フィランジェル&ルイの場合
「ただいま!ストラス!」
いつものように学校から帰宅したルイがストラスの部屋に入ると、ストラスの手を握ってうたた寝をする少女姿のルイと、その隣にフィランジェルがいた。見ればフィランジェルも少女のルイと片手を繋いで目を閉じている。薄く開いた形の良い唇にルイが思わず口付けをすると、閉じていたまぶたが動いて美しい青い瞳が現れた。
「あぁ…おかえり、ルイ…」
フィランジェルは自然ともう一度ルイと唇を重ねて柔らかな感覚を堪能する。ルイもほんの少しの間流されて心地良さを共有した。ルイは不足していた魔力が補われるのを感じた。好意のある相手の魔力の方が受け取りやすいとルイは思った。使い魔としてルイはそのことに純粋な喜びを感じた。
「ストラスは今、夢の領域に行ってるんだ。こっちのルイも。ルシフェルに会いに。でも、なかなか出てこない…」
「そっか…あーじゃあ、聞いてもらってもいい?例の西山先生のその後の話…」
ルイは椅子を引き寄せて座った。
「西山先生って…あのルシフェルが刺されたとき現場にいた?」
「うん。そう。気になったからこっそり記憶を読んじゃったんだけどねーそうしたら、なんと!お腹の赤ちゃんは田崎先生の子どもじゃなかったの!DNA鑑定の結果を見たときの記憶だから、ほぼ合ってると思うんだけどさ」
「田崎先生って、ルイの学年主任の先生だよね?ふーん、ってことはお腹の子の父親は…生徒の誰か?最低だな」
「うん、そうなんだけど…田崎先生には田崎先生の子だって言って結婚しちゃうつもりみたい。西山先生ってさ、A型の子にばっかり声かけてたんだよねー田崎先生もA型なんだって。血液型同じならバレないって思ってるのかな?でもさすがに僕だとさ、顔立ち違い過ぎてバレるよね。あれ?でも誘ってきたときってもう妊娠が発覚してたってことは…本当に遊びのつもりだったんだろうなぁ…怖っ!」
ルイは両腕をさする。
「ストラスが腹を刺されてまで、守った相手がそれ?」
「うん…しかも…厄介なことに…西山先生、ワイルドなイケメンが出てきて押し倒される夢を見るらしくてさ…ときめいちゃってんの!それって絶対あのときのストラスじゃん、もう、なんか最悪だよ!分かる?このモヤモヤ…授業中も時々ぼーっとしてるみたい…」
「それでも命の重さは等しいんだよ…結局、その西山という女は経済力の方を選んだ。学生に手を出して妊娠したとなると教員人生がそもそも終わるから…楽で確実な方を選ぶ…果たしてそれが吉と出るのか凶と出るのか…」
「…怖いなぁ。フィランジェルがそういうことを言うと」
「魔界の王宮だって大差ないだろう。これと良く似たことは頻繁に起こっていたみたいだし、本当の父親が名乗り出てきて、もっと厄介なことにならないといいけどね」
フィランジェルがそう言ったその翌日に事件は起こってしまった。西山が田崎と結婚すると知った男子学生の一人が、放課後に西山を呼び出し包丁で滅多刺しにした。事件現場が家庭科室だったために、翌日から突然休校となり、学校前にも警察車両や多くの報道陣が押し寄せることになって、近隣住民からは苦情の電話が学校に殺到した。学校の隣の単身者向けのアパートを借りていた水谷までが勤務が終わって帰宅するところを取材されそうになり、彼はミカエルに助けを求めた。肩掛けのトートバッグに必要最低限の物を買って押し込んだ水谷がやってくる。彼はてっきり設楽深愛の件で騒ぎになっているものと思い込んで、危うく余計なことを話すところだった。ミカエルが慌てて、その件じゃないと石板に書き込んで、ラマシュトゥのその後の説明をするのを一切忘れていたことが発覚し、ミカエルはアルシエルにねちねちと嫌味を言われていた。
「危うく、水谷先生は自身の記憶と周囲の記憶との不一致に戸惑ってパラレルワールドにでも来てしまったかと疑うところだっただろう…」
避難してきた水谷は確かに自分の記憶だけがおかしいことに一人で不安になっていた。今、水谷はストラスの部屋にいた。アルシエルがライラの姿をしているので、水谷はかなり驚いていたが、そのことを指摘する勇気はなかった。
「いいえ…ですが、設楽さんは…私には人のようにしか見えていなかったのに…人ならざる者だった…そういうことですよね?それにストラスさん、その節は本当にありがとうございました…」
「あーでも、結局事件ごと記憶は消えちゃった訳だからさ、今後もボイスレコーダーは必ず切ったフリしてもう一つ動かしておくのがいいんじゃないかな?」
ストラスは振動したスマホに手を伸ばそうとして少し顔をしかめた。まだ少し痛むらしい。
「あー緊急保護者説明会だって。そりゃそうなるよなぁ。そういえば俺、暮林ルイの父親って設定だったんだわ。もうほぼ塞がったけど腹に穴空いたんだよねーすごい爪だったんだよ。咄嗟に後ろに下がらなかったら貫通してたな…ま、歩けないこともないから行くかなぁ…」
ストラスの言葉に水谷はギョッとした顔をした。
「私はこの姿だから行かないよ」
ライラ姿のアルシエルが平然と言う。
「リツ、ちょっと濃い目の化粧で出かけないか?カイ・フォスターの母親だろ、名義上は!」
ストラスが言うとフィランジェルはやや困惑した表情で告げた。
「リツが濃い化粧をしたって、年齢的に場違い感半端ないことになるから、あんまり行かせたくないかな…」
「まぁね。学校側も説明会を開いたって履歴を残して不信感を鎮めたいだけでしょ?ストラスだけでも問題ないと思うよ?」
ルイは大して気にもしていない素振りで言う。
「…逮捕された小宮山くん…暮林くんのクラスメイトだよね?」
水谷が小声で言った。逮捕された少年は物静かで大人しい、あまり目立たない少年だった。
「そうなんだよね。僕もびっくりしちゃった。あの子、学年でも上から数えた方が早いくらい頭がいいんだよね。いかにも真面目なタイプ。ちょっとアサヒっぽい感じだから、魔性の女に引っかかったのかもしれないけどね…」
「それを言うなら暮林くんだっていつも上位に入ってるじゃない」
水谷が思わず苦笑する。逮捕された少年よりもルイの方が成績は上だ。
「誰が魔性の女に引っかかるって?大変なことになったよねールイの通う学校って、どうしてこう毎回マスコミが押し寄せるようになっちゃうの?道を迂回してきたよ」
帰宅してきたアサヒはストラスの見舞いにと洋菓子店のプリンを片手に部屋に入ってきたところだった。後ろに長身の少年が立っている。
「あれ?コーキも来たの?」
後ろから現れたその姿を見てルイが笑った。
「あ、水谷先生、この二人は元は同じ学校だったんですよ。僕はマスコミに注目されちゃって転校したんです。元の苗字は伊集院なんです。あ、弟は付属小の方にそのまま通ってますけど、今は色々複雑な心境でこっちに帰ってきてます…」
「えっ?じゃあ…君が…あの?」
一時期世間を騒がせた事件の被害者である噂の美少年がここにいるルイだと聞いて、水谷は大いに納得してしまった。あの事件によって家庭で虐待を受ける生徒をカウンセリングで見つけられるか、見つけた場合の適切かつ迅速な対処方法など、水谷は教師としてどこまで踏み込めるかに関して難しい課題を目の前に突き付けられた気がしていた。最終的に彼が頼ったのは教師ではなく民間企業のセラヴィだった。
「暮林くんは…どうやって…いや、踏み込み過ぎた質問だね。忘れて」
「別にいいですよ。僕は悪魔のいるセラヴィに助けてって言ったんだ。人間のままの僕は生きるのがつらくて…毎週毎週促される反省も…何の意味があるのか分からなかったし。今は救われたから辛いことも何もないよ。生きてて楽しいって思えるし、悪魔になったから好きな人の子どもも産める身体にしてもらえたし…」
「えっ?」
「今は男の子と女の子に分裂していて半分が登校してるんだ。女の子になってる方はお腹が大きいから家で留守番してる。ルイ!出てきても大丈夫だよ?」
ルイは別の部屋の方に向かって声をかけた。
「おいおい、言っちゃったよ…」
ストラスが困ったように額を押さえる。
「だって、僕は魔界でストラスと結婚したんだから、別にいいじゃない。魔界では十三歳から結婚できるんだし、ストラスは別に犯罪者じゃないよ?」
「ルイ、おかえり!」
美少女のルイがそう言いながら部屋に入ってきた。まるで双子の妹のようだと水谷は思った。彼女の丸く膨らんだお腹を見て水谷はレリエルとしての使命を急に思い出した。
「あぁ…お腹の子に祝福を授けてもいいかな?」
美少女のルイはニコリと笑う。
「ありがとう。天使に祝福される悪魔の子って、なんかいいね…」
水谷はひざまずいてルイのお腹におでこを当てた。美少女のルイはそこに暖かい優しい何かが流れ込むのを感じた。
「私は…この世界の新たな命を守るためにここにいるのに…また…すぐ近くで奪われてしまいました…何も出来なかった…」
「…レリエルさんのせいじゃないですよ。今は半分なんだから、僕たち悪魔みたいなことはできないだろうし。でもこの家に来てたら魔力…じゃなかった神聖力が上がるから、もっと記憶も蘇るし出来ることも増えると思いますよ?」
「そう…なのかな?」
水谷は自信なさげに微笑む。
「もうじき、もう半分の宮本さんも帰ってくるよ」
ストラスが窓の外に目をやって言った。やがて本当に複数人の声と共に、宮本のただいまという声が聞こえた。




