二階堂の場合
二階堂が連れて来られたのは一区にある十六階建てのビルだった。一階にはベーカリーと輸入雑貨店が入っている。その横に別の入り口があって大きな郵便受けには株式会社セラヴィ魔力回復研究所と書かれた新しいプレートがついていた。たくさんある小さな郵便受けにはいくつか名前が入っているがその大部分は空欄だった。住人用の入り口なのか通路の横にエレベーターがある。
「今なら南側の日当たりの良い部屋も空いてるよ。鬱々とした気分になるのは日の当たらないじめじめした部屋に住むことも影響する…ただ…前世が吸血鬼だと…やっぱり日の光は苦手だったりするのかな?」
ビルの前で皆を降ろして、どこかに車を停めてきたらしい外国人男性にやけに流暢な日本語で言われた二階堂は、これまでの会話から運転手らしき男性の方が役職が上なのだろうと判断した。実際に彼は通路横のエレベーターの前は素通りして更に奥へと進み扉の横に手をかざした。指紋認証でドアが開いたことに、椎名も驚いていたのでここに来るのは初めてのようだった。
「日の光は嫌いな訳じゃないです…でも日焼け止めが欠かせなくて…すぐに肌が赤くなってヒリヒリしてしまうんで…」
「あーそれは大変だな。その症状も含めて研究所の医者には伝えた方がいいよ。ま、俺も一応医者だけど産科医だから、ちょっと今は力にはなれないな」
歩いていると向井が遠慮がちに口を開いた。
「あの…僕たちも治験の時にはこちらに寝泊まりすることになるんですか?」
向井が口を開く。二階堂は彼らと少し話して向井は頭がいい優等生の印象を受けた。なぜ椎名のような軽薄そうに見える相手と契約パートナーになったのか、二階堂には理解し難かった。
「うん、そうなるね。もちろん二人一緒だよ。万が一魔力が急に下がったときには…分かると思うけどやることやった方が回復は早い」
そう言って彼は無言で歩いている椎名の頭に手を触れた。
「…頭痛か?少し魔力を分けてやるよ。やけに大人しいなと思ったら」
「…あ…!」
椎名は一瞬呆けたような顔になってから、驚いて目を見張る。
「治った…すご…」
「頭痛は転生者にありがちな症状の一つだからな。ここでは、少々転生前の種族や職業が特殊な者に協力してもらって、個々の身体に合った魔力回復薬の研究を行っている。将来的にはその特殊さ故にパートナーに恵まれない者にも安価で安全な魔力回復薬が行き渡るようにしたいと考えている…あぁ、ルイ来てたのか。常務もお疲れさまです」
通路の向こうから白衣を着た人物と話しながら現れたのは金髪に青い瞳の美少女だったが、お腹が膨らんでいてゆるいワンピースを着ていた。
「ストラス、僕もある意味特殊な転生者だからデータを取っておきたいって武衛先生が言うから来たんだよ」
「で?君が、例の?」
隣の常務が低い声で尋ねる。
「はい、そうです。先ほど連絡しました、二階堂蒼さんです」
彼の自殺を止めた青年が口を開く。二階堂は自分がフルネームを名乗った記憶がないのに、いつの間に知られたのかと少し不安を覚えた。
「あ、二階堂蒼です…よろしく…お願いします…」
「よろしく。私は株式会社セラヴィの異世界対策本部転生撲滅推進課の常務であり、魔力回復薬の開発チームにも助言を行うことになっている医者のジーン・フォスターだ。いいかい?この建物で首は吊るなよ?ま、吊りたくても到底無理だ。各部屋の警報システムが作動して即座に医者がかけつけるからね」
「ふーん、死ぬつもりだったの?奇遇だね。僕もそうだったから。でも今はそんな気もなくなっちゃった。ストラスの子を産まなきゃならないから、ね?」
美少女がそう言って運転してきた男性の腕に頬を寄せる。彼は微笑んで美少女の腰に片手を回した。
「あぁ、ルイは…俺の妻なんでね」
さらりと言った言葉に二階堂はどう見ても学生のような自分よりも歳下の美少女を不躾に見てしまった。ルイはクスクスと笑った。
「あ、お兄さん僕が何歳なんだろうって思ってるでしょ?十五歳でも結婚できる国で婚姻届を出したから既婚者なんだよ?ストラスはちゃんと責任取ってくれるから安心だし」
ルイはニコニコと笑う。
「お兄さんも、ここにいたら死ぬのはもう少し後でもいいやって思うようになると思うよ?」
「まずは、二階堂くんの使用する部屋から決めようか」
常務に言われて二階堂はエレベーターで上の階へと移動した。七階で常務は降りる。椎名たちもついてきていると思ったら常務が言った。
「まず…今日は椎名くんから治験に入ってもらうつもりだから、向井くんも同じ部屋で待機してもらうよ。基本的には投薬以外は部屋の中で過ごしてもらうことになる。君たちの部屋はここだ。そして二階堂くんの部屋は…北向きの方がいいのかな?」
彼はカードキーを操作してドアを開けた。二階堂は案内された小綺麗なビジネスホテルのような部屋に驚いた。生活に困らないものはほぼ揃っている。ボロアパートとは大違いだ。
「基本的にはセラヴィのシェルターと似た作りになっているが、投薬後はリストバンドをつけて体調の変化を観察するのと、異変を感じたらすぐにベッド横の緊急呼出しボタンを押すこと、そのくらいだね。二階堂くんは今日はこの部屋で食事をして摂ってもらって…まずは健康状態から確認もしたいから…皆は少し部屋から出て行ってもらおうか」
他の者は部屋の外に出て椅子に座った二階堂は緊張しながらジーンが聴診器を当てるのを意識していた。ジーンはやがて二階堂の下まぶたに触れて調べる。
「栄養不足もあるのだろうが君の場合は鉄欠乏性貧血…だろうね。顔色も良くないし…慢性的に疲れやすくて身体が重くはなかったかな?私の部下の魔力で少し気分はマシになっただろうが、君は元吸血鬼の転生者は貧血を起こしやすいという話はこれまでに聞いたことがあるかな?それに海外の方が吸血鬼の転生者の割合が多いというのも…君がこちらでパートナーを見つけにくいのは、日本には吸血鬼の転生者がとても少ないということも要因の一つなんだよ…」
「そうなんですか…」
「念のためにまずは血液を調べさせてもらうよ」
彼が言ったタイミングで、看護師と思われる女性が入ってきて、すでに採血の用意をしていた。やけに目の前のテーブルが高いと思ったら高さを調整できるタイプで、そこで二階堂は採血をされることになる。
「血を見るのは苦手だったかな?目を閉じていなさい」
言われて二階堂は目を閉じた。針の刺さる感覚にドキリとする。終わると、気分は悪くないかと尋ねられたが、あまり良いとも言えなかった。
「ベッドで少し休むといいですよ」
看護師の女性はそう言うと二階堂に手を添えてベッドまで連れて行ってくれた。横になってブランケットをかけられた途端に二階堂は急に緊張と糸が切れたような状態になり、なぜか涙が勝手に溢れ出てしまった。
「リモン、彼のことを頼むよ。環境も急に変わって慣れないだろうからね。それと皮膚が弱いからレースのカーテンは開けない方がいい…日差しの強い時間帯は遮光していた方が楽だろうね」
「はい、分かりました」
常務はそう言うと部屋を出て行ってしまう。部屋のベッドに横たわった二階堂はリモンと呼ばれた女性と二人きりにされたことで、とても緊張していた。というのも彼は誰とも付き合ったことがなかったからだった。ただ時折気紛れに呼ばれて上司の相手をしたに過ぎない。他者との関わりは相手の気分次第で簡単に崩れ去るものだ、二階堂にとっての人間関係はそういう刹那的なものでしかなかった。
「そんなに身構えないで、リラックスして過ごして下さい。それに疲れているでしょう?心配せずに眠っていて大丈夫ですから」
女性は微笑んで二階堂のまぶたに手を当てた。どういう訳か二階堂は急に眠くなった自分に気付いた。
「おやすみなさい」
柔らかな声に囁かれた途端に二階堂は眠りに落ちていた。




