ベルフェゴール&ムツキの場合 3
少し時間は遡る。ベルゼブブが家に戻るとエイシェトが恨めしげな顔で部屋から現れて、彼は度肝を抜かれた。未練たらたらの地縛霊よりも生身のエイシェトの方が恐ろしい。
「あの女は誰よ?」
「えっ?あぁ、蒼くんのこと?あの子は、マルバスのパートナーだよ」
「えっ?マルバスの?なんだ、そうだったの。あなたはモテるから、もしかして浮気してるんじゃないかと思っちゃったわ。ごめんなさい」
すぐにエイシェトは機嫌を直す。
「そんなことある訳ないじゃないか…いつだって君のことしか見てないよ」
ベルゼブブがエイシェトに口付けをすると、彼女は満足したかのように部屋に戻って行った。リビングに入るとソファーでは同じく大佐の肩書のベルフェゴールがいて、出かける前も彼と不毛な言い合いをしていたことをベルゼブブは思い出した。ダラダラとソファーに寝そべりながら大佐は大事そうに卵を抱いて座ったムツキに腕を回し、卵ごと抱きしめていた。
「で、結局どうするんですか?」
ベルゼブブが言うと大佐は言った。
「だーかーらー俺はもう学校でベルって名乗っちゃったからベルなんだってば」
「私だってベルですよ」
「ベルゼでいいじゃん。ベルフェは嫌だからな。名前の終わりがフェってなんか間抜けだろ。締まりがない」
「いつも気怠いあなたにはぴったりじゃないですか」
「あーなんだと、やる気か?コラ!」
ベルフェゴールが起き上がったところで、カイムが現れてぴしゃりと言った。
「卵があるのに、また馬鹿みたいなことで争わないで下さい!卵教に悪いです!」
「ランキョウ…?あぁ、胎教って言うもんな。勝手に言葉を作るなよ。多分ないぞ、そんな言葉。ないよなぁムツキ?」
「僕に聞かれても…多分ないとは思うけど、別に新しい言葉を作っても構わないと思うし…日本でその状況に該当する妊婦がいないから言葉がないだけだと思う…」
「だいたい…大佐がガブリエルと争ったから、王妃は見た目が戻らなくなってしまったではありませんか。学校に通うときはわざわざカラーコンタクトをして髪も染めてるんですよ?」
カイムが言うと大佐は苦笑した。
「あーだからあれはマジで反省してるって。なぁ、ムツキ。天使と悪魔で元インキュバスの奪い合いになっただけだよ、な?」
「なんなんですか、その非常識な状況は…」
ベルゼブブは眉を寄せる。
「うん?ムツキにどっちが魔力と神聖力を与えるかで見解が割れたんだよ」
大佐はムツキの頭を撫でた。ムツキの隣に座ったカイムがムツキから卵を受け取って、ムツキの頬に口付けをした。
「あっ、コラ、カイム、勝手に何してるんだよ」
「別に頬に口付けするくらい、いいではありませんか。唾液を食えなどと、下品なことを言った訳でもないんですから」
「は?なんで知ってるんだ?ムツキ??」
「えっ?カイムさんに話したけど…ダメだった?」
途中からすっかり無視されたベルゼブブはため息をついた。何やらこの三人は楽しそうだと思ってしまったからだった。エイシェトは複数でこのような関係にはなれない。嫉妬深いからだ。
「なんだ?でかいため息ついて。悩んでんのか?」
「まぁ…そうですね。相談したところで解決できる悩みではありませんけどね」
ベルゼブブは言う。
「エイシェトが…陛下の診察を拒んでまして…今日もイチカさんや王妃が誘って下さったんですが…」
「あー診察で決定的な何かを告げられるのが怖いんだろ。で?どうなんだよ、夜の方は」
「それは、もちろん…エイシェトの体調を見て気分が乗ればそういう日もありますよ…あ、ムツキさん、すみません」
「別に気にすんな。ムツキは悪魔のこともある程度分かってるから問題ないよ。で?」
「…今のところは…何の兆候もありませんね。相性が悪いという訳でもないんですが」
「なるほどね…ムツキ、女の身体ってのは繊細なんだよ。だから俺の子を本気で生むつもりなら、ここは冷やさない方がいい。ルイにも聞いただろ?生理がどのくらいしんどいかも」
「うん…聞いたよ。思った以上だった。リツは寝込んでたって言ってたし。それを聞くと怖いけどさ。でも…僕の気持ちは変わらないよ?」
「あの…ムツキさんは…ひょっとして、女性になってベルフェゴール大佐の子を出産するつもりですか?」
ベルゼブブの言葉にムツキはニコリと笑って頷く。
「うん、そうだよ。だから…今から第四夫人のカイムとも仲良くしてるんじゃない。大佐とカイムの子に嫌われたくないし、魔界に行ったら知り合いの方が少ないから…知ってる悪魔とは仲良くしておきたいなって。ベルゼブブさんも」
ムツキは黒目がちな仔犬のような瞳でベルゼブブを見上げた。ベルゼブブはおかしな動悸がした。確かに元インキュバスなのだろう。妙な吸引力を感じる。
「ムツキ…?今、魔力を使わなかったか?」
ベルフェゴール大佐がムツキの顔を覗き込む。
「え?そんなつもりはないけど…」
「いいえ、今かすかですが…感じました…」
ベルゼブブの言葉に大佐もカイムも頷いた。
「ムツキ…もしかして、覚醒したのか…?」
***
マゴトに呼ばれたケイはリビングに行き、ムツキと対面していた。家の中では見かけていても、ケイもそこまで積極的に人付き合いをする性分ではなかったので、いつも挨拶程度で済ませていた。それにムツキは小学生だからケイは何を話していいのか分からないというのもあった。
「ど、どうも…」
お互い緊張した様子で向かい合った元インキュバスを見てベルフェゴール大佐は笑った。
「とりあえずハグでもして、お互いの魔力を感じてみたらどうだ?あ、でもマゴトの魔力で満たされてるのかな?」
ケイは大佐の言葉に恥ずかしそうな顔をした。一緒に来たマゴトが咳払いをした。
「…満たしたのは朝ですから…そこまで濃厚ではないかと思いますが」
「じ、じゃあ…」
ケイは恐る恐るといった様子でムツキを抱きしめる。
「あの、私…今は女性だけど…具合悪くなったりしない?」
「だ、大丈夫。別に…女の人が苦手な訳じゃないから」
ムツキが言ってこちらも恐る恐るケイに手を回す。二人はなぜか懐かしい感覚に安堵した。
「あぁ…そうだ…この感じ…」
ケイはムツキの気配を探る。最近少しずつマゴトから学んだからムツキの能力が少し目覚めていることも感じ取れた。
「お姉さん、インキュバスなんだ…」
抱きしめ合ったまま、ムツキが言う。
「うん、ムツキくんもだね…分かる?」
「うん、なんかホッとする…元、同族だから?」
「たぶん…」
大佐は黙って二人を見ていたが、ベルゼブブが口を開いた。
「確かに元同族なんでしょうね…マゴトさんはインキュバスの知り合いも多いですから、ムツキくんにもインキュバスのやり方を教えてあげてはどうですか?」
「ちょっ…と待て、それはちょっと…それならマゴトから俺とカイムが学ぶ、ムツキにマゴトが直接指導をするところは見たくない!」
ベルフェゴール大佐が慌てたように言ったのでベルゼブブは思わず笑ってしまった。いつになく過保護だと思ったからだった。笑っているベルゼブブに向かって彼は言う。
「まだムツキは十歳なんだよ!魔界じゃ早熟なインキュバスの十歳は色々経験してるだろうが、ムツキはキスもまだなんだ!」
「…キスはもうしたよ?大佐やカイムとはしてないけど…」
ムツキの言葉にベルゼブブは目を丸くする。
「いつもは気怠いのに手を出すことにかけては誰よりも早いと噂の大佐がキスもしていないんですか?やはり、この世界の空気はどうかしてるとしか思えませんよ!」
「こら、ムツキも余計なこと言うなよ」
大佐はどこか照れたように咳払いをした。
「インキュバスの力の片鱗が現れたんだし、とりあえず今日はお祝いだな」
大佐が言う。
「え?祝うの?」
「そりゃあ、魔界だって子どもが初めて魔力を使ったら祝うからな」
「そうなんだ…僕…インキュバスの力が目覚めるのは怖いって思ってたから…お祝いするようなことじゃないって思ってた…」
ムツキは拍子抜けした。
「別に私はインキュバスの専門家って訳ではないんですけどね。まぁ、インキュバスの魔力の扱い方に関してなら他の悪魔よりは多少経験が多いって程度ですが」
マゴトが困ったように言ったが、改めて大佐とカイムの方に向き直った。
「学ぶからには大佐もカイムさんも、覚悟して下さいね」
「お、おぅ…」
大佐がキラリと光ったマゴトの目を見て、いくぶんか怯んだ顔付きをした。




