ジーン&リヒトの場合
家に帰ると、アサヒと光輝、三夜美がすでに帰宅していて、葉光祭の話でもしていたのか、光輝が変なポーズをして三夜美を笑わせていた。
「ただいまー何やってんの?」
六季が冷たい目で光輝を見る。
「んー?ヌードモデルのポーズ決め?」
「そ、そんなこと頼んでない!!」
三夜美が慌てて否定する。光輝は六季の表情を見て言った。
「何?ムツキ、ご機嫌斜め?」
「それは大佐があっちの方こっちの方と…キスをしていたからですよ」
カイムにまで冷たく言われて、ベルフェゴール大佐は大きなため息をついた。
「だから、最近はしてないって…」
「あーそういうこと?悪魔のキスって魔力補給の効率も考えてやってるんでしょ?だから、そこで文句言ってもさ…お子さまだねぇ…。ホラ、ケイくんは仕事でも他の人とキスするでしょ?そんな感じだと思って割り切れば?でもタイキと同い年と思えば…ムツキの方がむしろ進んでるのか…?あいつなんてヒトミちゃんと手も繋げてないみたいだからさ…」
「……」
六季は光輝の顔をじっと見つめて突然ニコリと笑った。光輝は変な動悸がした。六季が魔力を使ったのだ。
「だって僕、インキュバスだもん。好きな人の魔力をその辺の知らない誰かに掠め取られるのは嫌なんだよね」
くるりと踵を返した六季はそのまま手を洗いに行ったようだった。光輝はその後ろ姿を見送って髪をわしわしと搔く。小悪魔っぷりに拍車がかかって危うい感じがした。少し経ってセラヴィから成瀬と瀬尾が雨宮と共に帰宅する。雨宮はアサヒに向かって微笑むと洗面所に消えた。社長と宮森、花咲も帰宅する。花咲はもうじき休職しようとしていた。悪魔の子の成長が思いのほか早いからだった。
夕飯が近いのもあり次第にリビングに人が集まってくる。リツが手を洗ってリビングに戻ろうとすると、廊下の陰で光輝と遠野が抱き合ってキスをしていた。遠野は仕事終わりが早かったらしい。見なかったフリをして通り過ぎようとしたら、後ろからジーンに抱きしめられた。
「……!」
悪魔の多いこの家ではわりと日常茶飯事の光景なので、リツにはある程度免疫ができてきていたが、遠野は慌てて光輝から離れた。
「悪いな、邪魔をして。見られることには慣れてるんじゃないのか?仕事で。続けて構わないよ」
小学生の姿のジーンに言われて遠野はどうやってこの場を取り繕えばいいのか分からない、といった表情になる。
「仕事と…プライベートは…別ですよ…」
「それで…少しは記憶が戻ってきたのかな?」
ジーンに聞かれた遠野は頷いた。
「途切れ途切れですが…きさらぎさんがサタンで主だったことは思い出しました…」
「記憶が戻れば魔力も上がる…契約パートナーとの相性も悪くない…何より食事で魔力が上がる体質のコーキのような者はそう多くないから、そういう相手とパートナー契約できた君は幸運なんだよ」
「確かに…そうですね」
そんな話をしていると、インターホンが鳴ってセイルの声が聞こえた。低い男性の声も聞こえて、椎名が親しげに先生と呼んで何かを話しているようだった。
「賢木さん夫妻が帰ってきたね」
リツが言っていると、廊下を曲がって二人が洗面所の方にやって来るのが見えた。
「おかえりなさい」
リツが言うと、二人はただいまと言いながら笑ったが、悧人の方は少し疲れているように見えた。
「リヒト、少し魔力を補充するね。疲れたでしょ」
セイルが少し背伸びをしたので、ジーンたちは慌てて廊下からリビングの中に移動する。
「久々に新しい環境でスタートするとやはり魔力を消耗するな。でも賢木さんだから、あの程度で済んでいる…ま、食後にでも芦沢先生のことを聞いてみようか」
ジーンはそう言って意味深な笑みを浮かべた。
***
皆が料理で腹を満たして食後に甘いものをつまみながら寛ぎ始めたところで、清葉学園の本物の生徒と偽物の生徒が悧人の周りに集まり始めた。悧人は私服に着替えた面々を見て、学校の制服との雰囲気の違いに妙な感じがした。まるでプライベートで出掛けた先で生徒に遭遇してしまったかのような気まずさ、それが一番最初の印象だった。その輪にちゃっかりルイとセイルも加わる。
「まずは、悪魔になってからの初出勤お疲れ様ってことで、乾杯!」
セイルが言って、周りの生徒たちは手にした飲み物のグラスを少し高く掲げた。乾杯といえばグラスをぶつけてやっていた悧人は、悪魔たちは洗練されたやり方を選ぶのだと思ったが、その心を見透かしたジーンが笑った。
「よりフォーマルなやり方というよりは…悪魔は聴覚の鋭い者が多いからグラスを当てると耳障りだというのも理由の一つかな。皆、力に目覚めてくると自然とそうなる…」
言われてみれば広いリビングにはあちこち人が残っていて、たとえば社長などはまだ飽きずに仕事の話を続けているようだったが、皆静かな声で話しているので、人数の割には静かなのだった。
「先生、あちこち校舎連れ回されてたよねー」
椎名がニヤリと笑う。アサヒもその様子を目撃したのか大きく頷いていた。
「それで…芦沢先生の様子は?」
ジーンの問いかけに悧人は思ったままのことを口にした。
「…芦沢先生は…親切にあちこち説明をしてくれて、込み入った生徒間の事情のようなものも話題に出して、自分と親しくしたいという風に振る舞っていた…ただ、本人がOBだとは絶対に口にしなくて…詳しいんですねと言っても、慣れですよと躱されてしまった…知られたくないことでもあるのか…」
ジーンは学校で配られたタブレットをいじっていたが、やがてどうやって探り当てたのか、卒業生名簿を開いていた。顔写真と名前、卒業時の住所などの連絡先が出てくる。
「…芦沢先生のフルネームは芦沢緑梨のはずだが…変だな。同じ名前では検索に引っ掛からない…芦沢でも該当はゼロ…緑梨…あ、いたな。どういうことだ?高梨緑梨…?梨だらけだな…」
横から思わず覗き込んだリツも思わず首をひねる。教師の芦沢は今はどちらかといえば清潔感のある爽やかな見た目だ。けれども卒業生名簿の写真は太って眼鏡をかけた、今の芦沢とは似ても似つかない姿だった。ジーンがつぶやく。
「これは…仮に痩せたとしても…あの顔になるには無理があるな…」
そのとき後ろを通りかかった成瀬が物言いたげな顔をした。
「あの…今、思い浮かべた顔…もう少し強くイメージしてもらってもいいですか?」
「あ、あぁ…この人だよ」
「なるほど。かなりいじってますね。整形ですよ。頬骨も削いでるし、鼻も高くして…まぶたもいじってますね。僕もやったから分かります。この手の顔は作ってるなって。歯並びも矯正したんじゃないでしょうか…」
あっさりと自分が整形したことをバラして成瀬は笑った。
「見た目でかなりいじられたんじゃないでしょうか…この方、今学校の先生なんですか?自分がかつて虐められていた場所に戻ってくるって…当時を克服したいか…あるいは復讐したい相手がいる場合もあると思うんですよね」
ニコニコしながら成瀬は怖いことを言う。
「復讐…?ない話じゃないな…復讐の相手…当時の彼をいじっていた連中?あるいは…助けてくれなかった教師…?」
「あの…再雇用の日本語教師がいて…彼は嫌っているように見えて…」
悧人が遠慮がちに告げる。
「なるほど、ない話でもないな。あるいは…卒業年度からいくと…今二十八歳なのか…もっと若く見えるな。例えば当時の同級生が…付属小に子どもを通わせている可能性も…ゼロではないな…そもそもOBという話…椎名はどこで聞いたんだ?」
「ええっ?あぁ!そうそう、旧校舎に古い卒アルがあってさ、暇つぶしに見てたときに…顔のところがぐちゃぐちゃに落書きされてる奴がいて、名前見たら緑梨って書いてあったから、もしかして?って、そのとき一緒にいたイズミと話してたら、巡回に来た芦沢先生にものすごい勢いで取り上げられたんだよ。だから先生、もしかしてOBなんですか?って言ったら、そんな訳あるかってすごい剣幕で怒られてさ…なんか地雷踏んだ?って思って、そんな訳ないですよねーってその時は誤魔化したんだけど…緑に梨なんて名前、あんまり見ないし…」
「イズミ…今野が一緒だったのか。今野はその教師とは大丈夫なのか?アサヒ、どうだ?」
「あーそういえば、難しい問題になると当てられることが多いかなとは思ってましたけど…そのせいですか?」
アサヒは授業中の様子を思い出して言った。不意に光輝が口を開く。
「…俺さ、イズミが芦沢先生に魔力流されてんの見たことがあって…あの時はイズミがねだったんだろって思ってたけど…もしかしたら違ったのかも…無理矢理?なんか…身の程を知れみたいなこと…言ってたのが聞こえたから慌てて戻ったら、もう芦沢先生は何事もなかったみたいな爽やかな顔して俺に話しかけてきたんだけど…なんかあれは…気味悪かったな…」
「椎名は高等部だから、さすがに関わり合いはないか?」
「うーん、ないけどさ。それが…卒アルの一件以来ちょっと目をつけられてるっつーか…何か都合の悪いことが起こると、椎名だってすぐに言われるんだよね…俺じゃないのにさー。それが芦沢先生が言ってるのかどうかは分かんないけど」
椎名は笑ってミックスナッツを口に放り込んだ。
「イツキは元々素行不良で有名だから仕方ないけどね」
向井が冷たく言い放つ。椎名は向井の肩にもたれかかってわざと体重をかけた。
「重いよ!イツキ!」
「愛の重さだから。優しくしてよ」
椎名は平然とそう言って、しまいには向井の膝の上に横になってしまった。
「イツキ!!人前で何してんの!なんか…すみません…」
向井は周囲に頭を下げる。
「先生…イズミ…今野くんのこと…気を付けてあげて。この子…」
椎名は賢木にイメージを伝えてきた。賢木は思わず言った。
「…これってもしかして潜入捜査…な訳はない…よな?」
するとジーンはニヤリと悪魔らしい笑みを浮かべた。
「潜入捜査気分を味わってもらってもいいよ?仮に彼が誰かに害をなそうとしているのなら…止めないといけないからね」
悪魔の笑みを浮かべたくせに至極真っ当なことをいわれた賢木は、返すべき言葉を失ってしまった。
「あの…先生…」
そのとき遠慮がちな声がしてハルが所在なさそうに立っていた。ストラスの手を握っている。
「あ…あぁ、暮林さん…」
「先生がいないと…なんとなくさみしいです…しかも先生…いつの間にか悪魔になってるし…」
後ろにいたストラスがハルの背を押した。
「ハルは慣れない悪魔の気配はまだ怖いって感じるんですよ。だから一度ハグしてやってもらえませんか?腕の中に入ってしまえば…安全な魔力だってことで安心するんで…」
ハルは俯いてもじもじしていたが、一歩ずつ前に出てきた。田崎は立ち上がって少し移動すると、ハルの前で膝をついた。
「もう…私の学校の先生じゃないから…ハグしても…いいですよね?」
「あぁ…うん…いい…のかな?ま、いいってことにしようか」
田崎はそう言ってそっとハルを抱きしめた。細い身体だと思った。それでも以前よりは健康的な見た目に近付いたと思った。ここの食事がいいからだ。ハルは微笑んで頷いた。
「先生の魔力…分かりました。もう怖くないです…」
ハルは小声で続けた。
「セイルさんの魔力も…今日教えてもらいました。先生の中にもセイルさんの魔力…感じます」
「ハルは魔力の区別がつくようになってきたね…」
ジーンはハルの言葉を聞いて興味深そうな顔をした。この家の魔力がハルに影響を及ぼしているのだろう、彼はそう思った。案外ハルはこの鋭さを利用して魔力回復研究所で働けないだろうか。ジーンはそんなことを思いながら、芦沢をどう調べていくかについて考えを巡らせた。




