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7話「魔王様と聖女?」【後編】

氷のように冷たく、それでいて酷く退屈そうな声。

その主――魔王は、玉座に深く腰掛けたまま、相変わらずあくび混じりで、目の前の死闘など、視界にすら入れていないと言わんばかりの態度で。

その徹底した「無視」に、聖女の頬がぴくりと引き攣る。

勝利を確信していた彼女にとって、魔王のその不遜な余裕は、何よりも屈辱的な侮辱であった。

聖女は苛立ちを隠そうともせず、禍々しい杖を魔王へ突きつけると、鼻で笑って言い放った。


「あら? そんな事をおしゃるのならご自分で戦ったらどうですか? 最弱の魔王様?」


嘲笑を浴びせられた魔王は、しかし動じることなく、不敵に口角を吊り上げた。


「ほう、この俺様を挑発するか? 察するに貴様は誰かの入れ知恵で『魔王は雑魚だ』と吹き込まれ、エリザベスへの対策さえすれば勝てるとでも思っていたのだろうが……無意味だな」


魔王の鋭い視線が聖女を射抜いた。


「エリザベスよ! 五分だ。五分だけ、少し『本気』を出すことを許そう」


その言葉に、エリザベスはすべてを察したように静かに頷いた。


「……魔王様。五分もかかりません。二分で片付けます。お待たせして、すみません」


直後、彼女の周囲から凄まじい密度の魔力が噴き出した。

暴風のごとき圧力が玉座の間を吹き抜け、エリザベスの姿を完全に光の中へと呑み込む。やがて、猛り狂っていた魔力の奔流がなぎのように穏やかになったとき――そこにいたのは、一匹の猫ではなかった。

白い髪を月光のようになびかせ、白い法衣を纏った一人の少女。

幼い顔立ちながらも、その佇まいは神々しいほどに凛としており、琥珀色の瞳は宇宙そらの深淵を覗き込むような輝きを放っている。


「さて……行きましょうか」


少女の姿となったエリザベスは、路傍の石でも眺めるかのような冷徹な視線を聖女へと向けた。

ただ立っているだけ。それなのに、聖女は心臓を冷たい手で直接握られたような錯覚に陥る。


「……な、なんだ。誰だ、お前は……!?」


聖女はエリザベスから無尽蔵に放たれる魔力の圧に気圧され、先ほどまでの高慢な態度はどこへやら、震える声でようやくそれだけを絞り出した。

対するエリザベスは、自身の指先を眺め、感覚を確かめるように小さく握り込む。


「私ですか? 私はル……失礼。今はエリザベスと名乗っていますが?」


言い淀んだ名に、聖女の顔から急速に血の気が引いていく。


(ル……? まさか、歴代最強と呼ばれた伝説の聖女と同じ名――。いや、そんなはずはないわ!)


聖女は必死に戦慄を打ち消すように、意識を切り替えた。

一方、エリザベスは背後の玉座を振り返る。


「さて、魔王様。まずは……申し訳ありません。すぐ済ませますので、お辛いとは思いますが、少々我慢してくださいね」

「……フン。この程度、大したことではない。気にするな」


不敵に応じる魔王。だが、その肌は青白くなり、額には脂汗が滲んでいる。

エリザベスから見た魔王は、不遜な態度を装いながらも、その内心では「エリザベスの魔力」を維持するために流れ込む激痛に必死で耐えているように見えた。


エリザベスはこの光景を見て、ようやくすべてを悟った。


(……ああ、そうですね。だからあの時、魔王様は私を下がらせたんだ)


脳裏に、スナ・イパーとの戦いが過る。


(あの時、スナ・イパーの手には魔王様の造った『魔王銃マーク12』があった。アレには魔王様の魔力を倍化する機能があると前に言っていた。猫の私は魔王様の魔力を使っている。当然、魔王様はそれを分かっていた。多分私では勝てないと分かっていたから魔王様が戦ったのだろう。「面倒だ」なんて言いながら、結局、私に負担をかけたくなかっただけじゃない……)


エリザベスから見た魔王は、相変わらず不遜な態度を装っている。


エリザベスは再び聖女の方を向き、勇者と剣聖の変わり果てた姿を見つめた。


「可哀想に、無理矢理こんな姿に…⋯」


彼女が慈しむように両手を広げた、その瞬間。

玉座の間が、柔らかな、しかし逃れようのない絶対的な光に包み込まれた。

ゾンビと成り果てていた二人の肉体が、その光に触れた刹那、呪縛から解き放たれていく。ドス黒い魔力は霧散し、苦悶に歪んでいた表情は穏やかな安らぎへと変わり、二人は美しい光の粒子となって虚空へと溶けていった。


「……ありえない。何故、魔族が『浄化』を……! しかも、私の最高傑作しもべを一瞬で……。無詠唱で、これほどの浄化が使える……っ!?」


聖女の喉が、引き攣った音を立てる。予感は、逃れようのない確信へと変わった。

目の前に立つ少女の正体。それは、かつて世界を救い、歴史にその名を刻んだはずの――。


「……伝説の聖女は、死んだはずよ。それが、魔王の隣にいるなんて……ありえない、ありえないわぁぁ!」


聖女はもはや、聖職者としての矜持すら失っていた。

何か目に見えない恐怖から逃れるように、禍々しい杖を滅茶苦茶に振り回し、「来るな! 近寄るな!」と獣のような悲鳴を上げながら後退あとずさる。

勝利を確信していた傲慢な笑みは消え失せ、そこにあるのは、本物の『聖』を前にして己の偽善を暴かれた、哀れな道化の姿だけだった。


「助けてください! 私は、命令されただけなんですっ!」


聖女はなりふり構わずエリザベスの足元にしがみつき、涙と鼻水で顔を汚して訴えた。


直後、耳を貫くような銃声。


聖女の頬を掠め、背後の石柱を砕いたのは、魔王が放った一発の弾丸だった。


「……気に入らんな」


玉座から魔王は、煙を上げる銃口を向けたまま、氷点下の眼差しで聖女を見下ろした。


「では仮に、貴様はその『誰か』に死ねと言われたら死ぬのか? 違うだろう。貴様は己の意志で、魔王を倒しに来た。……建前は人類のためだろうが、そんなことはどうでもいい。だがお前は、民衆が恐怖する中を、己の足でここまで来たのだ。恐怖の象徴である、この俺様を殺しにな」


魔王の放つ威圧感プレッシャーが、玉座の間を凍てつかせる。


「富か、名誉か、あるいは権力か……動機など何でもよい。だが貴様、まさか魔王討伐を『安全に達成できる』とでも思っていたか? ふざけるな。……覚悟のない貴様に、散っていった勇者や剣聖の覚悟を踏みにじる資格などない!」


乾いた銃声が玉座の間に空虚に響き渡り、無慈悲な一弾が聖女の眉間みけんを正確に射抜く。

絶望に染まっていた聖女の瞳から光が消え、彼女は糸の切れた人形のように、床へと崩れ落ちた。


「……あ」


聖女の事切れる音が静寂を支配した瞬間、魔王の身体からも、張り詰めていた鋼のような力がふっと霧散した。


「魔王、様……っ!?」


エリザベスの悲鳴に近い声が上がる。

魔王の身体は、まるで魂を抜き取られたかのように玉座から前方に崩れ落ちた。

激痛に耐え抜き、魔力を供給し続けた反動。青白かった肌はさらに血の気を失い、脂汗に濡れた指先が空をかく。

ドサリ、と重苦しい音を立てて冷たい床に倒れ込んだ魔王は、もはや指一本動かす気力さえ残っていないようだった。


視界が暗転する間際、魔王は力なく微笑んだ。

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