ストラス&カメラの場合 1
ストラスはその日ベランダに出て滅多に吸わない煙草を吸っていた。細い煙が暗くなり始めた夕空にたなびくのを見ながら、彼は独り言ちた。
「いや…だからって魔王と刺し違えるか?似合わないだろうよ…親父には…」
後に長じてから聞いた話だから、人々の語るストラスの父親像と彼の記憶する父親像には随分と隔たりがある。アルシエルと彼を慕う悪魔の解放を願う軍を指揮したのはストラスの父親だった。
「剣を手に持った途端に人が変わるとか…ほんと…呆れるよな。剣豪?誰よりも俺が一番驚いてるよ。いつもヘコヘコ頭を下げて…王宮の兵に連れられて行ったくせに…」
「ウルサイナ。スッカリ偉そうな口を利くようにナッタものだよ…天使を殺すのに辟易して…彼は医者に転身シタんだ…それまでは向かうところ敵無しの悪魔ダッタ…」
突然ストラスのカメラがポケットの中で喋る。ストラスはカメラを慌てて取り出した。彼は元々は父親の使い魔だった。彼が亡くなった後にストラスが譲り受けた。というか正確には父の遺品のガラクタの山の中から出てきたのだった。最初は何かと思った。何しろ機械なのに生きているのだ。だからなのか使い魔のくせにたまに口を開くとやけに辛辣だ。しかも未だにストラスのことを小童扱いしてくる。彼はどうやら魔界の煙草の匂いで覚醒したようだった。
「知らないことがまだまだあるなぁ…カメラ、他に何を知ってるんだ?だいたい、カメラはどこの世界から親父が連れてきたんだ?こっちの世界の監視カメラとほぼ同じじゃないか…」
「余計なことは喋らない。口は災いの門ダ」
「どこから来たんだ?って聞いてるんだけど…」
「シラナイ…魔界に落ちてイタのを彼が拾った…そのトキに目が覚メタ…」
「ふーん、ま、いっか。陛下…アルシエルは…出産のとき…苦しんでいたか?そのこと…知っているか?」
「……トテモ苦しんでイタよ。小さなカラダで…大きな子を産むから難産ダッタ…医者が腹を切ると提案シタのに…魔王は却下シタ…冷笑しながら…見ていて…やっとのコトで産んだ子を笑顔で受け取って…床に叩きつけ…踏み付けて…また床に叩き付ケタ…私は…慌てて…お前の父親を呼ンダ…お産を介助した医者は…その場でスデに殺されていたカラ…彼が駆けつけたトキ…アルシエルは…腹カラ子宮を取り出し握り潰して…気絶してた…」
「もういい…分かった…」
ストラスが想像したよりもだいぶ酷い。そのとき背後でカタリと音がして、ストラスは険しい顔のまま振り返る。
「あ…」
怯えた顔でストラスを見上げたのはイチカだった。ストラスは急いで煙草をもみ消すと煙を遠くへ払う。
「どこまで聞きました?」
「あ…ごめん、そんなつもりじゃ…」
イチカは首を横に振った。ストラスは表情を和らげてイチカを手招いた。イチカは一瞬迷いながらもそろそろとベランダに出てくる。イチカは頭を下げた。
「誰かいるなって思って近付いたら…出産の話だったから…気になって聞いちゃって…盗み聞きなんてサイテーだな。でも魔王って聞こえて一瞬ルシフェルの話かと思ったんだよ。でも…違うなって途中から…ストラス、ルシフェルの父は…アルシエルにそんな酷いことをしたのか?」
「あ…あぁ…俺も知ったばかりなんですよ。ルシフェルには言わないで下さいよ?」
「えぇ?秘密にしろって言うの?もうヤダよ…」
「でも死んだ父親の印象がどんどん最低になると、自分自身のことが嫌になりますよ?今回の話で俺は…飲んだくれて気弱だった親父がどうしていきなりあんな風になったのかを、知るきっかけにはなりましたけどね。ストラスジュニアと呼ばれなくなって…親父の名を継いだことを後悔していた時期もあったんですよ。俺も酒好きだし…ろくでもない大人になりそうだなって…」
夜風が少し冷たい。ストラスは上着を脱いでイチカの肩にかける。妊婦の身体を冷やしてはいけないと思った。
「元々俺の中では最低な人だったから、変わりようもないけど…アルシエルにまで手を出してたのかあのクソ親父は…」
「えっ?までって…イチカ…まさか…」
ストラスを見上げたイチカは一瞬荒んだ顔付きをした。銀の枝にいた頃のイチカだと彼は思った。
「あーリリスの頃の俺は…結婚前まで奔放な女だったからさ。でもルシフェルが嫌だろうなと思って、ちゃんとしようとしたんだよ。実際…男関係は全部清算して結婚したんだ。でも魔王はそうは思わなかった。まだお子さまのルシフェルじゃ満足出来ないだろうって…魔力で押さえ付けられて何度もされたよ。屈辱だったな。それを第二夫人に見られたんだ…あれ?ちょっと待った…なんか思い出しそうなんだよな…なんだこの違和感…」
イチカは夜空を見上げて首をひねる。イチカはハッとしたように目を見張った。
「…魔王は少し幼いくらいの少女が好きだったんだよ。だから…俺も何歳も若返った姿にされて…ルシフェルの母親だって…いつも少女みたいな格好をさせられてた…閉じ込められてたアルシエルもだろ?なのに、第二夫人は常に大人の姿だったんだよな…当時の王族には決まりがあって…妊婦になったら絶対に変身するなって言われてたから…三十代くらいの見た目で妊婦だった第二夫人は本当に魔王の妻なのか?って、会ったときなんか変な感じがしたんだよ」
「うーん?それでいくと、もしや第二夫人のお腹の子は魔王の子ではなかった可能性が浮上しますね…そして第二夫人はラマシュトゥに腹を喰われた…」
ストラスは手すりに肘をつく。
「本当に喰われたのかな?第二夫人は実は魔王を恨んでいたのかも…。魔王にヤられてる俺を見て、軽蔑の眼差しを向けたんだ。ゾッとしたから覚えてる」
ストラスは小声でそう言ったイチカの頭を撫でた。イチカは黙ってその手を受け入れる。
「魔力…乱れてるだろ。怖かったな…」
ストラスはイチカの後ろに回ると肩に手を回して軽くハグをして魔力を流した。イチカは少し震えていた。震えながらイチカは小さく頷いた。
「第二夫人ハ、魔王を裏切っていたヨ。腹の子は、別の悪魔の子だ。お前の親父が診察して…堕ろすのは無理だって…伝えてた…」
「ちょっ!マジかそれは!」
「まったく…この世界のオカシな話し方に悪影響を受けたナ…マジだよ、マジだ。第二夫人は、途中から、クーデターを企てる方に寝返った」
「えっ!?なんで…断言できる?」
「…それは…俺が誘惑した…カラ…」
「おい!お前、さっき落ちてたのを拾われて目覚めたって言っただろ!」
「それは本当だ!魔王に殺された後二…意識を失って…気付いたら…コノ姿だったんだ…第二夫人ノ腹の子の父親ハ…俺だ…」
ストラスはまじまじとカメラを見返す。正直なところ呆れてしまった。魔王の第二夫人に手を出す?まともじゃない。
「お前…悪魔だったのかよ…しかも第二夫人とって…おいおいそれこそマジかよ…頭のネジ飛んでるだろ…」
はぁぁとストラスは大きなため息をつく。悪魔の意識が監視カメラに宿るなどとても奇妙でおかしな話だ。しかもこの監視カメラはこの世界のものによく似ている。ストラスは中古品を扱う店で似たものを見たことがあった。
「じゃあお前、ラマシュトゥのことを知ってるってことなのか??」
「あ?一応知ってるよ…デモ…もう眠い…お前が…煙草を消したカラ…」
「おいっ!カメラ!?」
だが、カメラはそのまま話さなくなった。本当に眠ってしまったらしい。
「肝心なとこで役に立たないな」
ストラスは舌打ちしてカメラをポケットに戻すとイチカの額に片手を当てて魔力を流し始めた。
「あまり…貰いすぎると…ルシフェルが…」
「分かってる。整えるだけだから…少し流れに任せてろ…」
「うん…」
「魔王は…ルシフェルの親父はさ…めちゃくちゃ身体の大きな悪魔だったから…ライラみたいな姿の…アルシエルなんか…すぐに壊れるよ…魔力を封じられて…自分の意思じゃ姿を変えられなくて…いつも女の格好でいた俺でも悔しくて仕方なかったのにさ…そんなの屈辱以外の何物でもないだろ…リツに…申し訳ないよ…」
「イチカ…もしかして…イチカがリリスの姿にならないのは…そういう事情が…あるからなのか?」
「あーうん、ルシフェルも聞いてこないから言ってなかったけど。だって嫌だろ?親父のお下がりみたいでさ…それで…俺…耐えられなくて逃げたんだよ…なんでか…空間に亀裂が入って…そこに飛び込んだ…そう…そうだったんだよ。ルシフェルのことが好きだったから…耐えられなくて…それで俺…ここに逃げたんだ…」
「イチカ…」
ストラスはイチカのきつく閉じたまぶたからこぼれ落ちた涙を拭った。
「ストラスには申し訳ないけど…俺、ストラスのお父さんには感謝してるよ?あいつを殺してくれたって聞いたから…」
「あぁ…俺には酒に逃げてみっともない親父に見えてたけど…それは親父の一面でしかなかったってことなんでしょうね。弱くて優しい医者だったのに、魔王と差し違えるなんて、俺には未だに信じられない話なんですよ」
二人は気付いていなかったが、このときなかなか戻らないイチカの様子を見に社長がやってきていたのだった。だが、彼は隣からすっと出てきた手に拉致されてリビングから遠ざけられた。
「ルシフェル、盗み聞きしてもいいことないですよ?」
廊下にルシフェルを引っ張って行ったのはベルゼブブ大佐だった。
「もう途中まで聞いちゃったから…今更だよ…」
ルシフェルはずるずると廊下に座り込む。
「…ベルゼブブ…君も…その…クソ親父に酷いことをされたんだろ?」
「……そうですねぇ。陛下や大佐ほどではありませんよ。ですが、陛下のように後遺症が残る程度には…十代前半の少女には今もなりたくないですねぇ。知ってますか?陛下が傀儡政権と称して議会を招集した際に…魔王派の口さがない者はこう呼びました。魔王のハーレムだと。魔王に尖塔に閉じ込められて嬲られた悪魔たちが集って新たな政権を立ち上げた…ま、そんな風に見える者もいたということですね。ですが、彼らに対する報復はしなかった。陛下が禁じたからです」
「…どうしてだい?揶揄されて…一番悔しいのは君たちじゃなかったのかい?」
「陛下の持論ですよ。自分がされて嫌だったことは絶対に相手にやり返すな。これって簡単なようでいて難しいんですよね。私は守れませんでした。私は報復したことで議会には出られなくなりました。まぁ、完全にクビにはされませんでしたから、こうしてお仕えしてますが…ベルフェゴール大佐のように戦の混乱に乗じて報復したい相手の首のみを的確に片っ端から刎ねれば良かったんですけどね、やり方を間違えました」
「あぁ…アルシエルらしいよ…彼に申し訳なくて合わせる顔がないよ。あいつの血を引いていると思ったら悪寒が走る…イチカ…リリスは…本当に…私の妻にして良かったんだろうか…私の妻にならなければこんな思いもしなかったに違いないのに…」
「アルシエル、過去に起こったことは変えられません。大切なのはその反省なり教訓なりを活かして今何が出来るのか、ではありませんか?」
ベルゼブブは微笑んで片手を差し出すと、ルシフェルを立ち上がらせた。




