リモン&チサの場合 1
その後外出先から帰宅した悪魔たちにもラマシュトゥの情報が共有されたがジーンは終始浮かない顔をしていた。
「どうぞ」
ストラスがリラックス効果のあるハーブティーを置く。普段は滅多に飲まないが、ジーンはティーカップを手に取ると一口飲んで、ため息をついた。今はストラスの寝室にいてルイも共にいた。ルイもタブレットを見ていたがストラスがルイのお腹を撫でてタブレットを遠ざけたところだった。妊婦も飲めるハーブティーなのでリツとルイも飲んでいたが、ストラスは少し苦手そうな顔をして飲んでいた。
「何を考えているんです?ミカエルの言葉ですか?」
「あぁ…魔王の剣は空間も切れる…もし、それが本当なら…」
「空間がよじれたのは、むしろ魔王の剣の効果だと?」
「あぁ…可能性としては…ない話じゃない」
ジーンは新たに送られてきた死亡者及び負傷者のリストをストラスに見せた。ストラスの顔が険しくなる。横から覗き込んだフィランジェルも腕組みをした。
「二十五名のうち死亡したのは私の軍の関係者が九名、残りは中立派。生き残った十三名のうち十一名が私の軍の関係者…一名が中立派、一名が…魔王派…この魔王派の…一名はリリートゥで…魔王の第二夫人だ…私の軍は当時、軍の総数の約四分の一を占めていたとはいえ…魔王派の被害者があまりにも少ない…しかも被害に遭ったのが第二夫人というのが引っかかる…」
「…第二夫人って、第一夫人に嫌われていたんでしたっけ。まぁ…ルシフェルの母親はすでにその頃正気と狂気の狭間だったと聞いたことならありますが…嫌な考え方ですが、ルシフェルの王位継承権を守るために、妊娠中の第二夫人を襲わせた?そんなことが果たしてラマシュトゥに可能なんでしょうかね?」
ストラスが考えながら口を開く。ベッドにゴロゴロしながら話を聞いていた少女姿のルイが口を開いた。
「たまたまアルシエル軍の妻に妊婦が多かったってことはないの?戦争で遠くに行く前に、夫婦間にはそういうことってよくあるんじゃなかったっけ?」
「あーまぁ、それもそうだな。よく分かってんなルイ。でもそうなると他の軍の奴らもそうなんだよなぁ。あの頃は天界と全面戦争してた訳だから」
「だとするとやっぱりアルシエル軍の妻が狙われたって考えるのが妥当なのかな。狙われやすい要因があった…とか。他の妊婦って…ラマシュトゥの事件が起こったときどうしてたの?ストラスのお母さんは中立派だったんだっけ?」
ルイは首を傾げた。
「そうですねぇ…病院だったか学校だったか…確か安全そうな場所に集められたんだったかな?でも逆にそれで、俺の母親なんかは不安になってたんだよなぁ。嗅ぎつけられて一気に襲われたら困るって…」
そのとき部屋のドアが遠慮がちにノックされる。ジーンが開けると、宮森が立っていた。
「何かあったか?」
「ラマシュトゥの件で何か調べているとお聞きしまして…」
「あぁ、当時の事件の様子を知る者がいないかと思ってね。私を初めとして皆幽閉されていたから、事件があったことすら知らされていなかったんだ」
「…それでしたら…すでに私はその頃からルシフェルさまの使い魔でしたから…一応把握してはいます。役に立つ話があるかどうかは分かりませんが…」
「そういえばハウラスはルシフェルの最初の使い魔だったのか…社長秘書が板につきすぎていて忘れてたよ」
ストラスが笑った。ハウラスは静かにドアを閉めると中に入ってきてフィランジェルの姿を見るなり、やや怯んだ顔付きをした。
「嫌だなぁ、別に何もしないよ?」
フィランジェルがふざけて両手を上げて降参する。
「いいえ…神聖力が以前よりも増しているので…驚いただけです。今は何を調べているのですか?」
「調べるというか、ラマシュトゥ事件がアルシエル軍の妊婦を狙った事件だったんじゃないかと疑っているというところだな」
ジーンの言葉に宮森ことハウラスは深いため息をついた。彼は突然、ジーンに向かって深々と頭を下げる。
「恐らく陛下がお考えの一部は当たっております…魔王軍の妊婦がまず優先的に保護されました。次に中立派の妊婦が保護され…結果として陛下の軍の悪魔の妻たちは二の次三の次になった…しかも行方不明の者もいましたから…潜伏していて襲われた者も大勢いました。自ら…王宮に出向いて庇護を求める者がいなかったのは、当時流れていたある噂のせいです…」
「噂?」
ジーンの声が不審そうになる。
「はい…実は妊婦を保護すること自体が…罠だと…そういう噂が出回っていました。出どころはよく分かりませんでしたが、陛下直属の部下の妻を集めて見せしめに殺害するのではないかと…そういう噂が流れていたのを覚えています。いったい誰が言い出したのか…」
「名簿に魔王の第二夫人がいるのだが…その点については何か分かっているのか?」
「第二夫人は…自身が妊婦だったこともあり、陛下直属の部下の妻も同じように庇護されるべきとの考えを主張しておりました…そして、その結果…ラマシュトゥに襲われました…」
「それは偶然なのか?」
「…分かりません。幾つか不可解な点があったのは事実です。第二夫人は王宮内にいたにも関わらず襲われました。王宮内の警備は万全なはずでした…」
「ラマシュトゥが空間を自由に行き来できるという噂はなかったか?」
「それは…聞いたことがありませんが」
ハウラスは首をひねる。
「では、当時の魔王…ルシフェルの父の剣が空間をも切り裂けるという話は?」
「えっ?空間ですか?さぁ…私はルシフェルさまのお世話を中心に行っておりましたから…父君について知っていることは限られておりまして…ですが、戦いにおいてもそのような使い方をしたと聞いたことはありませんね」
「ミカエルがそんなことを言っていたんだよ。ミカエルは確かに魔王軍と戦ったことがあったと思ったのだが…」
「結論から言うと、私はラマシュトゥを異世界から呼び寄せたのはルシフェルの父なんじゃないかと疑っているんだ。使い方次第で空間を切り裂くことも可能なのではないかと思っている…ラマシュトゥは何からの条件付けをされて私の部下の妻たちを襲った…ラマシュトゥを討伐する際に空間がよじれたとルシフェルは言っていたがそれは正しいか?もし、そうなら討伐するフリをして元の世界に戻した可能性もある…」
ジーンの言葉に一同は押し黙る。ジーンは考えながら言葉を紡ぐ。
「…そのラマシュトゥがもしも今、都内にいて…過去の条件付けを覚えていたならどうなる?空間がよじれたと言ったのも気になっているんだ。よじれた空間はいったいどこに繋がった?最悪なのはこの世界に今、繋がってしまった可能性なんだよ。実質、魔界の民は現在は皆私の庇護下にある。条件付けに私の魔力の気配を有する者と…もしもそうなっていた場合…今この屋敷にいる妊婦全てがラマシュトゥの襲撃対象となるんだ…」
ジーンは厳しい表情のまま告げた。
「…でも、最初の被害者二名は無関係なんだよね?」
ルイが恐る恐る口を開く。
「…いや…全くの無関係とは…言えないな」
珍しく自嘲的にジーンがつぶやいた。
「ど…どういうこと?」
「遺体の損傷が激しくて、最初は分からなかったんだが…二人とも銀の枝の元メンバーだった…私には通り名を名乗っていたから五十嵐警部の資料を見たときには本人だと気付かなかったんだが…その二人を数日前に…魔力回復研究所で私が診察していたんだよ…そのときは、また一ヶ月後に健診に来ると言って…二人とも元気に帰って行ったんだ…」
「そ、それじゃあ…ラマシュトゥは陛下の気配を察知して?」
ハウラスが慌てる。彼が咄嗟に思い浮かべたのは今この家にいる花咲のことだった。花咲はまだ自衛の手段を持たない。
「可能性は否定できないな。すまない…花咲さんも、私が診察してしまった…しばらく魔力回復研究所には行かない方がいいかもしれない。セラヴィのオフィスと、この家と…周辺の警備を更に高める必要がある…」
「時間を巻き戻せば…亡くなった子を…助けられる?」
リツの言葉にジーンは首を横に振った。
「これはすでに巻き戻した結果なんだよ…三人のうち…救えたのは…チサのみだ…それでも何かがおかしいと感じている…残りの二人も…ガブリエルに頼んで記憶を消したにも関わらず、腹を喰われた記憶が蘇って…精神に異常をきたして…自殺してしまった…これ以上何度も苦しんで死ぬのを見るのは…忍びない…」
「えっ?じゃあ、もしかしてこのやり取りも…」
「あぁ、微妙な違いはあれど、何度目なのか数え切れないほど行っている…差異を減らすのに私とストラスは同じ話を何度も繰り返しているんだ」
「ごめん…アルシエル…」
そのときスマホが鳴ってストラスが素早く出た。
「あぁ、リモン、え…?まずいな…すぐに、こっちに連れて来るんだ。こうなったら…もう悪魔に変えるしかないか?」
「何があった?」
ジーンがストラスに問うと、ストラスは首を横に振った。
「またチサが発作を起こしたようです…今こちらに来ます!」
ストラスは階段を一気に飛び降りて階下に向かう。地下に魔力回復研究所とこちらとを繋ぐ近道があった。クローゼットを開けると、チサを抱きかかえたリモンが立っていた。チサは白目をむいて痙攣していた。
「…一時的に俺の使い魔にする。後から本人が納得するならリモンの手で悪魔にしてやるといい」
ストラスはチサの唇に切った指先を入れる。程なくしてチサの痙攣が止まる。やがてチサは虚ろな目を開いてストラスとリモンを交互に見つめた。
「あ…あたし…死んじゃう?」
「大丈夫だ。死なないよ…」
ストラスは頭を撫でた。
「あたし…頭が…おかしいんだよ…化け物が来て…あたしの…腹を…食うんだ…あたしのお腹は…もう少し大きくて…」
「おかしくないわよ。それは本当に来たの。でも、まだ公にできない事件だから秘密にされてる。あなたは唯一の生き残り…というか、私たちが無理矢理助けた…チサは死ぬのが怖いって言ってたから…私のエゴね。チサのことをもっと知りたかったから…好きになったのよ、あなたのことが」
リモンは頬に触れると微笑んだ。
「えぇ?リモンさん…あたし…女と付き合ったことは…ないよ…そっちじゃない…し」
「大丈夫。男になれるから」
「…こんなときに冗談…」
「冗談じゃないよ、悪魔だからね」
突然声色と口調を変えたリモンが男性の姿になる。チサはあんぐりと口を開けて目を見開いた。黒みがかった緑の髪に燃えるような赤い目をしている。確かにこんな派手な姿でその辺をうろつかれると騒ぎになりそうだとチサは思った。ちょっとしたコスプレイヤーのようだ。
「リモン…さん?」
「なに?これで悪魔だって信じた?今、チサは命が危なかったからストラス補佐官の使い魔にしてもらったんだ。俺と契約するなら、ちゃんとチサの体調がもっと良くなったときに抱いて魂の契約をする…俺じゃ嫌か?」
リモンはそう言って返事も待たずにチサの唇にキスをした。
「予約」
リモンの言葉にチサは呆気に取られた顔をしてから、照れたように目を泳がせた。
「チサ、人のときチサは自分の身体を周りの者に雑に与え過ぎた。俺はそういうことはしてほしくない。俺だけにしろ。薬なんか必要なくなるくらい溺れさせてやるから」
「おーリモン言うねぇ」
ストラスがニヤッと笑う。
「ストラス先生も…悪魔なの?」
チサに聞かれてストラスは頷いた。
「こっちの家にいるのはほぼ悪魔だよ。稀に人と天使もいるけどな…」
「て、天使??悪魔と天使が一緒にいて大丈夫なの?」
「みんな似たようなこと言うなぁ…魔界と天界が争ってたのは大昔の話なんだよ。まぁでもその大昔の魔物が今、都内に出没してるみたいなんだけどな…その魔物は一度チサを食ってるからまた狙ってくるかもしれない。だからリモンに守ってもらうといいよ。使い魔になって簡単には死なない身体にはなったけど、怪我すりゃ痛いのは同じだからな」
チサはリモンに抱き上げられて地下室から出る。階段を上りドアを開けると途端に立派な家の中に出て、数人が心配そうにこちらを伺っていた。
「良かったぁぁ…チサぁぁぁ!!」
マゴトに肩を抱かれたケイが涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑う。チサはケイにそんなに泣かれるとは思ってもいなかったのでリモンの腕の中で驚いた。
「なんだよ…ケイ…あたしは…まだ生きるんだから!」
ケイは子どものように目をこすりながら頷いた。
「リモンはチサと一階のゲストルームを使うといいよ。奥の部屋はムツキがいるからそれ以外の部屋はどこでも使える」
リモンは魔界からこちらに来たときに魔法陣を通過してすぐに魔力回復研究所に向かったので部屋の中をよく見てはいなかった。だからストラスの開けたドアの先を見て驚いた。
「別に向こうのビルのリモンの部屋でも構わないが、あっちの方が常駐する悪魔は少ないからな…ちょっと狭いって思っただろ?」
内心を見透かされたリモンはストラスに笑われた。
「中に入れば分かる。ここから見ているよりもずっと広いんだよ」
足を踏み入れると、こじんまりとした部屋には有り余るほどの空間があることが分かった。むしろ今の状態では家具が少ないくらいだ。リモンは部屋の奥のベッドにチサを下ろす。ストラスがベッド横の引き出しの中から薄い色とりどりの飴の入った瓶を取り出した。チサは観賞用として部屋に飾りたいと思ったほどだった。一つ一つに緻密な模様が入っている。
「これは単なる飴じゃないから食べ過ぎるなよ?それと食べるときは同じ色をリモンと一緒に食べろ。魔力を高める悪魔の嗜好品だ。効果はそこまで強くないから、すぐに使えるようになる…ようこそ、チサ。今日がチサの悪魔としての誕生日だ」
ストラスの言葉にリモンも微笑む。チサはなんとなく、この日が自分の命日になると思っていた。発作を起こして呼吸困難になり、リモンの顔が見えなくなったとき、今度こそ終わりだと思ってとても恐ろしかった。
「おめでとう、チサ」
リモンが耳元で囁いてチサのおでこにキスをした。




