セイル&リヒトの場合 9
水谷は二週間ほど休んでいた田崎が出勤してきたことに気付いて驚いていた。水谷は事件の記憶があったから、生徒だと思っていたのが赤子を食らう魔物だったこと、そして今回の事件で彼の婚約者が亡くなったこと、亡くなった西山が複数人の生徒とも関係を持っていたことも含めて彼が復帰しないのではないかと思っていた。彼は校長室に入ってしばらく話していたが、やがて厳しい顔付きをして出てきた。
「あ…おはようございます」
水谷が声をかけると彼はハッとしたような顔をした。彼は苦笑しながら挨拶を返して、窓の外を見た。どこか寂しそうな横顔だった。
「中途半端なままで放りだしたくないから…戻ったのにな…」
彼は自嘲的につぶやいた。結局その日彼は職員室にこもってデスク周りを片付けていた。水谷が授業を終えて戻ると彼の姿はすでに消えおり、何もなくなった机だけが残されていた。
***
田崎は荷物を段ボールに入れて抱えて、しばらく帰宅していなかった教員住宅に戻った。マスコミの話題は転生者を監禁していた某アーティストの話題に移っていた。すでに西山が起こした事件も風化し始めている。彼はそのとき上の階から降りてくる足音に気付いた。段ボールを置いてドアを開けるのに手間取っていた田崎は、降りてきた人物が西山の母親だと気付いてギクリとした。彼が抜け殻になっている間に西山の葬儀は終わっていた。
「…田崎さん…」
「…ご無沙汰しております…」
「元気そうで…良かった…。娘が…すみませんでした…」
「こちらこそ…葬儀にも…出られなくて…申し訳ありません…」
「近親者のみで済ませましたから…私…もうあの町には住んでいられなくて…引っ越しを決めました…あの田崎さん…その荷物は…?」
「…教員に…復帰しようと思ったのですが…遠回しに退職するように言われました。確かに私は三年の学年主任で…三年の中には…私の顔を見たくない生徒もいるということを…忘れていたんです。学年主任としての責任を果たそうと思ったのですが…私がいなくても…学校は困っていませんでした…むしろ…目障りな存在になってしまったことが分かったので、退職届を出してきました…」
「ごっ…ごめんなさい!!娘のせいですよね!娘のしでかしたことのせいで…あなたの人生まで滅茶苦茶にしてしまって…どうお詫びしたらいいのか…私が…育て方を間違えたんです…きっと…そうなんです…申し訳ありません」
母親は泣き出してしまった。
「すみません、そんなつもりでは…私なら大丈夫です。仕事ならたくさんありますから…」
母親は何度も何度も頭を下げて去ってゆく。彼はしばらくぼんやりしていたが、気を取り直して荷物をまとめ始めた。彼はスマホを取り出すと連絡をした。
「すみません…荷物を運びたいのですが…ほぼ不要なものばかりなんです…はい…お願いします」
通話を終えると彼はベッドに倒れ込んだ。
「生徒のメンタルを優先したい…か。確かに俺のメンタルなんかどうでもいいことだよな…」
「リヒト!?」
しばらくして、青年姿のセイルが広くはない部屋に入ってきた。
「復帰…は?」
「復帰するなってさ。メンタルやられてそのままフェイドアウトすることを願ってるってのが分かってしまったから、退職届を出してきた…悪魔になったせいか…校長の考えてることが…手に取るように分かってしまったんだ。辞めるって言ったら心底ホッとしてたよ…」
「…リヒト…」
セイルは田崎の頭を撫でた。
「この部屋の荷物…全部…要らないんだ…この段ボールに入れた分以外は…」
「分かった。じゃあ燃やせるものは燃やしちゃうね!」
セイルは炎を呼び出して不用品を燃やし尽くす。最後に田崎が寝転んでいたベッドを燃やすと急に部屋が広くなった気がした。セイルは金属類をまとめると小さく圧縮した。呆気なく田崎の暮らした痕跡は掻き消される。悪魔なら人一人を消すのも造作ないに違いないと田崎は思ってしまった。
「行こうか。下でストラス補佐官が待ってるよ。リヒトは魔界で働けばいいよ。今はとりあえず魔力回復研究所で働くって手もあるし…再就職先はゆっくり考えていいからさ」
セイルと共に田崎は長年住んできた教員住宅を後にした。なんと呆気ないのだろう、そう思った。
「乗って乗って」
相変わらず高級車で迎えに来たストラスは小さな段ボール一つの田崎を見てニヤリと笑った。
「このまま、セイルの家に行くってことでいいですか?」
「いいよー出しちゃって!」
セイルが言う。
「…どうしても教師がやりたいんなら…まぁ…陛下のツテで…清葉学園に就職するって手もありますけどね。あそこなら近道を繋いでるから、セイルの魔力が足りなくなっても昼休みにちゃちゃっと補える…」
「えっ?清葉学園…!?金持ちの通う私立じゃないか!」
「あーそうなんですか?まぁ…そうなるのか。いまいちこの国の水準が理解しきれていなくて…まぁ、リツさんがものすごい貧乏生活してたってのは理解してますがね。四十九区でガスも電気も水道も止められた部屋にいましたから…元堕天使の転生者の扱いはそんなもんですよ、この国は…」
「はあっ!?よくそれで生きていたな」
「いいえ…死にかけてました。と言っても天界がフィランジェルの翼を燃やしたせいで影響を受けた訳ですけど…だから、まぁ…今、清葉学園に小学生になって潜入したまま、事件は解決したのに在学させてるのは…楽しい小学生生活をリツさんが経験してこなかったから…ってのもあるんじゃないかって思いますね。それにもうすぐ学園祭の時期ですから。参加しない手はないでしょう…」
ストラスは笑った。あっという間に魔力回復研究所に到着する。セイルと田崎は礼を言って降りた。
***
それから数日後、彼は本当に清葉学園の門をくぐっていた。臨時採用だったが産休に入る教師がいて、日本語の教師を探していたところにジーンが連絡をしたのだった。中等部の校舎に入ると見知った顔の少年が廊下に出ていて、副校長と共に通過した田崎に目配せをした。田崎は賢木と入籍し、賢木悧人の名で新生活を始めたばかりだった。田崎の両親は彼が小学生の頃に離婚しており、田崎を引き取って育てていた母親はその後再婚してすでに別の家庭を持っている。母親に結婚する旨を伝えたところ、どの苗字を名乗っても気にしないと言って笑った。
「それはそうと、この世界ではもう結婚式ってあんまりしないんだね!ちょっとしたカルチャーショックだよ!」
セイルはそう言ったが口ほどにはショックを受けていないのがありありと分かる表情をしていた。田崎改め賢木は、そんなセイルの言葉を思い出しながら、授業の進み具合を確認しているところだった。全体的に早いと思っていると、日本語の若い教師が口を開いた。彼は名を芦沢といった。芦沢ともう一人歳上の佐々木という教師がいて彼は再雇用の初老の男性だったが、彼は細かい説明は苦手だと言って、面倒な役割を回避して、他の教師と茶を飲みながら談笑していた。芦沢はちらりとそちらを一瞥する。明らかに面白くないと思っているのが分かる顔付きだった。
「これからは学園祭の準備などで通常授業と異なる時間割が組まれるので、今は特に駆け足で授業を進めているんです。葉光祭は皆が一丸となって盛り上がる行事ですから…私たちのように担任を持っていなくても駆り出されます。副担任として割り振られた学年には放課後に見守りや巡回も発生しますし…ただ、高等部の三年の場合は大学受験を控えている者も多いですから…主立って活動するのは二年生です」
「なるほど。まずは校舎のどこに何があるか把握しないといけませんね」
賢木が言うと彼は声のトーンを落とした。
「そうですね。あの…旧校舎の見回りは特に注意して下さい…素行の良くない生徒がたむろしていることがありますから…旧校舎裏は…いわゆるデートスポットと呼ばれていて…時折良からぬことをする生徒もいるんです…僕はまだ実際には見たことがないんですが…誰それがキスしていたなどと…生徒が噂をしているのを聞いたことはあります…あの…失礼なことを聞きますが、賢木先生は魔力が強いんですか?それで採用になったと…学年主任が言っていたのですが…」
「…強いかどうかは分かりませんが…最近、転生前の記憶を思い出したので…そのせいかもしれません。今まで転生者としては生きていなかったんですが、どうやら記憶を丸々失っていたようでして…」
「そうでしたか。お節介かもしれませんが魔力が強いと、要求してくる転生者の学生がいます…気を付けて下さい…こちらは悪くなくても、万が一すがられて手を出してしまうと教師の方が分が悪くなりますから…そのときはすぐに医務室に連絡して下さい」
「手を出す…たとえば…手を握られたりしても問題になりますか?」
芦沢は苦笑した。
「…さすがに、生徒に手を握られたくらいなら問題にはなりませんよ。前に懲戒免職になった教師はキスをしているところを他の生徒に見られたそうですから」
「なるほど、よく分かりました。教えてくれてありがとうございます。気をつけます」
実はある程度赤裸々な情報は向井と椎名から聞いていた。そのときに気をつけた方がいいと言われた教師の中に芦沢が入っていた。芦沢はどうやらOBらしい。今、懇切丁寧に学校のあれこれを教えてくれている教師を疑いたくはなかったが、芦沢こそ、よく懲戒免職にならずに済んでいるなと賢木は思った。
「特に…旧校舎によくいる…椎名という高等部の学生には気を付けて下さい。良くない噂が多数ありますから」
良くない噂の内容をまさか本人からほぼ明かされているとも知らない芦沢は深刻そうな顔で賢木にそう告げた。




