向井&椎名の場合 2
「…どうでしたか?」
雨宮の姿をしたラウムに聞かれて成瀬は返答に困った。
「どうって…何がですか?」
「まぁ、大袈裟に反応しないのが成瀬さんの長所ですよね。あの…差し支えなければ教えてほしいのですが、あの部屋は瑕疵物件ではありませんか?」
雨宮の言葉に頷いたのは後部座席の椎名だった。
「はい。家賃の安さには勝てなくて…まぁいっかってことで借りてます。一人暮らしの転生者が亡くなった部屋なんですけど…どうして分かったんですか?お姉さん、もしかして視えちゃう系ですか?」
「……!!」
驚いて振り返ったのは成瀬だった。
「じゃあ玄関にあったヒールの高い白いサンダルって…!!」
「え?サンダルなんかありませんよ?」
椎名が言う。
「部屋の中で女性の笑い声がしたし、出かけるときだって窓に顔をくっつけてたじゃないですか!!」
言ってしまってから成瀬は奇妙な感覚に襲われた。冷静になって思い出す。あの小さな窓は自分の身長よりも遥かに高いところにあった。誰かが覗ける高さではない。
「窓?あぁ…ドアの横の窓は…洗濯機の上にでも上らないと外なんか覗けませんよ…えっ?」
「その高い窓のところに…顔が見えたんですよ…だから…女性も一緒に住んでるのかと思ったんですけど…」
成瀬は次第に鳥肌が立ち始める。口を開いたのは瀬尾だった。
「僕や雨宮さんは、あそこには近付きたくないですねぇ。地縛霊って言うんでしたっけ。あぁいう存在とは相性が悪いんですよ。二人の仲がうまくいかなくなったのっていつからですか?ひょっとして引っ越してからではありませんか?あぁなってしまうと…魂としての旨味もありませんし…」
瀬尾の言葉に向井は少し考えてから頷いた。魂の旨味と言った意味は理解できなかったが、とりあえず答えられる範疇で返答する。
「確かに…慣れない自炊と同居でお互い苛ついてるのかなって思ったりしていたんですけど…」
「二人とも何か他に変な感じはしなかったんですか?」
瀬尾が尋ねる。
「たまに…消したはずの電気がついてたり…でも、どっちかが消し忘れたんじゃないかって…思ってたから…今思えば…床が濡れてたこともあったっけ…蛇口がほんの少し開いてたりだとか…でもお互い知らないって…空気が悪くなるっていうか…」
椎名が思い出しながらそう言った。成瀬は背中で会話を聞きながら自分ならそんな鷹揚に構えてなどいられないし、もっと神経質になってしまいそうだと思った。成瀬はスマホで住所の検索をかける。すると関係のありそうな記事に行き着いた。
「…亡くなった女性はパートナーに裏切られて…自殺したようですね…あのアパートで…」
成瀬は一年ほど前の記事の内容をスクロールする。読んでいるうちに成瀬は寒気がしてきた。瀬尾も同様に調べていたのか、スマホをちらりと見ながらこう言った。
「信じる信じないは別ですけど、あの部屋に住んでいる限り二人の関係は悪化すると思った方がいいかもしれません。魔力量を上げるやり方が過激になったと聞いていますが、彼女の影響を受けている可能性が高いです…どうも…それ以前の入居者も…亡くなっているみたいなんですよね…」
成瀬は額から嫌な汗が出るのを感じてポケットからハンカチを取り出して拭う。ラウムがちらりと成瀬を見て言った。
「瀬尾さん、成瀬さんにも影響が出てしまったようです。帰ったらすぐに魔力を与えて下さい」
ラウムは信号待ちの間にグローブボックスを開けて中から魔力回復薬を取り出して成瀬に渡した。成瀬はすぐにそれを開けて飲む。ゾクゾクする感じが多少マシになる。急激に体内の魔力量が減ったことに成瀬は驚いていた。
「…あれはどうも魔力を吸い取る傾向があるようです。私や瀬尾さんが近付いたら力を与え過ぎて大変なことになるところでした。でも、すみません。成瀬さんにもここまで影響が出るとは思わなかったので…同行させてしまいました…」
ラウムは言い終えると身を乗り出して成瀬に口付けをする。成瀬は固まったままラウムから魔力を注がれた。
「…っ!!」
「少しマシになりましたか?」
「あ…は…はぁ…いや、急に何をするんですか!!」
成瀬は我に返って赤くなる。けれども先ほどまでの具合の悪さはかなり軽減されていた。
「雨宮さんの魔力はどうでしたか?なかなか美味しいと思いますけど…」
後部座席で瀬尾が笑う。そして隣で呆気に取られている二人に向かって言った。
「早めにあの部屋は出た方がいいでしょうね。この先も住んでいたら…君たちは恐らくどちらかが命を落とすでしょう。部屋の安さと自分たちの命とを天秤にかけて…君たちはどちらを選びますか?聞くまでもありませんよね?」
***
結局連れてこられた二人を見てルイは面白そうに笑った。分裂した少女姿のルイは念の為に二階に避難している。すでに帰宅していた社長が向井に挨拶をした。
「やぁ、君たちはどうやらとんでもない部屋に住んでいたようだね。部下が撮った写真を見たら、少しは納得できるかな?」
いつの間にと思いながらも、向井と椎名は恐る恐るスマホの画面を覗き込んだ。何枚か撮った写真の中にところどころ白っぽい人影のようなものが写り込んでいる。成瀬の言った通り、小窓のところに顔が写り込んでいた。何となく顔立ちまで分かりそうなほどだ。さすがに椎名もうわっと言って肩をすくめた。
「なんか…睨んでる…?俺たちが帰らなかったから…?」
「とりあえず早いうちにあの部屋は引き払った方がいいと思うよ?家具も全て込みで貸してる物件みたいだから、引き払うって言ってもそんなに荷物はないでしょ?しばらくは、ここの空いてるシェルターでも使うといいよ。今の君たちに社員寮の家賃を払えって言うのも酷だと思うから、向井くんが無事に卒業してうちで働き始めたら社員寮として貸し出してる部屋に引っ越すってことでもいいと思うよ?ね、常務?」
「あぁ、それでいいと思いますよ?椎名くんも卒業後にセラヴィで働くかい?君のような少し扱いの難しい性癖の子が健全な日常生活を送るためには近くで理解のあるパートナーが働いていた方がいいと思うよ?具合が悪くなった際の対処法も含めて…シェルターで学ぶといい」
言われた椎名が頷いたところで、先ほどまで車を運転していた美人の隣に見覚えのある顔があることに気付く。少年の方は椎名を見てハッとしたように顔を背けたが椎名の方が早かった。
「あ!棚橋議員の息子じゃん!なんでここにいるの?」
アサヒは思わず渋面になる。けれどもラウムは平然とアサヒの肩に手を回すと言った。
「私がアサヒの契約パートナーですから。アサヒは私と同棲しているんです」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げたのは椎名ではなく向井の方だった。向井は眼鏡をかけたとても真面目そうに見える少年がまさか女性と一緒に住んでいるなどとは想像してもいなかった。まだ椎名がしていると言われた方が納得できたかもしれないとすら思う。
「棚橋くん…随分と思い切ったね…」
向井が言うと、椎名は呆れたように言った。
「あーだって義理の弟?だっけ?なんか、めちゃくちゃ嫌な奴で襲われそうになったんでしょ?そりゃ家出もしたくなるって。知り合い誘って複数人で襲うとか完全にヤバい奴じゃん。棚橋くんが見た目に反して強かったから、相手がボコられて終わったみたいだけどさ?ヤバい薬にも手出してたみたいだし」
「…先輩がそれ言ってもあまり心に響かないですよ?」
ルイに突っ込まれた椎名は、苦笑した。
「そりゃそうだな。ルイには散々嫌なことした訳だし。悪かったよ。ルイが綺麗すぎるから…羨ましかったんだよ」
椎名は少しまぶしそうにルイを見た。ルイはニコリと笑う。
「ふーん、別に先輩だってちょっとチャラいけど、格好いいと思うけど?じゃなきゃ、真面目な向井先輩が自分の身を削ってまで先輩の相手したりはしないでしょ?でもダメだよ?入院させるまで痛めつけてコントロールできないのはさ?僕のろくでもない養父だって、入院しない程度に加減はできてたからね?」
椎名は制服を脱がせたルイの背中の傷を見て前世の記憶がほんの少しだけ蘇った自分が受けた衝撃を思い返していた。ルイの美しい顔を歪めさせた見知らぬ相手に沸き起こった憎悪。自分でもあの瞬間は気味が悪くて、ルイを踏みつけた今野にですら苛立ちを覚えた。それを椎名は自分がルイを拷問したいからだと思い込んだ。でも本当は違ったのだと今になっては思う。自分は相手を拷問しながら、いつしかそれが自分の身に起こったことであるかのような仄暗い錯覚を覚えていた。本当は誰かに繋がれて与えられる痛みですら管理されたかったのだ。セラヴィで指導された約一時間に身体に刻まれた快楽とわずかな痛みに、椎名は自分自身の隠そうとしてきた本心を暴かれてしまった。向井にもそれがバレてからは呆気なかった。向井はマルチプレイヤーだった。虐げられる側から虐げる側へ。向井の方がよほど拷問官に向いていると思って椎名は苦笑する。
「あぁ…そうだな。俺は拷問官としちゃまるで中途半端でお粗末だ。認めるよ。俺はルイの側の人間だったんだ。痛みを認識しないと快楽が得られない…でも…少しで良かったのに…色々と勘違いしたせいで悪化させた…」
「自分のことが少し分かっただけでも成長だよ。さ、君たちは若いんだから食費を削って節約してると身体にも悪いよ。手を洗ってきたら、夕飯を食べるといい。ここの執事は変わり者で料理長も兼ねているから、料理も美味しいよ」
社長が告げて洗面所に二人を案内する。手洗いを済ませた二人は出てきた料理に目を見張る。椎名が小声で呟いた。
「俺も…卒業したらセラヴィで働かせてもらえないかな…」




