向井&椎名の場合 5
翌朝になって、向井は一瞬自分がどこにいるのか分からなくて戸惑った。隣にはバスローブのはだけた椎名が眠っている。時計を見るとまだ早い時間だったので、向井は再び横になろうとしたが、いつもの怠さもなく頭がスッキリしていたので起き上がって顔を洗った。物音に気付いたらしい椎名も目覚めて、どこか寝ぼけたような顔のまま辺りを見回していた。
「おはよ…身体…大丈夫?」
「あーうん。大丈夫っていうか、なんかスッキリしてて調子いいよ…なにこれ。こんなに違うもんなの?ちょっと信じ難いけど…え?まだ五時半なの!?ウソだろ?あのボロアパートなら怠くてまだ寝てるよ…ってか、そもそもこんなにスッキリ起きられない」
「だよね。でも、どうやら夢じゃなくて本当みたいだね。朝食は自室かリビングか選べるって…どうする?」
「とりあえず…自室かな。その前にシャワー浴びるかな」
椎名は起き上がって伸びをした。
「ちょっと待って…それ…外すから」
椎名がつけたまま寝た首輪を向井は外す。どこかに繋いだ訳ではない。椎名が望んだからとりあえず首輪だけつけてみた。首輪と言っても通気性の良さそうな布でできていて強度はなかったが、つけるという行為に意味があると昨夜常務に言われて渡されたのだった。確かに椎名は落ち着いている。ここ数ヶ月の苛々は何だったのだろうかと思うほどだった。外した首輪をどこかにしまおうと引き出しを開けると、何やら怪しい小瓶が魔力回復薬と共にずらりと並んでいた。向井は慌てて引き出しを閉める。そのとき部屋のベッド近くにある電話がいきなり鳴ったので、向井は飛び上がりそうになった。
「おはようございます。執事の黒木と申します。社長が説明を忘れていたようですので…今開けた引き出しの中身についてですが…朝の時間帯に使うのでしたら、色のついていない媚薬がお勧めです。それ以外は効果が持続してしまいますので…夜に長い間楽しむ際にお二人で飲んでいただいた方が刺激が増すのでお勧めですよ。副作用等はございませんので、ご安心を」
「あっ…あのっ…ちょっと物を片付けようとして開けただけなんです…すみません…」
「おや、お若いからてっきり朝から楽しむのかと勘違いしてしまいました。ですがお部屋にいるうちに一度済ませた方がお二人の魔力は安定して快適な一日を過ごせることと思いますよ?この家の者は皆そうですから…騙されたと思って仲良くなさってみて下さい。お食事は六時半にお部屋にお持ちしましょうか?」
「あ…はい…お願いします…」
内線を切った向井は少し困ったような顔をして椎名を振り返った。
「…聞こえてたよ。せっかくだし試してみる?」
椎名は引き出しから見慣れない文字の書かれたガラス瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。
「ちょっと…本気で飲むの?」
「だって面白そうじゃん。副作用もないんでしょ?」
椎名はガラス瓶の中身を部屋にあったコップに移してきっかり半分に分けた。
「んじゃ、乾杯!」
椎名は一気にコップの中身を飲み干す。得体の知れないものをよく平気で飲めるなと思いながら向井も結局好奇心には勝てず恐る恐る透明な液体を口にした。なんとなく少し甘いような気がすると思った次の瞬間には、向井は我を忘れて目の前の椎名を押し倒していた。そこからきっかり一時間、二人はまるで獣のようにお互いを貪り尽くして、最後にはとうとう力尽きてベッドの上であられもない姿を晒していた。ドアがノックされて電話で話した相手の声が聞こえたときも、二人は起き上がることができなかった。
「入りますよ?」
にこやかな初老の男性が姿を現す。
「…うっ…」
向井は辛うじてベッド脇にあったバスローブで下半身を隠す。椎名は身体はうつ伏せのままぼんやりとした顔をこちらに向けていた。
「おやおや…若いのにもうへばっているのですか?最近の若者は体力がありませんねぇ…」
そう言いながら彼は椎名の身体のあちこちに残った歯型を見た。
「…少々効き過ぎましたか?見えそうな場所は消しておきましょう」
彼が手を当てると首筋の歯型が消え失せた。
「あ…あなたも…悪魔…なんですか?」
向井が尋ねると彼は微笑んで頷いた。
「私は国王陛下の筆頭使い魔の黒木と申します。要するに使い魔の中では一番上の地位にあります。元は人間でしたが、悪魔になってから先にいた使い魔を捻じ伏せて現在の地位を手に入れました。この姿に騙されていると痛い目を見ますよ?」
彼はあろうことか片手にゴム手袋を嵌めて椎名の下半身を確認していた。どこからともなく取り出した軟膏を指につけて、椎名にぐりぐりと塗り込む。突然指を突っ込まれた椎名は、ビクリと痙攣した。
「やっ…ヤダ…そこ…止めて!!」
「よく効く薬を塗っているんですよ。このまま登校すると授業を聞くのも大変そうですから、少し我慢して下さい」
彼はゴム手袋を外してゴミ箱に入れると微笑んだ。
「ついでに…我々のように悪魔になれば、性別を変えるのも自由自在になりますが…元の性別が男性だからと避妊を怠ると妊娠しますから気をつけて下さいね。まだお二人は人間ですから、その心配はないかと思いますが…たまに悪魔になってから勘違いする者もいますから…」
彼は言いながら向井の身体に手をかざした。途端に気怠さがなくなってスッキリとする。
「短めにシャワーを浴びて食事を摂って下さい。朝食を抜いてはいけませんよ。若いんですから食べないと」
彼は手を洗ってから朝食の乗ったワゴンを運んでくると手早くテーブルの上に並べた。
「出来立ての状態はしばらくキープされますから、その間にシャワーを浴びてくるといいですよ。では健やかな一日を」
彼はそう言うと部屋を出て行った。椎名はゆっくりと起き上がった。見れば顔が赤い。
「何あの触り方!めっちゃ薬の塗り方…ヤバいって!」
***
「あーいいよ、俺の車使って!無駄に知り合いとか大勢乗せて別荘とかに行ってた時期もあって買ったんだけどさ、忙しくてあんまり使ってなかったから」
きさらぎきりとがワゴン車を持ってきたので、向井と椎名はそれに乗り込むことになった。小学生姿のジーンとリツを昨日気絶させられて見ていなかった椎名は二度見どころか三度見した。今朝の顛末を聞いたジーンはハッと短い笑い声を立てた。
「皆が皆朝からそんなことをするかと言ったら…そうではないよ。抱きしめ合ってキスをする程度で済む場合もあるし…黒木は平気で話を盛るからね。まぁでも二人の場合はキス以上のことをしておいた方が…安心かもしれないのは確かだよ」
そう言ってジーンは平然とリツの唇にキスをした。
「ちょっ…!ジーン!!止めて!」
「どうして?いつもは登校前にしてるよね?アサヒも遠慮しなくていいよ、学校に着いてから倒れられても困る。それにこの車には魔力を施していないから…車内の魔力はこの世界と同等だから少ない。念の為に黒木がグローブボックスに魔力回復薬を入れたと言っていたよ」
アサヒは言われた通りに開けて取り出して変な声を上げた。
「ちょっ!これ魔力回復薬じゃないじゃないですか!あ、こっちは魔力回復薬だ…!あっぶない!朝から強烈な媚薬を盛られるところだった!」
手に持ったガラス瓶は今朝寝室で使ったものだ。
「え…?それ…朝にお勧めって言われて…イツキと半分ずつ飲んだよ?」
助手席からアサヒが振り返って優等生とは思えない台詞を吐いた。
「は?飲んだんですか?先輩!!これ、秒で獣になるヤバい薬なんですよ!?こんなの飲んでやったら、一時間ノンストップでお尻裂けて血塗れになりますって!!」
なぜか向井が顔を手で覆っている。椎名が頷いた。
「あーうん…実際…かなりヤバいことになったよ…でも終わった頃に黒木さんが来て、軟膏塗って身体の傷も癒してくれたから…シャワー浴びてる間にほぼ治ってたけど…それにヤバいくらい体調はいいし…」
椎名の言葉にアサヒは椎名と向井の顔を見比べた。
「椎名先輩って…そっちだったんですか…意外です…僕は先輩に殴られたの忘れてないですからね?だから、先輩が雄なんだと思ってた…」
「アサヒ、殴られたことがあったんですか!?」
運転するラウムの声のトーンが下がったので椎名はゾッとなった。
「あ…ルイを庇おうとして…一回だけだから。昔の話…」
「それでも、です。まったく…人間は悪魔よりも欲深いし暴力的で淫らですね…」
「…朝から強烈な挨拶をする黒木が悪いよ。彼は新入りには必ずそうやっていたずらを仕掛けるんだ。リツも盛られたしね…」
「そうだよ…しかも、よりによってアサヒたちが遊びに来てる日に…美味しいチョコだったけど、あれはもうほんと勘弁してほしい。一日どころじゃないから。人によっては一週間くらい効果が続いちゃうみたい。鼻血も出るし大変だった…」
「うっわ、そんなヤバいチョコあるんだ。食ってみたいなぁ…」
椎名がそう言って笑う。
「イツキ、話ちゃんと聞いてないでしょ?ゴメンね、フォスターさん、こういうしょうもない奴だからさ」
「…向井先輩って、椎名先輩のどこが良くて契約パートナーになったんですか?」
アサヒが振り返って不思議そうに尋ねた。
「えっ?それ聞いちゃうの?そんなの、身体の相性に決まってるじゃん、って言うと思った?」
椎名の言葉に向井はため息をついた。
「僕を半殺しにした責任取るって言って…正式な契約パートナーになったんだよ。本気だと思ってなかったんだけど、イツキは本気だった。その頃はイツキもまだ自分のことが今よりも全然分かってなくて、暴力で魔力が上がるって思ってた時期だったんだ。優等生の僕が気に入らなくてサンドバッグにしてるんだって思ってたけど…病院で土下座して告白されてうっかりほだされてオッケーしたら…勘当された」
「それ…いい話なのか悪い話なのか判断に迷うところですけど…噂よりはずっとまともな話で少し安心しました…」
「はぁ?噂ではどうなってんの?」
「え?それは…椎名先輩が今野と一緒に向井先輩を脅して、無理矢理いなくなったルイの身代わりにしてるって…」
「はぁぁ…まぁ、なんとなく予測はついてたけど…周囲から見ると俺ってヤバい奴だよね…」
椎名は深いため息をつく。椎名といえばサディスティックの代名詞のようになっている。
「別に周りの評価なんかどうだっていいよ。イツキのことは僕が一番分かってるから。そうでしょ?」
「あーミチ…クッソかっこいいこと言うなよ…」
椎名は向井の言葉を聞くなり、思わず窓の外に目を逸らしながら照れたように言った。




