ミカエル&イオフィエルの場合 3
「…随分と暗いな。そこまで悩むことなのか?」
しばらくしてから現れたアルシエルはまだ眠っているイオフィエルの身体を診ながらミカエルにそう言った。彼は今医者の格好をしている。イオフィエルの下腹部に手を当てて彼は探っていた。
「天使は月のものがないらしいからな…サリエルが自らの身体で試した結果そうだと言っていたに過ぎないが…だったら局部に刺激を与えて試してみろと言ったら、この世の終わりを迎えたかのような顔をされたからそこまでは確認できなかったが…なるほど排卵はされたようだが…受精には至っていないな。ともかく…イオフィエルの準備は整ったから、もう一度頑張れ」
「…えぇぇ!?」
またあの獣のような衝動に振り回されることになるのかと思ったミカエルは情けない声を上げた後、微妙な顔つきで押し黙る。アルシエルは肩をすくめると言った。
「実のところ…快楽に身を委ねられる子作りよりも出産と子育ての方が困難で大変だというのを君は知っているか?この世界での離婚率の増加の原因は子どもが札付き転生者だったことよりも、出産後の夫婦間の子育てに関する温度差によるものの方が実は多いんだ。だいたい男は気持ち良くなって腰を振るだけで済むが女性は腹の中で育てて産むまでにも苦痛が伴う。その点に関する男性側の圧倒的な理解不足…転生者たちは、それでより子育てに共感度の高い相手を求めて離婚したりもするが、その途中で子どもが次第に疎ましい存在に変わることもある…レリエルの半身…現在の名は宮本海晟…彼はその典型だな。母親に刺殺されそうになった…」
「な…何が…言いたいんだ?」
「私が言いたいのはイオフィエルの心を繋ぎ留める努力を日々怠るなということだよ。君の中のイオフィエルに対する愛情は我々のそれとは少し異なるのかもしれないが、抱いた以上は孕んでも孕まなくてもその責任を愛情に変えて与えてやることだ。その点悪魔たちは分かりやすいだろう?私だってフィランジェルに飽きられては困るから日々努力をしているんだよ?自分の子は自分の手で育てたいじゃないか。全ての雄がそうとは限らないが、連れ子を義父が殺してしまうのはその典型だな。己の子じゃないから愛情を示せない。子の方も相手を親と認められない。双方の利害は一致しない。どちらも母親の愛情を手に入れるには邪魔な存在だからだ。仮にイオフィエルが別の天使の元で暮らして自分の子が虐待されたり殺されたりするところを想像してみろ。私は吐きそうになる。だから私はフィランジェルにも腹の子にも平等に魔力を注ぐ。それに胎児のうちから子育ては始まっているというのが、もはや魔界では定説だ。分かったなら今後君は父親らしく振る舞う勉強も必要だ。いくら悪魔を殺していてもその知識は子育てには一つの役にも立たないんだ。子どもに誇れもしない。君の持ちうる知識は育てるのとは真逆の行為ばかりだからな。それしか学べなかった君はある意味可哀想な天使なんだよ。だから私は放っておけないんだ。自活できる自由奔放なガブリエルと違ってね」
アルシエルはそう言うとミカエルの頭を撫でた。つい数時間前に大人になったばかりなのに子どものように扱われたミカエルは、腹立たしいはずなのに怒れない自分に驚いた。いちいち言うことが当たっているからだった。そうだ、自分は息の根の止め方を知っていても、育て方は知らない。作るより壊すほうが得意だ。だが今まで誰一人として天使の軍勢を率いる自信に満ち溢れた自分を可哀想などと言った者はいない。言われて初めて気が付いた。自分にもその言葉を当てはめてもいいのだと。
「アルシエルから見た私は…可哀想なの?」
「あぁ…育て方を間違えられた子どものように不憫で…可哀想だよ。知らないことを教えてもらう術もようやく覚えたばかりじゃないか…」
アルシエルはミカエルの頭を撫でて抱きしめる。ミカエルは緊張しながらもその腕を受け入れてしまった。
「そっか…うん…私は…サリエルの言う通り…戦い以外はポンコツだからね…無知なんだ…」
「まぁ、ポンコツの割には今回は頑張った方だと思うから褒めてやろう」
アルシエルはミカエルの頭を撫でる。なぜか落ち着くと思って、リツもこの手のひらを感じていたのかと妙に納得した。
「だってあれは…媚薬のせいだし…あ!いったい、いつどこで誰が盛ったの?」
「うん?あぁ…夕飯だよ。黒木が豚汁に混ぜたんだ。味噌汁より味も濃いし、他の野菜の旨味も出るからほんのり甘い媚薬の味など気付く訳もない…」
「うわぁ…やられたなぁ…美味しく飲んじゃったよ」
「悪魔のチョコレートよりはよほどマシだよ。食べたリツはとんでもなく淫らになった…さすがに今のイオフィエルがそうなると、ミカエルには刺激が強過ぎるから、チョコレートは出すなと釘を刺しておいたらこれだ。大目に見てやってほしい」
アルシエルはミカエルの背中をポンポンと軽く叩くと立ち上がった。
「もうじきイオフィエルも目覚めるだろう。優しい言葉をかけて一緒にいて…気分が乗ったらもう一度抱くんだ…」
アルシエルは白衣を翻して部屋から出てゆく。なるほどフィランジェルが惚れる訳だと思った。圧倒的な包容力。自分にはまだ足りないものだ。傍らでイオフィエルが小さな声を上げる。まぶたが開いてその瞳がミカエルを捉えたときに、どんな色に揺れるのか彼には想像がつかなかった。
「イオフィエル…?目が覚めた?」
「……?」
ぼんやりとミカエルを見上げたイオフィエルはフワリと笑う。
「ミカエルさま…」
「どう?身体は…大丈夫?」
恐る恐るミカエルは尋ねた。
「……」
「もしかして…痛い?」
「…いいえ…思っていたのとは…違ったので…平気です…」
「いや、でも平気って言うってことはやっぱり痛かったんだよね?ごめん…」
ミカエルは慎重に下半身の方に手を伸ばして微量の神聖力を流した。イオフィエルはそれだけなのに何故か真っ赤になった。
「イオフィエル…?どうしたの?大丈夫?」
ミカエルはおろおろと、片手で少女の頭を撫でる。イオフィエルは今度は首を縦に振った。
「ち、違うんです…その…」
「……?」
「だから…その…ミカエルさまと…一つになったとき…痛かったのは…最初だけで…あとは…その…気持ち…良かったです」
「そ、そう…だったの。良かった…あんなことをしてイオフィエルに嫌われていたらどうしようって…そればかり心配だったから…」
イオフィエルは恥ずかしそうに目を逸らしてから再びミカエルを見上げた。けれどもまた逸らす。
「は…恥ずかしいから、そんなに見つめないで下さい!私こそはしたない姿を見せたんじゃないかって…心配だったんです。私…堕天してませんよね?」
ミカエルはイオフィエルの頭を撫でた。アルシエルにとっては子どもみたいなものでも、ここでは男でいなければ示しがつかない。
「大丈夫だよ。二人とも堕天してないし…その…さっきの刺激で排卵してるって言われた。でも…受精はしてないみたいだから…その…もう一回頑張れって言われちゃったよ」
イオフィエルはミカエルの言葉に神妙な顔をして頷いた。
「あの…私は大丈夫ですから…ミカエル上官が…嫌じゃないなら…あの…その…頑張ってみて下さい」
「えっ!?」
予想外の言葉にミカエルは動揺する。今のイオフィエルはもう媚薬の効果は消えているはずだ。なのにイオフィエルはすでに両手を広げてミカエルを受け入れる態勢になっていた。恐る恐るミカエルはその腕に抱きしめられる。これでは上官の威厳も何もないと思いながら、ミカエルはイオフィエルと再び少しぎこちなく口付けを交わし始めた。
***
ジーンが部屋に戻ってくるとまだフィランジェルが表層に出ていた。フィランジェルはジーンが豆から栽培したノンカフェインの珈琲を飲んでいる。
「おかえり。ねぇ、どうして嘘をついたの?わざわざ、もう一回しなくても…受精してるでしょ?」
「うん?何のことだ?」
「とぼけないでよ。イオフィエルだよ」
「あぁ…念の為だよ。それに…媚薬なしでもできた方がいい。その力にばかり頼らずに。お互い正気の方がいいこともある…そもそも…媚薬で突破させて悪くないと思わせるのが目的だったからな…」
ジーンはそう言うとフィランジェルを後ろから抱きしめながら唇を重ねた。何か誤魔化されたような気分になりながらも、フィランジェルは流される。
「それに…案外…イオフィエルは気に入ったようだ。ミカエルとそうすることに抵抗がなくなった。むしろサリエルが余計なことを言ったから怯えていたのかな。別に嘘をついた訳ではないが、イオフィエルはどうやら拷問されるような痛みを想像していたようでね…まったく…恐らく過去の話をどこかで聞いたんだろうな。悪魔が天使を陵辱した頃の野蛮な話の類を…」
「拷問??翼を斬られるような?」
「そうだな」
言いながらジーンは背中の傷跡に触れた。
「私は…その痛みをフィランジェルに与えてしまったことが悔やまれるよ…償い切れない」
「ジーンのせいじゃないよ。私はもう平気なんだから。それにジーンに悪魔に変えてもらってから…翼を斬られる悪夢は見なくなったんだ。だから大丈夫」
「そうなのか?」
「うん…」
ジーンは飲みかけのノンカフェインの珈琲を一口飲む。
「旨いな」
「うん…あの時は正直なところ…こんな日が来るとは思ってなかったんだ。だから珈琲って言った」
「抱き合えると思っていなかったからか?」
「うん、そうだね。悪魔たちにも認められないんじゃないかって思ってたから…珈琲を飲むくらいの間柄ならまだ…許されるんじゃないかって…」
ジーンは傍らにあるチョコレートを一粒口に含んだ。中には干しブドウが入っている。フィランジェルも一粒食べて微笑んだ。
「それで…天使のイオフィエルと私とでは…何か違ったかな?」
「あぁ…イオフィエルは初めてだったようだから…可愛らしい反応をしていたようだよ。ちらりとミカエルの記憶を見ただけだが…フィランジェルは…もう少し積極的だったな。やはり個人差があるということだ」
「当たり前じゃない、そんなこと…」
「果たしてそうかな。天使は神が作り出した存在…どのように増やしたのか我々は知らない…ミカエルとイオフィエルのDNAは調べて不一致だったから、今回背中を押したが他は調べていない。例えば…ガブリエルと君など…」
「どうしてそこにガブリエルが出てくるんだ?」
「いや、天使の血縁関係が分からなかったからな。ガブリエルがやけに君に執着するのも気になる…とはいえ君は転生しているからもう誰とも血は一致しないだろうし、天界に君の翼が残っていれば違ったのかもしれないが…調べようもないな」
「まぁ…そうだね。この姿は天界にいた頃の記憶の蜃気楼みたいなものだし…そろそろリツに交代するよ」
フィランジェルの姿が揺らいでリツに戻る。リツはゆっくりとまばたきをした。
「ジーン…」
リツはふわりと微笑む。ジーンはリツを抱きしめた。
「なに?どうしたの?」
「いや…戦争のない世の中に越したことはないなと思っただけだよ」
「それはそうだね…天界の神とアルミサエルはどこに消えたんだろう…レリエルをこっちに落としたなら、アルミサエルは天界に残ると思っていたけど…」
「あぁ。あるいは…」
あまり考えたくはないが、ない話でもないとジーンは考える。
「…この世界の滅亡を止められないと判断して…切り捨てて別の世界の神になったか…アルミサエルも…神に従ったのかもしれない…」
「ここは…滅亡してしまうの?」
「まぁ…何もしなければな。でも、我々はまだこの世界に用がある…悪魔と堕天使の魂を回収して終わりかと思っていたが…存亡をかけるとなると…もう少し作戦を練る必要があるな」
ジーンはリツを抱きしめたまま低い美声で囁いた。




