ストラス&少年ベルの場合
担任と別れて車に乗り込むと、運転手に向かってベルは言った。
「仕事中だった?」
「いいえ。入院患者も安定しているから別に問題ないですよ。ま、仕事中ですが、カイムもセラヴィで手が離せないので一番近い俺が来ました」
患者?と奏はベルの顔を見る。
「あぁ、ストラスは産婦人科の先生もやってるから…運転はどっちかっていうと趣味なの。カナデも診てもらったら?あ、ナプキンとか山ほどあるでしょ?産婦人科だから。シェルターにも完備してるから問題ないか…」
「ちょっと…急に何言い出すんですか…あ、そういうことですか?具合が悪いのって…すみませんね、ずけずけと」
「日本人は気にし過ぎたよ。この手の話題に男が口を挟むと変な空気になるから、学校じゃ言わなかったけどさ、具合悪かったら堂々と腹が痛いって言って保健室で休めばいいんだよ…あーぁ…どうすっかなぁ…ストラス、バラしたらまずい?」
「えっ?まだ、止めておいた方がいいですよ…」
「でもさ、カナデの願いはこのままだと一生叶わないよ」
「一人につき一人ですよ?例外は認められません…」
「分かってるよ。アバドンはまだ契約してないだろ?失恋の痛手で落ち込んでるって聞いたけど。それにあいつの方が俺よりも若いし…」
「勝手に決めないで下さいよ。アバドンだって誰でもいい訳じゃないんですから」
「でもちょっとリツっぽいだろ。ってことはセイルにも似てる…ってことだから可能性はある。ストラスはどう感じた?」
「俺の感想を聞いてどうするんですか。それはアバドンの気持ち次第でしょう」
奏は何の話をしているのかさっぱり分からなかったが、ベルはポンポンと奏の頭を撫でると言った。
「カナデの一番嫌いなのは、オッサンなんだよなーだったら、なんかフェアじゃないだろ。騙してるんだからさ。俺、セラヴィの潜入調査のついでにちょっと楽しんじゃってるんだよね。若者のフリして。だから中身は本当はめちゃくちゃオッサンなの。カナデが嫌悪してる父親と変わんないくらいの…」
「あぁ…もう、知りませんよ?」
ストラスはため息をついた。
ベルは大きく伸びをするとベルフェゴールの姿に戻った。奏は完全に目を見開いて固まった。彼は奏の前でひらひらと手を振って笑って見せる。
「カナデ?大丈夫か?びっくりし過ぎて声も出ないか?」
「……べ…ベルなの?本当に?」
「うん。いい歳のオッサンでしょ?」
彼は少年の姿のときよりも長くなった髪をかき上げてフッと低い美声で笑った。なぜか奏は赤くなる。
「私…幻覚…見てる訳じゃない…よね?」
「触ってみるか?あ、嫌か」
「……」
けれども奏の手がこわごわ大佐の手に触れた。大佐は改めて奏の手が小さくて細くて折れそうなことを再確認した。
「カナデ、騙してて悪かったな。でも、助けたいと思ったのは本当だよ。なんか今は生きてんのも辛そうだからさ…もったいないなと思ってね」
大佐は奏の手をそっと握る。奏は少し困ったような顔をしたが不思議そうに大佐の手を見返した。
「どうして…手を握っただけで…身体が…楽になるの?」
「うん?それは俺の魔力が多いからだよ。この車の中も外気よりは少し魔力が濃いんだ…俺は悪魔だから」
「悪魔…?あ…だからそんなに簡単に見た目を変えたり出来るの?」
思ったよりも簡単に奏は大佐の言葉を信じた。
「まーそういうことだな。俺に触ってれば少し身体がしんどいのも楽になるだろ。着くまで寝ててもいいよ。あの若い教師みたいに変なことはしないから」
「…何かされたんですか?」
ストラスが運転しながら尋ねる。
「あーされたされた。小会議室だっけ…そこに連れ込まれて何かよく分からない薬打たれたから、一応ストラスかブエルに血液調べてもらおうと思ってさ。なんか一瞬どうでもよくなったんだよね。打たれた後に。で、机の上に押し倒されたまま、ディープキスされたんだよ…それがまたクッソまずい魔力で吐くかと思った…カナデを先に保健室に連れて行っていておいて良かったと思ったよ…先にあいつに見つかってたらと思うとゾッとするな。記憶も少し操れるみたいだし。精神に介入されそうになったからガードしたけどさ」
「あ…それって…あの中等部の…芦沢先生?」
「うん。そうだよ。カナデ、嫌じゃなければ寄りかかってろ。くっついてる面積が広い方が流しやすいから」
「分かった…なんか…変な感じ…でもベルは…歳上だけど私の嫌いなおじさんじゃないよ…なんかいい匂いがする…おじさんくさくない…」
大佐は思わず眉を上げた。奏を見下ろす。
「匂い…分かるの?えぇ?フェロモンなんか出してないんだけどなぁ…」
「え?だって…ストラスさんからも…違うけど…いい匂いがする気が…」
大佐とストラスはバックミラー越しに目を合わせた。
(補佐官、香水なんかつけてないよな?)
(大佐こそ…)
(つけてないよ!ってことは…)
(もしかして…悪魔個人の魔力の匂いが分かるのかも…)
(可能性はある…)
「あのさ、俺の匂いが分かったのっていつ?」
「え?学校にいたときは…感じなかった…さっき…」
奏は思わずベルの腕に鼻を近付けて息を吸い込む。
「…少し甘くて爽やかな匂い…」
「うーん、覚えていたらでいいけど、普段と生理中とで匂いに敏感になるとか、違いはあるか?」
聞かれた奏は困った様子で大佐の顔を見上げた。
「あの…ね、昨日の夜…初めてなって…慌てて夜に…コンビニに…ナプキン買いに行ったの…どんな大きさの買っていいかもよく分からなくって…だから…匂いに敏感になってるのかもよく分からない…」
大佐には娘も息子いる。今はもう大きいが妻に報告されたときの何ともいえない感傷のようなものを思い出し、そうしてそれをたった一人で迎えて対処しなければならなかった奏の気持ちを考えた。
「そうか…それは…色々と怖かっただろ…一人で…」
大佐は奏の頭を撫でた。奏はこくりと頷いた。
「カナデは…女の子になりたくなかったみたいに見えるけど、どうしてだ?聞いても…いいか?」
「うん…」
そう言ってから話し出すまでにかなりの間があった。使う言葉を考えていたのだろうと大佐は思った。
「お母さんはね…本当は…男の子が欲しかったの。私のことも性別が分かるまでは…男の子だと思い込んでて奏って名前に決めてたの…でも違った…お母さんは私がだんだん女の子みたいな身体になるのが気持ち悪いって…だから女の子にならないように体重減らしてみたり色々してたのに…ダメだった…」
「…じゃあ、カナデはお母さんが別に女の子でもいいって言ったら女の子になるのか?」
大佐はため息をつきたくなるのを堪えた。まったく子どもをなんだと思っているんだと苛立つ。
「うん…でも、そんなこと言わないと思う…だってお母さん、いつからか私のことを男の子扱いするようになって…だから制服もスラックスしか用意してくれなくて…スカート履いたことも一度もない…下着も…男の子のパンツしかないの…家では僕って言ってる…」
「はぁ!?マジで??おい、ストラス、病院には…」
「大丈夫、一式揃ってますよ。ストリートキッズで不衛生な状態で来る若い子もたくさんいますから、下着から服まで全部あります」
「カナデはお母さんの気持ちを抜きにしたら、どうしたいんだ?」
「私は…なんか…分からなくなっちゃった…だって生理が来たらお腹がずっと痛くてつらいし…それなら男の子の方が良かったかもって思っちゃった…」
「そうか…うん…そりゃ…そうなるか…痛いもんな…」
(まいったなぁ…)
(悪魔になれば性別を変えるのも簡単ですけど、そう簡単に済ませられる案件じゃないですね…)
ストラスは車を停めると、ビルの前で二人を降ろした。
「ちょっと駐車場に車を置いてくるんで、ビルの中に入って待っていて下さい」
「分かったよ」
大佐は大人の姿のまま、奏の手を繋いで中に入った。奏はベーカリーの方を見ていた。
「あ、ここのパン、旨いよ」
そう言っていると、セラヴィ魔力回復研究所と書かれた下にオレンジ内科・産婦人科・心療内科と並んでいるドアが開いて、ガタイの良い看護師風の格好の若い男性が出てきた。
「あっ…と…ベル……さん?」
相手は一瞬間を置いてからそう言って、隣の奏の顔をじっと見つめた。
「あーこいつの名前はバド。この子はカナデだよ」
「よろしく。カナデさん」
バドは人好きのする笑顔を向けた。
「カナデ、何か匂いするか?」
大佐は一応聞いてみた。奏は頷く。
「うん…何だろう…あ、キャラメルみたいなすごく美味しそうな香りがする…」
バドは反射的にパン屋の方を見る。
「違うよ、お前の匂いがそう感じるんだって」
「え…?そうなんですか?」
「ま、臭くないんだったら多分、相性は悪くないと思いたいところだな…」
バドは大佐の言葉に慌てた。
「えっ?ちょっ…あの…えぇと…つまり…」
「お前だって期待したからわざわざ降りてきたんじゃないのか?ここ最近、何連続で外してる?」
「そんなこと聞かないで下さいよ…とりあえず案内します…」
バドはなぜか少しうなだれて自動ドアから中に入ると通路を進んでエレベーターのボタンを押した。
「少し前にセラヴィの魔力回復スペースで転生者が倒れてるっていうんで、マ…コトさんが現場に直行したんですけど、単なる酔っ払いだったんで、迷惑だなってくらいしか事件は今のところ起こってません…だから新しい患者も入ってないです…」
「なるほどね。あーしまった。タブレット、ランドセルの中だよ…」
大佐の言葉にバドの方がギョッとした顔をする。三人はエレベーターに乗り込んだ。
「あの…カナデさん…どこまで知ってるんですか?」
「ん?あぁ、俺がベルで悪魔だってこと。カナデ、こいつは今誰とも契約してないフリーの悪魔だ。俺はもう先約があるから、カナデとは契約出来ないんだけど、コイツでもいいなら契約パートナーにでも何でもなってくれるよ?コイツ、こっちに来てから誰とも契約してないから、毎日魔力不足で大変なんだよね…」
「えっ?悪魔って…誰かと契約しないと魔力不足になるの?」
「んーまぁ、契約っていうか…触ったり抱きしめ合ったり…要するに触れ合い?ちょっとエロいことも含めて。そういう相手がいないと魔力が維持できないんだよ。この世界は特に」
「……」
奏は微妙な顔付きで大佐を見上げた。
「あ、今、心の底から軽蔑しただろ?」
「別に…そんなことは…」
奏は少し赤くなってうつむいた。
「契約パートナーって、そうだって聞くし…知識としては…知ってるけど…」
そこでエレベーターが到着したので三人は中に入る。奏は病院と呼ぶには、あまりそんな雰囲気のない洒落た作りの内装をぐるりと見回した。
「ベル…が採血するって珍しいですね。処置室でさっさと採っちゃいますね」
ベルに手招かれたので奏もついてゆく。バドは準備をするとすでに腕を出して待っていたベルの腕から血を抜いた。バドは採った血を別の看護師に渡したが、注射器から一滴血を指に落とすとぺろりと舐めた。
「うーん…あー?これ…魔力過多の人間に処方する薬じゃないですかね。うん、多分そうだ…たまに悪用する奴がいるんですよ。強制的に魔力不足の状態を作り出して救うフリをして近付くって犯罪もあるみたいですよ?でもこれ、小学生相手にやってるんですか?だとしたら、マズいですよ…」
「いや…奴は普段は中等部や高等部にいるから…ま、恐らく小六の外国人サイズの俺だから問題ないって判断したんだろうな。体格的に…」
「あの…ところで旧校舎裏でボコられたって話…本当ですか?最近の学校って野蛮なんですねぇ…」
「あーボコらせてやったんだよ。反撃したら殺っちまう可能性があったからな。そうなったら強制的に魔界に連れ戻されるだろ…あ…悪い、カナデ…」
後ろのカナデの気配に大佐は恐る恐る振り返る。けれども奏は困った様子で少し笑っていた。
「もう何を聞いてもそんなにびっくりしなくなってきたから、大丈夫…」
そのときストラスが戻ってきて、上から白衣を着ながら現れた。奏は白衣を着るだけで確かに医者に見えると思って、人は服装で簡単に騙されてしまうのかもしれないと考えた。ストラスは奏を呼ぶ。
「リモン、カナデに下着と制服じゃない何か着るもの選ばせてやってくれないか?俺じゃない方がいいと思うから」
「分かりました。こっち」
優しそうな女性に奏はついてゆく。奏の姿が消えると、ストラスは言った。
「で?カナデのアバドンに対する反応はどうでした?」
大佐はニヤリと笑って言った。
「キャラメルみたいで美味しそうな匂いがするって…」
「へぇ…アバドン、人間に美味しそうな匂いだって言われる経験はなかなかできないよな?」
「そ、それはそうですけど、ストラス先生まで何を言ってるんですか!!」
「いや、別にただ俺はアバドンがカナデの魂を見てどう感じたのか率直な意見を聞きたいだけだよ…」
「……」
アバドンは沈黙する。
「ああっ!言えばいいんでしょ、言えば!」
アバドンは観念したように口を開いた。
「めちゃくちゃ旨そうですよ…今まで見た他のどの魂よりも。なのに俺のことを旨そうな匂いだって言うんですよ?そんなこと言われたら味見したくなるに決まってるじゃないですか!」
「…分かった。でもいきなりキスしたりするなよ?相手はまだ十二歳なんだから…」
「分かってますよ。まずは友だちから。大佐のように下品なことは思っても言わない、紳士的にふるまう、ですよね?」
「分かってりゃいいよ。リヒトにやったみたいな真似はするなよ?ってなんだよ!下品なことって!失礼なヤツだな!俺はムツキと契約するから、少し軽蔑されとくくらいでいいんだよ」
大佐の顔を見てアバドンは意外そうな顔をした。
「え?確信犯だったんですか?」
「当たり前だろ」
大佐は胸を張って言い切った。




