マルバス&二階堂の場合 7
「お待たせ、アオくん…ごめんね。もっと中の気配を探ってから入るんだったよ…うっかりしてた」
マルバスが謝ると二階堂は首を横に振った。
「い、いいえ。僕も…まさか他の人がいるなんて思ってなかったから…」
マルバスは後ろから二階堂を抱きしめながらその輪郭をなぞると、片手でシャワーを出して泡を流し始めた。
「あの…」
二階堂が何か言いかけたのでマルバスはシャワーを止める。
「うん…?」
「あ…あの、仮契約したら…治験に影響しますか…?」
マルバスは微笑んで首を横に振った。
「…仮契約じゃ魔力には影響しないよ。影響を受けるとしたら魔力よりも精神面かな…どうして?」
「あの…僕も…マルバスさんと仮契約…できますか?」
「えっ?でも…少し血が必要だから…苦手でしょ?」
「…少しなら…目をつぶってるので…」
マルバスは田崎とセイルが仮契約をしたことを軽率だと言ったが、この瞬間に少し見解を改めた。二階堂に良い刺激を与えたと思ったからだった。
「…そう?なら…キスしながら…少しアオくんの血を貰うよ?そうすれば見えないから…血の味で気持ち悪くなったらごめんね。ほんの少し舐めたら、すぐにうがいしてもいいから」
「……?」
二階堂はよく理解できなかったが、マルバスの顔が近付いたので目を閉じた。唇が重なる。マルバスの舌を感じるのと同時に血の味がした。途中舌先に少し痺れる感覚がした。マルバスにその痺れる部分を強く吸われて、やがてゆっくりと唇が離れた。
「大丈夫?うがいする?」
「あ…」
二階堂は首を横に振った。思ったほど不快ではなく見えなければ本当に平気だった。マルバスの顔を見上げて二階堂は仮契約が完了したことを身体で理解した。なんとなくマルバスも喜んでいることに気付く。
「お互いの血を少し取り込んだから、これで僕はアオくんをもっと認識しやすくなったよ?離れていてもアオくんのことが分かるようになるんだ…でも、僕たちはあまり離れることはないけどね?」
マルバスが夜勤の日は魔力回復研究所の個室で二階堂も過ごし、休みの日は上の階の広い部屋で過ごすのがここ最近の過ごし方だった。リモンとチサも似たり寄ったりで、それは近くにいる方が相手が魔力切れになってもすぐに駆け付けられるからだった。
「困ったな…もっとアオくんを愛したくなっちゃったよ。アオくんに合わせるって言ったのに」
もう一度シャワーで洗い流しながらマルバスは言う。
「……マルバスさん…僕がもし悪魔になったら…男の子にもなれるんですよね?」
「うん。それは本格的にきちんとした儀式が必要だけどね。そのためには…アオくんを抱いて肉体と魂の両方と契約するんだけど…僕の魔力じゃ今の魔力量のアオくんの身体を男の子には変えられないから…一時的にもっと強い悪魔の使い魔に組み込んでもらうか…うーん…難しいね」
マルバスは自分の髪と身体を洗いながら考え込んでいた。
「…男の子になれるなら…今の姿の僕…女の子の僕を…マルバスさんに…抱いてもらいます…それでもいいんですよね?」
マルバスは思わず二階堂の顔を見る。少し困ったような、それでもなんとか現状に折り合いをつけようとしていることは伝わってきた。
「それはそうだけど…そうすると…辛くならない?」
「いいえ…僕は…あの人にされたことが…ずっと身体に残っているような気分になる方が…辛いんです。だから…マルバスさんに…消してほしい…それを…忘れてしまうくらいに…記憶に刻みたいんです…マルバスさんなら…きっと…大丈夫だって信じてるので…」
マルバスは凛として美しい二階堂の顔を見返して、そっと優しく抱きしめた。
「いいの?僕はその申し出がとても嬉しいけど…辛いと思ったらちゃんと言うんだよ?僕も…お互いの身体には慣れておいた方がいいとは思っていたんだ…儀式だともっとたくさん血を交わす必要があるし、両方を一度に経験するよりは…こうして触れ合うだけより…もっと先に進んでおいた方が…アオくんにも負担にはならないかなって…」
マルバスは二階堂の素肌に触れて引き寄せた。裸で密着することには前よりも抵抗がなくなったと思っていた。
「アオくん…じゃあ儀式に向けて…今日から少しずつ練習しようか」
「よろしく…お願いします」
マルバスは二階堂の顔を見下ろすと優しく微笑んだ。
「こちらこそ」
***
その頃、部屋に戻った賢木と田崎は髪を乾かして、夕飯を食べ終えたところだった。田崎は食後しばらくすると歯を磨き出した。
「早いね…」
言いながら賢木も隣で色違いの歯ブラシを出して磨き始めた。
「間食しない習慣にやってただけだよ…」
「ま、悪魔は歯磨きしなくても、魔力でどうにでもできるけど、陛下が人間らしく振る舞えと仰るので、こちらに来る悪魔は研修を受けて合格した者のみになってるんだよね」
「陛下…?」
「うん、分裂してこっちにもいるからそのうち会うこともある…ん?会ってるのかな?うん、もう会ってるね。挨拶ならしてると思う。カイ・フォスターの養父ってことになってるから」
「え…!?」
田崎は慌てて飲み込みそうになった歯磨き粉を吐き出して、うがいをした。
「あのものすごい若い妻と一緒に来たイケメンが!?」
「やっぱり覚えてたんだ。そうだよ。若いのは王妃だからね。リツさんも悪魔に変えてもらったし…」
「…リツ?さっきいた子?」
「あぁリツさんも分裂してるから。さっき会ったのは潜入捜査のアフターケアで清葉学園に通ってる方で…家には陛下の子をご懐妊中のリツさんが留守番してるんだよね…それを言うならルイくんもか」
「は??暮林くんが何だって!?」
田崎は耳を疑う。分裂?
「ん?だからルイくんも分裂して、ご懐妊中のルイくんは留守番してるんだよ…どうしたの?」
「暮林くんは男だろ?妊娠!?」
「あぁ、だってルイくんも悪魔になったから性別を変えて国王補佐官の…ほら、ストラス先生に会ったでしょ?ストラス先生も分裂中で、本業は国王補佐官だからね?医師免許もちゃんと持ってるけど、ルイくんは玉の輿って訳。国王補佐官の妻だもん、そりゃあそうだよね。で、女の子になった方のルイくんは妊娠してるよ?めでたいよね。だから魔界は今、影響された悪魔の妊婦が急増中なんだ」
田崎はめまいがしてきた。気を取り直すようにデンタルリンスでうがいをして田崎は深いため息をついた。
「どうしたの?」
「いや…賢木さんは…向こうで…何の仕事をしていたのかなと思っただけだ…」
田崎は本心とは違うことを思わず言ってしまった。
「あぁ、僕?僕はねぇ…物流を主に引き受けてるんだよ。魔界の商品の輸出もするし…よその世界と交易もするのに新たな交易ルートを開拓したりもする。その調査も兼ねて今回は来てるけど、一応こっちの世界の看護師の資格は取得してきたから安心して?適当にやってはいないよ。人体については一通り学んできたから」
想像したよりも突飛な仕事ではないことに田崎は少し安堵した。
「うーん、こっちの世界の仕事でいうと何が一番近いのかなぁ…経済産業大臣?うん、そんなとこだね。役職で言うと経済物流庁、長官だよ」
「ち、長官?」
突飛ではなかったが、田崎の想像よりも遥かに権力を持っていた。驚きのあまり田崎は自分よりも若く見える賢木の姿を見返してしまう。
「うん。あ、でも武衛先生は魔界でも腕利きのお医者さんだからさ、リヒトの診断結果はうそじゃないよ?武衛先生は本物の医者でこっちでも医者だからさ」
賢木も歯磨きを終えて微笑むと女性の姿になった。
「リヒトは、やっぱりこっちの姿の方が誘惑しやすいのかな?」
賢木は田崎の肩に両腕を絡めて腰の辺りを押し付けてきた。女性は懲り懲りだと思ったはずなのに、賢木にこうされると、次第に冷静ではいられなくなってしまう。
「好きにしていいよ?それとも僕の好きにしていいのかな?」
「……俺は…会ってすぐの相手と…こうなるのは…ちょっと…」
田崎は口ごもる。賢木は微笑んだ。
「そう?リヒトの身体の方は、まんざらでもなさそうだけど?」
「そ、それは…君が魅力的…だから…」
「君じゃなくてセイルでいいよ?悪魔の名前はそうだから。僕が魅力的って思うならもっと楽しいことしようよ。リヒトの悩み…忘れさせてあげるよ?」
田崎はセイルから目を逸らす。
「こっちを見て?僕は人じゃないよ?リヒトが怖いならちゃんと避妊するから安心して?失敗なんかしないよ?」
「そういうことじゃなくて…こんなの…どうかしてるだろ。悪魔はみんなそうなのか?」
田崎はセイルの顔をまともに見れなかった。見たら揺らいでしまう。
「みんなじゃないよ。マルバスはもっと慎重…でもそれは…あの子が女の子の身体だけど心は男の子だからかな。でもリヒトはそうじゃないし、僕はリヒトが不安なままだと落ち着かないから抱きしめたいだけだよ?」
抱きしめたいだけと言いながらもセイルは唇を重ねてきた。田崎の理性が崩壊しそうになる。田崎は積極的なセイルと共にベッドに倒れ込む。
「ちゃんと雄だね…」
田崎を見てセイルは美女の姿で微笑んだ。このままでは流されてしまう。田崎は顔を背けて目を閉じた。
「セイル…悪い…今日は本当に…」
「ダメなの?キスはいいでしょ?」
「……」
「ダメ?そっか…分かったよ…じゃあ…ちょっと…待ってて。魔力回復薬…打つから…」
目を開けると、セイルは少し残念そうな顔をしていた。セイルは注射器を取り出して自分の太腿に刺した。薬液がゆっくりと入る際に、セイルは少し眉をひそめた。反対の太腿にももう一本セイルは注射する。終わった注射器を片付けてセイルは少しの間無言になった。
「魔力回復薬…?」
「そうだよ。この世界の空気は汚染されてるから…魔界よりも息苦しいし…魔力が上がらないから…キスもできないなら、とりあえずこうしないと、僕も病人みたいになっちゃうからね。今日は仮契約もしたから…調子に乗って魔力を使いすぎたんだよ。陛下に笑われちゃうな。人間を助けて死にかけてどうするんだって」
「死…?そんなに?」
田崎はなぜか自分がまるで酷いことをしてしまったかのような気持ちになった。
「まぁ、魔力切れを起こしてもフロア全体に魔力を満たしてあるからすぐにどうにかなる訳じゃないけど…逆に言えばこのフロアから僕はしばらくの間は出られない。自由に出入りできるマルバスみたいになるには…誰かと心が通じ合って信頼できる関係にならないと…無理だと思う。僕より先に来ていた悪魔もいたけど…耐えられなくて魔界に戻してもらった悪魔もいるよ…今日はもう寝ようか。隣で寝てもいい?離れてると魔力が下がるから…何もしないからさ…お願い…」
「…別に隣で寝るくらいなら…うん…」
田崎はぼそぼそと言ってベッドの中に入る。セイルは枕元の間接照明をつけると部屋の明かりを消した。ベッドにそろりと入ったセイルは青年の姿に戻った。
「こっちの姿なら…そんなにドキドキしないでしょ?」
セイルはそう言うと横を向いて田崎の腕に額をくっつけた。田崎はかえって緊張してきた。男であろうが女であろうが仮契約を済ませた悪魔が隣にいるのだ。田崎は散々迷った挙句にそろそろと横を向いてセイルの肩に手を回した。
「セイル…」
「うん?」
「魔力が足りないなら…別に…キスくらいなら…してもいい…」
田崎の声にセイルは顔を上げた。田崎は先ほどよりもセイルの姿が縮んでいることに気付いた。まるで少年だ。
「ごめん…魔力の消費を下げるのに小さくなったから…この姿じゃ…」
「セイルが辛いなら、少しくらい気にしない…目をつぶる…」
田崎は言った。セイルはもそもそと動いて顔を上げると田崎とキスをした。田崎は目を閉じる。罪悪感と妙な緊張感と共に田崎はセイルとただ静かに唇を重ね合った。
「リヒト…僕のリヒト…お願い…他の悪魔を…好きにならないで…」
「え…?」
「悪魔は…仮契約中の相手でも…誘惑する…から…陛下は禁止してるけど…みんなが…ルールを守る訳じゃないからさ…」
「そう…なのか?こんなしょぼくれたおっさんを…誘惑するか?」
「…リヒトは…自分の魅力を…分かってないよ…」
セイルはそう言って再び唇を重ねる。
「リヒト…キス、上手いね…」
セイルは唇を重ねたまま田崎の身体に腕を回した。二人はやがてそのまま穏やかな眠りの中に引き込まれていった。




