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54話「後は任せた」


時は少しだけ遡る。


 迫りくる劫火の圧力を肌に感じながら、枝豆コーヒーは空中で瞬時に思考を走らせた。

 直撃すれば、消し炭すら残らない。

 彼女は咄嗟に展開した無数の銀針を、攻撃ではなく「足場」へと変えた。空中に固定された針の頭を、精密な体術で一点ずつ踏み抜く。


「……ッ!!」


 二段、三段――。

 枝豆コーヒーは虚空に固定した銀針を「足場」に変え、重力を嘲笑うかのような跳躍を繰り返す。

 直下を猛然と通過する紅蓮の火球。焼けた大気がドレスの裾を激しくなびかせ、肌を焼くほどの熱波が彼女を襲う。文字通り死を掠めるような危うい機動で、彼女は何とかその猛火を回避し続けていた。


「……むう……。避けるなんて……ズルい。……でも、無駄……だよ?」


 地上から見上げるミレアが、感情の起伏を一切排した声でぽつりと呟いた。自分の最大火力が躱されたことへの、淡々とした、しかし純粋な不満。


「ズルいのはアンタの方でしょぉぉぉッ!!」


 宙を舞い、落下体勢に入りながら、枝豆コーヒーは喉が張り裂けんばかりのツッコミを投げ返した。


「何よその本! ページを破るだけで無詠唱、おまけに意味不明な火力出しちゃって……! ちょっと! なんでこれ、まだ付いてくるのよッ!?」


 金髪を激しく振り乱し、憤怒の形相で吠える。

 背後を振り返れば、回避したはずの火球が生き物のように急旋回し、自由落下する彼女の背中を虎視眈々と狙っていた。逃げ場のない中空、執拗に肉薄する紅蓮の質量。

 物理法則さえも「書き換え」られたかのような理不尽な追尾劇に、彼女の悲鳴が荒野の空に虚しく響き渡る。


(……これ、どうしよう? ⋯⋯魔力反転術式を使えば多分しのげるけど……。でも、魔王様に『次は死ぬ可能性もある』って止められてるし……!)


 脳裏に浮かぶ禁じ手と、迫りくる爆炎。

 葛藤する彼女の瞳が、ふと地上の一点――場違いなほど堂々とシノを構える、馴染み深い巨躯を捉えた。


「……よし、決めた。『あれ』で行こう」


 絶望の色が消え、策士の瞳に狡猾な光が宿る。

 枝豆コーヒーは空中に固定した銀針を力強く踏み抜くと、落下の加速を殺さず、強引にその軌道を修正した。

 目指す先は、地上で呆然と立ち尽くす牛銀。

 背後に巨大な火球を引き連れたまま、彼女は真っ逆さまに突っ込んでいった。


「姐さん! お疲れ様です、今ちょうど誤解が解け……って、えっ!? ちょっと、後ろのそれ何っすか!?」


 ようやく「合流」できたと顔をほころばせた牛銀だったが、迫りくる紅蓮の質量を見てその表情が凍りつく。しかし、救いを求めるかのように突進してきた枝豆コーヒーの口元は、邪悪なまでに吊り上がっていた。


「あと任せたわよッ!」


 刹那、彼女は着地の寸前で身体を極限まで低く沈めた。

 猛烈な落下の勢いを殺すどころか、それを推進力に変えた鮮やかなスライディング。彼女は困惑に固まる牛銀とガリスの股下を、まるで計算し尽くされた弾丸のように滑り抜けていった。


「「――は?」」


 牛銀とガリスが、同時に間抜けな声を漏らした刹那。

 標的を失い、暴走した紅蓮の質量が、身代わりとして差し出された「二つの巨躯」に向かって容赦なく牙を剥いた。


「ミレアッ!! 儂らに向かってきているこの術を止めろッ! 早くせぬかッ!」


 鼻先まで迫った灼熱の圧力を感じ、ガリスが悲鳴に近い怒号を上げる。四天王の威厳もかなぐり捨てた、必死の形相。

 だが、地上で魔導書を保持したままのミレアは、前髪の奥から眠たげな視線を向けるだけだった。


「……無理……。……ふぁいと……」


  止めるどころか、彼女は無機質な表情のまま、小さく親指を立ててみせた。

 もはや「止まらないから頑張って」と二人を応援しているのか、あるいは単に解除が面倒になっただけなのか。どこか誇らしげですらあるそのサムズアップが、絶望的な熱波の中で虚しく輝く。


「ぬ、ぬうぅぅ……ッ! やるしかねえのかッ!」


 逃げ場はない。覚悟を決めた牛銀が、腰を落として「シノ」を正眼に構え直す。

 全身の筋肉が鋼のように膨れ上がり、周囲の空気を震わせるほどの闘気が噴き出した。


「はぁぁぁぁぁッ!!」


 牛銀の咆哮が、迫りくる火球の爆鳴をかき消す。

 自分を盾にした「姐さん」を恨むどころか、その背中を護り抜くため。押し寄せる災厄を正面から叩き潰すべく、彼は職人の意地を込めて鉄の牙を振り抜いた――。


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