ジーン&リツの場合 55
その日の夜、少女姿から成人男性に戻ったジーンの横でリツは妊婦の姿に戻って横になっていた。ジーンがライラのときは半ば無意識にフィランジェルになっていたので、リツは元に戻ってみて自分がいつもよりも緊張して過ごしていたのを悟った。お腹の中の二人は眠っているようで今は静かだった。ジーンに背中から抱きしめられてリツはその腕と首の後ろから流される魔力を感じていた。首の後ろに口付けをするときはゆっくりと時間をかけてジーンがリツとの触れ合いを求めているときだった。
「リツ…お腹が…大きくなったな」
「うん…」
ジーンの手がリツのお腹に触れて優しく愛撫を始める。悪魔が実際に妊婦を愛する時によくやる触れ方だった。手のひらで身体のいたるところに触れて時間をかけて魔力を流す。この方法は緩やかな心地よさが持続するので、リツはわりと好きだった。
「体調は悪くないか?」
「大丈夫。ルイみたいに、そこまでひどい悪阻を意識したこともないし…平気だよ」
リツは頷いた。
「…これから…葉光祭の準備期間に入ったら…芦沢先生も…見回りで付属小に来たりするかな…?」
「来るかも…しれないな。怖いか?」
「ううん…私はジーンが一緒だから平気…ただ…他の子が傷付けられないか…それが少し心配…」
「大丈夫ですよ、俺が監視カメラをハッキングしておきますから…それに使い魔も…該当しそうな学生の近くに手配する予定ですから…」
ストラスの声がした。ストラスはジーンのすぐ近くのソファーベッドで今はゆるくセイルを抱きしめていた。その近くには、かなり緊張した顔をした悧人がいて、その膝の上に座った美少女姿のルイが小悪魔的な笑みを浮かべて彼に抱きついていた。
「先生、もっとリラックスしないと…」
「そんなことを言われても…無理だ!」
「そのうち慣れるから…ね?」
ルイは可愛らしく微笑んで悧人に密着する。セイルは首の後ろから魔力を注がれて心地よさそうな顔をした。
「リヒト…悪魔になったんだから…そんなに怖がらなくても大丈夫だよ?逮捕されたりしないから…」
「先生の魔力…悪魔になってから…なんとなく美味しそうだなって思う…味見したいなぁ…ダメ?」
「…僕はいいけど…リヒトは抵抗あると思うよ?リヒト、ルイとキスできそう?」
「きっ、キス!?」
悧人の声が裏返る。
「そう、魔力の経口摂取。口からじゃないと味は分かんないから…」
「むむむ無理だっ!!暮林くんは生徒だったから余計に無理だ…!頼む!止めてくれ!」
「じゃあ、生徒じゃなければ出来るのかな?例えばフィランジェルなら」
ジーンの声がして、悧人はまるで誘導尋問に引っ掛かったかのような顔付きになる。リツはジーンの腕の中から起き上がるとソファーベッドから降りて立ち上がった。それと同時にリツからフィランジェルの姿になる。フィランジェルは微笑むとセイルの頬を撫でた。セイルはフィランジェルの顔が近付いてきて自然と唇が重なるのを感じた。
「どう…?美味しい?」
「…美味しい…」
セイルはフィランジェルと見つめ合って微笑んだ。
「セイルが美味しいって思うなら…多分、リヒトも美味しいって思うはず…」
「…大丈夫ですか?」
ジーンに向かって小声でストラスが聞くと、彼は頷いた。
「…私なら問題ない…それに…彼の魔力が少し気になるんだ。私もね」
「そうですか…なら…いいんですが…」
やや心配そうなストラスに振り返ったセイルはキスをした。不意をつかれたストラスは眉を上げる。
「…容赦ないですね」
悧人は悧人でセイルがストラスにキスをしたところを見てしまい、複雑な気分のまま固まっていた。
「これは恋人どうしのキスじゃなくて、お腹の子に魔力を与え合う触れ合いなんだよ。だからそこに恋愛感情はないんだ。ただ…こうしておけばリヒトに何かあった場合にも反応しやすくなる…魔力の気配を消す薬を飲むとどうしても反応速度が落ちるから…日常的に触れ合った相手の方が見つけやすくなるんだ…」
そう言ってフィランジェルがルイと交替して悧人の膝の上に座った。成人女性よりも少し大きい。フィランジェルになると迫力が増すと悧人は思った。銀の髪に青く輝く瞳は現実離れして見えて、悧人は夢の中にいるかのような錯覚を覚えた。そっと唇が重なって、フィランジェルが悧人の魔力を味わい始めたのが分かった。
(これが…恋人どうしのキスじゃない…?)
奥深くまで口の中をくまなく探られる。ゆっくりと唇が離れてフィランジェルは微笑んだ。
「本当だ。美味しい…今まで味わったことのない魔力…」
「ズルいなぁ。僕にも分けてよ!」
隣から頬を膨らませたルイが言うとフィランジェルはルイの唇にも口付けをした。ルイは慣れた様子で魔力を受け取ってニコリと笑うとぺろりと唇を舐めた。
「わ…!なにこれ!美味しい!!剣豪は剣豪でもストラスとは違う味なんだね!」
まだ魔力の味が分からない悧人はなぜそんなに感動しているのか分からなかったが、とりあえず珍しい味でもしたのかと考える。そして不味くなくて良かったとひっそりそう思った。相性が悪くてキスの後に不快な顔をされると、少なからず自分はショックを受けるはずだと思ったからだった。魔力の味の分かる悪魔たちは、美味しい美味しいと絶賛している。フィランジェルはジーンの元に戻ると、すぐに彼に口付けをした。
「…ルイを経由したから、少し混ざったな…でもルイの魔力はもう分かるから、こちらなんだろうな…なるほど…相性の良いセイルと契約したことで爆発的に上がると…こうなるのか…目覚めたというよりも…更に進化したのかな。そういう気配を感じる…」
ジーンは興味深そうにそう言ってタブレットを手に取ると、何かを入力していた。
「…今度上がった状態の魔力を魔力回復研究所で測定して分析してみた方がより細かい結果が分かるから、皆が美味しいという理由も特定できるかもしれないな…」
ジーンの言葉を聞きながらフィランジェルは久々にリラックスした表情で彼を見つめていた。
「…喧嘩したり怒ったりしてるときの魔力も美味しくなくなるんだよね。普段は美味しいのに味が変わる…だから、悪魔は相手と仲良くしたがるんじゃないのかな?不味いより美味しい方が断然いいもんね」
フィランジェルの言葉にジーンは嫉妬のあまりリツに無理矢理魔力を注いだことを思い出して眉を寄せた。
「…あの時は悪かった…」
「いいよ…ところで…ルシフェルは少しは克服できてきてるの?」
「…ま、一歩ずつかな。今はハウラスと花咲が入るやり方が一番楽なようだな。ルシフェルの使い魔の方が抵抗がないから…そろそろ元使い魔のラウムとアサヒを入れても大丈夫かもしれないが…我々はたまに入るくらいで良さそうだ…無理をさせるのも良くない…」
「ふぅん」
フィランジェルはジーンの膝の上に座ると積極的に唇を重ねて微笑んだ。
「…美味しい…」
「旨いな…」
二人の会話を聞いていると魔力を味わっているのが分かる。悧人の膝の上にセイルが乗って笑みを浮かべた。
「リヒトも少しずつ慣れて…赤ちゃんに魔力ちょうだいね」
「あ…あぁ」
悧人はまだぎこちなく頷く。とても背徳的なことに手を染めてしまったような気がする一方で、これはただ子どもに魔力を与えるためにしていることだと納得させようとしている自分もいた。
「先生、あんまり難しく考えなくて大丈夫ですよ」
ルイがストラスにもたれかかりながら言う。
「悪魔にとってはこれも子育ての一環ですから」
ストラスがルイのお腹を撫でながらニヤリと笑った。




