ベルフェゴール&田崎の場合
「ベルフェゴール大佐…?どうして縮んでるんですか!?」
美少年を抱き留めたセイルもまた驚きの表情を浮かべて大佐を見下ろしていた。田崎は美しい絵画でも眺めているかのような光景に一瞬これが現実なのを忘れた。
「潜入捜査の一環…と言いたいところだけど、俺は単に制服が着てみたかっただけだな。どうだ?似合ってるだろう?」
大佐はポーズを決めてニヤリと笑う。清葉学園の制服が似合っているが背が高いので恐らく特注サイズだろう。セイルがニコニコして大佐の姿を見つめているので、田崎は妙に落ち着かない気分になってきた。
「あの…この方は…」
田崎は遠慮がちに口を開きかけて、大佐に見上げられた。
「ふーん、俺がいくら誘っても乗らなかったセイルは、こういう真面目なのがタイプなのか…通りで怠け者の俺は相手にされない訳だな。相性も良さそうだし…は?もう仮契約してんのか?会って何日だよ!?」
「えっ…昨日…仮契約して…今日で二日目です…」
「はぁ!?おっさん…じゃなかった、田崎さん、あんた幸運だなぁ。セイルはどんな悪魔が声をかけてもなびかなかったのに、人間のあんたが手に入れるなんてな…あぁ…なんか見下ろされてんのも癪だな」
ベルフェゴール大佐はそう言うと突然元の姿に戻った。美少年が更に気怠い色気をたたえた田崎と似通った年代の男性になり、長身の田崎でも今度は見下ろされる目線になった。
「いいか?セイルを泣かせるんじゃないぞ?魔界にはセイルに片想いしている悪魔が山程いるんだ。分かったならもっと体力と気力も上げろ。セイルのことを好きな悪魔が間違ってこっちに来たら、襲われても文句は言えないぞ?」
「ええっ!?そ、そうなんですか!?セイル!?」
「……嫌だなぁ…大佐が大げさなだけですよ。僕のことを好きな悪魔なんて片手で数えられる程度です」
セイルは指を三本ほど折って四本目を折らずに中途半端に曲げて宙を見る。
「三人…?」
それでも相手は悪魔なのだ。田崎がゾッとしているとセイルは笑って首を横に振った。
「三百人以上四百人未満ってとこかな?違うよ。悪魔がみんな狙ってたのは僕が誰とも寝なかったから、初めてが欲しくて争ってただけ。でも、もう処女じゃないから、好きだ好きだって言って欲しがってた悪魔もいなくなると思う。だって今朝リヒトに全部あげちゃったからね」
「は…?うそだろ?あれが…は、初めて…?」
思わず口走ってから田崎はベルフェゴール大佐の射るような視線に気付いて慌てて口を閉じた。目線だけで殺されそうだ。セイルは田崎の気も知らずにフフッと笑った。
「そうだよ?したら上がるっていう話は聞いてたけど、実際にするのは初めてだったから、すごく興奮しちゃった」
「おいおい…セイル…何やってんだよ…お前、会って間もない相手と仮契約して…全部捧げたのか?相手のこともよく分かってないのに!?それはさすがに…軽率過ぎるだろ。大丈夫なのか?異世界の空気の悪影響で、脳にダメージでも食らったんじゃないのか?」
ベルフェゴール大佐は不安そうにセイルの頭に触れてチェックをする素振りまで始めた。セイルは口を尖らせる。
「嫌だなぁ。僕は正気ですよ。たまたまお互いの理想の形が一致したのと…キスしたら、すごく魔力の相性が良かったから…もっと欲しくなっただけで…要するに運命を感じたってことです。今までそんなこと一度もなかったのに。でも、過去にキスしてくれた悪魔の中では…大佐の魔力が一番美味しかった…それは本当です。アスモデウス元帥は合わなかったし、マモン中将と陛下はものすごい速さでガードされて味見できなかったし…」
ベルフェゴール大佐は片手で制した。
「セイル…それ以上言うな。彼氏に聞かせる話じゃない…悪かったな、田崎さん。セイルはこういう奴だけど、よろしく頼む。ただし、悪魔も手玉に取るような悪魔だってことは覚えておいた方がいい。俺から言えることはこのくらいだな…あぁ、あとは、この見た目で剣を振るったらめちゃくちゃ腕が立つから、居並ぶ悪魔は力尽くでも奪えなかった…絶対に怒らせない方がいいぞ?」
「は…はい…」
田崎は先ほどガブリエルに怪我を負わされたセイルを見ていたから、にわかに大佐の言葉が信じられなかった。
「あのガブリエル相手に死ななかった悪魔はセイルくらいだろ。俺だってガブリエルとは一騎打ちしたいとは思わない…ま、それは王妃も一緒だけどな…」
その言葉に六季と何か話していたリツがこちらを見て眉をひそめたのが分かった。
「私だって大佐相手に剣で戦う気は起きないですよ!馬鹿力なのは分かってますから!だいたい…戦場では会ったことないじゃないか、ってフィランジェルが言ってます」
「んーそれが、そうでもないんだな。俺が一個師団を任されるようになる前に、遠くで戦ってるところを見たんだよ。ま、いいや、昔の話だな。とにかく…田崎さんはとんでもない相手に捕まったってことだ。これから覚悟することだ」
大佐はニヤリと笑って手を振ると歩み去る。六季が駆け寄ると彼はひょいと片手で抱き上げた。六季は大佐の首に両腕を巻き付けると小悪魔的な笑みを浮かべて田崎とセイルの方を見ながら、これ見よがしに大佐の頬に口付けをした。隣にカイムが立って小さく礼をすると、三人は仲良く去ってゆく。
「…覚悟が必要なのは大佐も同じじゃない…あのインキュバスの転生者…ガブリエルと大佐の心に爪痕を残すんだもの…すでに三角関係になってるっぽいし…」
セイルが小声でつぶやく。田崎も頷いたが、セイルの方をちらりと見た。気まずそうに口を開く。
「初めてって…どうして言ってくれなかったんだ…」
「…えっ?そんなの…恥ずかしいからに決まってるよ。何百年も後生大事にしてきて…それを餌に群がる悪魔を吟味してたら、よく分からなくなっちゃった…ってだけ。どうしてかな。リヒトにあげてもいいって思ったんだ。やっぱり好きな人の子どもが産みたいって思うのは本当なんだなって…実感してる」
田崎はセイルの口付けから、相手が恋愛に関して上級者なのだと勘違いしてしまった。実際に手玉に取ると言っていたから恋愛に関してはそうなのかもしれない。ただ、キスが上手いからと言って、その先の全てを経験済みだと思い込んだのは完全にセイルの言動に騙されていたからだった。
「本当に痛く…なかったか?」
「大丈夫だよ、そんな顔しなくても。まぁ…最初は…痛かったよ。でも…ほんとに最初だけ。リヒトにバレないか、本当はビクビクしてたんだ」
セイルは照れ臭そうに笑う。田崎は胸に込み上げる感情と共にセイルをきつく抱きしめた。
「セイル…俺は…悪魔と比べたら弱いけど…セイルのことを大事にするよ」
「うん、ありがとう」
セイルも微笑んで田崎をふわりと包み込む。そうして耳元で囁いた。
「僕と契約したらリヒトだって強くなるよ?インキュバスの子だって、大佐といるだけで元の魔力を少し使えるようになってるし。魅了されるでしょ?だからリヒトもこれから変わっていくんだよ?この世界ではリヒトは転生者じゃないって言われてるけど…みんな誰かの転生者なんだよ。リヒトのはたまたまそれが見えないだけ」
セイルはキラキラした瞳でそう言って笑った。
***
その日の夕方、セイルは夜勤で忙しそうに働いていた。田崎は部屋で食事を終えて、ベッドにばかりいてもと思い、部屋から出て廊下をウォーキングしていた。少し喉が渇いたので自販機で飲み物を買おうとして、談話室で話している二階堂が目に入った。隣には見知らぬ少女がいたので、田崎はそのまま飲み物を片手に通り過ぎようとした。
「あ、こんばんは。今日は色々と大変でしたね…」
二階堂に話しかけられて田崎は立ち止まる。隣にいた少女がこっちにおいでというように手招いた。見た目は高校生くらいに見えた。
「どうもーあたし、チサ、っても偽名だけどね!本名はサチコっていうの。幸せな子でサチコ。そんなブラックジョークみたいな名前をつけた施設の奴、ぶっ殺したいよねー田崎さん、先生なんでしょ?ここにいるのはみんな悪魔と仮契約してるのばっかりだからさ。仲良くしようよ!あ、あたしはマジで死にかけてストラスさんの使い魔になってるから、仮契約よりはちょこっと上かな。なんか楽しいよ。夢の領域で、ルイと会ったんだー。距離とか関係なく遊べるから楽しいよ」
田崎はチサと名乗った少女に圧倒される。二階堂は慣れているのか微笑んで話を聞いていた。
「ね、先生、元気になった?昨日は目も虚ろでほんと心配だったんだけどさ…先生、やっぱ…あたしのことなんか覚えてないよね?」
「えっ?」
田崎は慌てて記憶を呼び覚ます。そうして、幸子という名前に該当する生徒が自分の担当する学年にいて、失踪したのを思い出した。田崎は最初は小学校で教師をしていた。
「日下幸子!?三年三組の!?」
「ピンポーン、スゴイね、先生。やっぱあたし、田崎先生のクラスだったら良かったなぁ…そうしたら、逃げないで…もう少し真っ当な人生歩んでたかも!って、そうしてたら使い魔になれないからやっぱダメかー」
「日下さん、何があったんだ?あ…聞かない方がいいのかな?言いたくないなら…言わなくていいんだ」
「えーまぁ、ざっくり言ったら、虐待されてるって担任に相談したら逆に養父母に密告された。信じてもらえなくってさ。見えるとこには何の傷もなかったし。だけど、そうじゃない虐待だってあるでしょ?言葉の暴力に性的暴行。でも虚言癖があるって言われて。結局、誰も信じられなくなって家飛び出してからは…最終的にストリートキッズやって銀の枝に流れ着いてた。何回も妊娠と中絶繰り返して身体ボロボロだったんだけど、使い魔になったら元気になっちゃったよね。今までの不調は何だったの?ってくらい…」
笑っているのに二階堂はチサの頭を撫でた。
「無理に笑わなくていいよ。僕たちの前では取り繕う必要ないんだからさ」
二階堂は片手でチサを抱き寄せる。なんとなく男前な仕草だと田崎は思った。チサは目を閉じて言った。
「先生さ、覚えてないかもだけど…大丈夫?って声かけてくれたことあってさ、本当は大丈夫じゃないって言いたかったのに、言えなかったんだ…言っとけば何か変わったかな…あのとき先生のクラスの子が顔面にボール食らって鼻血出して先生慌てて走って行ってさ…でも、先生も生きてて良かったよ。ほんと死んじゃうかもって心配だったから、思わずセイルさんに言っちゃったんだよ。絶対に目離さないでって。事件のことも少し聞いたけど…先生は何も悪くないよ」
「目を離さないでって…セイルに言ったのか?本当に四六時中どこにでもついてきて…トイレの個室にまでだぞ?厳重な警戒態勢だったけど、出るものも出ない!」
チサは爆笑した。
「大丈夫ですよ。僕だってマルバスさんに下の世話全部されて隠すとこもないですから…」
二階堂が言うと、チサは知らなかったのか驚いた顔をした。
「みんな悪魔に恥ずかしいとこ見られてんのか。初日はあたしも自殺未遂やらかして拘束されたから…同じだな。でも、今はもうそんな気も起きないから安心して。魔界に行ったらリモンと結婚するんだ。リモンは今は女の格好で働いてるけど、男になったらめちゃくちゃ雄だからさ。アオくんも、さっさと最後までしちゃえばいいのに…楽になるよ?」
チサはちらりと二階堂の顔を見上げる。チサを抱き寄せたまま二階堂は嫌そうな顔をした。
「僕のことはいいよ。僕たちだって、それなりに前進はしてるんだから。僕は魔界に行ったら身体を男に変えてもらう。やりたいことはそれからでもいいよ」
「もったいないなぁ…女でもいい女なのにさ?でも、それがアオくんの希望なんだもんね。アオくんなら男になってもモテると思うよ?」
「正直なところ…悪魔を見てたら…性別なんかどうでもいいんだなって思ってきたけど…この世界はそうじゃないから…僕には息苦しいんだよ」
二階堂は苦笑した。
「ねぇ、先生、仮契約したら何か変わった?」
チサが首を傾げる。
「いや…まだそんな具体的には…」
言いかけた田崎だったが、近付いてくる気配の中に姿が見えてもいないのにセイルがいるのを感じ取った。
「あ、気配には敏感になったかもしれないな」
「でしょ?仮契約してても相手は分かるよね。あれ?また知らない気配がある…」
セイルの隣にマルバスがいて、もう一人若い男性が歩いてくるのが見えた。やけにガタイがいい。彼は談話室にいる三人を見ると、突然スタスタと歩む速度を早めた。
「うわぁ!美味しそうな魔力してるね」
言い終わらないうちに、田崎の目の前に顔が近付いてきて田崎はそのゴツい男性に唇を奪われていた。




