田崎の場合
「えっ?契約パートナー…」
「うん、そうだよ。僕のセンセー」
ルイが医師のストラスの腕に両腕を絡める。ストラスは笑ってルイの頭を撫でた。田崎は同年代と言われて三十代の男性を想像していたが、自分よりも相手の方が若々しく見えた。
「田崎さん、こちらにどうぞ」
看護師に促されて田崎は診察室に呼ばれた。その後、医師の武衛に診察を受けた田崎は、自分でも薄々と気付いてはいたので驚きもしなかったが、うつ病と診断された。
「田崎さん、何日か入院した方がいい。今の精神状態のあなたを一人で置いておくのはちょっと危ないからね…」
医師の武衛に言われた言葉を田崎は思い返していた。
「はぁ…そうですか…」
田崎は線の細い看護師に病室に案内され、そこでパジャマに着替えさせられた。下着など必要そうなものを看護師が一式運んできて収納に入れる。ベッドに田崎俐人と書かれたプレートが設置されると、一気に病人感が増した。
「担当の賢木星流です。星が流れると書きます。こちらの病院は少し他とは異なるところがありまして、一人の患者につき一人の看護師が必ず付き添うことになっています。特に…田崎さんは武衛先生がそう判断しましたので…」
田崎は思わず短く笑ってしまった。
「俺が…自殺しそうに…見えるからか?安心しろ…今はそんな…気力もない…」
「そうでしょうか?」
「聞いてたから分かるだろ?俺がどれだけ惨めで…人生に何の希望も持っちゃいないってことは…」
武衛の前で田崎は胸の内を吐露してしまった。話すつもりではなかったことまで、どういう訳か気付けば話してしまっていた。
「そうですね…今はそうかもしれませんが…ここで終わりにするのはもったいないと思いますよ。女性にうんざりしたなら、いっとき男性に切り替えるという方法もありますから。そうすれば子どももできませんし、ややこしい問題も起こりません…」
てきぱきと田崎の腕に針を刺す準備をしながら賢木は簡単なことのようにそう言った。
「アルコールのアレルギーはありませんか?少しチクッとしますよ。田崎さんは注射が苦手なんですね。大丈夫ですよ。はい、栄養剤を点滴しますからね」
田崎の腕にチューブをテープで留めながら賢木は言って眉をひそめる田崎に向かって微笑んだ。
「そんなに変なこと言いましたか?同性の契約パートナーも増えてきましたし、別にそこまで性別にこだわる必要はないと思いますけど。こう見えて僕は成人してますし、別に契約しなくてもお試しで利用してもいいんですよ?今はフリーですし。田崎さんは真面目に全てを一人で抱え込んで受け止めようとするから、心がすり減ってしまったんですよ。時には気晴らしも必要です…」
賢木はまるで教師が生徒にギリギリの許す限りの気遣いを伝えるかのように、ぽんぽんと肩を軽く叩いた。歳下の看護師にそんなことをされたのに田崎は弱っているのか、胸のどこかがキュッとなった。
「ワイルドなままでもいいですけど、後でヒゲを剃ってもいいですか?チクチクするのは触れ合うときには、やっぱり違和感があるので」
屈託なく笑った相手は田崎をギョッとさせるセリフを残して病室を出てゆく。田崎が呆気に取られて見送ったところで、ルイが顔を覗かせた。
「先生…やっぱり入院になっちゃいましたね。ちょっと変な病院だと思うかもしれないけど、ここではこれが通常運転だから、流れに逆らわない方が楽になれますよ?でも先生は真面目だからなぁ…僕は契約パートナーが彼になってから、やっと生きてるって意味が分かりました。それで、まっとうな学生生活が送れるようになったから…」
「そ、そうなのか…」
ルイはそこで首を傾げて田崎の方を見た。
「先生、同性と付き合ったことないんですか?」
「あ、ある訳がないよ!!」
ムキになって反論しながら、彼の契約パートナーは同性なのだと思って田崎は気まずくなる。
「そっかぁ。別にそんなに違いはありませんよ?僕を飼ってた大人たちはみんな僕を女の子扱いしたし…男の子としての僕もちゃんときちんと見てくれたのは今の契約パートナーとリツだったから…先生も一度世間の常識って思ってるしがらみを捨てちゃえばいいんですよ。一度捨てて…そして生まれ変わる…」
そのとき病室の前を二人の青年が通り過ぎようとして戻ってきた。少し髪の長い方の青年が口を開く。
「あールイ!マルバスさん見なかった?俺ら遅刻しちゃって…」
「あー先輩方、どうしたの?」
「前に計測した数値で新しい魔力回復薬が出来たから、それを取りに来たんだけどね、イツキがちょっと担任から呼び出し食らってさ…二階堂さんにも会いたかったし」
それは眼鏡をかけた賢そうな顔の青年と、どこかだらしなさそうに制服を着崩した青年のコンビだった。伊集院家の事件でこの学校の制服を見たから田崎は知っていた。彼らは学費の高額な清葉学園の生徒だ。
「そのおっサン知り合い?」
「コラっ、イツキ!すみません、うるさくて」
眼鏡の青年が頭を下げて隣の青年の頭に手をやって、むりやり礼をさせた。
「あのね、僕の学校の先生。いろいろあって疲れちゃったんだよ…」
「あーなる…俺はまたルイが巻き込まれるんじゃないかって、心配になったけど、ルイじゃなくて、そっちのセンセーなの?巻き込まれたのって。大変でしたね。気にするなとは言いませんけど…自分が悪い訳でもないのに壊れるのは損ですよ?って、俺に言われたくないよなーつい最近までぶっ壊れてたから」
自分の頭を指差してハハッと青年は笑った。
「イツキはまだ正常じゃないんだから、偉そうなこと言うんじゃないよ、あ!マルバスさん!すみません!遅刻しちゃいました!」
振り返った眼鏡の青年が言って、二人は去ってゆく。ルイは肩をすくめた。
「すみません、先輩方うるさくて…」
「いや…前の学校の子と…交流あるんだね」
「そうですね。なんだかんだで、セラヴィの社宅ってことで同じ家に住んでる子もいるし…あ、契約パートナーがセラヴィ勤務で住んでるからそこに一緒に住んでるんですよ。その辺は大目に見てもらってるというか。先輩方も今は同じ家の部屋を使って治験に協力しながら学校に通ってるんです。同性で契約パートナーになって親に勘当されちゃったから…って、学校の先生に話すとマズい話なのかなこれ…?」
ルイは途端に自信をなくした表情になる。
「色々みんな訳ありなんです。社宅に住めないと施設に戻されちゃう子もいるから…僕も施設を逃げ出して人生一回転落したけど…施設は…絶対に戻りたくないって気持ちは分かるから…全部が全部悪い施設じゃなくても僕は外れを引いて逃げなきゃ無理だったから、そういう子の気持ちは分かるし…中には一次避難シェルターを利用してる子もいます…」
ルイはそう言って田崎の顔を見た。田崎は異世界からの転生者ではないから、転生者施設の悲惨さを知らない。テレビで聞きかじる程度だった。現にルイが通う学校の転生者の数は全体の約四分の一だ。高級住宅街が近いとあって、裕福な家庭で何の苦労も知らずに育った子が多い印象だったし、転生者でも養子になって何不自由なく暮らしている子がほとんどだった。だから最初はルイもそう見えた。ルイが何者なのかの見当がついたのは家庭調査票を見たからだった。彼が養子縁組をし直して転校してきたことと清葉学園出身だと知ってピンときた。
「ルイ、おしゃべりは終わったか?田崎さん、今日は賢木が残りますけど、まぁ、鬱陶しかったら適当にあしらっといて大丈夫ですよ。ルイ、帰るぞ」
「うん!」
ストラスはリツの手を引いていた。反対の手をルイが握って田崎に向かって手を振った。
「じゃ田崎さん、また明日!必要なものがあったら賢木に買ってきてもらうといいですよ。そういう雑用もオッケーなんで」
ストラスはそう言うと、屈んでルイのおでこに軽くキスをした。
「えー口が良かったのに!」
「帰るまでに魔力切れにはならないだろ。これで十分だ」
「ちえっ!」
三人は仲良く帰ってゆく。家族でもないのにお互いを信頼し合っている空気を感じて、田崎はそれが羨ましいと感じている自分に気付いて驚いた。一度は家族を持つ覚悟を決めたのになぜこんなことになったのだろうと田崎は思った。気付くといつの間にか賢木が戻ってきてシェービングクリームを塗られてヒゲを剃られていた。目を閉じてされるがままになっていると、顔を拭かれて柔らかな感触を唇に感じた。
「……!!」
目を開けた田崎はすっと離れた美しい顔に気付いて柄にもなく慌てた。
「目を閉じたままなので、こうしてもいいのかと。ダメでしたか?すみません」
大して悪いとも思っていない口振りで言われて田崎はどんな顔をしていいのか分からず困り顔のまま相手を見上げた。
「このままダメになりそうな人を見ていると…どうにかして、自分の方を向かせてがむしゃらに生きてるって実感させたいって思ってしまうんですよね…ルイくんって美しいですよね。僕は…田崎さんに興味がありますけど…そんなにその命要らないなら僕に下さいよ。もったいないです」
「俺の命…?そんなもんが欲しいのか…?」
「欲しいですよ?僕はまだその体験をしたことがないから…命…その魂が欲しい…」
目の前の賢木の瞳を見つめているうちに田崎は自分が今なぜここにいて、儚げな見た目のわりに過激な言葉で自分を刺激してくる相手を目の前に戸惑っているのかもよく分からなくなっていた。
「やるよ…お前に…こんなんでいいなら…」
全てがどうでも良くなっていた田崎はこの美しい相手になら殺されるのもいいかもしれないと、不意にそんなことを考えた。
「その言葉、後悔しないで下さいね?」
再び美しい顔が近付いて唇が重なる。田崎の首に両手が絡まり力が込められた。田崎は黙ってその時を待った。だが次第に苦しさに我慢ができなくなる。ドクドクと心臓の音がやけに大きく聞こえた。反射的に相手の手を振り解こうと手を掴んでいた。じっと静かな瞳がもがき苦しむ田崎を見下ろす。死ぬと思ったギリギリのところで手は離れて田崎はクラクラする視界と共に大きく息を吸ってベッドに倒れ込んでいた。
「やっぱり…生きようとするじゃないですか…」
賢木は振りほどこうとした田崎の爪に傷付けられた手の甲から滲む血に気付いた。思いのほか深い。
「…舐めて下さい」
賢木は目を細めると手の甲を差し出した。田崎はゼエゼエと荒い呼吸を繰り返したまま目の前に突き付けられた手の甲から滲む血を見ていた。
「舐めて」
どういう趣味なのだろうと思った。守る物も尊厳も全てを失ったに等しい彼にとってはベッドに這いつくばって青年の手の甲を舐めるのもありだとその時は思ってしまった。正常な判断が出来なかった。賢木の望むままに言われた通りにする。彼はこれで良かったのかと確認するかのように賢木の顔を見上げた。賢木は乱暴に彼の腕から点滴の針を引き抜くと、腕に飛び散った血をゆっくりと見せつけるかのように舐め取った。やけに長い舌のように見えたのは気のせいだろうか。
「仮契約が完了したよ。田崎俐人さん」
「え…?」
「僕の下の名前を呼んで。呼び捨てでセイルって」
「…セイル…」
名前を呼んだ瞬間に田崎の心臓がドクッと跳ね上がった。何が起こったのか理解できなかった。田崎は少し落ち着きかけた鼓動が再び激しく動き出すのを感じて焦った。
「な…っ…!」
「落ち着いて。仮契約をしただけだから」
「仮契約…?」
「うん、魂をもらう契約だよ」
「は?」
「こんなに簡単に手に入るとは思わなかったからびっくりしたよ」
いつの間にか相手はタメ口になっている。
「魂…?」
「だって、僕は悪魔だからね。今はリヒトの魂を仮契約で縛ったから…死にたい気持ちは減ったと思うけど、どう?」
言われてみればあれほど絶望していたのに、そんなことも忘れていた。それよりも今は目の前にいる相手のことが気になって仕方なかった。悪魔と言ったのが聞こえた。
「心と肉体の方はこれからゆっくりと手に入れるよ…手に入れる前に死なれると困るから仮契約をしたんだ」
賢木はベッドに座って田崎の頭を撫でた。田崎は無様にベッドに転がったまま賢木が自分の上に覆い被さってくるのを感じた。不思議と不快ではなかった。
「リヒト…僕のものになって一緒に生きようよ。悪魔になったら楽しいよ?ルイくんだって…楽しそうでしょ?」
「えっ?暮林くん…?」
「僕らは揺らぐ魂の輝きに惹かれるんだ。苦しくて消えてしまいそうで、それでも本当は生きたいと願う魂…」
「ちょっと待て!暮林は…悪魔…なのか?」
「今頃気付いたの?そうだよ?契約パートナーがルイくんの魂を所有している…悪魔は図太く生きる生き物だからね…リヒトも僕の影響を受けるんだ…今日は一緒に寝ようか。その前にお風呂に入る?気持ちいいことたくさんしようよ、ね?」
とんでもない相手と仮契約だかを結んでしまったと田崎は思ったが、すでに遅かった。耳に囁かれる言葉に勝手に身体が反応して期待する。鼓動が跳ね上がる。
「風呂…入りたい…」
田崎がつぶやくと、賢木は嬉しそうに笑った。
「いいね、やりたいことが一つ見つかった。じゃ、これから一緒に入ろうか」




