向井&二階堂の場合
「あ、目が覚めたみたいですね」
二階堂が目を開けると、そこにはなぜか向井がいて読んでいた文庫本から目を上げて少し微笑んだ。
「今は十五時です。何か食べられるようならおやつの時間にしてもいいと言ってましたよ。呼びますか?僕も小腹が減ったし。イツキは今、投薬されて眠っちゃってます。魔力も安定しているし、何かあったら呼ばれるので大丈夫です」
「…どうして…?」
「どうしてって…うーん、それを聞かれると困りますけど、隣人のよしみ…みたいなものとでも思って下さい。実際…僕たちの物音で迷惑もかけてたみたいですし…」
向井はそう言って苦笑しながら、栞を挟むと本を閉じた。
「イツキは…僕の命の恩人なんですよ。僕は勉強だけが取り柄みたいな面白みのない人間だったから…周りのクラスメイトから虐められていたんです。それを…イツキが…止めたというか…向井のことを虐めていいのは俺だけだから、他の奴は手を出すなって…滅茶苦茶なこと言って守ってくれたんです。僕がイツキと一緒にいる理由はそれですね」
二階堂は向井の顔を見て理解し難いという表情になる。向井は困ったように言った。
「イツキは周り対してはガサツで乱暴で適当な人間を演じていますけど、本当は誰よりも繊細で…僕の前では素直なんですよ?僕の方がよほど冷酷な人間です。イツキが望むことなら何だってできますから、彼を縛ったり泣かせたり…場合によっては痛めつけたりもします。僕たちの関係性は少し他人には理解できないかもしれませんね。イツキは口だけなんです。今、実質…椎名の飼い主は僕だから…主導権は僕が握っているんですよ…」
二階堂は向井の顔を見返して、自分はどんな表情をしているのだろうと、少し怖くなってしまったのを懸命に隠そうとしていた。虐めの話で二階堂はまんまと椎名が向井を痛めつけているところを想像してしまっていた。だが、最後の言葉で想像していた景色が一変した。人を見た目で判断してはいけない典型だ。
「イツキが言ってましたよ。二階堂さんはちょっと自分に似てるところがあるって。だから死のうとしたんじゃないかって。過去に二階堂さんの上司を見たことがあるとも言ってた…僕みたいに一見真面目そうなのに、蓋を開けたら何をするか分からない気配がして怖かったとも言ってたから…まぁ、僕みたいなロクでもない世間体だけ取り繕った嫌な奴なんだろうなとは思いましたけどね」
「あ…あのとき…そうか…やっぱり…見られてたのか…」
二階堂はアパートの少し手前で降ろされたときの記憶を思い出していた。口付けしながら車内で首を絞められて、その後中途半端なまま路上に放り出されたことがあった。くらくらする頭でぼんやり座り込んでいると、コンビニの袋をぶら下げた椎名が歩いてきて、こんばんはーと間延びした声をかけてきた。
「そんなとこ座ってると風邪引きますよ?」
あれはまだ少し寒い季節のことだった。それなのに見ているこちらが寒くなるようなサンダルをペタペタ鳴らしながら椎名は通り過ぎてから、思い直したように立ちどまってビニール袋の中から、温かいココアを出して二階堂の手に渡した。
「…結婚指輪外して遊ぶ相手は止めておきなよ。あの人…なんか見たことある顔だなって思ったら…学校で会ったんだよね。奥さんが役員やってんのかな、学校によく来てるけど、この前見たらマタニティマークがついてたよ?小学生の子どももいるし…そもそも奥さんがいるのに…同性に対して本気になると思う?分かってて騙されてるフリしてんなら、別に止めないけどさ…つらくならない?」
君には関係ないだろ、と二階堂はあのとき強い口調で言ったのだ。なのに椎名はふにゃりと笑って頷いた。
「うん、ないよー。でもその首の跡…痛そうだし…結婚してるけどセフレ感覚で契約パートナーが何人かいる人も世間にいるのは知ってるしさ…でも公言してる方が結婚してないフリする人よりはマシかなって思う。奥さんが妊娠中だから、その間だけ利用する気なんでしょ?きっと…」
二階堂はすでに頭を殴られたような気分になっていた。妻とうまくいってないんだ、と言われたばかりだった。離婚するつもりだとも。頼れるのは君だけだと言われて、二階堂はうっかり受け入れてしまったのだ。なのに妊娠している?うまくいっていないという話はなんだったのだろう。いや、目の前の彼が嘘をついている可能性だってある、そうだ。そうに違いない。
「二階堂さん、大丈夫ですか?」
向井に顔を覗き込まれて二階堂はハッと我に返った。
「あ、あぁ…大丈夫です。あのとき…椎名くんに言われたことが…本当だったのに…現実から目を背けていたから結局捨てられてこうなったんだ…椎名くんって記憶力いいの?俺の上司を学校で見かけたって言ってたけど…」
すると向井は笑って言った。
「イツキは人の顔を覚えるのだけは得意なんですよ。でも勉強の暗記には使えない。せいぜい偉人の肖像画で名前を当てられるくらいですね」
「そ、そうなんだ…」
「二階堂さん、今回の解雇は不当な解雇に該当するみたいですけど、訴える気はありませんか?」
向井に真面目な口調で言われた二階堂は首を横に振った。
「えっ?い、いや…いいよ…。そうなったら…俺が精神的に追い詰められた話もしなきゃいけなくなるだろうし…これ以上弱いところを向こうに知られるのは耐えられないんだ…」
「そういうところも…イツキみたいに強がりですね。イツキだって、僕に対して責任なんか取らずに契約パートナーにならなければ養父母のところで優雅に暮らしていられたのに…そうしなかったから貧乏暮らししてるんですよ。過去にイツキが暴走したことがあって…それで僕は大怪我して入院したんです。多分その頃じゃないですか?イツキに会ったのって。毎日…見舞いに来て…謝られて…身体に消えない傷を残した責任を取ると言われて根負けしたんです。僕は女性でもないのに、何を言ってるんだろって思いましたけど、そういうところは繊細なんですよ」
そのときドアがノックされて、先ほどの女性が果物の入ったヨーグルトを持って現れた。
「鉄分が補えるヨーグルトですから」
そう言って女性は微笑むと部屋を出てゆく。
「ヨーグルトなんて…食べるのいつぶりだろう…」
二階堂がつぶやくと向井も頷いた。酸味も少なくて食べやすい。果物の食感がいいアクセントになっている。
「僕もです…果物も…学食にあるから食べられるけど…それもあって、セラヴィに就職しようと思ったんですよ。あそこは社員食堂があって食べ放題だと聞いて。だから貧乏でも昼だけはお腹いっぱい食べれそうだな、なんて…。今は…まだ学生なので僕たちも治験に協力する代わりに、転生者用のシェルターに住まわせてもらってるんです…だから二階堂さんも…不安にならなくて大丈夫です…途中で放り出されたりはしないので…」
向井は話を終えると食べ終わった食器の返却口に二人分を戻した。
「お邪魔しました」
向井は礼をして出てゆく。入れ違いに現れた看護師らしき青年が、二階堂の方を見て部屋に入ってきた。カルテらしきものを持っているが、見るからに外国人といった顔立ちで、淡い金の髪に薄い紫がかった瞳をしていた。
「体調はいかがですか?」
手首のリストバンドで管理されているからわざわざ来なくても分かるはずなのにと思っていると、彼は微笑んだ。
「僕の名前はマルバスです。初めての場所では不安になる方も多いので実際に顔を見て話す機会を設けているんですよ。特にパートナーのいない方は、何かあった際に手助けする者が必要なこともありますから…少し見慣れてもらうように、ご挨拶してます…」
「は、はぁ。そうなんですね…」
「すみませんが、こちらのアンケートにご記入下さい。緊急事態が起こった場合に、どこまでの接触が可能か…あらかじめアンケートを取っています」
二階堂はアンケートを読んで妙な気分になった。隣で見ないようにして待っている相手がいるので落ち着かない。魔力の経口摂取は可能かにはじまり、段階が上がった内容が記されていた。その際にこちらが看護師を指名することまでできるらしい。おかしなシステムだが、二階堂には契約パートナーがいないから魔力回復薬の副作用などで急激な魔力欠乏が起こった場合には、一時的にパートナーが必要になるのも事実ではあった。
(でも…正直…もう誰かと関わるのはしんどいな…)
二階堂は思う。そのときマルバスと名乗った青年が後ろを向いたまま言った。
「…誰もいなければ、空欄でも構いませんよ。でも…とりあえずは僕にしておきませんか?と、こちらから売り込みはしておきます。なんとなく…魔力の数値や…何の転生者かで…相性の良し悪しは分かりますから」
「はぁ…」
二階堂は振り返った相手を見上げる。整った顔立ちだし、こんな相手がパートナーの代わりを務めてくれるなら、悪くないのかもしれないと思った。
「あの…では…よろしくお願いします…」
二階堂は金髪の相手を見上げて頭を下げた。




