ベルフェゴール大佐&アグラットの場合
「ラマシュトゥか…」
魔界にいるエストリエに依頼して至急その事件が起こった頃の記録を取り寄せたジーンは顔をしかめていた。傍らで同じ資料を開いていたストラスも眉をひそめる。ベルフェゴール大佐とベルゼブブ大佐も同席していたが、皆一様に難しい顔付きをしていた。
「俺は生まれてませんよ。というか…正しくは母親の腹の中ですね。喰われなくて良かったというべきなのか…?それでなのか。あの頃、やけに怯えていた気配は感じた記憶がありますね…」
ストラスの言葉に、ベルフェゴール大佐は気怠い仕草でタブレットの画面をスクロールする。
「俺も軍法会議にかけられて陛下と一緒に拷問されてましたからねぇ…陛下の軍にいて役職のついてた悪魔は、みんな…事件のことは知らされなかった…これ…知ってたらこんなに犠牲を出さずにもっと早く解決できたんじゃないですか?」
ベルフェゴール大佐はジーンの方を見た。拷問する方は完全にそれを楽しんでいた。魔力を封じられて無抵抗な相手を嬲る。大佐は首を横に振った。あまり思い出したくない記憶だ。隣でベルゼブブ大佐はゾッとしたように身震いをした。
「腹から蛆が湧いて…私がハエを操れることを知っている悪魔たちは身をよじって笑ってましたよ。魔力を封じられた私がじわじわと食われるのを見て。ま、全員の顔を覚えておいて、クーデターが起こった際に皆私の操る蛆虫に骨の髄まで餌にしてやりましたけど」
「…要するにラマシュトゥの件について経緯を記憶している悪魔はここには誰一人いないという訳だな…やれやれ。資料によれば、腹の子を喰われた妊婦は二十五名、そのうち命を落としたのが十二名。さすがは悪魔というべきか。人間なら皆死んでるところだが…すると十三名は生き残った…生き残った悪魔の中に知り合いは…」
「……あ…」
名簿を見ていたベルフェゴール大佐がなんとも言えない顔をしてジーンを見て片手を挙げる。ジーンもすでにその名を見つけていた。
「…アグラットがいます…あいつ…そんなことがあったなんて一言も言ったこともなかったから…俺はずっと知らなくて…」
「そうか…ちょっと待て…腹の子を喰われた妊婦の中に…アスモデウス元帥の妻が二人も入っている…マモン中将の妻もか?もしや…これは皆…私の軍にいた部下の妻…なのか?」
ゾッとするあまり、魔力が乱れてジーンの視界が暗くなった。身体がグラリと揺れる。慌ててストラスが支えた。
「…っ…すまない…」
「一度休んで下さい…先ほどから魔力が不安定になっていますよ」
「大丈夫だ…名簿の被害者が皆…かつての私の率いる軍にいた部下の妻なのか…エストリエに…調べてもらってほしい…いや、別の者の方が適任か?エストリエは妊婦だ…」
ジーンは額に手を当てながら告げる。
「分かりました、分かりましたから、休んで下さい!」
ストラスは語気を強める。ドアをノックして返事を待たずにフィランジェルが入ってきた。
「アルシエル、休んで。休まないなら私も参加する」
「いや…だが…」
「アルシエル、私もこの事件には関わりがある。そうだろう?なら参加する権利がある」
フィランジェルは長い髪を束ねるとジーンの隣にぴたりと座った。
「少し魔力を流すよ…」
フィランジェルはジーンに口付けをする。ストラスはすぐに彼の魔力が安定し始めたことに気付いた。そのときエストリエがタブレットに映り込む。隣にアグラットが遠慮がちに顔を出した。
『ごめんなさい…あなたもそこにいるんでしょう?ラマシュトゥの胎児喰殺事件についての資料を調べていると聞いて…もう分かってしまったと思うけれど…』
「あぁ、どうして言ってくれなかった?」
『言おうにも…あの頃、連絡の取りようもなかったでしょ?あなたは生きているのかどうかも分からなくて…私は胎児を取り出されて死にかけたけどなんとか生き延びて隠れたわ…アルシエル軍に所属していた悪魔の妻も…何人も投獄されたから。私は…運良く匿ってもらえたのよ。ダンタリオン先生の門下生に…それで…失った子は、あなたとの初めての子だったから…あまりに辛すぎて…そのときの記憶を徐々に薄めてもらったのよ…だからあなたと再会できた頃には…あれは悪い夢だったくらいの感覚だったの…』
『申し訳ありません、資料を取り寄せたのをアグラットに気付かれてしまったんです…それで…思い出してしまって…』
エストリエが頭を下げる。
『大丈夫よ。今はもう。私もあの頃の無力な私じゃないから…何を調べたいのかは分からないけどできる限り協力はするわ』
「アグラット…」
大佐が画面を見つめて何かを言いかけた。その後ろから分裂したもう一人の大佐が顔を出してアグラットを抱き寄せるのが見えた。
「おい!もう一人の俺、いちゃついてないで仕事をしろ!」
画面の向こうの自分に向かって大佐は声を上げた。
『あ?ここに抱きしめる腕もないくせに、偉そうな口を利くな。アグラットは俺がたっぷりと可愛がっておくから、せいぜい陛下の役に立つことだ』
しれっとそんなことを言って画面の向こうでベルフェゴール大佐はアグラットと口付けを交わす。
「ったく…見せつけるねぇ…」
『あなた、そういえばカイム宛の孵卵器はちゃんと届いたのかしら?ラマシュトゥのことを調べ出したってことは、嫌な事件でも起こってるの?カイムの卵を盗まれないようにね!あの事件で卵を盗まれた悪魔もいたはずなのよ…でも、卵のことまでは書かれていなくって』
「分かった。気を付けるよ。この家にいる限りは安全だ。誰かが外に持ち出さない限りは…」
そこまで言って不安になったのか、大佐は慌ててリビングに向かう。リビングでくつろいでいた天使の二人は驚いた顔をした。
「卵は無事か!?」
「えっ?卵?あぁ…孵卵器の中で静かに寝てるよ」
大佐は孵卵器を確認してホッと胸を撫で下ろす。
「イオフィエルも気をつけた方がいい。元勇者の警部が持ち込んだ写真から判断して胎児を喰う魔物が都内をうろついている可能性がある…だから腹は守っておけよ?」
「えぇ?物騒だな。なんだよそいつは。特徴を教えてくれたら私が駆除しよう。そっちの話し合いに参加させてくれないかい?」
急にミカエルが立ち上がる。部屋に入ってきたミカエルを見てフィランジェルは言った。
「そういえば…ミカエル上官の唯一の得意分野なのかもしれませんね。魔物の駆除にかけては一流ですから」
「唯一って何だよ。失礼だなぁ。フィランジェルでもいいけどさ、君…妊婦でしょ?その格好のときはリツの方が引き受けてるのかもしれないけど…全く別な訳じゃないんだから、君が万が一怪我をするとリツにだって響く…こういうときは、せいぜい剣を振るう能力しかない私に任せてくれていいんだよ」
ミカエルは空いている椅子に腰を下ろす。
「…魔界の資料を天使に見せていいんですか?」
ベルゼブブ大佐が困ったように言うと、ジーンは頷いた。
「昔の古い資料だ。構わない…」
「…大丈夫?君、何だかいつもより元気がないよ?」
ミカエルの言葉にジーンは嫌な顔をしながら、自分の見ているタブレットを天使でも読める文字に表示を変えてから渡した。ミカエルは興味深そうに画面を見て眉をひそめた。
「うわぁ、これがラマシュトゥ?なるほどね。狙うのは妊婦…たまに新生児…随分と嫌な事件があったんだね。天使の剣で切れるかな?まぁ、切れない物はないとは思うんだけど…」
ミカエルはタブレットを見ながら思案する。そして思い出したように言った。
「そういえば、魔王の剣って…使い方次第では空間も切れるって聞いたことがあるんだけど、ほんとなの?」
「いや…私はそれは聞いたことがないが…何か根拠でも?」
ジーンは逆に尋ねる。
「うーん、気のせいかな?いや、私の部下がそんなことを言っていたような気がしたんだけど…まぁ、いいや」
ミカエルはすぐに興味を失ったように、タブレットを見ながらラマシュトゥの詳しい情報を読み始めた。その近くでジーンだけがどこか険しい表情のまま、しばらく考え込んでいた。




