フィランジェル&カイムの場合
ガブリエルが一人で車に乗り込もうとしていたとき、いつもよりも帰りの遅くなったジーンとリツ、アサヒにミヤビ、光輝、それに向井と椎名がストラスの運転するワゴン車で帰宅した。
「みんなの都合が合わなくてすっかり遅くなったな。アサヒ大丈夫か?あ、ガブリエル今から帰り?」
運転席から降りたストラスは一人で帰ろうとしているガブリエルに気付いて首を傾げた。
「あぁ…悪いけどしばらくムツキはうちには帰らないと思うから…こちらから学校に通うことになるのでよろしく頼むよ」
「それは別に構わないけど…けんかでもしたのか?」
「…反抗期とでも言いたいところだけど…僕の負けだよ。それだけだ。じゃ…」
ガブリエルが車に乗り込もうとしたところで、リツが駆け寄ってガブリエルの腕に触れた。
「…神聖力が…乱れてるから少し待って。このまま運転して帰るのはちょっと不安…」
ガブリエルは思わず嫌な顔をしてしまった。これしきのことで動揺していることを見抜かれたからだった。別にそこまで深い思い入れがある訳ではない。たまたま預かることになっただけだから、いつ手元を離れても何も感じないだろうと思っていたのに、そうでもなかった自分自身に対する戸惑いだった。
「いやだなぁ…格好悪いじゃないか。いつも格好よく獲物を攫うのは悪魔で、僕はこうして動揺して手に入れられなかった君からは憐れまれて神聖力を分けられてる…悪魔になったのに神聖力が使えるなんて…君は本当に…嫌な元天使だよ…」
「はいはい、文句でも何でも言ってくれて結構ですけど、別に動揺することは、格好悪いことでも何でもないし…それこそ天使の方こそ格好をつけたがるからじゃないですか?神聖力が減ってるのにやせ我慢をしてもいいことはないですよ」
「やせ我慢って…元上司に対して言いたい放題になったよね。そういうところは悪魔らしくなったのかな…昔はもっと遠慮があったよ…」
ひとしきり神聖力を流されたガブリエルは少し元気を取り戻すと帰っていった。
「リツ…僕から魔力を貰えるからって、流し過ぎじゃない?」
子ども姿のジーンがリツの肩に触れて魔力を流しながら言う。
「だって…珍しく動揺してるっていうか…落ち込んでたから」
「あぁ、ムツキが大佐とカイムとしばらく一緒にいると言ったからだろう。天使の神聖力のみじゃ無理なんだよ。そろそろムツキの魔力は…でも、帰らないのは想定外だったな…」
そんなことを言いながら皆でぞろぞろと車庫から室内に移動すると、リビングの方から慌ただしく黒木が顔を出した。
「あぁ…申し訳ございません。天使と悪魔の力の拮抗に割って入ってムツキさんを庇ったカイムが吐血しまして…今片付けてますので、悪魔以外の方々はリビングには入らない方がよろしいかと」
「…いったい何をやったんだ?だからあんなにガブリエルが消耗していたのか…」
リビングから顔色の悪いムツキを抱き上げた大佐が出てきた。
「大丈夫だ。ムツキは…カイムの血を見て驚いただけだから…ムツキ、大丈夫だよ。カイムは悪魔だから、すぐに良くなる」
リビングにはマゴトがいて、カイムの手を握って魔力を流していた。リビングの異変に気付いて駆け付けるとカイムが口から大量に血を吐いているところだった。この家で悪魔がこんなに血を吐くのを初めて見たマゴトは柄にもなく慌てた。
「マゴト、交代しろ。カイ!一度戻れ。その方が回復が早い!」
ジーンは大人の姿になってカイムに魔力を注ぐ。カイムは力なく微笑んだ。すぐにカイが現れて同化する。一緒についてきたハルをルイが慌てて止めた。
「入らない方がいいよ」
ルイはハルを自分の方に向かせてリビングから視線を逸らせて抱きしめた。
「申し訳…ございません…」
カイムは力なく言った。ジーンはカイムを抱き上げると医療設備の整えてある部屋に移動した。ストラスもやってくる。ベッドにカイムを横たえるとジーンはためらいもなくカイムの血まみれの口に唇を重ねて、神聖力を吸い取った。カイムの身体にはガブリエルが流した神聖力といつになく腹を立てたベルフェゴールの荒々しい魔力が渦巻いていた。後から現れたリツがジーンに後ろから手を当ててカイムから吸い取った神聖力を自らの方に流す。ガブリエルの神聖力はアルシエルの身体にも良い影響は与えない。リツは気付けばフィランジェルの姿になっていた。
「アルシエル、私が直接吸い取る。その方が早いから。キスしたって怒らないでよ?」
「そんなことでは怒らないよ。カイムを頼む」
カイムは天使の顔が近付いてきたことで、本能的に怯えた。怯えたカイムはどういう訳か少女の姿になってしまった。ガブリエルの神聖力に身体が耐えられなくて縮んだせいもあったが、フィランジェルは少女姿のカイムを見つめて思わず言った。
「なるほど…大佐がハマる訳だよね…」
フィランジェルは美少女に口付けをして神聖力を飲み込んだ。輸血の準備をしていたストラスは、振り返って変な声を上げそうになり、慌てて飲み込んだ。
「あの…大丈夫ですか?」
「何がだ?男のカイムとディープキスされるよりは、まぁこちらの方が見ていても嫌な気分にはならないな…」
「カイム…大丈夫?」
しばらく神聖力を飲み込んだフィランジェルは美少女の顔を覗き込んで尋ねた。カイムはようやく呼吸が楽になり、体内を渦巻いていたぶつかり合う力の片方が消えたことに気付いた。
「王妃…申し訳ありません…」
「カイムのせいじゃないでしょ?元はと言えば大佐とガブリエルが悪いんだから。ムツキが浴びなくて良かったけど…カイムも無茶し過ぎだし…」
フィランジェルはカイムの手を握って再び唇を重ねると、神聖力に耐えるために食いしばったときに噛んだ口の中の傷を舐めた。痛みが消える。後ろで腕組みをしている国王陛下が見えて、カイムは慌てて顔を背けた。
「もう…大丈夫ですから…」
カイムは顔が赤くなっているに違いない自分を自覚して恥ずかしくなった。治療されているだけなのに、天使の口付けはあまりにも心地良くて、どうにかなってしまいそうだった。
「輸血する。人ならとっくに死んでいるな」
ジーンがそう言ってカイムの腕に針を刺す。その手は優しくて怒っている訳ではなさそうだった。カイムがホッとしたとき、彼は言った。
「フィランジェル…少しやり過ぎだよ。大佐からカイムを奪うつもりか?」
銀髪の天使は青い瞳を輝かせて微笑む。
「別に。アルシエルが教えてくれたやり方を実践しただけだよ?カイムも少しは別の誰かのキスも知るべきかと思って。いつも大佐に主導権を渡しているんだろうけど…別に女になった方が主導権を明け渡す必要はないと思うし。少しやり方を教えてあげただけだよ。たまには大佐を驚かせるのもいいと思う。部下に怪我をさせたんだから、責任を取らせないと」
「あぁ、それはもちろんだ。で?物覚えの良いカイムは今のフィランジェルの口付けを記憶できたのか?」
ジーンが少し意地悪な口調で言った。
「ちょっとカイムには刺激が強すぎたんじゃないですか?覚えるどころじゃなかったように見えましたけどね」
横からストラスが余計なことを言う。カイムは針が刺さっていない方の手で顔を覆った。
「みなさん…私をからかって楽しんでますね?」
「もう一度しようか?女の子の唇ってなかなかいいな。それに女の子のカイムはいい匂いがする…でも…少し熱いかな…」
フィランジェルの言葉にストラスが慌てて額に手を当てた。
「…ちょっと待った。カイム?熱があるぞ?」
ストラスがハッとしたように美少女姿のカイムをじっと見つめる。カイムは言われてみれば確かに熱いと思った。大佐の魔力をたくさん浴びたからだと思っていたが、何となく下腹部に違和感を覚えた。
「補佐官…?あの…」
ストラスはカイムの額に手を当てたままじっと真剣な顔でお腹の辺りを見つめている。
「滅多に女の姿にならないし…大佐も何も言わないから変化に気付くのが遅れた…きちんと答えてほしい。こちらに来てから、今の姿で…大佐に抱かれたことがあるのか?」
「……はい。一度…ですが。第四夫人になれと言われて…思わず…返事をしてしまって…その…大佐が怪我をしていた日に…」
カイムは口ごもる。
「はぁぁ…」
ストラスはため息をついた。ジーンはタブレットを出して慌てて何かを調べていたが、やがてニヤリと口元だけで笑った。
「大佐は…いつの間に婚姻届を出していたんだ?恐らくカイムが返事をしたその日なんだろうな。カイムはすでに第四夫人になっている。アグラットもサインをしている…なんなんだ、周囲にはなかなかなびかないなどと言っておきながら…いつの間にそんなことになっていたんだ?これのせいか?」
ジーンはそっと手を伸ばして下腹部に触れた。固い。
「あぁ。本当に卵だな。鳥になったのか?」
「覚えて…いません…途中から…記憶があいまいで…えっ?卵とおっしゃいましたか?」
「あぁ、言ったよ。だから鳥の姿に戻ったのかと思っただけだ。大佐が合わせたのか…?いや、まぁそこまで込み入った話を聞くつもりもないが…カイムのお腹の中には卵がある」
「卵…では…あの日の子なんだと思います…大佐が怪我をした日の…」
ジーンは思わず笑ってしまった。
「大佐も大人しく殴られた甲斐があった訳だ。長い間手に入れられなかったカイムをようやく手に入れることができた訳だから…」
「えっ…あの…これ…どうやって産んだらいいんですか?」
「私に聞くな。私は鳥にはならないからな。ストラス、どうなんだ?」
ジーンに聞かれたストラスはこの家に多い猫科の悪魔に関する知識ばかり過剰に詰め込んだ己を振り返りため息をつきそうになった。鳥になる悪魔に関しては飛ばし読みで進めてしまった。
「えぇ?俺だって、さすがに鳥の姿でそういったことをした経験なんてないですから…鳥の姿になれば産めると書いてあったのは覚えていますが…」
「やれやれ、少し詳しく調べないといけないな。めでたい話じゃないか」
「カイムも仲間だね。卵の方が外に出るのは早そうだけど…」
フィランジェルが微笑んでカイムのお腹を撫でる。
「あの…実は…お腹が…痛いんです…」
「えっ?」
慌ててタブレットで何かを検索していたストラスはカイムに向かって言った。
「鳥の姿に戻れ。その方が楽だ」
「ええっ!?恥ずかしいです…っ…!」
「フィランジェル、我々は出よう。ストラス、少しついていてやれ。今、大佐を呼んでくる」
ジーンは急ぎ足で部屋を出る。慌ててフィランジェルもその後を追いかけた。




