56話「拷問?」
熱波が彼女の髪を焼き、肌を焦がそうとした、その刹那――。
頭上から、一条の光に似た無数の「銀針」が豪雨のごとく降り注いだ。
一つ、また一つ。精密な軌道を描く銀の杭が、崩壊寸前だった火球の魔力結節点を正確に貫いていく。
直後、猛り狂っていた紅蓮の残滓は、音もなく霧散した。
(……ふぅ。あれだけ弱っていた火球なら、私でも何とかなったわね)
内心で安堵の溜息をつきながら、枝豆コーヒーは土煙を切り裂いてミレアの前に降り立った。
金色の髪を優雅になびかせ、彼女はまるで最初から計算通りであったかのように、倒れ伏す少女を見下ろす。
「……これで貸し一つ。いいわね」
火球の圧力に耐えかね、地面に尻餅をついていたミレアに、枝豆コーヒーはスッと手を差し伸べた。
「……あり……がとう……?」
ミレアは差し出された手を不思議そうに見つめ、感情の抜け落ちた声で、疑問符の混じった礼を口にする。
「ミレア、無事だったか! ……済まぬ、儂の不徳の致すところだ」
「姐さん! 無事で良かったです。……ったく、心臓に悪いっすよ」
駆け寄ってきたガリスと牛銀は、それぞれのやり方で安堵を口にした。
一人は仲間の危うさに眉をひそめ、一人は上司の型破りな行動に溜息をつく。爆風の余熱が残る戦場に、ようやく平穏が戻りつつあった。
だが、その輪の外で、一人の男が必死の形相で声を張り上げた。
「あ……あの! 皆様! 感動の再会も結構ですが、早くピエール様を診てくれる人を捜さないと……本当に手遅れになります!」
ピエールの部下の、悲痛なまでの訴え。その言葉に、ガリスが重々しく頷く。
「……そうじゃの。私闘に興じている場合ではなかったわい」
「……ピエール?」
記憶の糸を辿るように首を傾げる枝豆コーヒーに、牛銀が補足を入れる。
「そうでした。姐さん、このピエールって男の手当てが終わり次第、彼らがここで起きた『事の真相』をすべて話すと約束してくれたんっすよ」
「へぇ……。情報の対価が治療ってわけね。……で、そのピエールは何処にいるの?」
枝豆コーヒーの問いに、部下が震える指で「それ」を指し示した。
一同の視線が、地面に転がった一つの「物体」に集まる。
そこには、幾重もの爆風と熱波を浴び、もはや人間かどうかも判別できないほど真っ黒に炭化した、哀れな男の姿があった。
「……え、これ? 石炭の塊じゃなくて?」
枝豆コーヒーの冷ややかなツッコミが、静まり返った戦場に虚しく響いた。
「もはや一刻の猶予もなかろう。急いで街の治療院へ運ぶかのう」
ガリスが重い腰を上げようとしたその時、枝豆コーヒーがそれを手で制した。
「……待ちなさい。私が診てあげるわ。この男、運が良かったわね」
(お姉様がいないこの状況なら、私も少しは『力』を使える……)
彼女の不敵な申し出に、ピエールの部下が不安げに顔を曇らせる。
「あ、あの……! ミレア様の高位治癒ですら効果がなかったのです。本当に大丈夫なのですか……?」
「不服かしら? 私はこれでも、あの『伝説の聖女』の妹よ。黙って見ていなさい」
不敵に微笑むと、枝豆コーヒーは指先から銀色の光を放った。
無数の細い針が彼女の周囲に星のように展開し、鋭い輝きを放ちながら空中に固定される。
「――対象ピエール」
枝豆コーヒーが指を振るった刹那。
空中の針が流星のごとき速度で、横たわるピエールの身体へ向けて一斉に射出された。
「「えっ!? ちょっ、何するんですか!?」」
ガリスと部下が同時に叫び声を上げる。
治療と言いながら、虫の息の患者にトドメを刺すかのような「投擲」。
だが、放たれた針はピエールの肉体を貫くことはなかった。それらはツボや魔力経路の要所に、ミリ単位の誤差もなく吸い込まれ、正確無比な角度で突き刺さっていく。
「――起動」
枝豆コーヒーが低く呟くと、刺さった針が淡い銀色の光を放ち始めた。
するとどうだろうか。ピエールの爛れた皮膚が、まるで時間を巻き戻すかのように、瑞々しく正常な組織へと変化し始めたのだ。
「……ふぅ。……思ったより重症ね」
枝豆コーヒーは眉をひそめ、冷徹な瞳でピエールの下半身を凝視した。
そこは炭化が最も激しく、壊死した魔力がどす黒く淀んでいる。彼女は感情を一切排した声で、淡々と命じた。
「下半身はもう手遅れね。このままじゃ全身が腐り落ちるわ。……牛、両足を落としなさい」
「……了解です」
牛銀の応諾に、躊躇いの欠片もなかった。
彼は迷うことなく腰の安全帯に手を伸ばし、使い古された「番線カッター」を抜き放つ。鋼を切断するための無骨な工具が、鈍い銀光を放った。
「えっ!?」
枝豆コーヒーの意図を瞬時に理解した「助手」の、あまりに淀みのない挙動。
治療現場に持ち出された場違いな「道具」と、これから行われる凄惨な処置を予感し、周囲の時間が凍りつく。
「ええええええええッ!?」
あまりに唐突で過激な判断に、ピエールの部下とガリスの絶叫が重なった。
だが、その悲鳴すら置き去りにして、牛銀はピエールの黒焦げた脚部へ、無慈悲にカッターの刃を添える。
部下、ガリス、そしてミレア――その場にいた全員が、これから始まる凄惨な光景に耐えきれず、反射的に両手で目を覆った。
(……番線カッターは無いのでは!? あんな、あんなもので足を叩き切られるなんて……。死んだほうがマシなのでは……!?)
部下は、自分の主人が「石炭」から「解体現場の廃材」のように扱われる現実に、絶望の涙を流して震える。
(儂には無理じゃ……。数多の戦場を潜ったが、あんな鈍色の刃で切られるくらいなら、潔く死んだほうがマシじゃな……)
武人として死線を越えてきたガリスですら、その「道具」がもたらすであろう痛みと感触を想像し、戦慄を禁じ得ない。
(……あんな小さい……刃で……。治療じゃなくて……拷問……?)
ミレアは指の隙間から、その光景を呆然と見つめていた。
彼女の知る「魔法」や「治癒」という概念を根底から覆す、あまりにも原始的で、あまりにも実戦的な……工務店流の「延命処置」。
全員が息を呑み、静まり返った戦場。
そこへ、金属同士が噛み合う「ギチッ……」という不吉な軋み音が、無慈悲に響き渡った。




