セイル&リヒトの場合 2
翌朝まだ薄暗いうちに目覚めた田崎は、見上げた天井に違和感を覚えた。どこだろうと考えて入院したことをようやく思い出す。田崎は次に乱れたパジャマの胸元に絡んだ白い腕に気付いて一気に青ざめた。
「うわぁ!!」
田崎の声に目覚めた相手は少し眠そうな顔のまま目をこすって微笑んだ。
「おはよ…よく眠れた?」
「お、おはよう…」
その裸の少年がセイルだと思い出すのに田崎は少し時間を要した。田崎は一瞬自分がとんでもない過ちを犯したのではないかと危ぶんだが、そうではなかった。
「素肌で触れる方が魔力が上がるから、脱いじゃっただけ。びっくりした?ごめんね」
セイルは田崎の目の前に顔を出すと軽くキスをした。
「ね…魔力…上げたい…ダメ?」
セイルはそう言うと美女の姿に変わった。田崎は昨夜見た魔力回復薬を打つセイルの辛そうな顔を思い出した。
「回復薬の注射…痛いのか?」
「うーん、他の悪魔が言うにはワクチン打つみたいな痛みって言ってたけど…回復薬の濃さにもよるよ。僕のは濃いから、まぁ痛いかな…」
田崎はインフルエンザの予防接種ですら嫌だ。立場上、毎年仕方なく打っているが秋頃からすでに憂鬱になるくらい嫌だった。
「…俺の身体を使ったら…上がるのか?」
「うん。上がるよ?仮契約してるし…やっぱりダメかな?」
田崎は無言になる。たっぷりと迷ってから田崎はようやく口を開いた。
「セイルが苦しいなら…使っていい…」
「ほんと?…いいの?後悔しない?」
「しないよ…」
セイルの形の良い胸が揺れて田崎に密着する。柔らかい、そう思った。
「もっとリヒトもたくさん触って…上がるから」
セイルがはだけた田崎のパジャマを脱がせながら身体を密着させてくる。その肩の辺りに傷跡があるのを田崎は見つけた。
「…痛くないのか?」
紫がかったその傷跡を昨日見た覚えはなかった。セイルはハッとしたように肩に触れて苦笑した。
「古い傷だから大丈夫。隠すだけの魔力がなくて今は見えちゃってるだけだから…」
「なら…いいけど…」
どこか納得しないように田崎は言ったが優しくセイルを抱きしめた。当たり前だが日本人とは違う。ハーフだと言われたらそれで信じてしまうかもしれない。悪魔だから当然なのかもしれないが均整の取れた身体つきで無駄な肉はついていなかった。滑らかな肌触りだ。心地良い。
「魔力が上がったら見えなくなるよ…これは大昔に…魔界と天界が…まだ戦ってた頃に…天使に刺されたんだ…誘惑して何とか戦わずに逃げようと思ったんだけど…失敗しちゃって」
「大昔…?」
「うん、四百年とかそのくらい…昔の話だよ…」
「よ、四百年!?」
「そうだよ?つまり僕はそのくらいは…リヒトよりも歳上だってこと」
セイルは微笑みながらそう言って形の良い唇を重ねた。
***
朝を迎えて男性の姿から女性に戻ったリモンはチセの唇にキスをすると、看護師の格好になった。チセはあっさりと悪魔のリモンの手に落ちた。そうしてあっという間にリモンに溺れた。リモンは相性の良い人間とあと一日でも出会うのが遅れていたら魔界に戻ろうかと半ば本気で考えていたところだったので、そのときにたまたま運ばれて来たのがチセで良かったと思っていた。正直なところマルバスのように、悠長に構えている余裕がリモンにはなかった。
「リモン…」
「なぁに?」
「もう行っちゃうの?」
「まだ行かないわよ?」
リモンは女性の姿のままでチセにキスをする。相手がどんな姿でも抵抗のないのがチセの良いところだと思った。チセは女性姿のリモンが性的な触れ方をしても、すぐに慣れてそれを楽しむようになった。リモンの魔力が上がる。チセが微笑む。欲望に素直で可愛らしいと思った。
(…セイルは苦戦してるのかな…)
そんなことを考えたリモンはそのときいつもとは違う魔力の動きを感じ取り驚いてその方向を見た。
「なに?なんか…グワッて…揺れた…揺れてないのか。あれ?変な感じがしたんだけど…」
リモンの豊満な胸に頬を寄せていたチセがこめかみの辺りを押さえて顔を上げる。
「チセは今、魔力の流れを捉えたの。これは…もしかしてセイル…?」
リモンは病室の方向からそう予想した。
***
セイルはすぐに異変に気付いた。田崎と一つになった瞬間に減っていた魔力がどんどん上がり始めたのを実感したからだった。田崎も明らかに驚いた顔をして両手を絡めたまま一瞬動きを止めた。
「そ、そのままで…大丈夫…魔力が上がってるだけ…だから…」
「こ…れが?」
田崎は転生者と付き合ったことがなかったから、そんな風になったことはもちろん今まで一度もなかったし、魔力が上がるという感覚を自分も相手と共に感じ取れるとは思ってもいなかった。
「まだ…上がってる…っ!!」
魔力が上がるのと同時に体中に電流が流れたかのような甘い痺れが走って田崎は震えた。あまりの心地よさに思考が停止する。セイルも同じなのか震えながら田崎の手を必死にきつく握っていた。
「リヒト…っ!すごい…魔力…っ!」
田崎の手を握るセイルの姿が変わる。髪が更に長くなって黒髪が濃い紫になった。ワインのような瞳が鮮やかなルビー色に変わる。その劇的な変化を目撃して、田崎は今まで見ていたセイルとセイルの魔力がほんの一部でしかなかったことを思い知った。セイルの美しさが増して儚げな様子から一転して妖艶な美女になった。
「リヒトの魔力…すごくいい…こんなの…初めて…!」
セイルは微笑んで積極的に田崎を求め始めた。田崎はセイルの魔力に包まれて、ただその快楽に溺れた。こんなとてつもない快感を経験してしまったら、もう知らなかった頃には戻れない、本能的にそう感じた。これが悪魔なのかと思った。
「セイル…!!セイル!!」
気付けば彼はセイルを抱きしめてその名を何度も叫んでいた。その日、ついに悪魔の手に落ちた田崎は禁断の扉を開けてしまった。一度開けたら最後、彼はすっかりセイルの虜になってしまい、昨日の夜までの痩せ我慢は何だったのかと思うほど狂ったようにお互いを求め合って魔力を上げ続けた。途中セイルは青年の姿にも変わったし美少女の姿にもなった。自由自在に姿の変わる相手が田崎の耳に代わる代わる睦言を囁き、彼を抱きしめて離さなかった。やがて、どのくらい時間が経ったのかも分からなくなる頃、病室のドアがノックされて、ドアの向こうでストラスの声が聞こえた。
「二人とも…ちょっと入っても大丈夫ですか?」
「うん…いいよ」
田崎はちっとも良くなかったが、セイルは気にする素振りもなく裸でベッドに横たわったまま返事をする。ドアを開けたストラスも、この状況に対して特に何も言わなかった。セイルは出会った頃の青年の姿に戻っていた。
「おはようございます。朝の回診です…と言いたいところですがもう昼です。武衛先生は問題なしと判断して、今はセラヴィの本社の方に行ってます。田崎さん、仮契約を済ませてみて、どうですか?夜も眠れたようですし、しばらくはセイルと過ごすといいですよ。仮契約は言わば本契約に向けての慣らしの期間ですから、こちらの常識から少し魔界の常識に考え方をシフトさせる期間と考えてもらってもいいでしょう」
「…あの…どうして…俺を…助けてくれたんですか?」
田崎が言うと彼は笑った。
「変なことを仰っしゃりますね。二階堂くんを助けてくれたのは田崎さんじゃありませんか。お互いさまですよ。セイルは魔力回復薬の必要はなさそうですね。でもこれは服用しておいて下さい。リモンとチセが驚いていて…あまりに強い悪魔の気配がダダ漏れですから」
ストラスはそう言うと錠剤の入った袋を二つ渡した。
「それと、魔力を上げるのに夢中なのはいいですが、飯はちゃんと食った方がいいですよ。田崎さんは仮契約したと言っても人間なんですから。食わずに抱き合ってたらそのうちぶっ倒れる…」
「あ…そうだった…ごめん…」
セイルは素直に謝罪したが、田崎はその言葉に思い切り動揺してしまった。それに朝だと思っていたら昼だった。信じられない。時間の感覚を失っていた。
「食事を持ってきてもらいますよ?これでもギリギリまで待ったんだ。さすがにこれ以上ぶっ続けられると…いくら少し身体を鍛えていたことのある人間でも仮契約では保たないですからね。少しは休ませてあげないと…」
彼はそう言うと白衣を翻して出てゆく。入れ違いにリモンが食事を持って入ってきた。リモンは、悪魔の気配を消す錠剤を飲むセイルを見てため息をついた。
「…私とチセの相性も最高って思ったけど…セイルには敵わなかったみたいね…もう!最初見たときは無精髭生えたしょぼくれた男のどこがいいのかしらって思ったけど…さっぱりさせたら、こんなに違うものなのね…それにこの魔力…詐欺だわ!」
並べられた料理を見て田崎は更に動揺する。ウナギにカキフライ、レバニラ炒めに山盛りの白米、スープにサラダ、と何やら見ただけで満腹になりそうな料理が並んでいた。
「なにこの組み合わせ…おかしくない?」
セイルがつぶやくとリモンは言った。
「知らないわよ。文句を言うなら陛下の筆頭使い魔に言いなさいよ。なんでも精のつく食べ物だって言ってたわよ。私とチセも鰻重を食べたけど、腹立たしいことにとっても美味しかったわよ。黒木って、何だか得体が知れなくて私ちょっと怖いんだけど、料理の腕前は確かなのよね!」
「あぁ…黒木は…悪魔の一部を喰って自分の使いたい魔力を取り込むんだよ。だから混ざってて得体が知れないんだ…元は人間だったらしいけど…今じゃ悪魔よりも悪魔らしい使い魔で有名だからね」
「怖っ!田崎さんも、精を吸い取られ過ぎないように気をつけた方がいいわよ?仮契約でも段階を踏まないと…」
リモンはそう言うと通りかかった別の同僚に呼ばれて慌ただしく病室から出てゆく。
「ちょっと!午後から新しい妊婦が来るみたいよ?聞いてる?」
「あぁ、知ってるわよ、どうして?」
「妊婦だと誘惑しにくいじゃない…ねぇ、セイルはどこで拾ってきたのよ、あの優良物件!」
「セイルじゃないわよ。マルバスが…」
話し声が遠ざかる。起き上がったセイルは脱ぎ捨ててあったティーシャツを着ると田崎の顔を見つめた。
「優良物件って言われたでしょ?」
「……」
田崎は喜んでいいのか分からずに、ベッドから起き上がると部屋のテーブルの方に移動しようとして、少しふらついた。
「おっと…!!気をつけて!」
セイルが支える。
「ごめん、ちょっと抑えが利かなくて…」
「それって男のセリフじゃないのか?」
「そうなの?悪魔はどっちも使うよ。魔力の強い方が…まぁ、リヒトも精のつくもの食べればまた元気になるよ!美味しそうだね!いただきます!」
田崎はカキフライはそれほど好きではなかったが、なんとなくそのときは美味しそうに見えて口に運んだ。途端にじゅわっと口の中に旨味が広がり、今まで好きではないと思っていた自分の認識は誤りだったと悟る。
「なんだこれ!旨いな!」
タルタルソースをたっぷりと乗せて二口目を食べた田崎はセイルが少量のおかずをゆっくりと食べているのに気付いた。
「あ、気にしないで。僕は食事からの栄養よりも、リヒトから魔力をもらう方が効率がいいんだ。だからリヒトがたくさん食べても食べ過ぎになって太る心配はないよ。僕が余分なエネルギーを魔力と一緒に吸い取るから。リヒトの魔力は美味しいし…」
「…魔力が美味しい?旨いとか不味いとかあるもんなのか?」
スープを飲んだ田崎が解せないという表情になる。
「そりゃ、あるよ。あぁ…リヒトにはまだこの感覚は分かんないのかな。相性の良い魔力は吸うと美味しいって感じるし…合わないのは…それこそ生臭いとかカビ臭いとか…そういう感じがするよ…だから吸いたくないんだ…」
「……」
セイルにとって自分の魔力はいったいどんな味がするのだろう、と田崎は思って何だか猛烈に照れくさくなる。田崎の心を知ってか知らずかセイルは微笑んだ。
「リヒトの魔力は…甘いけど、甘過ぎない爽やかな味がするんだ…ずっと飲んでいたくなる…相性がいいって、そういうことだよ。もちろん身体の方も…相性は良かったけどね。僕はとっても満足したけど、リヒトはどうだった?」
「そっ…それは…」
良かったに決まってる、と田崎はぼそぼそと恥ずかしそうにセイルに向かって白状した。今までこんなに相手に夢中になったことなどなかった。一度旨味を知ってしまうとまた食べたくなる食事のように、もうセイルの身体を知らなかった頃には戻れないと田崎は思った。




