ベルフェゴール&ガブリエルの場合 1
五人に囲まれた大佐は、別に恐れてはいなかったが六季をどうするべきか考えていた。
(大佐、大丈夫。ガブリエルに鍛えられたから。僕のことは守らなくていいよ)
背後で六季の声が心の中に響いた。
(いや、それでも格好つけたいじゃない?)
「さっさと迷惑料払えって言ってんの。それとも後ろの彼女貸してくれる?それで妥協してあげてもいいけど」
相手が声を荒げる。
「あー?貸さねぇよ。モノじゃない」
大佐はおもむろに相手の股間を蹴り上げて、六季の手を引いて走り出す。残りの四人が追いかけてきたが、大佐は振り返ると手を横に素早く振った。途端にどういう訳か四人は同時に転んだ。
「ラッキー」
ちょうど駐車場にカイムの車が入ってくる。車に飛び乗った二人と倒れた四人、その後ろで悶絶している学生を見てカイムは妙な顔をしたが、車を発進させた。大佐は誰かとスマホで話していた。
「そこを何とか…現在地の近くの…そう、そのファミレスです。あぁ、すみません」
大佐は通話を終えると、息を吐いた。
「あぁ、補佐官に監視カメラの映像誤魔化しておいてもらったんだよ。目立たない魔力を使ったけど一応ね…」
「…何があったんですか?」
カイムが運転しながら尋ねる。
「ん?ムツキといちゃついてたら、迷惑料払えって言われてさ。別にあいつらの店でもないのに、偉そうに…ムツキ、大丈夫だったか?」
「え?僕は別に…」
言った六季はそこで自分が元の小学四年生に戻っていることに気付いた。少し残念なようなホッとするような妙な気分になる。大佐はすでに小学生の姿でいるのを諦めたのか、大人の姿に戻っているにも関わらず六季の肩に腕を回していた。
「大佐…大人に戻ってるよ?」
「あぁ悪い、嫌だったか?」
「嫌じゃない…でも少し疲れた…」
「じゃ、寄りかかって寝てろ。自然と魔力も流れるから」
「うん…」
六季は大佐の肩に頭をもたれた。大佐はそっと六季の目を手でふさぐ。大佐は連れ回した分の疲労を取るつもりだった。六季の手が大佐の手に触れる。
「僕…インキュバスの記憶を取り戻すのが…怖い…」
六季のつぶやきに、大佐は思わず目をふさいだまま、こめかみに口付けをしてしまった。安心させるためだった。
「大丈夫だよ。ムツキの周りにはインキュバスの相手ができる悪魔がいるんだ…ムツキの欲望くらい解消してやるよ…」
「カイムさん…ごめんなさい…嫌ですよね?」
六季が突然謝罪したのでカイムは驚きつつも言った。
「ムツキが気に病むほど私は気にしていませんよ。だから大佐を利用して大丈夫です」
「利用って…カイム…言い方…」
「大佐と私だって利用し合う仲じゃないですか。足りない魔力を補うのも…成長に伴う欲求に付き合うのも…それほど大差ありませんから。ムツキは欲しいものを欲しいと言ってもいいと思いますよ?要求によっては堕天の関わる天使には遠慮が必要かもしれませんが…悪魔はこれ以上堕ちるところもありませんし」
カイムが言うと六季は大佐の手のひらの下で涙を流していた。不安定だと大佐は思った。身体をいっときでも女に変えたのが悪かったかもしれない。
「泣くなって、ムツキ…」
大佐は六季を抱きしめた。六季は大佐に囁いた。
「いいよ。別に。こんなんでいいなら、いつでもしてやる」
大佐が六季を抱きしめて頭を撫でると、六季はぎゅっとしがみついてきた。まだ子どもの身体だと思う。この身体でインキュバスの記憶を取り戻しても、持て余すに違いないことも大佐は感じていた。
「まぁ…怖いか。自分が自分じゃなくなるみたいな感覚で。マゴトの契約パートナーに話を聞いてみるか?今は女の身体だけど…元インキュバスなんだよな…確か…」
「そう…なの?」
六季は顔を上げる。大佐はポケットからハンカチを出して六季の涙を拭いた。
「カイムがハンカチ持ち歩けって、毎日うるさいなと思ってたけど、今日も役に立ったわ」
「…そんなことを思ってたんですか?まったく…」
そう言いながらもカイムは微笑んでいる気配がした。
「ねぇ…僕が…大佐に赤ちゃん産ませたいって思われるには、どうしたらいい?何が足りないの?」
六季の言葉に大佐はぽかんとしてしまった。何か言葉を聞き間違えたのかと思ったが六季は真面目な顔をして言った。
「僕も大佐の何番目かの夫人になれるように努力しようかなって思って。ダメ?第一夫人の許可が必要?」
一度デートしただけで何がどうなって六季がこの思考回路に至ったのか大佐には理解できなかったが、うっかり可愛いと思ってしまったのもまた事実だった。可愛いと言った。だが、それ以上の感情はまだない。ないはずだ、と考えて大佐は少し自分の感情が分からなくなってくる。
「ムツキを何番目かの夫人にするなんて言ったらガブリエルに殺されそうな気がするなぁ…あの天使は怒らせると怖いよ?ムツキには優しいのかもしれないけどさ」
そんな話をしているうちに、六季は大佐の腕の中で眠ってしまった。目が覚めると大佐が自分を抱き上げて車から降ろしてくれたところだった。
「あ…歩くから…」
「いいよ、軽いから」
リビングに入るとすでにガブリエルは到着していて、腕組みをしてこちらを見ていた。
「ベルフェゴール大佐、うちのムツキが長い時間お世話になったね」
口元は笑っているが明らかに目は笑っていない。この視線だけで小物の悪魔なら殺せそうだと大佐は思いながら、挑発するかのように余裕でほほ笑み返した。
「大したことはしていませんよ。帰りが遅くなってすみませんでした」
ガブリエルは大佐の腕から六季を奪い返すように抱き取った。ガブリエルの腕になった途端に六季は魔力の流れが変わって、少し身体が重くなるような気がした。
「あ…降ろして…!」
六季はガブリエルの冷たい目に見下ろされて、途端にこの場から逃げ去りたい衝動に駆られた。相手が苛立っているのを感じたせいだった。
「この際だから言っておくよ…ムツキの身体には確かに悪魔の魔力の方が合うのかもしれないけど、ムツキはインキュバスの記憶を取り戻したくないと思ってるんだ。ムツキに魔力を与えると、記憶が戻るのも早まる可能性が高い。今後はやっぱり今まで通りに僕がムツキに力を注ぐから、今日のように無駄にムツキを混乱させるような行動はしないでもらいたい」
「…本気で言ってるのか?それ…」
大佐の声が低くなる。カイムはゾッとした。まずい。何か地雷を踏んだと思った。
「無駄?あなたがムツキの契約パートナーなら別に俺は口出しもしないが、あなたには別に契約パートナーがいて、彼女は妊娠しているんでしょう?将来的に抱いてやることができないから、むしろ記憶が戻らないように操作している…いつまでも子どものままに留めておこうとしているのは、記憶を取り戻したら今まで通りのやり方じゃ、天使のあなたは対応しきれないからだ。とことん付き合って堕天してやる気がないのなら、生殺しのような対応はむしろムツキが辛くなるだけでしょう。あなたは元からそういう天使だ。ルイにもできなかった。だから補佐官がルイを奪った」
「つい最近来たばかりの悪魔に何が分かる?子どもにも遠慮なく手を出す悪魔に偉そうに説教をされる筋合いはないよ」
ガブリエルの声も低くなる。
「…手は出すよ。どうしたって俺は悪魔だからな。それにこの家でまず適応されるのは魔界の法が先だ。子どもにだって意思がある。ムツキはどうしたい?この先もこの天使からだけ力をもらうのか、それとも悪魔からも魔力をもらうのか」
突然話を振られた六季は困った顔をしてガブリエルに言った。
「ガブリエル…降ろして…」
ガブリエルは厳しい顔のまま六季をそっと立たせる。六季はガブリエルを見上げた。
「あのね、僕は…ガブリエルが嫌になった訳じゃないけど…でも…弥生さんを見るのが辛いんだ…弥生さんに隠れてガブリエルの力を分けてもらうのは…僕が悪いことしてるみたいで…辛い…それなら、同じように魔力を分けてもらっても…罪悪感の少ない方を僕は…選びたい…弥生さんだって薄々気づいてるよ…お腹に赤ちゃんがいるのに…ガブリエルと僕の仲を疑いながら一緒に暮らすのは…弥生さんだって辛いと思う…」
六季は言いながら泣き出す。ガブリエルが手を伸ばしかけたが、大佐よりもなぜかカイムの方が反応が早かった。カイムは後ろから六季を抱きしめて涙をぬぐった。
「…私は…大佐の魔力を安定させるために同行してきた悪魔ですが…私は人とは感性が違いますから、大佐がムツキに魔力を与えても不快になったり不安になったりはしません。そもそも大佐には他にも夫人が大勢いらっしゃいますから、弥生さんのように一夫一妻制の感性は持ち合わせていませんから、ムツキを害するようなことは絶対にしません。ですから安心して下さい」
カイムから流れる魔力を感じて六季はなぜか、この悪魔が言葉で表現する以上に大佐のことを尊敬しているのが分かってしまった。そして今は六季をも受け入れてくれている。ガブリエルと弥生の仲が良くなればなるほどに六季は居心地の悪さを感じるようになっていた。六季はガブリエルが好きになっていた。それは養父に対する憧憬であり、ルイが養父に抱く感情を無意識のうちに六季もなぞっていた。良くも悪くも六季も愛される行為はルイが養父にされていたような行為そのものであって、ただ抱きしめられるだけでは不安を感じるようになっていた。首の後ろに口付けされながら、ここで振り向いてガブリエルの唇にキスをしたら、彼は堕天してしまうのだろうかと、そんなことまで考えるようになっていた。
「…カイム、俺のセリフを取るなよ…」
大佐が大きなため息をついて、一触即発の空気から一気にいつもの気怠い様子に戻る。カイムは六季を抱きしめたままで言った。
「お二人とも熱くなり過ぎです。ムツキの身体にぶつかり合う強烈な神聖力と魔力は毒ですから、私が盾になるしかこの状況ではあり得ませんでした…少しは場所を考えて下さい。ここは魔界でも天界でもないのですから…今はお二人が何を思ってどうしたいかはどうだっていいんです。ムツキがどうしたいかをきちんと聞いてあげるべきでしょう。それに従って最善策を出すのみです」
カイムは六季の頭を撫でながら静かに言った。一瞬苦しげな表情をしたが、ふわりと微笑む。
「あー悪かったよ。で?どうする?」
大佐はしゃがんで六季と目線を合わせた。その様子を見ただけなのに、ガブリエルはなぜか自分が敗北したのを悟った。
(ムツキをこんな風に…同じ目線で見たことがあっただろうか…)
ガブリエルは思い返して、いつも自分が上から六季を見下ろしている状況しか思い出せない自分に気付いた。
「ガブリエル…僕…しばらくは…こっちで暮らしてもいい?弥生さんもその方が安心すると思うし、僕も魔力が足りなくなったときに…頼みやすいから…」
ガブリエルはそのことに気付いてはいたのに、それでも言ってしまった。
「魔力なら…魔力回復シールでも補えるじゃないか。だからセラヴィに精度の高いシールを量産できるようにお願いして…」
六季は頷いた。
「うん、それも分かってる。分かってるし、ガブリエルが僕のことを考えてくれてるのも分かってる。でも…シールじゃ補えないものもあって…シールで魔力は足りたとしても…僕は…誰かに抱きしめてもらいたいし、それ以上のことも望むようになると思う…そうしてもらわないと不安なんだ…ガブリエルにはその気持ちは分からない…」
「……そうか。それがムツキの出した答えなんだね」
「うん。でも…僕の養父は…ガブリエルだよ?それは変わらないから…時々会いにも行くし…食事したりもしたい」
「分かったよ。弥生には説明しておく」
「うん、ありがとう…」
六季はそう言った。結局悪魔に自分は勝てない。過去の戦いでは勝ったかもしれないが、剣を交えない戦いでは勝てたためしがない、とガブリエルは思った。
「じゃあね、ムツキ。会いたいときには連絡して。二人ともで…ムツキのことをよろしく頼んだよ」
ガブリエルはそう言って、静かに部屋を出て行った。




