55話「因果応報?」
「ぬぅぅぅりゃぁぁぁッ!!」
押し寄せる紅蓮の圧力を、闘気を極限まで凝縮させた「シノ」で真っ向から受け止める。
直後、腕を焼く凄まじい熱量と、骨を軋ませるほどの重圧が牛銀を襲った。だが、彼は一歩も引かない。爆風に抗うように地深くを踏み締め、鋼の筋肉をさらに膨張させた。
「――独りで気負うな、牛銀ッ!」
その隣に、頼もしき黒鉄の壁が並び立つ。
ガリスがその巨躯を独楽のように鋭く翻し、漆黒の籠手に大気を歪ませるほどの魔力を収束させた。
「うおぉぉぉッ!!」
空気を爆ぜさせながら放たれた、渾身の右拳。
シノが穿った微細な亀裂へ、ガリスの剛腕が正確に叩きつけられる。
二人の怪力が一つに重なり、荒野を焼き尽くさんとしていた紅蓮の質量が、ズルりと目に見えて後退を始めた。
「今だ! 牛銀、呼吸を合わせるぞッ!」
「あぁ!? お前に指図される筋合いはねえんだよッ!」
牛銀は最短の軌道を走り、魔力の急所を「点」で貫く鋭い一刺しを。
ガリスはすべてを粉砕せんとする、剛腕の「面」による重厚な追撃を。
「「――おぉぉぉぉぉッ!!」」
重なる二つの咆哮。
二人の連撃が、逃げ場を失った火球の中心部で完全に炸裂した。
凄まじい衝撃波が荒野を駆け抜け、強固な術式によって維持されていた紅蓮の質量は、その限界を超えて大きく歪む。
火球は断末魔のような爆鳴を上げると、逃げ場を求めるかのようにその軌道を強引に反転させた。
「なっ……!? 押し返しただとッ!?」
ガリスの驚愕を余所に、灼熱の弾丸は凄まじい速度で逆流を開始する。
それはもはや「魔法」という名の精密な術式ではない。二人の規格外な怪力によって叩き直された、制御不能の質量となっていた。
紅蓮の残光を荒野に撒き散らしながら、火球は断末魔のような爆鳴を上げ、射出元であるミレアを目がけて一直線に突き進んでいく。
「……え?」
迫りくる自らの業火を前に、ミレアは虚空に指を止めたまま、場違いなほど間の抜けた声を漏らした。感情の起伏がないその瞳に、急速に巨大化する紅蓮の光が映り込む。
「……すまん。ミレアッ!」
隣でシノを構え直す牛銀を横目に、ガリスが苦渋に満ちた叫びを上げた。
止めるつもりで放った拳が、皮肉にもミレアの魔法を制御不能な「凶器」へと変質させ、ミレアに向けて跳ね返してしまったのだ。二人の怪力が生み出した、あまりにも残酷なカウンター。
限界まで圧縮された絶対的な熱量が、無機質な少女の華奢な身体を呑み込もうと、紅蓮の牙を剥く――。
「……ブック……三十ページ。……『氷壁』」
着弾の刹那。ミレアの細い指先が、一切の迷いなく魔導書の頁を毟り取った。
バリッ、と大気が凍りつくような乾いた音が響く。
次の瞬間、彼女の眼前に、荒野の熱気を一瞬で奪い去るほどの巨大な氷の防壁が具現化した。
逆流し、猛り狂う紅蓮の塊が、その純白の壁に真っ向から激突する。
――轟音。
天地を震わせる爆鳴と共に、凄まじい量の水蒸気が噴き出した。
だが、火球の勢いは止まらない。二人の怪力によって「回転」を付与された業火は、掘削ドリルのように氷を貫き氷壁を瞬時にドロドロに溶かし、蒸発させながら、なおもミレアの華奢な体を目がけて突き進む。
「……まずい……。……えーと……」
至近距離まで迫る灼熱の光。ミレアの額に、熱気による汗が滲む。彼女は無機質な瞳を激しく走らせ、魔導書の頁を狂ったように繰った。
「……二十九ページ。……『水壁』……。……さらに……三十一ページ。……『氷壁』」
バリッ、バリッ、と連続して震える手でページを引き裂いてゆく。
溶けゆく氷の背後に、さらなる水の奔流と、それを補強する新たな氷の盾が幾重にも重なり合った。
「溶かされる端から、新たな層を築き上げる」という、魔力と時間の極限の削り合い。
視界を真っ白に染め上げる濃密な蒸気の中、ミレアの指先だけが、死の包囲網を拒絶するように狂ったように動き続けていた。
――だが、無情にもその指が止まる。
「……むう。……ブック。……魔法、尽きた……」
めくるべき頁がなくなった魔導書。
指先に残ったのは、引き千切られた紙の感触ではなく、虚無の感触だった。
目の前では、最後の氷壁が紅蓮の熱量に耐えきれず、断末魔の音を立てて砕け散ろうとしている。物理限界を超えた火球の残滓が、無防備な少女へ向けて再びその牙を剥いた。
「……絶対絶命。……かも……?」
ミレアは感情の乏しい声でぽつりと呟くと、抵抗をあきらめ、静かに魔導書を綴じた。
抗う術を失った彼女は、瞳に映る灼熱の光をただ見つめる。
死を覚悟したというよりは、もはや「これ以上できることがない」とでも言いたげな、あまりに淡白な幕引き。
熱波が彼女の髪を焼き、肌を焦がそうとした、その刹那――。




