レリエルの場合
来客と無関係な面々は慌てて隣の部屋に移動する。イオフィエルも部屋を出ようとしたが、ミカエルに手を引かれて座らされてしまった。ミカエルはさすがに宮本からは手を離したが、イオフィエルに向かって言った。
「君だってもう一人のレリエルに興味あるでしょ?」
イオフィエルが返答に窮している間にカイがさっと現れて、ジーンの隣に立って訪ねてきた客を出迎えた。
「よくいらっしゃいましたね、水谷先生」
ジーンが半分のレリエルである水谷をリビングに案内する。玄関先で結構です、と断ろうとしたのを魔力で操ってジーンは半ば強引にリビングに連れてきてしまった。宮本は入ってきた人物を見て奇妙な感覚に陥った。相手は驚いている。それもそのはず、二人はよく似た顔をしていた。
「あ…えっ?どういうことですか?彼はいったい…」
「えぇ。同じ天使の魂を持つ半身…こちらの宮本海晟さんは、水谷匠さんの双子の弟です。生まれてしばらく経ってから水谷さんの方は父方の親戚に引き取られた…宮本さんの方は別の方と再婚していたお母さまが引き取っていました。父方の親戚はその後海外へ赴任したため連絡が取れなくなってしまっていたそうです…二人はレリエルという名前の元は一人の天使でした…立ち話もなんですから、再会した兄弟どうし、話してみてはいかがですか?記憶が蘇るかもしれません…どうして、この世界に来たのかも含めて…あなた方は天界の天使たちの運命を握っていると言ってもいい…記憶を取り戻してもらわないと、こちらの天使たちも困るんですよ…」
ジーンが告げた。
「あーどうも、私はミカエルです。こっちはイオフィエル。こう見えて現役の天使です。転生はしていない…ちょっと姿はこちらに合わせて調整してますが」
ミカエルがニコニコしながら言った。二人は更に困惑する。
「…天使…現役?」
「まぁ、私たちがレリエルに期待するのは出産に関わること、なんだけどね。そちらの話はおいおい…まずは、記憶を取り戻してもらわなくちゃね」
ミカエルは二人を近くに座らせると自分はイオフィエルの手を引いてキッチンのカウンターにある椅子の方に移動した。
「どうぞ」
どこからともなく現れた黒木がミルクと砂糖を添えて珈琲を置く。
「ノンカフェインですが味の方は保証致します」
黒木は微笑んで去ってゆく。二人はよく似た顔を見合わせた。相手が珈琲を一口飲んで目を見張ったので、なんとなく宮本も飲んで、本当にこれがノンカフェインなのかと疑った。美味しい。先に口を開いたのは宮本の方だった。
「あの…学校の先生なんですか?僕はまだ大学に通っている途中なんですけど…」
宮本の言葉に同じ顔をした兄は居心地が悪そうな顔をした。
「あ…向こうで飛び級をしまして、それで卒業が早かっただけです…。あの、本当に申し訳ありませんでした。弟がいると知らされたのは…君が入院したときで…僕はそのとき一度…病院にいる君を見てるんです。僕の養父は君のことを引き取ろうとして一時帰国したんですけど…結局話し合いがうまくいかなくて…その後は行方すら分からなくなってしまって…」
「……あぁ…それは…多分…福音の鳥の会が…絡んでいたからだと思います…母が僕を刺して…当時…養父になろうとしていた人がそのまま福音の鳥の会に…僕の居場所を用意してくれたので…当時の僕は混乱していて…母が僕を刺した記憶も忘れてしまっていました…嫌な記憶ごと…丸々…その部分が抜け落ちていて…最近やっと思い出したんです…」
宮本は力なく笑った。双子なのに片方は飛び級までしてもう社会人になっている。母に殺されそうになった自分とはまるで違う人生を歩んでいるのを見せつけられた気がしていた。母は結婚と離婚を繰り返し、その時々のパートナーの気分次第で宮本は引き取られて共に暮らしたりまた施設に戻ったりと、当時はまるで根無し草のような生活を繰り返していた。今思えば母も愛を探していたのかもしれない。だが母が愛を求めれば求めるほどに宮本は冷めていった。自分はやはりお荷物でしかない。そんな思いが常に支配していて、時折気紛れに向けられる母の優しい声に困惑させられた。
「それで…あの…レリエルの記憶なんですけど、僕はあまり思い出せなくて…」
「僕の方は断片ですが…少し持ってます…あの、触れてもいいですか?」
「あ、はい…」
兄に手を握られた宮本はその瞬間に記憶がフラッシュバックした。見知らぬ天使の姿が見えた。何かを話している。
(…あの世界は…中継地点なのです。だから失ってはならない…あの世界が終わりを迎えると…周辺の世界も連鎖的に滅亡の一途を辿る…そうなるくらいならいっそのこと…世界の流刑地にして魂が満ちるようにしてしまえばいい…落とされた魂が宿りやすいように…我々のどちらかがかの地に滞在しましょう…天界は神に任せておいて大丈夫でしょう…永遠に等しい命を持つ我々なら…たかが数百年我々が不在であったとしても…問題はありませんから)
(本当にそうでしょうか?アルミサエルは…不安ではないのですか?)
(何が不安ですか?レリエル…)
(フィランジェルは…本当に罪を犯したのですか?私には信じられません…何かがおかしい気がするのです…)
(レリエルこそおかしなことを言いますね。神の言葉を疑うのですか?フィランジェルはガブリエルを亡き者にしようとした、その罪で堕天したのです…現にガブリエルは行方不明…)
(ですが…フィランジェルは無実を主張していましたよね?あの言葉が嘘だとは私にはどうしても思えないのです…)
(あぁ…レリエル…君は面倒ですね。どうして神の言葉を疑うのですか。困りますよ。あなたはあなたの役割を果たせばいいのですから、さっさと落ちてしまいなさい)
アルミサエルが目の前でスラリと剣を抜くのが見えて、気付いたときにはレリエルの身体は半分になって倒れていた。
「うわぁぁぁ!!」
宮本は叫び声を上げる。脳天から真っ二つに切り裂かれる感覚が蘇って宮本はゾッとした。隣の水谷までが驚いた顔をしていた。
「違うものが…見えました…以前には…見えなかった記憶も…」
「面白いですね…まさかこのタイミングで我が妻の名前を聞くことになるとは」
ジーンが低い声で言う。そのときリビングにつながるドアが開いてリツが顔を覗かせた。
「…呼ばれた気がしたんだけど…あ、来客中でしたか、すみません」
「いや、呼んだよ。入ってきてほしい」
ジーンはリツを手招いてその肩を抱いた。
「こちらは、カイの学校の日本語の先生でレリエルの半分だよ。彼女が…転生前はフィランジェルだった…リツ。現在は私の妻だ」
「えっ!?フィランジェル!?」
水谷が思わず立ち上がる。リツの中のフィランジェルが表に出る気配がした。リツはフィランジェルに任せることにした。
「えぇと…レリエル…久しぶり。なんだか、おかしなことになってしまったみたいだね。神の言葉を疑わずに知らないフリをしていれば…二人になって、ここまで記憶があいまいになることはなかったのかも…私もね、神に余計なことを聞いてしまったから…堕天したんだよ。今になって思うとね」
「余計なこと…?」
「何のために悪魔と戦っているのかって。純粋な疑問だったんだ。なぜ天使と悪魔は戦うのかって。別に手を取り合って仲良くしたっていいじゃないかって…アルシエルと戦ううちに思うようになっていった…それで戦いの意味を聞いた。納得できる言葉が欲しかったんだ。でも神は激昂した。その頃にはもうガブリエルは天界から姿を消していて…私は迷子になっていたんだ。どうしていいか分からなかった…」
「私と剣を交えるうちに…フィランジェルは、この戦いが無意味なものだと感じるようになっていたんだよ。それは私も同じだった。何しろ私はどうやったら目の前の天使を抱きしめられるのか…そればかり考えていたからね」
「……!」
ジーンの言葉にフィランジェルは思わずその顔を見つめる。
「そんなこと…考えてたの?」
「君は純粋に戦いに集中していたかもしれないが…少なくとも私は剣を交えながら君に愛していると伝えているつもりだった。まぁ、我々の話はともかくとして、アルミサエルの言葉の意味を考えるなら、複数の異世界が交わるこの地点の維持を目標にあえて流刑地と定めたとも解釈できる。どちらかが、と言いながらアルミサエルの中では自分ではなくレリエルをこちらに落とすことは決定事項だったんだろうな。そして不運にもレリエルは神に対しての疑念を口にしてしまった。確かにフィランジェルに対する処罰は不当なものだったから、他にも疑念を抱いた者がいたのかもしれないが…狡猾な者は口を閉ざしたんだろう。レリエルは純粋過ぎたのかもしれない。レリエルが天使だった頃の記憶を簡単に思い出されても困るから、彼はレリエルを二つに切り裂いた…そう考えるのが妥当だろうな…」
「……アルミサエルは…どこにいるんですか?」
「それが分からないんだよね」
カウンターの方からミカエルが振り返って言う。
「それっぽい気配がないかガブリエルが探ってるみたいなんだけど…もしかするとこの世界にはいないのかもしれない。もちろん、天界にもいないよ。かれこれ数百年彼は不在だし…それに天界の塔が炎上した際に神も姿を消した…ま、要するにアルシエルが動き出したから、フィランジェルの天使の翼を燃やして、天使に戻れないようにしたってことだよね。ひょっとしたら神もどこかの異世界に転生しちゃってるのかもしれないけど、それを確かめるには…アルシエル並の執念がないと無理だよね。そこまでして見つけたい訳でもないし…アルシエルは探す?」
ミカエルの問いに対してアルシエルは目を細めた。
「奴に五百五十年の歳月を費やすほど私は暇ではないよ。私が欲しかったのはフィランジェルだけだ。正直なところ神などどうだっていい。だが、天界が消えると魔界との均衡が崩れても困るから天使が減るのは出来ることなら避けたい…天使を生み出していた神がいないのなら、自力で増えるしかないだろう。だからレリエルを探していたのだが、出産を見守る君がこうもぼんやりしていると…ミカエルとイオフィエルに良いアドバイスを与えてやれと言うのも難しくなってくるのかな?」
「アドバイス…?僕はむしろ…みなさまにアドバイスしてほしいくらい…今は困惑してますけど…」
水谷の言葉に宮本も同意するかのように頷いた。
「あーそうそう、それで、レリエルに期待する出産に関わることの話なんだけどね、そもそもの話、天使って男と女の姿になったら天使どうしでも子どもって作れるの?私はそれが聞きたかったんだよね。だってせっかく頑張って試しても、元々子作りできない身体ですって言われたらせっかくの努力も無駄になる訳でしょ?そこのところだけでも、何か覚えてないかなーって。ほら、神が天使を作り出すときに何をしていたか、とか…レリエルは覚えてないかなって」
ミカエルの言葉に隣にいるイオフィエルは真っ赤になってうつむいてしまった。まさかそんなことを聞かれると思っていなかったらしい二人は顔を見合わせて困惑の表情を浮かべる。
「…すみません…今すぐには…思い出せることはありません…」
水谷が頭を下げる。宮本も困った顔をして頷いた。
「まぁ、そりゃそうかー。ホラ、だから言ったでしょ?レリエルに聞いたって分かんないかもしれないよって。だから、イオフィエル…私たちはひたすら試すしかないんだよ。残された道は一つだから、あきらめて大人しく私に抱かれなさい」
ミカエルはうつむいたイオフィエルの頭を撫でる。ぞんざいなようでいて優しい触れ方だった。イオフィエルは顔を覆う。ミカエルはそれを見て困ったように微笑んでいた。




