ジーン&ガブリエルの場合 2
田崎と一つになって夢中になっていたセイルは、急に悪寒が走って我に返った。肩の奥の痛みがぶり返しセイルは田崎の上に崩れ落ちた。田崎も荒い呼吸を繰り返しながらセイルを抱きしめたが、不意に心配そうな顔になった。
「セイル…大丈夫か?」
「あ…あぁ…うん、大丈夫…」
セイルはしばらく田崎の上でじっとしていた。身体の感覚でセイルは妊娠しそうな気がしていた。感覚だからまだ確かなことは言えなかったが、これだけ魔力の相性が良いのに、子どもが出来ない訳がないと思った。セイルは起き上がると身体を拭いて服を着た。熱いタオルで田崎の身体も拭こうとすると、彼は起き上がって自分で身体を拭き始めた。
「大丈夫か?どこか…痛むのか?」
「あ…ちょっと昔の傷が…」
セイルは左肩に触れる。今日はやけに痛むと思って、急に身の毛がよだった。セイルは反射的に病室から飛び出る。辺りを見回して、確かにその天使の気配を感じた。いる。
「あー出てきた。そうそう、君だね!彼氏とはうまくいったの?終わった?終わったなら、ちょっと来てよ。肩の中に残ってる小さな破片を取り出すからさ」
「ガブリエル…」
この世界にいるという話は聞いていた。でもまさかこんなに早く出会うことになるとは思っていなかった。セイルは反射的に後退る。あのときと姿は違うが薄紫のサングラスに隠された視線は確かにあの天使のものだった。
「逃げなくていいよ。破片を回収するだけだから」
「…しなくていい…」
セイルは青年の姿になると首を横に振った。けれども気付けばガブリエルはいつの間にか目の前に来ていて、次の瞬間にセイルは肩に激痛を感じた。見ればガブリエルの右手の人さし指が肩に刺さっていた。指先がぐりぐりとめり込む。
「うーん、動かないでよ。あったあった」
ニコリと笑ったガブリエルは指を引き抜く。病室から出てきた田崎が肩を血に染めて壁にもたれかかるセイルと右手の指を赤く染めるガブリエルに気付いて、鬼の形相で近付いてきた。
「お前!セイルになにをした!!」
田崎はガブリエルの胸ぐらを掴む。
「病院で騒がないでもらいたいな」
騒ぎを聞きつけたジーンが診察室から顔を出し、慌てて駆け寄って二人を引き離した。後ろから現れたリツがガブリエルを見て突然フィランジェルに変わる。
「ガブリエル!何をした!?」
フィランジェルはセイルの肩に手を当てて止血をしながら、振り返った。ガブリエルはフィランジェルの顔を見た。
「何を怒ってるの?剣の欠片を取ってあげただけだよ」
ガブリエルは平然と返す。
「信じられない!指を突っ込むなんて!!ごめん、バカな上官で…」
セイルに魔力を流しながらフィランジェルはガブリエルの顔を睨む。セイルは天使の姿のフィランジェルから魔力が流れてくることに違和感を覚えた。近くにいても天使の神聖力を感じる。なのに神聖力は一切流れてはこなかった。
「田崎さん、すみません。天使が非常識なことを。セイル、今、治療する…」
セイルは自身の力とフィランジェルの力ですでに止血は終わっていたが、そこにジーンの手のひらが触れた。別の何かにくすぐられたような気配がした。魔力だが悪魔の魔力とも何か少し違う不思議な気配がして痛みが一気に引いてゆく。ジーンが手を離すとすでに傷は塞がっていた。ジーンは天使に向かって苦情を言った。
「ガブリエル、いくら悪魔が簡単には死なないからと言っても指を突っ込んで破片を取り除くな。痛みは変わらないんだぞ。それに人前でこういう野蛮な行動は慎んでもらわないと困る。ここは病院なんだ」
フィランジェルは壁についたセイルの血の跡を消すと、冷ややかな目をガブリエルに向けた。
「どのくらい痛いかガブリエルの肩にも指を突っ込んであげようか?」
「フィランジェル、止めるんだ。やったことをやり返しているから戦争が起こる…ガブリエル、他の悪魔にも君の剣の破片は残っているのか?」
ガブリエルは少し考えたが首を横に振った。
「生きてる悪魔の中にはいないよ…彼だけだ」
ガブリエルは指についたセイルの血をぺろりと舐めた。田崎はそれを見て思わず顔をしかめる。
「うーん、魔力…変わったね。その男が魔力増幅装置?」
「ガブリエル、ルイの先生に嫌な言い方をしないで」
フィランジェルは厳しい顔のまま言った。
「あーごめんごめん、そうだ先生だったんだ。先生が、その悪魔と仮契約しちゃったから、僕は剣の破片を取り出さなきゃならなくなったんだよ。だってそのうちどうせ本契約しちゃうでしょ。そのとき肩に剣の破片があったら、彼、死んじゃうかもしれなかったから…魂を所有しようとする行為には剣が反応する。たとえそれが破片でもね」
フィランジェルは嫌そうな顔をして小さく嘆息した。
「天界の武器にはえげつない機能がついているのもあるから…所有する天使にもよるけどね…」
田崎はセイルのそばに駆け寄ると人目も気にせず抱きしめた。セイルは田崎の腕の中で女性の姿に変わると無意識のうちにお腹に手を当てていた。
「リヒト、大丈夫だから…」
セイルは弱々しく微笑む。
「今はここの方が大事だから…」
セイルはお腹に手を当てて田崎を見上げた。
「セイル…もしかして…?」
「まだ予感だけどね。でも強く望んだから…きっとそうなるよ?」
「まだ結婚もしていないのに!!入籍しよう!セイル!あ、悪魔だから…無理なのか?」
「一応、賢木星流の戸籍はあるよ。差し込みって言ってね、人としての身分も作ってる…だから…入籍しようと思えばできるよ?ちなみにね、魔界の方は…仮契約した時に入籍しちゃったんだ。いつ子どもができてもいいように」
「えっ…?そ、そうなのか?えーっ!?」
「ごめん、魔界は婚外子の扱いがちょっと難しくてね。あえてそうしたのは結婚しないであちこちに秘密に子どもを作られたら、子どもの世代で近親相姦が起こるとまずいからなんだよね」
田崎は自分が魔界では既婚者になっている事実を初めて知ってぽかんとした。この美しい悪魔が書類上は妻になっている事実を受け止めきれずに田崎は困惑する。
「もちろん…リヒトが嫌だったら離婚はできるから、そのときは言って?僕の方からはするつもりはないけどね?」
ジーンはじっとセイルのお腹を見ていたが歩み寄った。
「少しいいかな?」
「は、はい。陛下」
「今はその呼び方はするな」
「すみません…」
ジーンはセイルのお腹に手を当てる。ゆっくりと撫でて気配を探るように見つめた。
「受精卵はあるようだな。おめでとう。大事にすることだ。今日はこの後はあまり激しい触れ合いは控えるんだ。いいね?」
「はい…」
「私は…君が女性になる日が来るとは思っていなかったよ。君も思い切ったな」
「そうですか?あなたに振られてから…久しく女性にはなっていませんでしたからね」
「……!?」
フィランジェルは驚いてセイルの顔を見返す。セイルはフィランジェルを見て微笑んだ。
「ご安心下さい。私と陛下の間には何もありません。ただ一時期、妃を娶れという周りの圧が強かったときに、名前を挙げられただけですよ。さっさとキッパリ振って下さったお陰で、私は独身時代を長く楽しめましたから、むしろ助かったんです。私も結婚するつもりはありませんでしたし。ただ、そのときは…想い人がいらっしゃるという話は…正直なところ…信じていませんでした。申し訳ございません。本当に元天使…だったんですね」
「あ…あぁ、うん。そうだね。今はもう悪魔になったけど」
フィランジェルは銀髪に青い目の天使のような姿からリツの姿に戻った。お腹がふっくらとしている。セイルにも双子の存在が感じられた。神聖力が強いことにセイルは驚く。
「なぜ…悪魔になったのに…お腹の中の子の一人は…天使なんですか?天使…ですよね?」
「そうなんだ。二人のうち一人は半々の魔力になったが、一人は神聖力だな。だから悪魔なのに天使の気配も残っている…不思議だな。悪魔が天使を産む…神がいたら戦争が起こるところだな。天界を侮辱していると言い出しかねない…」
ジーンは可笑しそうに笑ったが、セイルは笑い事ではないのではないかと思った。所在なげに話を聞いていたガブリエルが口を開いた。
「僕の子はごく一般的な人の子のようだよ。散々遊んできたからかなぁ…遊ぶって言ってもボランティアを兼ねてだよ?魔力切れを起こしそうな子たちと…結婚してからは、規律正しくやってるし。天界と魔界の常識が通用しないってのは一応分かってるつもりだからさ。個人的にはキスに全て恋愛感情を絡めて理由を追求しないで欲しいって思うけどね。唇からの方が神聖力を流すのに一番効率がいい、それだけなんだけど、それを言ったら何人かにビンタされたからさ…」
ガブリエルはため息をついた。
「…それ…まさか姉には言ってないですよね…?」
リツが言うとガブリエルは頷いた。
「ビンタしてきたのは昔の彼女だよ。全然長続きしなかった。とりあえずそれで効率の話をするのは止めたよ。黙ってキスしとけばなんとかなる…何だよ、間違ってはいないだろ?」
リツはこの天使は長くこちらにいる割には人間のことを分かっていないと思った。
「間違ってはいませんけど…効率じゃない場合もありますから…世の中には効率最優先で行っていいことと、そうじゃないこともあると思うし…キスしながら効率の話をされたら、相手は嫌だと思いますよ?人間は好きな相手としたい生き物ですから…」
「最短距離が見えてるのに回り道してたら、デリバリーだって遅れるだろ?僕は最短距離で一番ヤヨイと僕のコンディションの良い日に子作りをしたのに、人の子になったんだ。天使の子を作るのに何かが足りなかったんじゃないかってサリエルがうるさいんだよ。まったく…こちらの気も知らないで。なぜフィランジェルの腹の子は天使なんだ?」
「…なぜって言われても…」
リツは困惑してジーンを見た。
「フィランジェルが天使の子を身籠ったのは…天界にほど近い浮島の上でだ…天使の姿をした悪魔のフィランジェルと悪魔の姿の私が交わった…ガブリエルはどの姿でそうした?」
「あ……天使にはなってないね。だって…そんなことをしたらヤヨイが壊れるだろ…天使だって身体がデカいんだから…」
「サイズくらい調整すればいいだろう…姿は…もしかすると関わっているのかもしれない…少なくとも、私の家に居候している天使二人は身体のサイズを小さくしただけで、姿は天界にいた頃と変えていないからな。だからミカエルはコンビニに行ったら目立って仕方ないんだ。ふりまくオーラそのものが派手でうるさいからな」
「あー敗因はそこか…で?向こうは天使の子ができそうなのか?あんな役割…僕もフィランジェルも二回はやりたくないからな…」
ガブリエルは窓の外に目をやる。
「サリエルは、ヤヨイが出産したら、もう一度試せって言うんだ…気乗りしないよ。新生児の世話だって簡単じゃないのに、またすぐに子どもが欲しいって、僕に言えって言ってるようなものだろう。それに僕からしたら子どもは神聖力を上げる行為に、たまたまついてくるオマケみたいなものなんだよね…オマケなのに当たりが出るまで試せっていうのもどうかと思うよ…」
そこまで言ったガブリエルは周囲の悪魔と悪魔の夫になった人間からも憐れみとも落胆ともつかない視線を向けられていることに気付いた。ジーンがガブリエルの肩を叩いた。
「…君の敗因はそこじゃないのか?子どもは神聖力を上げるためのオマケなどではないよ?君のその根底にある考え方から根こそぎ変えないと、天使の子は望めないかもしれないな。子どもは愛する相手との間に授かる大切な宝物だ。人だろうが天使だろうがそんなことは関係ないんだ…悪魔にだってそのくらいのことは分かる…」
「え…?そんなことを言われてもさ…」
「…少なくとも、ミカエルの方がもう少し子どものことを重く事態を受け止めているよ。私にはそう見える」
ジーンの言葉にガブリエルは、肩をすくめた。
「あのミカエルが?それこそ、僕からすると信じられないね。ミカエルは神の作った悪魔を殺すマシンみたいなものだ。そのミカエルが子どもの存在を重く受け止める?おもちゃにするところは想像できても、育てるところは想像できないよ」
ガブリエルの言葉にジーンは確かにそれも一理あると思ったが口には出さなかった。ミカエルは素直なところがあって、自分に欠けている部分もある程度理解している。むしろ問題はガブリエルなのかもしれない、ジーンは相手の考え方そのものを変えさせる方が剣を抜いて殺し合うよりも難しい、そう思った。




