ベルゼブブ&向井または椎名の場合
その後、向井と椎名の学校が休みの日に、二人はアパートの部屋を引き払うのに、荷物を取りに向かうことになった。ベルゼブブは友人のフリをしてついてゆく。玄関のドアを開けるとそれは待ち構えていた。魔力の多い家で数日暮らしていた向井と椎名にも、今その姿は見えていた。肩のあたりで切りそろえた髪。顔色の悪い薄幸そうな若い女性の霊はベルゼブブの姿を見て、ニヤリと笑った。魔力量の多い獲物が来たと思ったようだった。
「お嬢さん、こんにちは。あなたはここにいても幸せにはなれませんよ?それに彼らにも悪影響が出ますからね。私が取り込んで配下にしましょう」
ベルゼブブが片手を伸ばすと、若い女性の霊は抗う素振りをしたが、彼に敵う訳もなくあっという間にかざした手に吸い込まれて消え失せた。
「さ、どうぞ。必要なものと不必要なものをまずは分けましょうか」
微笑むベルゼブブに椎名は呆気に取られながらも頷いた。
「本当に…いたんだな…そしたら、あの人に今までやってたこと全部見られてたってこと?めちゃくちゃ気まずいんだけど」
椎名の言葉に向井は眉を寄せる。
「仕方ないよ。終わったことだし」
ベルゼブブは興味深そうにアパートの部屋の中を見回していた。狭いし全体的に暗い。それに。
「…隣の部屋の人…死のうとしてますけど…どうします?」
ベルゼブブに言われて向井はギョッとして振り返った。
「ダメです!止めないと!!」
「分かりましたよ」
ベルゼブブはため息混じりに玄関から出ると、隣のドアを叩く。返事がないのでドアノブを回すと鍵がかかっていた。彼は難なくドアを蹴破ると、首を吊ろうとしていた青年を止めた。
「だっ…誰だっ…邪魔するなよっ!」
痩せて顔色の悪い青年は絶望的な声を上げた。ベルゼブブは言った。
「首吊りはあまり感心しませんよ…死体が…美しくありませんから。糞尿撒き散らして発見されたくないないでしょう?死ぬなら手首を切るのはどうです?ま、痛いしどっちもどっちか…」
ベルゼブブに言われた青年は目の前の整った身なりをした美しいベルゼブブの顔を見上げて叫んだ。
「あ、あんたみたいに優雅に暮らしてる奴にどん底の転生者の気持ちなんか分かんないよ。魔力回復薬だって高くて買えない…隣の部屋の奴らはよろしくやってるけど…俺には魔力を上げるパートナーだっていないんだ。それに会社をクビになったから、もう…こうするしかないじゃないか…!!」
「なるほど、確かにそれは切羽詰まった状況ですねぇ…とりあえず、魔力不足ではロクな考えも浮かびませんしね…」
ベルゼブブは青年の額に唇をつけた。何日も風呂に入っていない、すえたような臭いがする、そう思ったが顔には出さずに魔力を流す。彼は驚いた顔をした。
「な…なに…これ?」
「何って…私の魔力ですよ。少しあげます。さて、どうしたものでしょうかねぇ。このまま置いていくとまたあなたは死にたくなるでしょうし…」
ベルゼブブは室内の様子を探る。電気の止まった冷蔵庫の中は空っぽだ。部屋の物もほとんどない。換金したのだろうか。汚い布団が一組残っているだけだ。ベルゼブブは青年を見下ろした。何の転生者だろうかと首をひねる。
「君は何の転生者ですか?隣人のよしみで助けるには…少し異質な魔力を感じるんですよねぇ…」
「き、吸血鬼だって…言われた…でも…血が怖くて…見れないんだ…笑うなよ?あ、笑ったな!!」
「なるほど。それで首を吊ろうと思った訳ですか。うーん、少し待って下さいね。君、クビになった職業はなんですか?」
「……庶務…ほぼ雑用の…」
「何が原因でクビに?」
「……き、吸血鬼なら血を飲んでみろって…上司に…強要されて…でも…できなかったから…フラれて…たまに…気まぐれに魔力を分けてくれる人だったけど…分けてくれなくなったから理由を聞いたら…血も飲めない吸血鬼に用はないって…クビに…」
「それはパワハラでしょう…少々おかしな癖の上司に利用されてただけでは?とはいえ私も勝手に生き物を連れて帰る訳にはいかないので、少し待って下さいね…」
ベルゼブブはジーンに電話する。すぐに出たジーンはビデオ通話をしてきた相手に妙な顔をした。
「あの…二人のアパートの隣人が死のうとしてたので、止めてしまったんですが…拾ったらまずいですよね…?」
『…なんの転生者だ?』
「吸血鬼だそうです…血の苦手な」
『なるほど。正規雇用はあまりされない転生者だな。まぁ、魔力回復薬の開発に、元吸血鬼の転生者なら使えなくもない。治験に協力するなら住む場所の面倒をみてもいい』
「分かりました。じゃ、返答次第では拾いますね」
通話を終えると相手はやや怯えた表情をしていた。
「別に君の臓器を売ろうとかそういう訳じゃないから安心していいですよ。セラヴィの魔力回復薬の治験に付き合えるなら、面倒みてもいいそうですが、どうします?別に死にたいなら腕くらい切って手伝ってあげてもいいですけど…あー自殺幇助罪に問われるのか。それは面倒ですね。隣の二人も引っ越すので、ついでに手続きしましょうか?住む場所も手配します。未払いの家賃は後から給料から差し引きますけど、ところで、君は何歳ですか?」
「…じ、十九歳です…あの、セラヴィって本当に?」
「本当ですよ?疑うなら社長にかけますか?ちなみに先ほど話していたのは常務です」
「はぁ…それなら…お願いします…もう…どうしていいか…分からなくて…死ぬしかないって…思ってたから…」
ベルゼブブは魔力を使って彼の身体を綺麗にした。とりあえず車に乗せて一度連れて行くには難があったからだ。一瞬何が起こったのか分からないという顔付きをした青年は、不審そうにベルゼブブを見上げた。
「なにか…しましたか?」
急に言い方が丁寧になる。ベルゼブブは言った。
「少しスッキリさせてあげただけですよ。気にしないで下さい」
「あのー不用品と持ち帰るものと分別終わりました」
ドアの所に椎名が所在なげに立っていた。
「あぁ、椎名くん少し二階堂くんと一緒にいてあげて下さい」
「は、はぁ…」
ベルゼブブは窓際の洗濯物干しに巻き付けられた縄を解いて片付けた。椎名はペコリと頭を下げて入ってくる。二階堂は椎名の顔を見るなり嫌そうに言った。
「ここ…壁が薄いんだから…女性一人に男二人とか…ほんとマジで勘弁してほしい…気が狂いそうだった」
「あーその件ならさ…俺、同級生の男子と二人暮らしなんだよね…」
「だ、だって帰ってくると、いつも女の人の声がしてたじゃないか。常に遊びに来てたんだろ?」
「二階堂くん、彼らは二人暮らしです。その女性はすでに亡くなっている方で、私は…実はお祓いに呼ばれました。霊障が出るというので…君も聞こえる人なんですね。隣の部屋は瑕疵物件でして…家賃は安いのですが、二人とも霊のせいで体調が悪くなってしまいまして、この度引っ越すことに決めたんですよ」
ベルゼブブの言葉に二階堂はギョッとしたように隣の部屋の方を見た。
「えっ…?女の人は…いなかった…?」
椎名は頷いた。
「俺、同級生の男子とパートナー契約しててさ…キモいって思うのは自由だけど…まぁ、だから生理的に女性は受け付けない。だから女の人をあの部屋に呼んだことは一度もないよ」
「えぇぇ…俺が…メンタルやられたのって…隣の物音のせいもあったのに…なんなんだよ…もう…」
ベルゼブブはその場を椎名に任せて隣の部屋の不用品を魔力で燃やし尽くした。少し大きい必需品はトランクに入る程度のサイズにまとめて車の中に運び込む。人が一人増えたためだった。そのときスマホが鳴って、一区の常務宅からそう離れてもいない場所にある建物の位置が共有された。こちらに連れてくるようにと書いてある。セラヴィの魔力回復薬の治験に協力できる者を一時的に滞在させたり住まわせたりするつもりだという趣旨のことが書かれていた。悪魔に関してあまり大勢にオープンにしてしまうのもまずいのだろうと判断する。
「それでは行きましょうか。二階堂くんも大事なものや必要なものは一応持ってきて下さい」
ベルゼブブの言葉に二階堂は頷いて小さな鞄を手に取った。
「これに入ってます…」
几帳面な性格なのかもしれないとベルゼブブは思う。それにセラヴィの関係者だと誤解してから、ベルゼブブに対する彼の態度は変わった。セラヴィの名がそれなりに知られているからだろうと思う。やがて大家がやってきたので椎名は鍵を返却し大家が部屋の中を確認した。ベルゼブブは隣の部屋の住人も引っ越す旨を告げる。大家は一瞬嫌そうな顔をした。ベルゼブブは言った。
「私たちが今日ここに来なければ、あなたは彼の死体を発見するかもしれなかったんですよ?彼は隣の部屋の霊のせいで、精神的に不安定になっていまして、一人で残しておくとまた良からぬ思考に陥って命を絶ってしまうかもしれないから、連れて行くことにしたんです。彼のことはセラヴィが責任を持って面倒をみますから、あなたは隣の部屋の家賃が下がらなかったことに感謝すべきかと思いますが。解約の手続きの書類はこちら宛てに送ってください。未払の家賃も支払いますから何も問題はないでしょう」
ベルゼブブはそう言うと三人を後部座席に乗せて自分は助手席に乗った。運転席で待っていたストラスが後ろを見て眉を上げる。
「いつの間に増えたんだ?」
「色々事情がありまして…こちらにお願いします」
カーナビに情報を共有するとストラスが言った。
「あぁ、なるほどね。この物件のことを言ってたのか。近くの空き物件をセラヴィの治験に使うって」
「はい。すみません、出して下さい」
「分かったよ」
ストラスはそう言うと慣れた様子で車を発進させた。




