ジーン&リツの場合 53
夕飯を食べながら、きさらぎきりとからスクープを狙う記者がこの屋敷周辺をうろついているという話を聞いたジーンは、豚汁を飲みながら考え込んだ。具沢山の豚汁はそれだけでお腹が満たされそうな少し濃い味付けだ。それに今日のジャガイモは黄色くて特に甘みが強い。頭の片隅では魔界でもこの品種を栽培しようかと思って候補地を検討しながら、屋敷周辺をうろつく人物の気配を探る。相変わらずアサヒのところの探偵も張っている。現状報告のみのそちらは放置していた。
「記者は厄介だな…一度記憶を消すか…」
物騒なセリフを吐いたジーンは、ガブリエルにメッセージを送った。天使が投げキッスをするどこか下品なスタンプが送られてくる。ガブリエル自作のスタンプらしい。絶妙な具合で本人に似ているのも腹が立つ。ところでこれは果たして了解の意味なのだろうかとジーンは考えつつ、アサヒの探偵の記憶は消さないように追加で依頼した。りょ、とのみ返信がくる。しばらく談笑していると、屋敷周辺をうろついていた気配が去ってゆくのが分かった。程なくしてインターホンが鳴る。
「どうもーこんばんは」
インターホンに映る姿は元のガブリエルよりも若い。解錠すると上がり込んできたガブリエルはデリバリーの専用リュックを背負っていた。自転車に乗っていたのかヘルメットを被っている。それを脱ぎながらガブリエルは笑った。
「ちょうどこの近くに配達してたとこだったんだよ。ばっちり消しといたけど、また現れたら言って」
ジーンは電子マネーで報酬を支払う。ガブリエルはまいどーと言ってニヤニヤした。
「あれ?レリエル…?ちょっと記憶戻った?んー余計なこと思い出した?」
「えっ?ガブリエルさん?なんか…お会いしたときより…若返ってません??」
「あーそこは気にしない気にしない。なんだよミカエル、言いたいことがあるならはっきり言いな」
「別に何もないよ…その軽薄な姿を見ているとイライラするだけだ」
ミカエルはガブリエルの格好を見てため息をついた。
「あるじゃん、言いたいこと。うん、これは計算の上でやってるからね。こういうちょっと危ない軽薄そうなお兄さんの方が絡まれても対応しやすいの。突然暴力振るっても、あーやりそうな見た目してるもんなって脳が納得するでしょ。クソ真面目な姿でいきなり人を殴ったら、あの見た目で暴力!?って強烈に印象に残っちゃって、記憶を操作するにしてもこびりついちゃってるから余計な魔力消費すんの。焦がした鍋より厄介な訳」
「すでに…殴る前提で話を進めてるところが…天使としてどうなのかと思うよ…暴力的過ぎる…」
「なになに?悪魔を片っ端から問答無用に殺してた天使が何言ってるの?君が手にかけた悪魔の名前をここで一人ずつ名指しにして出したら、何人かは知り合いがいるんじゃないのかな?どっちが暴力的だよ?」
「ガブリエル!!」
立ち上がったのはリツだった。
「ケンカを売りに来たなら帰って!黒木さんのご飯を食べたいなら大昔の話は止めて大人しく席に座って。それを言うなら私だって悪魔を殺してる。ガブリエルだって。ミカエル一人を責めるのは筋違いだよ!」
「……」
ガブリエルは肩をすくめると、空いている席に静かに座った。ミカエルは豚汁を一気に流し込むと、ごちそうさまでしたと言って席を立つ。イオフィエルはリビングから出たミカエルの方を振り返り、ちらりとガブリエルを見て席を立つ。
「ガブリエルさま、今のはさすがに…言い過ぎかと…失礼します」
イオフィエルはミカエルの後を追いかけてリビングから消えた。ガブリエルは空気を読まずに言う。
「あぁ、お腹減ったなぁ」
出されたお絞りで顔まで拭いたガブリエルは黒木の並べた食事に手をつけた。ジーンはちらりとそちらを見ると言った。
「…けしかけるにしても…出した話題が悪過ぎるだろう…見てみろ、事情を知らない悪魔たちの方が気まずそうな顔をして縮こまっている」
見れば、何とも神妙な顔をして悪魔たちは静かに食事をしていた。まるでこれでは誰かの葬式のようだ。
「でも結果としてミカエルは僕にキレて席を立った。イオフィエルがどう転ぶか分からなかったけど…追いかけたってことはまぁ上出来とはいかなくても及第点?もぅ、本職の人間がいる前でこんなことさせないでよね。恥ずかしいったらないよ。僕にだって一応羞恥心ってものは辛うじて残ってるんだからね」
「……まさか…来た途端に始めると思わないから…あーもう。それはこっちのセリフだよ。食事時に変な空気になるのは嫌だったのに…」
リツは大きなため息をついてようやく椅子に座る。
「なかなか堂に入った演技だったよ、リツ」
ジーンは満足気にリツの頭を撫でた。きさらぎきりとがリツの顔を見て目を丸くする。
「えっ?今の…演技だったの?」
「演技というか…まぁ…演技は演技ですけど…ガブリエルが何をどう言ってミカエルを怒らせるのかまでは分からなかったから…半分はアドリブですけど…」
「みなさん演技派ですね。すっかり騙されましたよ」
遠野にまで言われて、リツは恥ずかしくなる。ガブリエルまでが珍しく照れたような顔をして豚汁の具を食べていた。
「ガブリエル…でも、できれば戦争の頃の話は…あんまりしたくないかな…ごめん…」
リツは急にうつむいて顔を覆う。ジーンがリツの肩を抱いた。魔力の乱れを感じる。ジーンも一瞬脳裏を過る光景があった。崩落した建物の中で圧死した仲間を前に、こんな風にしてうずくまるフィランジェルのうなじを見た記憶が蘇る。そこに口付けをしたいという邪な思いを抱きながら後ろからそっと背後から抱きしめた。フィランジェルはすぐに相手が誰か気付いたが拒まなかった。図らずも天使の援軍が来て、フィランジェルとアルシエルの一騎打ちの筋書きが滅茶苦茶になってしまったときのことだった。身じろぎもせずに二人はそのままじっとしていた。互いの孤独と虚無感に寄り添うようにして動かなかった。動けなかった。
(どうして天使と悪魔は戦わなきゃいけないんだ?)
(さぁ、どうしてだろうな。私はこの無益な戦いを一刻も早く終わらせたい…仮に戦わない世界になったら…お前は何がしたい?)
(アルシエルと一緒に…美味しい珈琲を…飲みたい…)
フィランジェルはこの会話を覚えているだろうか。別に忘れてしまっていても構わないとジーンは思った。そっとうなじに口付けをする。もう遠慮をする必要はないのだ。
「大丈夫か?お腹に子がいると…精神面に乱れが生じやすいとも聞くから…あまり考え過ぎないことだ…」
ジーンはそう言ってリツを抱きしめた。ガブリエルの隣になってしまった光輝は何と言っていいか分からずに無言のままモリモリとご飯を口に運ぶ。
「…いい食べっぷりだね」
ガブリエルが話しかけてきたので、光輝は小声で返す。
「あ…そうですか?まぁ…俺は食べて魔力を補える体質みたいなんで…だから親父に言われるまで札付き転生者だってことも知らずに能天気に暮らしてたんですよ。そしたら親父だと思ってたのも…親父の弟だったっていう…まぁでも恵まれてます、俺は。そのことを最近になって実感しました」
「ふーん…特異体質?面白いね、君の身体」
ガブリエルは光輝の身体に流れる魔力を見て興味を示したようだった。新しいおもちゃを見つけた子どもと大差ない。
「すまない、リツの体調が優れないようなので少し外す」
ジーンはそう言うとうつむくリツと共にリビングから出てゆく。ストラスが気遣わしげな視線を送り、小さく頷くのが見えた。悪魔どうしの心の声はガブリエルでも読むことができない。とりあえず自分はミカエルをけしかけるという役割をこなしたのだから、今は目の前の美味しい食事に集中することにする。欲を満たすことも魔力の増幅に繋がる。光輝の場合は食欲か、と思いながらガブリエルはすりゴマのかかったきんぴらごぼうに手をつけた。
***
「ごめん…変だったよね…私…?」
寝室に移動したところでリツはようやく口を開いた。
「そんなことはないよ」
ベッドに横たえたリツの服を緩めながらジーンはそう言って唇を重ねながら素肌に触れてきた。魔力が流れる。演じただけのはずが気持ちが入り過ぎた自分にリツは驚いていた。
「遠野さんが…無意識のうちに…魔力を使っちゃうの…少し分かるかも…」
「そうか?今は喋るな…魔力が漏れる…」
ジーンに唇を塞がれてその身体の重みを少し感じたところで、横抱きにされて足が絡まった。そこからも魔力が流れ込んでくる。やがてサワサワと何かが迫り上がってくる感覚にリツは気付いた。ジーンもおやといった風に自身の身体を見つめる。ジーンの身体から青白く光る蔦が生えていた。
「なに…これ?」
「あぁ…王子に蔦の種を貰ったんだ…中継地点を失っても通信が途切れないようにと…」
「あ!…あの画面から出てきた蔦…」
「なるほど…これで体中を覆ってしまえば…魔力を漏らさずに伝えられるという訳か…」
ジーンはどこか面白そうに言うと素早くリツの衣服を剥ぎ取り蔦を出してリツをぐるぐると柔らかく巻いてゆく。リツはあっという間に蜘蛛の巣にかかった獲物のように首から下を巻かれてしまった。なのにあまりの心地よさに一瞬意識が遠のきそうになる。
「なに…これ…すごい…」
「どんな感じだ?」
「ジーンに…包まれてる…魔力が…満たされてる…」
「そうか?良かったな。妊娠中、魔力を注ぐために無理をさせるのは忍びないからな」
ジーンは微笑んで再び唇を重ねる。どこかうっとりしている様子のリツをジーンは蔦ごと抱きしめた。しばらくの間無心で唇を重ねているうちに魔力の乱れは落ち着いてきた。リツが身じろぎすると蔦はすぐにほどけて腕を難なく出すことができた。リツは腕を伸ばしてジーンに触れる。お腹の子どもたちの喜びがリツにも伝わってきた。
「あのとき…そんなこと…考えてたの?」
「うん?」
「私のうなじを見て…」
「……記憶を流したつもりはなかったんだが…見たのか?」
「うん。見えた…忘れる訳ないよ。あのとき…私は…本当は…こうしたかったんだ…」
リツの姿にフィランジェルの姿が重なる。フィランジェルはジーンの頭を引き寄せて自ら唇を重ねた。
「あの瞬間に…私は…堕天しても構わないと一瞬でも考えた自分に怯えた…天使でいることが…嫌になったんだ。だから…冤罪とはいえ…翼を切られたのは…私の心が天界から離れたせいだと…そう思った…」
「たまたま心を許そうと思った相手が…悪魔だっただけで…堕天したりはしないよ」
「うん…今なら…それも理解できる…」
だって、お腹に宿った子の片方は天使なのだから。悪魔と交わったのにそんなことが起こるとは思っていなかった。
「ミカエルは…イオフィエルを…抱ける?」
「どうだろうな。でも…リツが身体を張って試した媚薬を…黒木がミカエルとイオフィエの豚汁に盛った」
「…ええっ!?」
「席を立ったのは、ガブリエルに対しての怒りもあるが、怒りで頭に血がのぼったのと共に身体に媚薬が回ったのを感じ取ったからかもしれないな。本人に任せていたら、あの性格だとガブリエルの子が生まれてもなお腹が括れないかもしれない。変なところに忍耐強いというか…戦争に明け暮れる地位に立っていた後遺症なのかもしれないな。記憶を失っていたフィランジェルよりも覚えている分、ミカエルは重症だよ」
「いや…だからって…媚薬を盛る?あぁ…でも黒木さんなら…やりそう…」
リツも自分が盛られたのを思い出す。
「ここは悪魔の居住する家なんだ。異世界における私の拠点でもある。天使であろうともここに入り込んだ以上は魔界の常識を少しは覚えてもらわなくてはな。媚薬はちょっとした挨拶と悪魔ならではの嫌がらせを兼ねた日常使いのスパイスだ。変に凝り固まったミカエルが乱れるところをフィランジェルは見たくないのか?」
「……あんまり…見たく…ないかも…」
「おや、珍しく意見が割れたな。私は少々気配を探るぞ。何のために私たちが今こうしていると思っているんだ。媚薬に上乗せして、私たちの親密な魔力を上の階に流している…」
いつの間にか天井にまでジーンの蔦が張り巡らされて、まだ伸び続けていた。リツとフィランジェルは同時に慌てた。
「残念だな、逃さないよ。腕は自由にしたが、身体は離さない。しばらく付き合ってもらう。ミカエルの理性もそろそろ壊れかけているし、イオフィエルも限界だ。どの天使も私の前のフィランジェルのように乱れるのかについては、多少興味もある。私は天使が好きだからね」
「……!!」
天使に対する偏愛が過ぎる。リツは身体に巻かれた蔦が動いて際どい場所に新たな刺激が与えられるのを感じた。まずい、と思ったがすでに遅い。悪魔らしい微笑みを浮かべたジーンの顔が近付く途中でアルシエル本来の姿に変わる。リツは喉の奥から出た声を熱い唇で塞がれた。




