今野の場合 1
その日いつものようにラウムに車で送ってもらい、リツとジーン、それにアサヒが降りたところで、見覚えのある顔が駐車場に停まった車から降りてきた。今野泉だった。今野はちらりとアサヒとその近くにいる小学生を見て一瞬妙な顔をした。だがすぐに顔を逸らして歩き出す。
(そういえば…今野くんって…何なの?天使の名前…分からなかったんだけど…)
ジーンはリツが自分を見て心の中に告げた言葉に肩をすくめて見せた。
(あぁ…あれは…ラグエルの一部だよ…天使の監視人…神に背く者を見つけ出して伝える密告者だ…でも一部だから読めなかったんだろう。レリエルのように半分ですらないんだ。ガブリエルも首をひねっていたから。気配が薄過ぎるって。ただ残りはまだ見つかっていない…国内にはいない可能性の方が高いな)
(ラグエル!?えっ…ラグエルって監視人だったの!?ウソ…)
リツは名前を聞いた途端に立ち止まって急に片手でこめかみに触れ顔をしかめた。ジーンが慌てて身体を支える。
「大丈夫!?」
歩いていたアサヒも驚いて立ち止まって戻ってきた。
「ご…めん。急に頭が痛くなって…」
ジーンに魔力を注がれたリツはそれで落ち着きを取り戻す。
(何か思い出したのか?)
「ううん…頭が痛すぎて考えられなくなった…」
(無理しなくていい)
リツの様子に不穏なものを感じながらジーンはアサヒと別れて付属小の門をくぐる。何かが記憶を呼び戻す妨げになっているように感じた。それがリツ自身の恐怖のせいなのかは分からなかったが、ラグエルとフィランジェルには何か関わりがあるのかもしれないとジーンは考えた。
***
一方その頃、今野は今朝見たアサヒと一緒の外国人の少年と日本人の少女のことを考えていた。外国人の方はともかく、日本人の少女の方がほんの少しの間だけ転校してきていなくなった腹立たしい少年にどこか似ている気がして、今野は無性に苛々していた。あいつが転校して来なければ、皆の前で大恥をかくこともなかったし、ルイを奪われることもなかったと思った。ルイがいなくなってから、新しいおもちゃは見つかっていない。虐げる相手がいなくなったことで今野は鬱憤が溜まって体調も悪かった。
「どうした?イズミ調子悪いのか?」
付属小時代からの腐れ縁の加納翔吾が声をかけてくる。別に気にかけて欲しい訳でもないのに、ルイがいなくなってから苛々したり自暴自棄になったりしている今野に彼はさりげなく寄り添っていた。
「お前さ、高等部の先輩方とつるむのいい加減止めなよ」
加納に言われた今野は苛々しながら髪をぐしゃぐしゃにした。
「言われなくたって…もう…会ってないよ」
「うそだろ。最近も旧校舎で見たって聞いたよ。なにやってんの?別にイズミの趣味にとやかく言うつもりはないけどさ、それでも発散できなくて鬱憤溜まってんなら方法が間違ってるんだと思うよ?」
「…転生者のこと…何も知らないくせに」
今野が睨むと加納は今野を見下ろす。自分よりも頭一つ分ほど背が高いのも癪だった。
「何も?俺が学校で教えられたことだけ四角四面に覚えてるとでも思ってんの?少なくとも今野が思ってる以上には知ってると思うよ。でも…イズミは俺を頼ろうとは思わないもんな。最初から住む世界が違いますって涼しい顔して線引きしてるのはどっちだよ?」
そのとき予鈴が鳴ったので加納は、じゃ、と短く言って教室に入ってしまった。今野もノロノロと教室に向かう。それよりも旧校舎で見たと言われたことに動揺していた。どこまで何を見られたのか。加納には知られたくないと思った。お陰で今野はその日の授業はほぼ上の空になってしまい、一ノ瀬光輝にまで不審そうな顔で見られることになった。
***
朝の会話を引きずったまま結局今野は旧校舎へと向かっていた。スマホに短く返信のメッセージを送信する。教室を開けると煙草の匂いが漂っていた。大人が使う魔力回復成分の含まれる煙草だ。未成年の使用は禁止されているが高等部で留年している彼らはもう十八歳になっていた。従って彼らがこの煙草を吸うことには問題はなかった。先にいた二人のうちの片方が今野を手招いた。
「イズミ、来いよ」
体育の授業で使われなくなったマットを教室にまで持ち込んで並べた机の上に置いて彼はゴロゴロしていた。今野は小さく礼をして教室に入る。椎名五稀が吸っていた煙草を差し出したので今野は受け取って吸い込む。多少はクソみたいな気分が楽になるからと始めたら止められなくなった。少しクラクラする。いつものように椎名の隣に座ると肩に腕を回された。
「お前、ほんとに天使なの?」
椎名は低い声で言って笑う。椎名の契約パートナーである向井三智彦は椎名の方をちらりと見て不服そうな顔をした。彼は椅子に座って推理小説を読んでいた。
「イツキ…なんで天使に拘るわけ?」
「えー別に理由なんてないよ。ただ…聖なるものを堕落させたいだけ…かな。って言ってもイズミは元々堕落してたけどな?お前、天使って割には澱んでるんだよなぁ…その死んだ魚みたいな目がムカつく…くり抜いてやりたいよ」
椎名はそう言って今野のあごを捉えるとキスをしてきた。最初は煙草の味が嫌だったのに、自分も吸うようになったら慣れてしまった。こうやって少しずつ慣れて次第に何も感じなくなっていくのだろうかと思う。隣で向井が呆れたようにため息をつくのが聞こえた。
「一応ここ…部室として借りてるんだからさ…キス以上のこと始めるのは止めてくれよ?ほんと…マジで最近評判悪いんだからさ…お前…マットも洗えないんだから汚すなよ?」
「あーはいはい、毎回オカンみたいにうるさいよね。ミチヒコは。分かってるよ。仕方ないからタオルと雑巾持参してんじゃん。要するに猟奇的な痕跡が残んなければいい訳でしょ。これだって一種のボランティアじゃん。じゃ、始めよっか。脱いでイズミ」
イズミはのろのろと制服に手をかける。いつからか何かがおかしくなってしまった。椎名は鞭を取り出してイズミが制服を脱ぐのを待っている。イズミが上半身裸になると、椎名は腕を組んで少し考えた。
「やっぱ背中が妥当かな。他の場所だと目立つし…ケツだと椅子に座れなくなってたもんね…イズミの大好きなルイとお揃いにしてやるよ。ルイがいなくなったらマジで腑抜けじゃん。どんだけ依存してたの?本当はルイみたいになりたかったの?教えてよ、イズミ」
椎名はどこか酷薄な笑みを浮かべると鞭を振り上げた。




