少年ベル&カナデの場合 1
チャイムが鳴ってランチルームに移動したベルはいつものようにジーンとリツにプレミアムデザートを渡したついでに、芦沢の件を伝えた。さすがにセラヴィの移転対の名前まで騙るとは思っていなかった様子のジーンは、タイミング良く賢木を連れて入ってきた芦沢をちらりと見て心の中で言った。
(今日は付属小のランチルームの見学兼利用ってことなのかな?ま、自分の担当学年より顔見知りの少ない方が気楽といえば気楽か…)
「あーベル!!理科の授業来ないからどうしたのかと思ったよ!しかも、あいつも来なかったから、二人仲良く保健室で寝てるの?って噂になってたよ?」
六年生の女子の一人がやってきて、どこか意地悪な顔付きで笑いながら言った。可愛い顔が台無しだとリツはそれを見て思う。その女子は値踏みするような目付きでリツとヒトミの顔を見た。
「は?そんな話になってんの?廊下でめまいしてさー。もう今は大丈夫だよ。腹減り過ぎたんだよ多分」
ベルがそう言って笑ったとき、ガシャンと大きな物音がした。ベルのハッとした顔とその視線の先に、転んでプレートの中身をぶちまけた奏の姿が目に入る。クスクスと周りの女子が笑っている。ベルの隣の女子はどこか満足そうな顔をしてその様子をじっと見ていた。
「…カナデちゃん、ドジだねー」
「ぼんやりしてるからだよ」
そこに賢木がぱっと割って入った。
「君、今足を引っかけただろ。見たよ」
「はい、僕も見ました!!」
ジーンが大きな声で言って手を上げると、神メンバーも口々に声を上げた。
「大丈夫かい、火傷していないかな?制服も汚れてしまったし着替えた方がいいね。芦沢先生、この子を保健室に連れていきますので、その他の対応をお願いできますか?付属小のルールはまだよく把握できていないものでして…」
「あ…あぁ、分かりました」
芦沢は一瞬ため息をつきかけたが、ドジだねと言った生徒の前に立つと言った。
「みんなが見たと言ってるけど、どうなのかな?」
芦沢に言われた少々は唇を噛んで芦沢を少し睨んで沈黙する。けれども、しばらくすると観念したように口を開いた。
「……私が…やりました…」
「どうしてやったの?」
「…だって………から」
こちらにまで声は聞こえなかったが、唇を読んだジーンが言った。
(やらないと、自分がターゲットにされる…だってさ。そっか、なるほどね。日野がターゲットにされる前はあっちがやられてたのかな。怖いね女子のグループって)
ジーンはさほど興味もなさそうに言う。ベルの隣に立っていた美少女が足を引っかけた少女に冷たい視線を送るのが見えた。モモコの視線に彼女は怯えた表情をする。
「指示したのはモモコな訳?」
ベルの言葉にモモコと呼ばれた少女は真っ赤な顔になって反論した。
「そっ…そんな訳ない!ベルまで私を疑うの!?」
「いや、疑ってないよ。むしろ確信してる。ただぶざまにカナデが転ぶところを特等席で見物したくて、わざわざここまで来たんじゃないの?だっていつも席に座ってリサがランチ運んで来るの待ってるじゃん。取りに来てるの見たことないよ」
「ひどい!私、ベルのこと心配したのに!」
「…心配してる相手に向かって二人仲良く保健室で寝てるの?とかニヤニヤ笑いながら言わないと思いますけど」
そこで六季がもっと冷ややかな視線をモモコと呼ばれた相手に向けた。モモコは真っ赤な顔をしたまま六季を睨み返すと、その場から退散する。六季は言った。
「ベル、ほんとに迎えに来てもらわなくて大丈夫?」
ベルは六年生が集まっている席に移動するのも面倒になったらしく空いていたリツの向かいの席に座ると、ランチを食べ始めた。
「あー大丈夫じゃないかな。よく寝たし食っときゃ治る」
六季はやれやれと言いたそうな顔をする。
(言ったその日に先生を釣るなんて、ベルも行動早すぎてびっくりしちゃうよ。で、何かされなかった?)
(あー?会議室の机の上に仰向けに転がされて、よく分からん薬打たれてディープキスされた上に記憶消されそうになったよ)
頭の中の会話にムツキはスープが変なところに入ってむせた。
(全然大丈夫じゃないじゃん!!)
「ちょっとムツキ、大丈夫?」
隣のフミヤが突然咳き込みだした六季に驚きながら声をかける。
「…うん…だ、大丈夫…」
(クソマズい魔力だったな…天使…じゃないんだよなぁ…でも少し神聖力に似てるのに…ドロっとした感じで…)
(分析まで共有してこないでよ!ランチまで美味しさ半減する…それって、なんかヤバい薬打たれたんじゃないの?ほんとに大丈夫?)
(大佐…そこまで身体張らなくても…)
リツの声が割り込む。
(神聖力のようで重たい…?それこそ…過去に悪魔が天使を犯して産ませた子の魔力に似ていると思うが…祝福されぬ者…知能も低く破壊衝動が強い巨人たち…結局魔王が排除した…いつの世でも誕生を望まれない子は不憫だな…)
ジーンが静かに言った。
(…それはもしかして…芦沢先生自身も…そうなの?)
リツはジーンの声色に何かを感じた。
(あぁ…少し調べてみたが…あまり恵まれた人生ではなさそうだ…彼が高梨緑梨で間違いないなら、彼は悪魔と天使のハーフ…この国では悪魔と異なる種族間に生まれた子は総じてネフィリムと記されているな…その中でも彼は巨人だ…)
(あーどおりで…マズい訳だな)
ぼやく大佐の向かいではリツが微妙な顔をしていた。
(じゃあ…私のお腹のルシエルも…ネフィリムって言われるのかな?巨人と同じように区分されるのは、変な感じ…)
(多分、ルシエルの魔力は不味くないと思うよ。愛情を持って我が子を受け入れるか否かによって魔力の質は変わる…産む際の母親の心の影響が大きいと言われているから、その意味ではルシエルはネフィリムではないんだ…)
ジーンの言葉にリツは納得したような、しないような顔付きをした。いつの間にか芦沢とベルのクラス担任の堀田がランチルームから出て話している。堀田はランチを持って転ばせた少女を連れてどこかに消えた。少しすると奏が戻ってきて、もう一度ランチプレートを受け取ると、空いた席を探して辺りを見回した。
「カナデ、ここ座ったら?」
ベルが声をかける。
「えっ?あ…でも…」
「気にすんなって。早く食べないと時間なくなるよ?」
ベルに言われて奏は居心地悪そうに席に座った。
(ふーん、ベルってこういう女の子がタイプなの?なんかリツをひょろ長くしたみたいだね…)
六季の声が心に聞こえて、リツは奏の方をちらりと見た。少し前髪が長い。けれども六季の言うこともなんとなく理解はできた。少しボーイッシュでかなり痩せている。
(…例のストーカー上司の娘だよ。あまり親には似てないな…むしろ二階堂蒼に共通する匂いすら感じる…)
ジーンの声が心に響いた。
(それって…どういう意味?もしかして…カナデさんも…女の子でいるのが辛いってこと?)
(そうだな。ぎりぎりまで体重を減らして…生理を止めようとしてるんじゃないのか?身体に悪影響だ…どうにかして魔力回復研究所に引っ張ってこれないかな?)
「あの…体調…大丈夫?」
リツは遠慮がちに声をかけた。奏は慌てて頷いたが、ランチプレートの箸はあまり進んではいなかった。ベルがそれを見て言った。
「食ったって太んないよ。身体の形が変わるのが怖いなら…別の対処の仕方だってあるし…現状を打開したいなら助けてって言っていいよ?俺は余所者だから、昔からずっとここにいる奴らの人間関係はよく知らないし。でも今、カナデが色々としんどそうなのは分かるからさ」
「……」
奏はやっとのことでご飯を一口入れると咀嚼し始めた。
「ルイ兄ちゃんは転校したよ。マスコミもうるさかったから。色々大変だったけど…養父母も別の人になって…ようやく、今まともな生活できるようになった。ルイが助けてほしいって声を上げたから僕も結果的に助かった…カナデさんはどうしたいの?」
「私…?私は…自分が嫌なの…否応なく…女になってく身体も気持ち悪いし…大人になるのが怖い…お、お父さんみたいになりたくない…今…お母さん…入院してて…家に誰もいないの…」
「え?それヤバいじゃん」
ベルは信じられないといった顔付きになる。
「うちのシェルターを使えばいいよ。そういう緊急事態のときのためにあるんだから。親に連絡しとく」
「あ、俺らの親、セラヴィで働いてるんだよね。だから」
ベルが言う。ジーンは早速ストラスに連絡をしてストラスを通じて学校の方に奏が一人暮らしになってしまっていることを告げた。奏は職員室に呼ばれて、先ほどの嫌がらせの件も含めて話を聞かれた後で、家に誰もいないことと、父親が事件を起こして母が精神的に追い詰められてしまったこと、頼れる親戚もいないことを告げた。
「先生…やっぱ体調いまいちなんですけど…」
そのときベルが職員室にやって来て少しだるそうに言った。担任の堀田は彼が倒れたのも知っていたし、養護教諭が保護者と連絡がついてこれから運転手を迎えに寄越すと言っていたので元々早退させるつもりではあった。
「あの…先生…どうせ帰る家…フォスターん家なんで…カナデの使うシェルターもその家にあるんです…一緒に連れてった方が運転手も二度手間にならないんですけど…」
堀田は確かにと思った。それに次の時間は変則授業で葉光祭の準備だ。その間にまた体調が悪くなったら運転手は迎えに来れない。シェルターの利用を許可してもらったのに、これ以上迷惑はかけられないと彼は判断した。
「それもそうだな…先生が荷物を取ってくるから、二人は座って待ってなさい」
堀田は先ほど奏の母と電話で少し話したが、何の感情もこもらない口調で、よろしくお願いしますと言われてしまった。確かに夫が事件を起こしたのだし、事件の内容が内容なだけに、こうなってしまうのも仕方ないかとも思ったが、あまりに奏が気の毒だった。彼女は子どものことなどまったく心配していなかった。教室から二人分の荷物を取って職員室に戻り、二人を保護者が迎えに来るまで待期できるスペースに座らせる。程なくして外国人の運転手が身分証を首から下げて現れた。
「あ、どうも。保護者の代わりにベルを迎えに来ました。そちらの方が日野奏さんですか?シェルターにご案内したいところですが、先にベルを病院に連れて行ってもいいですか?」
「あ…はい…よろしくお願いします…」
担任は頭を下げる。奏もその隣で緊張した面持ちでペコリと頭を下げた。




