ストラス&カメラの場合 2
ベルフェゴール大佐は惰眠を貪りながらベッドの中にいた。自分では惰眠と思ったものの回復には必要な眠りでもある。ベッド横に設置したサイドテーブルの上には孵卵器が乗っていた。卵はすやすやと眠っている。
「大佐、目が覚めましたか?」
背後から自分を抱きしめる大人の悪魔サイズのカイムの腕を感じながら、大佐は少女姿ではこんな風にゆっくり眠ったことなどなかったことを思い出した。拷問官に責め苛まれて気絶しては水をかけられ自分の身体が壊れていくのを、激痛と共に刻みつけられ無力さを自覚するだけだった。壊れて死にかけて少し回復させられる間にアルシエルが魔王に壊されてゆく様を嫌と言うほど見せられる。顔を背けると余計に相手が苦痛を受ける。お互いの命を繋ぐ束の間の回復時間が相手には苦しみでしかないという皮肉な現実。延々とその繰り返し。時間の感覚は麻痺し昼夜も分からなくなる。
「あー眠った眠った…カイムがいると思ったら…よく眠れたよ…」
カイムはあざの薄くなった大佐の身体を見て少しだけホッとする。着実に消してゆく。皮膚の裂けた部分は一番最初にふさいだが、時折思い出したように開くのが厄介だった。カイムは少女の細い首筋に口付けをする。少女姿の大佐にカイムはゆっくりと慎重に魔力を注いだ。
「あぁ…カイム…」
か細い少女の声と呼吸が少し乱れる。心地良いのだろう。自分は大佐に癒やされたやり方を身体で記憶していると、カイムは思った。だから自分も同じやり方で大佐を癒せるはずなのだと。大佐の身体の隅々にまで魔力を行き渡らせてカイムは背後から少女の身体を抱きしめた。
「大佐…大丈夫ですか?」
「あぁ…うん…キス…したい…」
大佐はゆっくりと身体の向きを変える。足を動かすのはまだぎこちない。大佐はカイムの方を向いた。少女になってもやはり大佐は大佐だと思った。カイムを刺激する色気とどこか退廃的な瞳。カイムはそっと唇を重ねる。自分の欲望をこの少女に向けてはならないと思っていたのに、唇を重ねると更に刺激される自分を意識しない訳にはいかなくなった。まだ癒しの途中だ、とカイムは慌てて唇を離す。大佐が小さな笑い声を上げた。
「魅力的に見えるくらいには…治ってきたってこと…なのかな?」
カイムは不本意ながら頷いた。
「大佐は…どんな姿かたちをしていても大佐には変わりませんよ…ですが…そんな目で見られると…少し困ります…私には…少女を無理矢理抱くような趣味はありませんから…」
「本当に?」
「えぇ…本当です。本当ですが…そんな目で見つめないで下さい…魔力を流すのに…集中出来ません…」
カイムは大佐の瞳を手で覆ってしまう。覆ったままで唇を重ねて再び魔力を全身に流し込む。大佐はカイムの首に細い腕を絡めてその髪に指を這わせた。触り方が意味深だとカイムは思った。
「カイム…治ったら…この先のこともしたい…」
「えっ?」
慌てた弾みにカイムは手を離してしまう。大佐の瞳がカイムを捕らえて微笑む。
「上書きして欲しいんだ…どの年代のカイムでも構わないよ…俺と同じ十三がいいなら…十三でも…治ったら…カイムと愛し合いたい…ダメか?」
カイムは迷った末に結局頷いてしまった。
「…分かりました…でも…当分はお預けですからね?内臓も…きちんと治さないといけないんですから…」
「あー分かってるよ。分かってるけど…ご褒美があった方が頑張れるんだよ、俺は」
「…仕方のない悪魔ですね…」
カイムは小声でつぶやくと、大佐の髪を撫でながらもう片方の手でそっと抱きしめた。大切なものを壊さないように、そっと。
***
その後、ストラスは再びベランダに出て魔界の煙草を吸っていた。カメラを起こすためだ。わざと煙を吹きかけると、カメラは嫌そうな声を出した。
「…ナンダヨ、また起こして」
「だから、話が途中だっただろうが。さっさとラマシュトゥの情報が知りたいんだよ」
「せっかちダナ…知って…意味アルか?俺が知ってるノハ…獅子の爪ト鋭い牙ヲ持つ…女ダ…。お前の親父と一緒二…妊婦を診テ回ったカラ…覚えテル…妊婦ノ記憶ヲ…お前の親父ガ読んだ…」
「妊婦を診て回った…?」
そこでカメラは失言したとばかりに口を閉じたが、ストラスはある種の予感と共にカメラを見下ろしてその名を口にした。
「あんた…まさか…助手のマルバス…?」
それは今魔力回復研究所にいるマルバスの父親である。亡くなった後に彼も名前を継いだ。お互いなんとも言えない気分になったので名を継ぐと余計なしがらみまで背負い込む良くない例だとひっそりと語った記憶が蘇る。名前を継げば父親の魔力の一部も継承できるメリットもあるが、父親と比べられるというデメリットもあった。むしろデメリットの方が大きいとも言える。
「倅ニハ絶対に言うな!!俺が第二夫人に手ヲ出したと知られるノハまずい…!!」
「ふーん、いやはや…真面目で実直なマルバス助手が…まさかそんな色仕掛けに出るとは…俺でも予測できませんでしたからねぇ…」
急に丁寧な口調になったストラスに、カメラであるマルバスは嫌な予感がした。
「ちっ…違うんだ!第二夫人は…少女にされて魔王と共に過ごすことが苦痛で…今の姿の自分を愛して貰えないと…絶望していたんだ…それで命を絶とうとしていたところを止めたら…そういうことに…なってしまって…」
「へぇ…息子さんにはバラしませんよ。その代わりちゃんと協力して下さいね?」
「俺を脅スつもりカ!?」
「嫌だなぁ、人聞きの悪い。お願いしてるじゃないですか。だって息子さんも、こっちに来ていて…今一人の転生者といい感じになってるんですから…お付き合いしてる方に何かあっても困りますからねぇ。ちゃんと洗いざらい喋ってもらわないと…」
「…分かったヨ!分かったって!!ラマシュトゥを魔界に呼び寄せたノハ…魔王二凌辱サレタ…女悪魔ノ絶望ト怨み…そのモノだ…」
「どういうことだよ?誰の怨み?」
「…腹を喰わレタ…妊婦…その腹の中にイタのは…皆…魔王の子…ダッタんだよ…」
「は?そんな馬鹿な!被害者は何人いると思ってるんです!?それに襲われたのは、ほぼアルシエル軍の…」
「だから…魔王ハ…アルシエル軍の悪魔ノ妻ヲ手に入れて…ハーレムを作ることで…アルシエル軍の士気そのモノを砕こうとしたんダ…アルシエル軍には強い悪魔ガ集結してイタから…魔王は…これ以上の戦力二なられると危険だと危ぶんダ…女悪魔の弱みを握って…自分の子を…夫の子と偽って育テロ…と言われたト…」
「はぁ?何を考えているんだ?そんなに玉座の継承者を作ったら後々に血を見る混乱しか起きないだろう…!!」
「だから、最初は自分ダケが特別…と、どの女悪魔も…思ってイタんだろう…けれども…ある日第一夫人を回診したトキに…誰かがそのコトを第一夫人の耳に入れてしまっタと知った…魔王の子が複数人の他所の妻の腹にいる…ト。私と…お前の親父は…知っていて黙っていたのかト…元々狂気の淵にイタ…第一夫人に罵られた…暴れて…手がつけられなかっタ…狂気デ我を失った第一夫人に…ラマシュトゥが…入り込んだ…」
「なんだって?じゃあラマシュトゥは…第一夫人なのか?病死じゃなくて…!!」
「…そうだ。ラマシュトゥに成り代わってしまった第一夫人は…片っ端カラ…魔王の血を引く子ヲ…喰い殺シ始めタ…それを止めようとシタ…第二夫人も襲われた…第一夫人は…ルシフェルに玉座を…継がせたかったのダロウ…狂っても…ソレダケは忘れていなかッタ…」
「……」
「ちょっと待て。ってことは…その狂ったラマシュトゥが今、追っているのは…?」
ストラスは嫌な汗が滴り落ちるのを感じた。
「玉座を簒奪シタ者の子…要するにアルシエルの関係者…そして下手をすれば…ルシフェルの子…第一夫人ハ…ルシフェルこそが玉座に相応しいと…恐らく今モそう…思っている…ルシフェルが子など…儲ける訳がない…ト…自分を一番理解してくれるノハ…我が子ダケだと…そう言ってたカラ…」
「ヤバい思考じゃねーかよ!!孫も殺すのか?簒奪って…それはルシフェルがいきなり消え失せたからじゃねーか!…ルシフェルにお前の母ちゃんがラマシュトゥだって言えってか、んなの無理に決まってるだろーが!!」
「俺に怒るナ!!仕方ないダロ。女ノ恨みは恐ろしいんダ」
カメラを掴んで揺さぶりそうになったストラスの手を止めたのはなんとミカエルだった。
「止めなよ、ストラス…だいたい分かったよ。要するに今ここにいる妊婦は皆危険だということで、間違いはないね。そんな因果に塗れた相手は、やっぱり私が退治するに越したことはないよ。君たちには複雑な感情が絡んでいて身動きしにくい。こういうときは、斬っても別にわだかまりのない私みたいなのがサクッとやる方がいいんだ。むしろ少し警備を緩めてこちらにおびき寄せたらどう?」
「それは…そうですが…あ……!!」
ストラスは思わずタブレットを取り出すと襲われた妊婦の一覧を呼び出した。
「おいおい…アグラット…」
(カメラの言うことが正しいなら…アグラットの腹の中にいた子も…魔王の子…ってことだよな…あれは…大佐を傷付けないための嘘だったのか?勘弁してくれよ…)
ストラスは憂鬱そうに頭を抱えた。ミカエルがその肩にポンと手を置く。
「天使は繁殖絡みの悩みとは長い間無縁だったからさ…君たちの感情を正しく理解できている自信はあまりないけれど…一夫多妻制でも、過度にあちこちに手を出すと災いの元になる…って考え方で合ってる?」
「えっ…あ…はぁ…ま、そうですね。しかも魔王の場合は他人の妻で…正式に婚姻関係を結んだ訳じゃないでしょうから…あ…でも当時の法律だと、婚姻関係は二の次だったのかな?ちょっと…俺が生まれる前から…幼児の頃にかけての出来事なんで…正直なところ手に余りますね」
「事実婚優先だったヨ。その頃ハ。女悪魔は早く産んだモノ勝ちで第一夫人を名乗ってイタ…幼いルシフェルは虚弱体質だったカラ…自分の子が玉座に座れる可能性がアルかもしれないと…考えた者もイタだろうな…」
カメラが不機嫌そうに口を開く。
「マジかよ…法改正をした陛下に感謝しないとな…」
ストラスは煙草を吸うと、深いため息と共に煙を吐き出した。
「それ…美味しいの?」
ミカエルに聞かれてストラスは答えに詰まる。
「…最初は不味いと思いましたよ。吸ってみますか?神聖力には…あんまり効果はないと思いますが…軽く吸ってみて下さいよ?」
新しい煙草を出そうとすると、ミカエルはストラスの手からそれを奪い取った。
「これでいいよ…」
ミカエルはゆっくりと吸って、涙目になりむせ返る。
「うわっ!!クラクラ…するっ…!!苦いなぁ…」
ストラスは慌ててミカエルの背中をさすって、煙草を取り返した。
「あぁぁ…もう、深く吸い込むからですよ」
「…だって、格好良く吸ってみたかったんだよ、君みたいにさ。私にはまだまだ無理そうだなぁ…知らないことばかりだよ…でも、剣に関してならちょっとは自信あるからね」
ミカエルはニコリと笑う。ストラスは最後に一口吸うと煙草をもみ消した。
「軍部の古参からの噂は聞いてますよ?俺もあなたと本気で戦いたいとは思わない…」
ストラスの言葉にミカエルは心外そうな顔をした。
「君の父親は剣豪だったんだから…そこまで君の腕も悪くはないと思うんだけどなぁ?」
「えっ…親父を知ってるんですか…??」
ミカエルはフフッと笑う。
「何しろ私が倒し損ねた悪魔だからね。なのに魔王と刺し違えるなんて…私はその話を聞いたとき密かに彼の死を悼んだよ。もう一度戦いたかったからね。でも息子である君とこうして今、剣を交えずに会話をしている…それはそれで悪くないと…思うよ」
ミカエルはストラスの頭をくしゃっと撫でた。彼がそんなことをしたのは初めてだったので、ストラスは動揺する。
「私は剣以外には何の取り柄もない天使だけど…多分君の父親のことは…敵ながら…好ましく思っていたんだろうな。弱い者をいたぶるようなことはしなかったから。特に若い天使は…見逃されたことで死ななかった者も大勢いたんだよ。こんなところで無駄死にするなって言われた子もいたみたいだからさ」
「そう…なんですね…俺…親父のこと…よく知らなくて…退役してから…医者に転向した姿しか見ていなかったから…クーデターを指揮した親父は…なんだか別人みたいで、しっくりこないんですよ…」
「そっか。じゃあ私は君の知らない方の顔を知ってるってことなんだね…教えてあげるよ。剣を握っていた頃の話を…」
ミカエルはそう言うと、ストラスの全く知らない父親の話を語り出した。




