マルバス&二階堂の場合 4
しばらくゆっくりと魔力を補給した後で二人は着替えると外出許可を取った。マルバスは今日は休みのようで、二階堂を連れて出ていくところに出会った知人らしき女性が声をかけてきた。隣には眼鏡をかけた背の高い、まだ少年とも言えるような顔立ちの若い男子が立っていた。
「マルバス、さっそく親しくなったんですか?」
少し呆れたような相手の声にマルバスは笑う。女性にしては少し低めだ。格好の良い人だと二階堂は思った。
「ダメですか?だって美しい人には早く声をかけておかないと、すぐに他人に奪われてしまいますからね。ところで雨宮さんは?」
「妊婦健診ですよ」
「それにしても雨宮さんも隅に置けないなぁ」
「あなたに言われたくはありませんよ。良い一日を!では」
二人は笑い合って入れ違いに中に入ってゆく。隣の少年が小さく一礼した。ぽかんと見送った二階堂はマルバスに手を引かれて歩き出した。彼は当然のように指を絡めて手を繋ぐ。まるで恋人どうしのようだと二階堂は思って慌ててその考えに蓋をする。つけ上がるのは良くないと思った。少しは愛情があるのかと勘違いした上司も所詮は社長に弱みを握られて自分の相手をしていただけなのだと分かってガッカリしなかったかと言えば嘘になるが、それでも隣で抱きしめて眠ってくれたマルバスがいるから、そこまでショックでもなかったのは本当だった。
「下のベーカリーで朝食にしようか」
マルバスは店員とも顔見知りなのか、レジで気さくに話していた。選んだパンをモーニングセットにしてサラダとスープ、ヨーグルトをつける。水の入ったコップを持ってきたマルバスは二階堂の水の横に薬を置いた。
「食べ終わったら飲んでね。夜勤明けにここでよく食べて家に帰ったりするからさ、美味しいんだよね、ここのパン」
二階堂はシンプルな塩パンを噛みしめて口の中に広がる小麦の香りを堪能した。焼き立てだったのでまだ温かい。
「美味しいです!」
「でしょ?」
マルバスはメロンパンを食べていた。
「この国にきて、初めてメロンパンを食べたらハマっちゃってね」
「そうなんですか?」
外国にメロンパンはないのか、と二階堂は思う。サラダの野菜を食べて、新鮮な野菜を最後に食べたのはいつだったかと考えたが思い出せなかった。
「うん、美味しいものを食べたら幸せだって思う。アオくんは違う?」
「そうですね。こんな風にゆっくり誰かと味わって食べることもなかったから…今は幸せです…」
窓の外には手入れされた庭があって二階堂の名前の知らない花が咲いていた。きれいだと思って見ているとマルバスが小さく笑って手を伸ばしてきた。
「口の横についてる」
指先で取ったパンくずをマルバスはペロリと舐め取ってしまう。二階堂は気恥ずかしくなってうつむいた。ヨーグルトを食べ終えてから食後の薬を飲む。見るとマルバスも何かの錠剤を飲んでいた。
「あ、これ?僕はどこか悪いとかそういう訳じゃないから安心して。でも他の人よりも魔力量が多いからそのままだと怖がらせてしまうんだ。だから今飲んだのはそれを感じさせないようにする薬。アオくんが僕とパートナーになりたいって思ってくれたら、もっと詳しいことを話すよ。今言えるのはここまでかな。それと僕はこの建物の上の階に住んでるから、職場も同じマンション内だし一緒なんだよね。だから帰っても帰らなくてもあんまり違いはないけど、せっかく外出許可も取ったし僕の家に来る?」
「えっ…と…あの…」
「さすがに怖い?」
「い、いいえ…怖くないかって…言われたら…少し…怖いのかもしれませんけど…行ってみたい気持ちもある、っていうか…あの、誰かの家に行ったことがなくて…」
マルバスは二階堂の言葉に目を見張る。誰かの家を訪ねたこともないのだと知って純粋に驚いたからだった。同時になんと狭い世界で生きているのかと思った。
「じゃ、行こうか。別に大した部屋じゃないけど」
マルバスは再び二階堂の手を握ると歩き出して、住人専用のエレベーターのボタンを押した。するとそのタイミングでエントランスに入ってきたのは親子のようにも見える年齢差のありそうな男性と若い女性だった。
「武衛先生…また朝帰りですか?」
「失礼な。健康的にひまりと朝の散歩をしていたんだよ。そういう君こそ…どこでこんな可愛らしい女性を見つけたのかな?」
一目で二階堂を女性と見抜く人物に会ったのは初めてだったので二階堂は驚いた。そのときエレベーターが来たので四人は乗り込む。けれども武衛と呼ばれた男性の隣の女性も驚いた顔をしてこちらを見てきたので自分を女性だとは認識していなかったのだと思って、なぜかホッとした。
「あ…申し訳ない。女性と言われるのは不本意だったかな?」
「い、いいえ。この格好で見抜く人はいなかったから少し驚いただけです…」
「武衛先生は向かいの部屋に住んでるんだけど、誤解した通り最近は彼女の部屋に泊まり込んだりで帰ってこないことの方が多いんだよね。いっそのことひまりさんと同棲してしまえばいいじゃないですか。狭い部屋でもないんですから。あ、二人ともセラヴィの社員だから安心して。こんな胡散臭い見た目だけど、武衛先生はセラヴィの医務室にいるちゃんとした医者だよ。ま、お医者さんごっこも好きそうだけど…ひまりさん、変な趣味に付き合わされてない?大丈夫?そういうのは交際している相手でも訴えれるから、嫌なことはちゃんと言うんだよ?」
マルバスに言われた女性は急に照れたような顔をしたが、首を横に振った。
「あの、確かに武衛先生は少し変わった趣味もありますけど…許容範囲なので大丈夫です。心配するようなことはありません」
「ほら、我がミューズは寛大な心の持ち主なんだよ。君こそ夜の方はどんな趣味なのか私は知らないが…部屋に呼ぶということは、そういう仲だと思っていいのかな?」
「残念ながらまだそこまでの関係には至ってませんよ。だからあの手この手で落とそうと努力してるんじゃないですか」
マルバスが言ったところでエレベーターは最上階で停止する。降りた二階堂はその階にあるドアの数を確認してため息をつきそうになった。このフロアにはドアは二つしかない。その一方に武衛と呼ばれた男性は手を振って入って行った。指紋認証でマルバスがドアを開けると二階堂は目の前の光景に目を疑いそうになった。一面の星空が広がっている。マルバスが指を鳴らすと部屋の全貌が現れた。壁際一面が窓で街の風景が一望できる。二階堂は足が竦みそうになった。
「怖い?少し変えようか」
マルバスが言うと窓の数が減って壁が投影された。
「窓だけど外からは見えないから安心して。何か飲む?って言っても鉄剤を飲んだから珈琲はしばらく飲まない方がいいから…麦茶でもいいかな?適当に座って」
「はい、ありがとうございます」
マルバスは冷蔵庫を開けて麦茶をグラスに注ぐと持ってきて遠慮がちにちょこんと座る二階堂の隣に密着して座った。
「はい」
二階堂は麦茶を受け取って一口飲む。マルバスは微笑んだ。
「僕はしないけど、飲み物に変なものを混ぜる人もいるから、僕以外の誰かの家で飲み物を飲むときは気を付けた方がいいからね?今朝も睡眠薬を盛られたってニュースでやってたし…ま、僕以外の家にのこのこついて行くような事態が発生しそうになったら全力で阻止するけどね。僕みたいな医療関係者の方が危険ってこともあるから…」
マルバスはやんわりと二階堂の手から麦茶のコップを離してテーブルの上に置いた。そのまま手を握られて二階堂はドキリとした。
「た、大した部屋じゃないなんて言ってましたけど…嘘だったんですね…」
二階堂はやっとのことで口にした。
「そうなのかな。ごめんね。僕が向こうにいた頃の家はもっと広かったから…嘘をついたつもりはないんだけど。まぁ、狭くはないとは思うけど、その程度なんだよ僕の中では」
二階堂はその言葉に彼は恐らく二階堂の想像もつかないくらい裕福な暮らしをしているのだろうと思った。自分とは全然違う。そう思ったら何だか悲しくなってしまった。
「全然…違う世界の人だなって…普段は俺って言って精一杯強がってる自分なんかとは…マルバスさんはやっぱり違う…」
「だから何?それは違っていて当然だよ。アオくんはそのことを卑下する必要はないし、僕たちはまだ知り合ったばかりじゃないか。その入り口で君は足がすくんで動けなくなっているだけだよ。怖いかもしれないけど、違う世界を知ることもアオくんには必要だと思う…僕は知って欲しいと思うし…できるなら君を…国に連れて帰って正式なパートナーにして君の望みを叶えたいと思ってる…」
マルバスは二階堂の首の後ろに唇をつけて魔力を流し始めた。やんわりと抱きしめられる。
「マルバスさんの国って…どこにあるんですか?」
心地良さの合間に二階堂がつぶやくとマルバスは二階堂の頭を撫でた。
「ここからはとても遠い所だよ。君が僕を受け入れてくれる決心がついたら明かす…今はまだ多くは明かせないんだ」
「そう…ですか。僕が…マルバスさんを受け入れることとそれがどうして関係があるんですか?」
マルバスは二階堂の質問にどう答えるべきか迷った。こういうところには変に勘が鋭い。誤魔化すと悟られる気がした。
「元吸血鬼の君も…眷属に加える相手は慎重に選んだんじゃないのかな?違う?」
「覚えてません…でも視界が…真っ赤になって…怖かった記憶は…少し残ってます…」
「そっか、僕はね、眷属に加える相手と特別な儀式をする種族なんだよ。身も心も魂も…全て己の物にする…そうするには、心から愛し合う必要があるから…僕を受け入れることも重要になってくるんだ…」
マルバスは二階堂の唇にキスをした。魔力を流すことよりもその行為自体に意味があると思っているのが伝わってきて、そう思った自分自身に二階堂は驚いた。
「この世界ではみんな…魔力を高めて生きることに必死で忘れてるかもしれないけど…キスは本来は…恋人どうしが愛を交わすためにするんだよ?」
マルバスは二階堂の耳元で囁いて再び優しく唇を重ねた。二階堂がとうに諦めてしまった感情をマルバスはキスをしながら伝えてくる。
「アオくんをもっと愛したい…だからアオくんも怖がらずに僕のことを好きになって」
マルバスは耳元で囁く。二階堂は震えた。こんな風に必要とされたことがないからだった。
「怖い…」
「怖くないよ…」
マルバスにそっと抱きしめられた二階堂は思わず息を止めた。
「こんな風に抱きしめてもらったことはないの?」
「…ない…と思います…催眠術…だったんですね…いつも…記憶が…あいまいで…目が覚めると…身体のあちこちが痛くて…見たくないのに…血が出ていて…だから…」
「ごめん、辛いことを思い出させたね。出血するのは相手が乱暴にアオくんを扱ったからだよ。僕はそんな風にはしないよ。アオくんが望まない限りは、キスとハグ以上は何もしないから、安心して」
二階堂は小さく頷いた。マルバスの言葉は本当だと思った。マルバスはそれからも、ただそっと二階堂を抱きしめてくれていた。




