カイセイ&ミヤビの場合 2
その日の夜、執事の黒木に案内された部屋を見た三夜美は緊張していた。これから宮本と共に使う部屋だと説明されて中に入ったまでは良かったのだが、そこは一時避難として使ったシェルター仕様の部屋とはまるで違っていた。向こうがビジネスホテルとするなら、まるでこちらは高級ホテルだ。とはいえそんなホテルになど泊まったことはないから、それは三夜美の第一印象に過ぎなかったが、ダブルベットよりも広いのではないかという大きなベッドがまず視界に入った。当然のように枕が二つ並んでいる。ここで毎日宮本と並んで眠るのだろうかと思ったら急に心臓がバクバクしてきた。動悸の収まらないまま部屋から出ると近くの部屋からアサヒが出てきた。宮本はまだ下でストラスと何かを話していた。
「あ…」
帰宅してきたときは女性だったはずのアサヒのパートナーは今は美しいが男性の姿をしている。三夜美はアサヒがそのようなことを言っていたのは分かっていたが、やはり実際に見ると驚いてしまった。
「まだ宮本さん、戻らないね。部屋に来る?一人でいても落ち着かないと思うし…」
「えっ?でも…」
アサヒはティーシャツにハーフパンツというラフな格好だった。人の名前は雨宮と名乗っていた彼は肌触りの良さそうな光沢のある紺色のパジャマを着ていた。
「構いませんよ。どうぞ」
恐る恐る部屋に入るとほのかに良い香りが漂っていた。何の香りだろうと思って目の前の男性の香りなのだと気付く。彼は三夜美を見るとフッと笑った。
「君は少し…アサヒのように…無防備なところがありますね。気をつけないと、悪魔に味見をされてしまいますよ?」
「えっ…?」
「ラウムさん…あまり怖がらせないで下さいよ。ミヤビのパートナーは元天使なんですから…」
「あぁ…そうでしたね。けれどもこの家は魔力に満たされていますから…少しずつ悪魔の気配にも慣れさせるようにと、補佐官もおっしゃってましたから…」
「ラウムさんは仕事熱心だから…ミヤビ、ベッドに座って楽にしてて。立ったままだと倒れる可能性もあって危ないから」
アサヒに言われてミヤビは遠慮がちにベッドに座る。倒れる?と思った。何の話だろう。こちらのベッドも当然ながら広い。
「ラウムさん、キスはダメだよ?ハグだけ…」
「分かっていますよ。アサヒ以外とはしませんよ…」
ラウムの言葉にアサヒは照れた顔を見せる。アサヒもこんな表情をするのかと意外に思っていると、どこからともなく現れた子猫のヒトハがアサヒの膝にちょこんと乗った。アサヒは優しく子猫を撫でる。そちらに気を取られている間に三夜美はラウムに抱きしめられていた。抱きしめられたことで、細身に見える相手が思いのほか筋肉質なことに三夜美は気付く。恐らく鍛え上げられた身体だ。三夜美の口から思わず声がこぼれ落ちる。
「今度…デ…デッサンさせて下さい…!」
「えっ?」
まさか抱きしめてそんなことを言われると予想していなかったラウムは三夜美に魔力を注ぎながら意外そうに相手を見下ろしてしまった。隣のアサヒが笑う。
「均整の取れた体付きしてるなって思ったら、ミヤビは描きたい方に意識が向いちゃうんだね」
「なるほど、そういう訳ですか。構いませんよ。補佐官や陛下の肉体美には敵いませんが…お二人はお忙しいですから、私でよければ声をかけて下さい」
「あの…補佐官って…?」
三夜美の疑問にアサヒが答える。
「ストラスさんだよ。で…ジーンさんだとかアルシエルさんって時々呼ばれているリツの旦那さんが魔界の国王陛下。現役のね…僕は死にかけたとき国王陛下の使い魔にしてもらって生き延びたんだ。ラウムさんも使い魔だから、僕にとっては大先輩。使い魔の仕事も少しずつ教えてもらってるよ」
「……だからアサヒは…前とは何だか違う感じがするのかも。使い魔になったから?今は魅せられるっていうか…アサヒも描いてみたいって思う…」
「えぇ?僕はひょろひょろだし、魅力はないよ」
「…アサヒは自分の魅力を分かっていないんですよ」
相変わらず三夜美を抱きしめたままラウムは言う。三夜美は魔力を感じて思わず目を閉じた。抱きしめられるだけで、こんな風にふわふわした気持ちになるなら、それ以上のことをしたらどうなるのだろうと思う。不意にアサヒが声を上げる。
「…ミヤビ…もしかして酔ってる?」
「えぇ…?僕は…そんなこと…ないよ?」
三夜美は言ったものの自信がなかった。酔うとはどんな感じなのだろう。養母は酒に酔うと更に辛辣になる。だから酒に酔っている人を見るのは好きではなかった。身体を離して三夜美の顔を覗き込むラウムの手が頬に触れる。
「少し…酔ってますね。身体が少し熱くてふわふわしませんか?まるでマタタビを嗅がせたアサヒみたいですよ?」
「もう、恥ずかしいから言わないでよ。猫科の悪魔や使い魔にもマタタビは効くのかっていう実験をしたんだよ。僕は転生前は猫科の使い魔だったから…効いちゃったけど。だからヒトハも懐くんだと思うし…」
アサヒは膝の上で丸くなる子猫を見つめた。
「猫科の使い魔…?」
三夜美の目が輝く。アサヒは何かまずい部分を刺激してしまった気がした。
「どんな姿なの??」
「えぇ?恥ずかしいよ。だって僕、戻ると女の子になるから…」
「僕だって、転生前は女だよ?しかも最終的には奴隷だし」
三夜美に平然と言われたアサヒは困ってラウムの顔を見る。けれどもラウムまでが言った。
「就寝する際はベレトのことが多いのですから、別に今変わっても後で変わっても私は構いませんよ?」
「んーあぁ、もうっ!分かったよ。でも学校ではここでの話はしないでよ?」
「それは当然だよ。大丈夫」
アサヒはベレトに変わった。オッドアイの黒髪の美少女になったアサヒを見て、三夜美は目を丸くした。
「うわぁ…アサヒ…ベレト?って、なんか…破壊力半端ない…」
「アサヒ!力を弱めて!」
ラウムに言われて慌てて解放した魔力を抑えたが、すでに遅かった。三夜美はラウムの腕の中で目を回していた。
***
「遅くなってごめんね、ミヤビ…どうしたの?」
宮本が部屋に戻るとミヤビは広いベッドの隅の方に横になって少し赤い顔をしていた。ヒトハは広いベッドの足元で眠っていた。
「大丈夫…ちょっと、悪魔の魔力を浴びただけ…」
「それ、大丈夫なの?」
「うん…」
宮本は三夜美のおでこに手を当てて首をひねる。
「熱はないみたいだね。お風呂入った?」
三夜美はこくりと頷いた。
「お風呂…沸かしたから…カイセイさんも、ゆっくり入って。歯磨きもしたから…僕は…寝る準備…終わってるので…」
「ありがとう。じゃ、入ってくるからちょっと休んでなよ」
宮本はそのまま浴室に消える。あまりに自然で気負わないので、三夜美はこの生活に一人でドキドキしている自分が、何か醜い生き物のように思えてきた。宮本に何を期待しているのか。魔力に満たされている今は触れ合う必要もない。なのに、宮本に触れられたいと、心のどこかで望んでいる自分がいた。
(考えない…意識し過ぎない…自然に…)
気持ちを落ち着けようとすればするほど、パートナー契約を結んで、宮本の部屋に共に住むという選択をしてしまった自分が軽薄なような気がしてくる。
(でも、アサヒだってそうだし…ここは、パートナーどうしがみんな一つの部屋に暮らしてるんだから…そういう場所だって…)
三夜美は頭の中でグルグルと考えながら目を閉じていた。しばらく経って浴室のドアの開く音がして、ドライヤーで髪を乾かす音が聞こえた。それから歯を磨く音。三夜美にはこれまで宮本はどこか生活感のない人物に見えていたから、そういった日常的な音を聞くことすら新鮮だった。目を閉じたままでいると宮本がダウンライトに切り替えたのが分かった。足音が近付いてきてベッドが軋む。すぐ近くに宮本の気配を感じた。
「ミヤビ…寝ちゃった?」
するりと頬を撫でられる。三夜美は寝たふりもできず目を開いた。
「僕と…暮らしていけそう?無理しなくていいからね?ストラスさんが…二人でいるのがキツいときはゲストルームも使えるから無理するなって言っててさ。僕は…あまり常識のない人間だから…この先ミヤビを驚かせたりガッカリさせたりもするかもしれない…そのときは遠慮しないで教えてくれるかな?」
三夜美は頷いた。宮本は布団をめくると三夜美の隣に横になる。
「緊張しなくていいよ。僕はミヤビのパートナーだけど…急にキス以上のことをしようと思ってる訳じゃないから。それに今ミヤビは満ち足りたるでしょ?」
「…それは…魔力の量は…そうだけど…」
三夜美は口ごもる。でも言わなければと思った。
「カイセイさんがいないと…少し…不安だった」
三夜美はそう言って宮本の顔を見た。
「ハグ…して欲しいです…」
宮本はなぜか嬉しそうに微笑むと近付いてきて密着した。
「いいよ。たくさん…ハグしよっか」
ボディソープの良い香りがする。宮本の腕に抱きしめられて三夜美はようやくホッとした。ラウムの筋肉質な腕とは違う、少し頼りないこの腕に一番自分はドキドキして、こうやって抱きしめられると生きている自分を認識できるのだと思った。
「ミヤビ、一つ約束できるかな?」
宮本が言う。
「これからは自分を傷付けないで。いい?」
宮本の指先が三夜美の左腕に残る傷跡に触れる。三夜美はドキリとした。三夜美が答えられずにいると、宮本は言った。
「どうしても切りたくなったら僕の腕を切るといい」
「そんなの、無理です!」
慌てて三夜美が声を上げると、宮本は意外にも厳しい顔つきで言った。
「ミヤビが腕を切ると…僕も自分の身体を傷付けたくらいの辛い気持ちになる、そう言えば切らないと約束できる?」
「えっ…」
「約束できないなら、ミヤビが切ったら同じところを僕も切る」
「わ、分かったから!約束する!」
慌てて三夜美は言った。宮本はようやく満足したように微笑むと三夜美の腕をさすった。
「ミヤビはもっと自分の身体を大切にしないといけないんだよ。分かってくれたならいいよ」
宮本の手が頭を撫でる。じんわりと宮本の方から魔力が流れて三夜美はなぜか切なくなった。
「おやすみ、ミヤビ」
額と唇に軽くキスされる。三夜美はそれだけのことなのに心臓がバクバクした。これから毎晩こんな風に眠るのだろうか。いや、この状況で眠れるのだろうか、そんなことを考えていたのに、三夜美はいつの間にかまぶたが重くなっていた。
「おやすみ…なさい」
三夜美は小声でそう返すとやがて深い眠りに落ちていった。




