ベルゼブブ&エイシェトの場合 2
「なんだか…本当に別人ですね…でも、親父を知る悪魔の話の中に出てくる親父は…高潔な剣豪で…王宮の役人に頭を下げて下手に出ていた惨めな…子どもの頃の俺が見ていた悪魔とは全然違ったのも本当なので…認めざるを得ないなぁという感じですね…芸達者にも程がある…」
「私にとっては医者に転向した後の彼の方がまるで知らない悪魔みたいだけれどね…そうせざるを得ない理由があったんじゃないのかな?」
ミカエルは語りながらストラスの顔を見て微笑んだ。
「当時アルシエル率いる軍は…ほぼフィランジェルが担当してたからさ。いつだったか私が出陣しようとしたら、フィランジェルに嫌な顔をされてしまって…ミカエル上官はストラス軍担当ですよね?私は行きませんよと念を押されてしまったよ。それから少し経って…彼が引退したと知って…私は無性に腹が立った…それで、私は向かってくる悪魔を片っ端から怒りに任せて斬り捨てた…完全な八つ当たりだよ。彼らにも大切な家族があるのにね。繁殖に関して知識のない私には、当時はそんなことも分かってはいなかったんだよ」
「今は…少しは分かりますか?」
「あぁ…そうだね。イオフィエルとそうなってみて…私は少しだけ自分に欠けていた部分が埋まった気がしたんだよ。私は誰かの感情にそこまで敏感でもないし、今も時々的外れなことを言うこともあるだろうけど…今はイオフィエルには傷付いてほしくないと、そう思う自分がいて…これが相手を大切に思う気持ちなんだとようやく気が付いたんだよ。アルシエルにね、可哀想だと言われてね…ムッとするどころか…納得してしまったんだ。育て方を間違えられた子どものように不憫で…可哀想だって言われてね。神は私に並外れた戦闘力と、どうすれば的確に悪魔の息の根を止められるかの知識を与えてはくれたが、その相手にも私以上に豊かな感情があることを教えてはくれなかったんだよ。私は愛を知らない殺戮マシンのような血も涙もない天使として、君たちの間では有名だっただろう?」
ストラスは女悪魔の言った言葉を不意に思い出す。ミカエルが降臨したらこの地は血で染まり死体の山が積み重なると。冷酷非道な天使ミカエル。
「…俺は子どもだったので…詳しい話は教えてはもらえませんでしたが…悪魔たちがあなたの名を出して怯えていたのは記憶にありますよ。だから実際にこうして会ってみると…怖いってよりも一風変わった天使だなと…あ、すみません、そう思ってしまったというか…俺はガブリエルの方が何を考えているのかよく分からなくて怖いときがありますよ…」
ストラスは肩をすくめて言った。ミカエルはコンビニで買ったらしいタブレットを口に入れて笑った。ストラスにも差し出したので、手を出してもらう。ミントかと思ったらイチゴの味がした。彼がこの見た目でイチゴ味のタブレットを買うところを想像してストラスは妙な気分になった。イケメンの彫像のような外国人に店員はどんな反応をしたのだろうかと思う。
「ガブリエルは…この地上で長いこと暮らしている間に…何だか私にも理解し難い天使になってしまったというか…気安いようでいて絶対に本心は見えない所に隠している…そんな気がするから、ストラスの怖いっていう気持ちは合ってるんだと思うよ。まぁ、それはさておき、私は君の父親とはかつて剣を交えた間柄で、なんだか君に対してとても親近感を持っていることに今更ながら気付いたんだよ。君にとっての私は風変わりな天使かもしれないが、私はもっと君と親しくなりたいと思っている。だから、君の心を悩ませるラマシュトゥに関しては大いに頼ってくれていい。アルシエルも今は小さくなっているんだろう?タダ飯を食ってばかりで、のらりくらりしていると思われるのもね。だから、こんなときくらいは役に立たないと」
「……ミカエルさまが、ストラス補佐官と浮気してる…」
背後から小さなけれども恨みがましい声が聞こえて、慌てて振り返るとイオフィエルとなぜかエイシェトが立っていた。エイシェトの髪がかなり長いので、日本のホラー映画に出てくる怨霊のように見えてストラスは内心ではギョッとした。
「悪魔は簡単に性別をコロコロ変えるから、油断しちゃダメよ?ストラス補佐官だって女になれば、簡単に天使を誘惑できてしまうんだから、相手が男だからって二人きりにするのは危険なのよ」
エイシェトがどっちの味方なのか分からないことをイオフィエルの耳に囁く。イオフィエルは神妙な顔付きで頷いた。エイシェトはストラスの顔を見るとフッと笑う。馬鹿にされたような気がしてストラスはムッとしたが、微笑みを絶やさないだけの分別はあった。
「なんてね、私が言うとまるで本当みたいでしょ?あなたはエストリエが怖くてそんなことは無理よね?聞きたいことがあるなら遠慮しないで聞いてくれていいのよ?ベルゼブブから何を言われたのかは知らないけれど…私、そこまでもう大昔のことを引きずっている訳でもないから…その…ストラスのタブレットに入っている名簿にどうせ私の名も載っていたんでしょ?みんな、変に気を利かせて私には何も聞いて来ないから伝えに来たのよ。それに、その当時私はベルゼブブとは何の関係もなかったし…中立派の悪魔と結婚していたから…でも魔王はね、狡猾で本当に酷い王様だったのよ。力の弱い夫は、妻を差し出せば昇進させると言った魔王の言葉に従って簡単に私を差し出してしまったの。それで、私は魔王の子を身籠った…それをラマシュトゥに喰われたわ。へその緒のついた我が子が腹の中から掻き出されて…引きちぎられるのを私はただ見ていることしか出来なかった。最悪な気分だったけど、せめてこれを脳裏に焼き付けて…一生忘れられないほどに夫にも悪夢として共有してやろうって恨んだのよ。なのにその夫は途中からクーデターに加わって、アッサリ戦死しちゃったけれどね。弱いくせに変に格好をつけるからそうなるのよ」
「……」
ストラスは今度こそ驚いてタブレットをもう一度開いた。そして、とても言いにくそうに口を開いた。
「あの…エイシェト…その…俺の見たこの名簿には…君の名前は…なかったんだよ…」
「ウソでしょ!?」
エイシェトは鬼の形相でタブレットをストラスの手から奪い取る。だが何度目を皿のようにして見返しても本当にエイシェトの名前はなかった。エイシェトはギリギリと歯を鳴らした。
「あ…あいつ……私が被害に遭ったことを隠蔽した?」
エイシェトは更に恐ろしい顔付きになる。ストラスはゾッとした。隣のイオフィエルもビクッとしてその顔を見る。エイシェトは慌てて表情を和らげると微笑んだが、それはそれで逆に怖かった。
「…なるほどね。私、ストラス先生の治療は受けてないのよ。夫がどこからか呼んできた見ず知らずの悪魔に治癒されて…ほんと下手くそだったわ。死ぬかと思ったもの。そうか、少し分かったわ。その頃、狙われた悪魔の中に魔王の子を身籠った人妻が何人かいるみたいだって噂が女悪魔の中では広まっていて…夫は…すでに私の腹の子が魔王の子だと知っていたから…発覚するのを恐れて隠蔽したんだわ。じゃないと被害者の中に私の名前がないのはおかしいじゃない!あいつ!!弱いくせに卑怯にも程があるわよ!魔王に見ていろと命じられて…私が蹂躙されるのを、本当に馬鹿みたいに震えながら見ていたのよ!!あのクソ野郎!!どんなに屈辱だったか!」
エイシェトは叫び声を上げる。ベルゼブブが慌ててやってきて、エイシェトを抱きしめた。エイシェトは途端に弱々しい笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。あなたのことじゃないのよ…死んだ元夫がゴミカスだったって今更になって再認識しただけだから…私は大丈夫…これからミカエルに私が見たラマシュトゥを共有するわ。何百年も後生大事に取っておいて自分でもバカみたいだと思ったけど…やっと…使えるのよ。この記憶が…役立てて…私の無念を…」
エイシェトはミカエルの目をじっと見つめた。ミカエルはエイシェトの凄まじい痛みと恐怖、それに憎しみと共に深い悲しみを感じた。その入り混じった感情と共に、ライオンに女のような長い髪の生えた鋭い牙のある生き物が見えた。口の周りを血塗れにして、それは胎児を貪り喰っていた。
「…分かったよ。エイシェト。姿が見えた。こいつは私が必ず斬る。約束するよ」
「悪魔に天使が約束だなんて…変な時代になったものね。あの頃の私はあなたの名にも怯えていたのに…でも…ありがとう…これで少しはあの頃の私も…報われるわ」
エイシェトは微笑む。そして後ろのベルゼブブの顔を見た。
「あなた…ごめんなさい。私…あなたに話せてなかったことが…あるのよ。聞いてくれるかしら?」
「あぁ…聞くよ。君が…時折苦しそうな顔を見せるのにはきっと理由があると…思っていたから。いつか君が話したくなったら言ってくれると思っていた…」
「ここに来てラマシュトゥにまた遭遇するかもしれないなんて、考えたくはないけれど…でも、きっと私があなたと前に進むには、この過去を克服しないと進めないんだって…そう思ったの。だから…私、言うわね。あのね、私…本当はあなたに私の子を産んで欲しいのよ。もう妊娠するなんて懲り懲り。ねぇ、ベルゼブブ、それじゃダメ?」
ベルゼブブは穴の空くほどエイシェトの顔を見つめた。エイシェトは本気だった。
「えっ!?ええっ!?そういうこと??ちょっと待って…君の子どもを産みたくない訳じゃないけど…出産可能な年齢の女性の私は…けっこう姿が壊れていて…今すぐに妊娠可能な健康な姿はちょっと…出せないんだよ?それでも良ければ…君が気長に治してくれるなら…そうするよ?」
ベルゼブブは困ったように言った。エイシェトは頷いた。
「あなたの長年の隠し事は…それだったのね?私が男になっても全然女になってくれないから、変だなとは思ってたのよ…陛下もベルフェゴール大佐も治し始めたんでしょ?だったら、私も同じことをするわ。あなたの姿を治して…そして今度こそ元気な私の子どもを産んでちょうだい。あぁ、やっと言えたわ!!」
エイシェトは晴れ晴れとした顔で笑うとベルゼブブを抱きしめる。天使の二人は呆気に取られていたが、エイシェトは何かが吹っ切れたような表情をしていた。




