ストラス&ミカエルの場合
ストラスは嫌な予感に襲われて、反射的に保健室に滑り込んでいた。もちろん姿は消したままだ。最初に腹の辺りに痛みと共に衝撃を感じてストラスは後ろに倒れ込む。慌てて女性の教師を庇った瞬間、彼女が妊婦であることに気付いて、ストラスは悪寒が走るのを感じた。
(深い愛と書いてミア…苗字は設楽。設楽深愛…したらみあ…らみあ…!クソっ!姓名じゃないのかよ!ラミアじゃねーか!!)
ストラスは西山を守りながらミカエルとルシフェルに通知を送る。ついでにガブリエルも呼び出した。どう足掻いても記憶の操作が必要だと感じたからだった。
「なっ、なに?設楽さん…!?」
ベッドの上に立ち上がったラミアは妖艶な笑みを浮かべて、西山を見下ろしていた。ペロリと舌なめずりをする。西山は妊婦の本能なのかお腹に手を当てて守るような体勢になった。
「先生…そのお腹の赤ちゃんをちょうだい。まだ少し小さいけど…私もう…お腹が減ったのよ…我慢できない」
校長の方は尻もちをついて呆然とした様子でラミアを見上げていた。ラミアは校長を一瞥する。
「男に用はないのよ。食べても美味しくないんだもの…あれと一緒になってから…すごくお腹が減るのよね…やっぱり胎児が柔らかくて一番美味しいわ。そこにいるの…誰?その女の腹を狙ったはずなのに…邪魔したでしょ?」
ラミアは右手の鋭い爪をカチカチと威嚇するかのように鳴らしてストラスのいる場所をじっと見つめた。ストラスは観念して姿を現した。腹が痛いが気にしていられない。
「そこの女性は無関係だろ。襲うな。そんなことをしたら、ルシフェルが悲しむ…」
「…あなた…誰?見ない顔ね…でも…何だか魔力の気配は知ってる感じがするわ…」
「別に誰でもいいだろ。ルシフェルの知り合いだ。もうすぐルシフェルも到着する…」
「ルシフェル…?あぁ…あの子…可愛らしくて憎らしい…私のただ一人の息子…」
ラミアは微笑む。ストラスは魔力を使って西山と校長を気絶させた。養護教諭はすでに逃げ出したらしく保健室にはいなかった。ストラスはラミアから目を離さずに到着を待つ。すぐにルシフェルはやってきた。
「お母さま…!?」
ルシフェルは警戒しながらも小声でそう呼んだ。姿形は似ても似つかない。本当に母なのだろうかとルシフェルは疑っていた。ルシフェルは以前の姿になって静かにラミアの前に立った。
「ルシフェル…大きくなったのね…」
「ラミア…お母さま…?本当に?」
「えぇ…あれと一つになって…私は生きる道を選んだの…小さなあなたを守りたかった…でも…あなたは…もう…こんなに大きくなっていたのね…あなたは私が用意した玉座を受け取ってくれたの?何だかそんな風には見えないのだけど…」
「…一度は受け取りました。でも…私には…少々荷が重すぎた…魔王の子として…魔界を統治するのは…私には難しかった。だから、私は玉座を捨てて…逃げてしまいました…」
「そう…なの?じゃあ…今、玉座は…?」
「アルシエルに魔界を統治してもらっています。私はこの世界でもう少しやりたいことがあるのです…転生者の救済です…ですから、魔界のことは彼に任せようと思うんです」
ルシフェルは本心を語った。
「あぁ…ルシフェル…」
ラミアは両手を広げる。ルシフェルは一歩前に出る。
「ルシフェル…!!」
ストラスは警戒する声を上げたが、ルシフェルは首を横に振った。両手を広げてルシフェルはラミアを抱きしめた。
「あぁ…ルシフェル…私はあなたのことを理解できていなかったわ…昔も…そして…今も…!」
ラミアの手が素早く変形しルシフェルの腹に突き刺さるのは一瞬だった。ルシフェルの背中からラミアの手が突き抜けて血が飛び散る。ルシフェルはそれでもラミアを抱きしめて動かなかった。
「玉座に座らぬ息子など要らぬわ!!この腑抜けが!!」
「ごめんなさい…お母さま…私は弱い…のです」
そのとき天井からミカエルが現れた。
「私ごと切れ!!ラミアは空間を切り裂ける!逃げる前に斬れ!」
「止めろ!ミカエル!!ルシフェルを斬るな!」
ストラスは叫んだ。だがミカエルの剣はラミアを抱きしめたままのルシフェルを無情にも切り裂く。あまりにも速くてストラスの目は閃光が走るのを辛うじて捉えただけだった。急にルシフェルの姿が小さくなって幼い五歳児程度の子どもがそこに姿を現した。
「お母さま…言うこと…聞かなくて…ごめんなさい…」
ルシフェルの姿は次第に薄くなる。ラミアは信じられないという顔をしたまま口から血を流して、自分を抱きしめるルシフェルの姿を見た。それが最期だった。二人の姿は砂のように脆く崩れ去る。そしてそこに残されたのはかつての魔王が握っていた一振りの剣だった。
***
やがてガブリエルが到着し、校長と西山の記憶を改ざんする。来るのが遅いと思ったら養護教諭が警察に連絡しようとしていたので、それを止めて記憶を消していたら不審者だと騒がれて更に記憶をいじる羽目になったと言って苦笑しながら現れた。
「なぜ、ルシフェルを斬った!!ミカエル!!」
ストラスはミカエルに食ってかかる。一番最初に思ったのはイチカに何と言えばいいのかという、そのことのみだった。ミカエルはストラスを抱きしめて動きを封じる。
「暴れるなよ。君だって怪我してるだろう…」
ストラス本人はそんなことも忘れていたが、西山とラミアの間に割って入ったときにストラスも負傷していたのだった。ラミアの右手が刺さった場所から血が溢れていた。けれどもそれは次第に緩やかになり大きく空いた穴から蔦が生えてきてその穴を塞いだ。
「…ストラス…変わったものを持ってるんだね」
ガブリエルはチョンと指先で魔王の剣に触れる。大丈夫だと分かるとそれを手に持って眺めた。ブンと振ってみて顔をしかめる。
「うっ…これ重いなぁ…なに?結局…なんだったの?」
「私に聞くな。とりあえずさっさと残りの仕事を進めるんだ。設楽深愛という転校生はいなかった…記憶の改ざんだ」
「うわぁ、結局全校生徒じゃないの。もう、放送室借りるからね。ちまちまなんかやってられないよ!」
「さ、事後処理はガブリエルに任せて帰るよ」
ストラスを抱えたミカエルは上空へと飛び立つ。
「イチカになんて言えばいいんだ…!!」
ストラスは片手で顔を押さえて嗚咽を漏らした。
「君、案外涙脆いんだね…知らなかったよ」
「ミカエルが…冷たいだけだろ!!」
ストラスは声を荒げる。
「そうかもね。でも私はきっと君が死んだら悲しいと思うよ。君のお父さんが死んだと知ったときも…心に穴が空いたみたいになったからね…ルシフェルのことは…正直なところ私はよく知らないから…」
ストラスは鼻をすすった。家がもう見えているせいだった。少女のルイが待っている。あまり格好悪い姿は見せられないと思った。
「泣いたこと…ルイに言わないでほしい…」
「分かってるよ。なんだかんだで悪魔は格好つけたがるもんね」
「うるさいなぁ…」
「あ…ガブリエルが何か言ってるよ」
ミカエルはスマホを取り出す。いつの間に連絡先を交換していたのかと思ったら、スマホに大きさは似ているが石板なのだった。ストラスは目を剥く。そこに文字が浮かび上がったが、天界の文字でストラスは理解するのに時間がかかった。
「天界の通信システムもどきだよ。古めかしくて嫌になるよね。早くデジタルにしてもらわないとさ。ん?レリエルの記憶はいじると危ないから止めておく、だってさ。レリエルの記憶なんか消さなくていいよ。後で説明すればいいんだからさ」
ミカエルはそう言うと屋上の手入れされた庭園にふわりと降り立った。




