜まり、仕事に支障が出る。苦肉の策で、倉庫見学を口実に、朱氏様を(第二皇子はオマケ)連れ出した。
「倉庫にはシェシェも連れて行ったんだ。そしたら、きゃんきゃん吠えたんだよ。僕、前にアヘンタバコを触った後に吠えられたから、もしかしてって思ってさ、荷物の梱包を開けてもらったんだ。そしたら、アヘンが出てきたんだ。黒い、丸いのが」
「「すごい」」
王先生と私は驚いた。
倉庫の見学は3箇所の予定だったけれど、なぜか2箇所で終わったらしい。でもって、シェシェが暴いた荷物は、計8個。黒いボールは31個。あー。3箇所目の倉庫にもきっと、アヘンがあったんだね。バレると分かって予定変更?
私はシェシェに向かって両手を広げた。
「シェシェ、天才。すごい。アヘン探知犬! お利口。サイコー」
シェシェが私の腕に飛び込んでくる。尻尾がぶんぶんぶんぶん高速で動く。




