宮本の場合 2
宮本は福音の鳥の会の敷地内にある集合住宅のワンルームにいた。部屋には今、一人の少女がいる。母親が入会したせいで連れて来られた隣室の少女だ。母親は始祖の息子の主催する集まりに参加している。勉強会だと言って慌てて出て行ったらしいが、要するに魔力不足を補うためのマッチングだ。主にここに暮らすのは貧困層の者たちで親も札付きの転生者がほとんどだった。
「カイセイくん…」
少女に名前を呼ばれて宮本は我に返った。抱きしめていた腕をそっと離す。
「お母さんが帰ってきたら…私…叱られない?」
「大丈夫だよ。でもそろそろ…身なりは整えておいた方がいいかもしれないね。何か聞かれたら、勉強を教えてもらってたって言えばいいよ。このことは特に言わなくていいからね」
彼はそう言って少女の服のボタンを留めると再び上から抱きしめた。こうやって親が不在の間の子どもたちにボランティアで魔力を配るのが彼の役割だ。いつの間にかそうなっていた。
「体調は良くなった?もう頭は痛くない?」
少女は頷いた。未成年は始祖やその子どもたちが主催する集まりには参加できない。子どものためと言いながらも結局は親自身も魔力が足りなくていっぱいいっぱいなのが、ここに来る転生者たちだった。もちろん魔力回復薬など買う余裕などない。だが、ここにいれば少なくとも餓死はしない。狭いながらも住む場所があり共同の浴室やトイレも使える。少女は来たばかりだから素肌を少し触るだけにした。キスも絶対にしない。するのは命に関わる緊急事態のみだ。それでもこのくらいの子どもは素肌に触れれば緊張するし警戒もする。けれども鎮痛剤でも解消されない痛みを抱えるよりも、少しこうやって触れ合うだけで身体が痛みから解放されることを知ると、次第に警戒しなくなることを彼はこれまでの経験から知っていた。何よりそれが安全で正しいと思わせることが大事だった。あとは収穫時期を待つだけだ。宮本が少女の頭を撫でると背中を預けてきた。良い傾向だと思う。この子は十四歳だ。あと二年もすれば大人の集まりに呼ばれて、最初の相手のマッチングを行う。そこからはなし崩し的に、誰がパートナーになっても気にならなくなる。大切なのは相性だ。むしろ大人になってから契約パートナーと共に入ってくる下山のような者の方が既存の価値観に縛られがちで厄介だと彼は思った。恋愛感情など二の次なのに下山はそれを第一に求めがちだった。
「お母さん…私のこと…邪魔なのかな…」
「そんなことはないよ。大人も大変なんだ…ココネちゃんだってそうでしょう?大人の頭痛はもっと酷いって聞くよ?」
宮本は内心の動揺を隠して平静を装った。宮本は夜の集まりには出来るだけ参加しないようにしていた。この時間帯に具合の悪くなる子どもが多いからだ。古株としてその辺りは一応配慮している。万が一死んでしまうようなことが起こらないためにも、手っ取り早く不足した魔力を補えるシールの開発が必要だった。杉田医師ならきっと完成させるだろう、宮本はそう思う。宮本の他にも何人か同じ役割をこなしている若者はいたが、宮本ほどうまくはできないようだった。各部屋には緊急呼出ボタンがあって、それが鳴ると駆け付けられるようになっていた。守衛室からのみ緊急時には解錠もできるようになっている。以前に鍵が開かなくて対応が遅れたことがあってから、やり方を変えさせた。福音の鳥の会における宮本の地位はそれなりに高い。そのとき宮本のスマホが鳴った。守衛室からだった。
「はい」
『三◯二号室から緊急呼出です。対応可能ですか?』
「はい、今行きます」
通話を切ってから、宮本はココネに自分の部屋に戻るように言った。ココネは残念そうな顔をしたが頷いた。宮本はココネと部屋を出ると隣の部屋に入るのを見届けて、三階へ向かう。不意に三◯二号室には誰がいただろうと思った。確か前の住人がいなくなってから空室だったから、知らない間に新しい入居者が現れたのかもしれないと思う。彼は三◯二号室のドアを開けて中に入る。部屋の中は暗く静まり返っていた。物が異様に少ない。少年が倒れているのが見えたので、宮本は駆け寄った。
「君、大丈夫!?」
ぐったりした様子の少年の髪は夜の光の加減か銀色に見えた。上を向かせて彼はとても整った顔立ちの少年だと気付く。薄っすらと目が開く。唇が少し動いた。
「魔力欠乏だね、今分けてあげるから…少し我慢してて。君のその様子だと口からじゃないと間に合わない…」
宮本は唇を重ねて魔力を流す。少しするとだらりとしていた手に力が入って宮本にすがりついてきた。気付けば無心になって唇を重ねていた。少年の方も乗り気だと思っていると、突然思いもよらない力で彼は体の上下を入れ替えられた。美少年が宮本の上で微笑む。宮本はゾクリとした。恐怖が蘇る。
「カイセイくんは…面白い魔力の味がするねぇ…別のと混ざったのかなぁ?これって…」
そう言った相手は目の前で姿を変えた。背中に白い翼が現れ緩くウェーブする銀色の髪が伸びる。少年はいつの間にか男性の姿になっていた。宮本はあ然とした。
「て…天使?うそ…本物…?」
「うそじゃないよ、ホンモノだよ。君さ、記憶をなくし過ぎ。そこそこ魔力は使いこなせるのに、無自覚な上に肝心な記憶だけは思い出さない…天から落ちたときに頭の打ち所が悪かったのかなぁ?いや、頭どころじゃないから二つに分かれちゃったのか。ん?もしかして斬られた?まぁいいや。君はレリエルの半分が入ってるんだよね。あ、僕?僕はガブリエルだよ?有名だから、記憶をなくしていても名前くらいは知ってると思うんだけど…君だって転生前は天使だったのに…天使を見て驚くとか…ほんと…笑えるし…」
「僕は天使なんかじゃないですよ!だって…!母がそう言ってましたから…」
宮本はムキになって否定した。そこで嫌な記憶が蘇りそうになる。母が鬼の形相で自分を見下ろしている。振り下ろされる包丁と焼けるような痛み。あのとき母は確かに言ったのだ。
『お前は…天使なんかじゃない!!天使の皮を被った悪魔だ!!……さんを誘惑して!!』
その後はどうなったのか記憶がない。気付けば母は倒れていて傷だらけの男性が宮本のお腹を必死に押さえていた。どういう訳かその人の顔が医師の杉田に見える。
「あれ…なんで?どうして…先生が出てくるんだ?」
「…先生が君の養父になる予定だったからだよ。君は中学三年生の頃にお母さんに殺されそうになったんだ。そのときの揉み合いでお母さんは打ち所が悪くて昏睡状態になった。杉田先生は正当防衛で罪には問われなかったけど、先生自身は罪の意識を抱えていた。無垢なる魔力を集めるなんていう妄想に取り憑かれたのも…その魔力を集めて君のお母さんを…目覚めさせようと思っていたんだよ…」
「え…?僕のお母さんは…今日だって…始祖さまの集まりに…呼ばれていますよ?」
「そういうことにしていたんだろうね。重要な地位にあって忙しいから会えないってことに。君のお母さんは今も病院に入院している。君は事件のショックでそのときの記憶をなくしたんだ」
宮本は急に困り果てた子どものような表情になってガブリエルを見上げた。そうしてようやくのろのろとティーシャツをめくって自分のお腹を見る。そこに確かにその傷跡は残されていた。目を背け続けてきた要らない子の証。彼が部屋に残された子どものことをひたすらに気にかけるのは、自分が要らない子だったからだ。いつからか、母と自分とは敵対関係になってしまっていた。母の相手を惑わす悪魔だと彼は罵られた。魔力が足りなくて身体のあちこちが痛くて助けて欲しかっただけなのに、痛みを解消することすら許されなかった。
「あーそっか…少し思い出したかも…うっわ。けっこう…これって…気分最悪だなぁ…自分に関する何かを思い出したら…もう少しマシな人間になれるかもって…思ってたのに…結局…ダメか…最低な気分だなぁー」
宮本は顔を覆う。ガブリエルは宮本の肩を抱いた。
「大丈夫だよ。僕も天使だけどここじゃわりと最低なことばっかりやってるからさ。君はまだこれからだよ。レリエルのもう半分もぼんやりしながらたまに生徒に手を出しかけてるギリギリな中学教師っぽいからさ…子どもを見守るってところまでは二人とも合ってるんだけど、その見守りと接触が過剰なんだよね。ま、子どもの唇ギリギリ近いところにキスしたくらいで堕天する訳じゃないけどさ」
宮本はビクリとしてガブリエルを見た。
「…もしかして…見てたんですか?」
「ん?何が?まぁ…僕だけじゃないけどね。悪魔たちの方がたくさん見てたよ。君のあれこれを興味深く…」
宮本は黙り込む。少し顔が赤い。
「あ、でも安心して。ミヤビくんだっけ?あの子は民間企業のセラヴィが保護したから大丈夫。もう不当な暴力に晒されることはないよ」
「…本当に?…良かった…あの子の部屋に…何か…不思議な気配がしたんだけど…あれ、何だったんだろうなぁ?」
「うん?君、感じてたんだ。あの部屋には彼の亡くなったお姉さんの魂もあったみたいだから…お姉さんもミヤビも一緒に今は悪魔のところにいるよ」
「あの、さっきから悪魔って言ってますけど…ミヤビはセラヴィに保護されたんですよね?」
「うん、あの会社、今も現役の天使の僕みたいに現役の悪魔が大勢所属してるから…ほら、政府が転生の撲滅推進を掲げたときに、この世界にいる転生者を元いた世界に引き取りに来たのって実は魔界が一番乗りだったって訳。天界と魔界の取り決めで堕天使も魔界が引き受けることになったから、フィランジェルを魔界に取られちゃったんだよねぇ。まったく、残念だよ。で、僕もそろそろ真面目に天使を探せって上から怒られちゃってさ。潜伏してたのに、悪魔に居場所をバラされちゃったからねーそしたら、レリエルは分裂してるし、ラファエルは転生して元勇者とラブラブだしで嫌になっちゃうよ。君みたいに分裂なんかされると気配が薄くなるから探す手間二倍なの。分かる?」
「はぁ…それは、確かに…すみません、って、僕のせいなんですか?それは?」
謝ったものの宮本は首をひねる。自分が天使だと言われてもいまいちピンとこない。
「ちなみに始祖も天使だよ。しょーもない奴だけどね」
ガブリエルは福音の鳥の会のメンバーが聞いたら怒り狂いそうなことを平然と言って屈託なく笑った。




