フィランジェル&ライラの場合 2
「……私の母上は…もう…とっくに…亡くなっている人…なんだよ…少女の姿のまま…私の記憶の母上は…」
しばらくするとルシフェルは小声でつぶやいた。イチカは思わずルシフェルを抱きしめた。魔力が揺れてグラグラする。イチカまで酔いそうになった。
「ソーシ…」
「分かったよ…皆の意見に…従う…ただ…対話が可能なら…話してみたい。無理なら諦めてミカエルに…任せるよ」
ルシフェルはうなだれる。さすがにショックが大きかったようだった。
「ルシフェル、昔を引きずっているのは今はもうラマシュトゥだけで、私たちは皆それぞれ前に進もうとしているんだよ…だから…ルシフェルは必要以上にその責任を感じることはない。君はむしろ玉座など要らなかったのかもしれない…だが玉座に座らない君を守る手立てが他になかったから、私が無理矢理座らせたんだ…その点については申し訳なく思っているよ」
アルシエルが言った。ルシフェルは頷いた。
「それは…薄々…分かってたよ…リリスが…姿を消す前に私の命乞いをしたっていうのも…何か変な気はしていたんだ…」
ルシフェルはちらりとベルフェゴール大佐とイチカの顔を見た。大佐は大きなため息をついて、イチカの顔を見る。イチカは気まずそうに頷いた。
「言っていい…」
大佐は頷くと口を開く。
「…それは、本当だよ…魔王派としてリリスを一度表面上は捕らえる必要があったから…真っ先に俺が踏み込んだら…リリスは泣きながら魔王に組み敷かれていた…魔王は逃げて…リリスはルシフェルには絶対に言うな、ルシフェルだけは殺さないでくれと言って…突然裂けた空間に飲み込まれたんだよ…陛下…すみません。俺は見たことを…正確には伝えられませんでした…リリス、あの時…俺だったから…余計に…辛い思いをさせたか?俺は助けようとしたんだよ…」
イチカは困ったような顔でベルフェゴール大佐の顔を見上げた。
「もう…時効にしていいよ。あのときは…俺も混乱してて…魔王は自分の軍勢が…負けることを予感して…俺を道連れにしようと思ったのか…それとも…ラマシュトゥに子孫を奪われた腹いせに自分の子をまだ残そうと思ったのか…よく分からないけど…とにかく襲われて…うん…それなのによりによってベルフェゴールが来たからもっと絶望的な気分になったんだよ。なんでお前が来るんだよって!元カレに見られるなんてタイミング最悪だろ!」
イチカは大佐を睨む。大佐は情けない顔をした。
「だよなぁ…本当に悪かったよ…リリスもルシフェルにも…だから…俺はお前に嘘は言ってないよ。その状況とタイミングを…正確には伝えなかっただけで…」
「なるほど。確かにもう時効にしても良い話だな。少なくとも大佐は嘘はついていない。ただその場に魔王がいてリリスが逃亡したことを言わなかっただけだ。言えばリリスが魔王と共謀しているなどという噂が立ちかねない。大佐はリリスの立場を守ったんだよ」
「でも私はお陰でそれから妻に捨てられた魔王っていう屈辱的なあだ名で囁かれることになったんだよね…議会に出ている君たちはそんなこと言わなかったけど、元中立派だった連中の方が厄介だったよ…」
ルシフェルは頬を膨らませた。
「でも…リリスの立場を守ってくれてありがとう、ベルフェゴール大佐。元カレの愛を感じちゃってちょっと複雑だけど…でもイチカは今度こそ私の子を産んでくれるから、もうそれだけで今は満足なんだよね…」
ルシフェルはイチカを抱きしめ返すとイチカの目を見つめた。
「私はずっと…リリスに愛されているのか不安だったんだよ。子どもだったから。でも一度転生して…こうしてイチカになったリリスにまた会えて…今があるから、この今を大切にしたいって気持ちが一番強いんだ。それだけは覚えていて」
「うん…分かったよ…分かったから…もう離してくんないかな?みんな見てるのに恥ずいよ…」
イチカは赤い顔をしていつもよりも、ぶっきらぼうな口調でルシフェルにそう告げた。
***
朝食が終わり、皆はそれぞれ自室に戻る。だがライラはそのままリビングに残り、今後の戦略を立て始めた。
「今日の午後から私の魔力を徐々に戻す。明日までには遅くともここに私がいると気付くはずだ。セラヴィへの悪魔の出社は極力控えてもらった方がいいだろうな」
「分かったよ。明日は私もリモートにしよう」
残ったルシフェルも頷いた。
「でも…他にも悪魔がたくさんいると分かっている場所に簡単に来ますかねぇ。むしろここから単独で出るタイミングを狙うんじゃないかと思いますが…」
ストラスが腕組みをする。
「だろうな。私だってそう思う。だから、この姿で出る…私と…ベルフェゴール大佐が」
「えぇ!?」
ストラスは素っ頓狂な声を上げた。
「妊婦ではないが…尖塔内で魔王と深い関わりのあった者として動けるのは私かベルフェゴール大佐か…ベルゼブブ大佐に詳細は確認してはいないが…恐らくベルゼブブ大佐もだろうな…少女姿の壊れ具合から察するに」
アルシエルの言葉にフィランジェルは眉を寄せた。
「大丈夫なのか?アルシエル…少女姿になると魔力も小さくなるだろう…?そこをもし攻撃されたら…」
「ある程度の犠牲は払わないと得られないものもあるだろう…それにブエルがいるから問題ない。こちらに待機させる」
フィランジェルはライラ姿のアルシエルを抱きしめる。
「そうだけど…分かりやすい姿で攻撃してくる訳じゃないかもしれないし…不安だな」
「殺気を読めばなんとかなる…あとはミカエルに任せるしかないな」
「私はいつでも戦闘態勢に移れるからね」
「私もあえて家から出て目につくようにするよ。ラマシュトゥの中に…母の意思があるなら…私には気付くはずだし…」
ルシフェルが言った。
「とりあえず、周辺に幾つか避難拠点を設けておこうと思う。そうだな…例えば街路樹の中…この蔦は植物とも意思疎通が出来るのではないかと踏んでいる…少しストラスの蔦で試してみてくれないか?今の私の姿では蔦を無理に使わない方が良さそうだからな。それにルイを捜索したときに操っているから、ストラスの方が慣れているだろう」
「植物と意思疎通…だったら…周辺の木々にコンタクトを取ってみますかね。ちょっと行ってきます」
ストラスはふらりと外に出てゆく。
「大丈夫?一人で行かせて」
フィランジェルが言うとライラは頷いた。
「ストラスも剣豪の父の息子でその名まで継いだんだ。戦う必要があまりなかったから戦わないだけで、攻撃されたら反撃に出るよ」
ライラの言葉にミカエルは笑った。
「ストラスが剣を振るうところも見てみたいなぁ。一度手合わせしてみたいよ」
「夢の領域なら可能なんじゃないか?それなりに鍛錬は怠らないようにしているが…戦争をしていた頃のように皆が皆鍛えているかと言ったら…そうではないからな。たまに天使と手合わせした方が気が引き締まるかもしれない。この姿の治癒が終わったら、私が手合わせしようか?ミカエルとは戦ったことがないからね」
ライラは可愛らしい顔で微笑むとそう言った。
***
ライラの身体をフィランジェルは癒していた。癒せるところギリギリまでフィランジェルは癒す予定だった。少しでも懸念材料を減らしておきたかった。
「フィランジェル…」
「なに?」
「いや…なんでも…ない…」
フィランジェルはライラの首筋に口付けをして悪魔の力を流す。先ほどストラスは少し疲れた様子で帰宅したところだった。今はルイが寄り添っている。避難拠点を設けるのには成功したようだったが、想像以上に消耗していた。
「今は…少しでも…私の魔力を受け取って…。アルシエルは…治せるから…大丈夫だって言うけど…私は…出来ることならアルシエルには傷付いて欲しくないと…思うから…だって、痛いのは変わらないでしょ…」
「……そんな風に…言われたことはなかったよ…」
「だったら…私が何度でも言う。痛いのは変わらない。だから私はアルシエルにはもう傷付いて欲しくない…」
フィランジェルは見上げるライラを抱きしめて伝えた。
「…ありがとう」
フィランジェルの腕の中で少女は小声でつぶやくと、目をそっと閉じた。




