宮本の場合 3
その後ジーンとストラスは手分けをして目覚めない付属小の児童の家を回って秘密裏にシールを回収した。額に軽くキスをすると子どもたちは身じろぎする。目を開ける前に姿を消したので、子どもたちはなぜ突然目が覚めたのか分からなかったが、皆一様に耳元で優しい声が、起きてと告げたと後に語った。三夜美への虐待の証拠が善意の第三者から届けられたとジーンは嘯いて、家庭裁判所に一時保護状を請求した。三夜美はシェルターからしばらく登校し、養子縁組は解消の方向で話が進んでいる。昏睡状態で回復の見込みのないヒジリについては、サリエルに連絡をして近日中に魂を回収することで話がまとまった。要するに肉体の死だ。今はヒジリであるバラキエルはルイの夢の領域でガブリエルと会話をして自身も肉体の死に納得をした。本人がヒジリとして昏睡状態のまま生きることよりも、天界に早く戻ることを希望したためだ。荻原家の養父は悲しむだろうとルイは淡々と思った。シール事件を解決した結果として荻原家はバラバラになり荻原家に残ったのは結局ジェシカ一人だった。そんなジェシカの元に家庭教師の宮本がやって来たのは月曜日のことだった。家庭教師の日ではないのに宮本が来たのでジェシカは不審そうな顔をした。
「どうしよう、みんな目が覚めて…登校してきてた…だから来たの?」
ジェシカの言葉に宮本は首を横に振る。どこか前と雰囲気が違うとジェシカは思った。
「うん、もういいんだ。ジェシカも、シールのことは忘れていいよ。またいつも通りの生活に戻るだけだよ」
宮本は微笑む。
「私…失敗したの?だから?」
「違うよ。シールで集めた魔力の研究そのものがうまくいかなかったんだ。装置も壊れてしまったから、研究が打ち切りになってしまったんだよ。ジェシカのせいじゃない。それに僕はクビになったから、家庭教師の仕事も終わりになったんだ。だからお別れを言いに来たんだよ」
宮本はジェシカの頭を撫でた。
「えっ?そんなの嫌…私がママにお願いするから…!!家庭教師は続けられるように…!」
「ごめん、それはできないんだ。僕は君のお兄さんにもひどいことをしたのがお父さんにバレてしまった。ヒジリくんが階段から落ちてしまった日に…僕はお兄さんの部屋にいたんだよ。本当にごめん。犯罪者を大事な娘に近付ける訳にはいかないと釘を刺された。本当は今日会うことも禁止されたんだ。でもきちんと今までのことを謝りたくて来てしまった。僕は君を…傷付けた。僕は人の愛し方をよく知らないんだ。福音の鳥の会では…正しい方法でも…世間的には良くない行いだと…よく分かっていなかったから…君にも魔力を分けるのにキスしたし、君のお兄さんにも同じことを…それ以上のこともしてしまった…」
「…私は…別に…嫌じゃなかった…そんな…犯罪者だなんて、お父さまは…大袈裟…」
「ごめん、僕はもう行かなきゃ。ジェシカ。さようなら。今までありがとう。元気でね」
宮本は頭を下げると出て行ってしまう。ジェシカは玄関から飛び出した。黒い車が停まっているが宮本の車ではない。宮本が後部座席に乗り込むと車は滑るように走り去った。
「…様子は…どうでしたか?」
後部座席に乗ってパーカーのフードを目深に被っていた人物が声を上げる。
「少し…困惑してたかな。キスしたことを謝ったら、犯罪者だなんてお父さまは大袈裟だって言われたよ。嫌じゃなかったって。そういうこと言われても困るなぁ…ほんと」
「…カイセイさんって…やっぱり人たらしだよね」
そう言ってフードを脱いだのは三夜美だった。
「人の愛し方を知らないのはほんとだよ。別にその点に関しては嘘は言ってないし…それに、ジェシカがコソコソ何をやってるのか探ってほしいってお願いしてきたのはミヤビでしょ?僕だってよく知らないのに、知ってる風に手探りで話すのは大変だったんだから…気を許してもらうのに…あえてベタベタ触ったりしてさ…そういう事をやりたい訳じゃなかったんだからね?」
「ごめん、それについては…僕は完全に始祖って人を疑ってたから…」
「ま、いいよ。とにかく、ミヤビが無事だったから僕はそれでいい。怪我の方はもう大丈夫なの?」
宮本はそう言って左手で三夜美の肩を抱く。右手で両手を握って手の指を絡めてきた。
「またそうやって…すぐ、僕を好きみたいな風に触るんだから…」
「だってミヤビは身体が弱いでしょ。魔力がすぐ足りなくなるんだから、隙あらば触っておかないと、また倒れるんじゃないかって心配になる…それなのに蹴ったり殴ったりするなんて最低だよ」
ヒジリが階段から落ちる直前に、三夜美は義父からの不当な暴力により魔力欠乏の状態になって気を失っていた。異変に気付いた宮本が部屋に入って魔力を注いでいる間にその事件は起こってしまった。
「…それにしても、カイセイも言葉足らずなんだよ。気を失ってる状態のミヤビにキスして触りまくってたら、そりゃ気付いたときに襲われてるって勘違いしてもおかしくないだろ」
運転席のストラスが笑い声を立てる。
「だって…人助けのためにこの身体を使うのが当然だと思ってずっと生きてきたんですから…説明が必要だとは思っていなくて…」
「ま、それもそうだ。悪かったよ。元天使のくせに魔力も変わってて頭のおかしいのがまた出てきたなと思ってたから…最初から色眼鏡で見てた。こっちも」
「頭のおかしいのがまた…?一人目は誰なんですか?」
「それはガブリエルに決まってんだろ。それより、本当にセラヴィでバイトするのか?ミヤビと契約パートナーになるってところまではとりあえず理解したけど…セラヴィ?俺が言うのもなんだけど悪魔だらけだぞ?あそこは」
「どっちにしても…僕は世間知らずなので、少し社会に出る必要はあるんです。でも一般企業だと僕は体質的にも多分浮いてしまう。それに福音の鳥の会には、セラヴィの魔力回復シールを提供してくれるって話になったので、それなら子どもたちも安全に魔力を補えることが分かりましたから…優先すべきはミヤビだな、って。だって、シール程度じゃ補えないんですから。ミヤビは。芸術活動をすればするほど消耗する…それなら僕がセラヴィでアルバイトをして正々堂々と寮を利用できた方が、心置きなくミヤビに魔力を注げるなと思った訳で…」
「…カイセイは合理主義なのかミヤビを愛してるのかよく分からないなぁ…ま、いいか。そのミヤビを優先したいって気持ちに特別な名前をつけるとしたらやっぱり愛なんだと俺は思うよ?ミヤビ、カイセイに愛が何だか教えてやれよ。魔力ボランティアもいいが、誰でも彼でも大盤振る舞いする必要はないってことを覚えさせるんだ」
ストラスは笑った。
「僕が?そんなの…難しいですよ、ただでさえ相手はカイセイさんなのに…」
宮本は三夜美の手を握っていたが、不意に頬に触れると顔を近付けてきた。三夜美は目を閉じる。優しく唇が重なる。わずかに残っていた頭痛がひいてゆく。それをちらりと見てからストラスは後部座席との間にある仕切りを上げた。しばらくは二人の世界にしておいてやろうと思う。確かに三夜美には魔力が必要だったから、宮本が契約パートナーを名乗り出てくれて良かったと思った。最初はロクでもない男なのかと思ったが、彼は他人の痛みに敏感で純粋に人助けをしていただけなのだった。それが始祖の息子や娘を名乗る転生者たちのやり方だったからだ。彼らは魔力回復薬には懐疑的で、人との触れ合いを何よりも重視するタイプだった。抱きしめ合うだけでどこまで魔力が上がるのかを検証し、一番魔力の上がる相手を契約パートナーに斡旋する。その一方でパートナーにありつけない者はその貧困から魔力回復薬を手に入れることもできないため研究室の扉を叩く。医師の杉田は自作の魔力回復薬を渡し、一部の薬に対するアレルギー体質のある者は宮本のように杉田の選んだごく限られた数人が引き受ける。始祖は講演会を行いメディアに出ることで、寄付金を募る。時折魔力の調子が良いときは人を救うこともする。悪い組織ではないが、杉田が自らの罪悪感により魔力を集めるなどという試みを始めたことで軌道がズレ始めた。何よりもジェシカが自分のデザインだと言って養父に渡した、三夜美らしくないポップな絵に特別な力があったことで、杉田はこの方法を思いついてしまった。
(ミヤビは芸術活動をすればするほどに消耗する…無意識のうちに絵に魔力を込めるからだ…シールの元となった絵はたまたま魔力を吸収する力を保有していた…ミヤビ自身の魔力が安定すれば恐らくその逆も可能だろう…)
ジーンは三夜美を一個人の手元に置いておくことを、良しとしなかった。悪用される危険性が高いからだ。だから何が何でも保護したかった。こちらの陣営に引き込んでおいて様子を見る。それはまた宮本も同様だった。元天使なのに半分になってしまったせいなのか、彼は天使の頃の記憶を全て失っていた。にも関わらず少し触れるだけでも悪魔並みの魔力を生み出せる能力があり、始祖よりもその魔力は安定していた。医師の杉田は宮本の魔力についても研究を行っていたが、その理由の特定には至らなかった。杉田の記憶に関してはガブリエルが改変した。魔力を集める研究そのものを忘れさせたのではなく、宮本の母を昏睡状態にしてしまったことに対する罪悪感を消し去った。あれは宮本海晟を救うための正当防衛の際に起こった単なる不幸な事故だったと再認識させたことで、彼は罪の意識よりも海晟の命の恩人である自身の功績に納得をし宮本の母親を目覚めさせる責任はないのだという結論にようやく至ることができた。その話を聞いた宮本は言った。
「…今更…僕を殺そうとした人の意識が戻っても…どんな顔して会っていいのか分からないよ。正直なところ…会いたいとも思わないし…」
それはそうだとストラスも思う。しばらく経って後部座席との間のガラスを叩く音がした。ストラスは仕切りを下げる。三夜美は宮本の肩にもたれて安心したように目を閉じて眠っていた。
「…とりあえず帰ったら天使に会わせるよ。ミカエルとイオフィエル。訳あってこっちに滞在してるんだ」
「え?会ったら…何か思い出すかなぁ…自信ないです…」
「どうして半分になったかもはっきり分かってないしな。ま、思い出さなくてもガッカリする必要はないよ。ミカエルは気安い性格だから歓迎するさ」
「あの…」
宮本がとても言いにくそうに口を開く。
「天使と悪魔って…仲悪いんじゃないんですか?すみません…そんな気がしてる、ってだけなんですけど…」
「あーそこから説明しないとダメか。魔界と天界が争ってたのはもう何百年も前の話なんだ。だから今は寄ると触ると戦ってた時代とは違うんだよ。それでもイオフィエルみたいなのは堕天するだのなんだのと騒いでるけど、他所に住むにしてもミカエルは生活能力がガブリエルみたいにはないから、セラヴィの寮って名目の部屋を一室貸してる。要するに居候だな」
「えぇ?悪魔の会社の寮扱いの部屋に居候?天使が?それこそ…バイトしようって思ってる僕よりも全然ダメじゃないですか」
宮本の言葉にストラスは笑ってしまった。確かにそうかもしれない。あの二人はこの世界においては完全なるニートだ。カイムやベルフェゴール大佐ですら授業の合間に事務仕事をこなしているというのに。
「あーそうだなぁ。ただ飯食って、天界のミッションに挑戦中ってだけだからな、今のところは」
「天界のミッション?」
宮本は不審そうな表情になる。ストラスは笑った。
「そ、天使の繁殖計画」
ストラスの言葉に宮本は更に眉を寄せた。後で説明するよとストラスは言う。これから宮本が住むことになる家に到着したからだった。車は広々とした車庫に吸い込まれていった。




