フェルムの場合
それからしばらくしてジーンたちが昼食を摂るのに家に帰ってくると、どういう訳かいつもよりもだらけているベルフェゴール大佐と呆れたようなカイム、そして何故か微妙な表情でその二人を見ているミカエルとイオフィエルがリビングにいた。
「ただいま…どうしたんだ?」
「おかえりなさいませ」
「いえ…少しムツキくんがインキュバスの魔力に目覚めまして、それで大佐と私がマゴトからインキュバスに学ばせるための魔力の使い方の指導をしてもらっていたのですが…」
「大佐とカイムが?」
「はい。マゴトにムツキくんを直接指導させるのは大佐の沽券に関わるようでして…」
「なるほど、それで疲れている訳か。カイムは平気なのか?」
「そうですね。どうやら…私はインキュバスのように精気を吸い取るのが苦手ではないようです…大佐に試したらこの通り…」
ダラリとしている大佐を見て、ジーンはニヤリと笑う。
「ベルフェゴール大佐…いつにも増してダラけているな」
「…まったく真っ昼間から何をやってるのかと思っちゃって、気になったから見に来たよね」
ミカエルが言う。完全に野次馬だ。イオフィエルも小さく頷いた。イオフィエルは妊娠したのがつい最近分かったばかりだったので、どこへ行くにもミカエルが一緒だった。ミカエル曰く、階段から落ちたりされると困る、とのことだった。天使なのに信用がないこと甚だしいが、過去に実際に階段から落ちているので、悪魔たちもイオフィエルが一人で階段の上に姿を現すと身構えて、大佐などはエスコートしようとわざわざ迎えに行ったりもしていたので、イオフィエルからすると落ち着かないに違いなかった。
「あーぁ、それにしたって、ケイって子も思った以上に力を使えるようになってきてたし、マゴトとかなり相性がいいんだろうなぁ。両足にマゴトの尻尾の絡みついた跡がくっきり残っててエロかったな…俺の獲物だって気配バリバリでさーそれを見たらムツキがいいなぁ、なんて言い出すしこっちも参るよ」
大佐はぶつぶつ言いながら起き上がると、カイムの唇に長々とキスをした。
「…その気になればできるじゃないですか」
「あー俺を何だと思ってんの?」
カイムから魔力を吸い取った大佐が唇を離して笑う。
「だらしない上司です」
「…言うに事欠いて、そっちなのか?」
そのときカイムの膝の上の卵がプルプルと振動する気配がした。カイムは驚いて卵を見つめる。
(お父さんもお母さんもいちゃいちゃし過ぎ!!こっちが恥ずかしくなるよ!)
「フェルム?」
大佐も驚いたように卵に触れた。
(恥ずかしいから早く僕を孵卵器に入れて!!それかムツキに抱っこしてもらいたい!)
この日、前代未聞の子どもの方から孵卵器に入れて欲しいと望まれてしまった悪魔の父と母は、気まずそうに顔を見合わせた。そのときタイミング良くというかタイミング悪くというか、魔界から荷物の定期便が届いた。時折黒木が魔界の食材も使うので仕入れのついでに孵卵器も注文していたのだった。孵卵器を黒木から手渡されて、ベルフェゴール大佐とカイムは孵卵器に二人の魔力を注ぎ込む。魔力で満たして適温に設定して卵を中に入れると、卵の中から二人に向かって声がした。
(僕、しばらく寝るからね。お父さんとお母さんがいちゃいちゃしてたら気になっちゃって目が覚めるから、やりたいことがあるなら寝てる間に済ませておいてね!おやすみ!)
卵は沈黙する。リビングに孵卵器を置いた状態で、ベルフェゴール大佐はカイムの手を引いた。今、ムツキはケイとマゴトの部屋で何やら楽しそうに話している。
「陛下…すみませんが卵をお願いしてもよろしいですか?」
「あぁ、孵卵器の中なら安全だ。魔力が切れないようにだけ見ておく」
「あの、大佐?」
カイムが不審そうに言ったが、ベルフェゴール大佐は強引にカイムの手を引いて階段を上ってゆく。
「俺だって、これでも色々我慢してたんだよ。少し付き合え。妻なんだから」
「えぇ?もう…仕方ないですねぇ…」
カイムの少し呆れたような声が聞こえた。
***
「それにしてもきれいな卵…随分と大きくなったけど。悪魔の卵って…外に出てからも大きくなるんだね…」
リツはうっとりしたようにターコイズブルーの殻を見つめた。近くのルイも頷いた。
「それはそうだろう。ある程度の大きさがないと。あまり小さな身体で生まれても不利だからな。魔力を注いで大きく強くするのはお腹の中も卵の中も変わらない」
ジーンが言う。リビング横のテーブルでは昼食を食べながら皆がその近くに置かれた孵卵器を見守るという少々不思議な光景が繰り広げられていた。そのときインターホンが鳴って、そこに現れたのは樋口巡査部長と五十嵐警部だった。
「珍しいですね。何かありましたか?」
対応したストラスが言う。
「いや…少々知恵を拝借したいのと…その…連れがもしかすると…その…」
言いにくそうに口ごもる五十嵐警部にジーンは頷いた。
「あぁ、皆まで言わなくても分かりましたよ。まずは友人として昼食でもいかがですか?」
「もう、だからこんな時間に訪ねるんじゃないって言ったのに!すみません、ほんと、そういうところが…」
樋口巡査部長が頬を膨らます。五十嵐警部は頭を掻いた。リビングに入った五十嵐警部は真っ先に孵卵器に気付いて妙な顔をした。
「あの…これは何の卵なんですか?やけに大きいし珍しい色をしてますが…」
「あぁ、悪魔の卵ですよ。部下が産卵しましてね」
ジーンの言葉を冗談だと思ったのか、五十嵐警部は困ったような顔で卵の近くにいた二人の外国人の少女の顔を見る。
「嘘じゃないですよ。産卵する悪魔もいますから。両親は三階の部屋にいますけど…ちなみに今は両方とも男性の姿ですよ」
「そっ…その髪と目はいったいどうしたんだ?暮林さん…じゃなかった、フォスターさんだよな?さ、産卵?じゃあ本当に悪魔の卵…?えっ?隣にいるのは…ルイくん…なのか?」
「あー色々あって魔力のバランスが神聖力寄りになっていて…転生前の髪の色と目の色に戻ってしまったんですよ。今卵の中の子は眠ってるから少し静かにして下さい…」
リツが苦笑する。隣でルイも笑った。
「うん、ルイだよ。魔界に行って女の子の身体にしてもらったからね。お腹の子も大きくなってきたし。あ、でも分裂して男の子の方はちゃんと毎日登校してるよ。卒業しないとストラスが責任感じちゃうからさ」
五十嵐警部は額に手をやる。分裂と聞こえたせいだった。それが可能なら、悪魔は完全犯罪も可能だし、事件がより難解になってしまうと思ってしまう。聞かなかったことにしたかった。
「中に音は聞こえないが気配は感じるからね。元勇者の気配は今までに感じたことがないから、気になって起きてしまうかもしれないな。何にでも興味津々だから、両親もうかうかいちゃついてもいられない…」
ジーンがサンドイッチをつまみながら笑うが、中の具はチョコレートホイップだ。空いた席に案内されて五十嵐警部と樋口巡査部長は恐縮したように座ったものの、料理が出てくると樋口巡査部長は途端に目を輝かせた。
「魔力回復研究所の方に行っている者もいるから、昼食があまり気味でね。近場にいる知人を呼び寄せたんだよ。そうしたら二人が釣れた」
二人は自分たちの意思でこちらに来たと思っていたのに、それすらが悪魔の手の上で操られた結果だったと知って、やや青ざめた。
「まぁ、五十嵐警部の持っている気味の悪い写真の話は後にしようか」
「そこまで…バレてるんですね」
警部はついに諦めたように言った。
「それと…樋口巡査部長は妊娠してはいないよ。少し疲労などが溜まって、いつもより月のものが遅れているんだろう」
ジーンは微笑む。樋口巡査部長はホッとしたような、どこかガッカリしたかのような表情をしたが頷いた。五十嵐警部は押し黙る。
「よ、良かったじゃない。今の捜査もあるし…まだ私だって覚悟が決まった訳じゃないし」
樋口巡査部長はモリモリと昼食を食べ始めた。五十嵐警部は顔に似合わない紅茶を飲みながら沈黙していたが、意を決したようにティーカップを置くとおもむろに口を開いた。
「冴夏…結婚してくれないか?」
「はぁっ?」
サンドイッチを頬張った樋口巡査部長は目を丸くして、それからその瞳が急に涙で潤んだ。
「なっ…なんで…こんなタイミングで言うんですか!?ちょっ…なんでっ…!!場所を考えて下さい!場所を!」
「言質を取られる所で言わないと…俺は…グダグダまた言い訳をしちまうからだよっ!これだけ悪魔が揃ってんだ!嘘ついたら命が危ないってくらいの方が俺にはちょうどいい」
「あのー私たちは天使なんだけど…ま、いっか。君?ラファエルでしょ?打ち所悪かったってガブリエルがぼやいてたけど…」
ミカエルが笑う。
「天使と悪魔が揃った場所で結婚の申し込みをするなんて、やっぱり元勇者ですよねぇ。これでフラれたら私だったら、もう恥ずかしくて生きるのも無理ですよ…」
イオフィエルまでそんなことを言う。
「ふ、振る訳ないです!結婚します!」
「本当か?冴夏??」
「しますよ!ここで振ったら私が酷い女みたいじゃないですか、もうっ…!」
樋口巡査部長は目をこする。周りにいた悪魔と天使が一斉に拍手をした。孵卵器の中の卵が震える。
(もうっ!!また、気になって目が覚めちゃったよ!魔力があっても気になりすぎてちっとも眠れない!)
フェルムの叫び声が悪魔と天使の耳に響いた。




